幻想を求める




 キリエ昏睡から早数ヶ月。
 時は九月を迎えていた。




 アーヴァインが陽気に口笛を吹きながらハンドルを握る。
 フィールが物見も兼ねて屋根の上に座っている。
 そしてスコールがキリエの横たわるベッドの横の椅子に座って本を読んでいた。
 キリエが昏睡している間に特殊なルートを使って手に入れた念使いにしか開けない念がかかっていた本だった。
 どんなものかと期待していたが――さすが古い本だけあって新しい発見はなかった。
 念使いが更に念を極めるためのガイドブック。
 既にスコールたちには知るところだった。

 一通り新しい発見はないかと目を通し、見当たらなくて本から目を離し溜息をついたとき、不意に開いたキリエの黒瞳と目が合った。
 見詰め合うようにして互いに固まること数秒。

 先に動いたのはキリエのほうだった。

「……おはよう? スコール」
「ああ、おはよう」

 そして再び沈黙。

 ごそり、のそりと体を動かすキリエとそれを見守るスコール。
 念薬による体調管理はしているが、それでも冷えていいことはないと掛けられていた薄掛けをもどかしそうに跳ね上げ、腹筋で起き上がれずに狭いベッドに手をつけて体を起こす。
 ぐずるように一度唸って、持ち上げた手のひらを目の前で握ったり開いたりしながら様子を見ている。

「……鈍い」
「そりゃそうだろう。一体何ヶ月経ったと思ってる」
「個人的には二ヶ月くらいかなぁ、って思っていたんだけど……」

 言いながらスコールの顔を見て確信する。

「それ以上ってこと、なのかな?」
「今日は九月十日だ。何の日か覚えているか?」

 問われてキリエは考えた。
 無い味噌絞って考えた。
 思考も鈍っているのかまったく以って思いつかない。
 頭の先から足の先まで何もかもが鈍い。
 幾ら念薬により体調管理されていたとはいえ、さすがに三ヶ月以上ともなれば当たり前とも言えるだろう。
 思考はそれて、ただでさえ弱い自分の更なる弱体化に唸る。

 何かがずれていったのは感じたのか、スコールが呆れたように溜息をついた。

「今日は、バッテラがグリードアイランドのプレイヤーを募集する日、だ」
「ああ、そうか」

 ぱたん、と脱力して再び硬くて狭いベッドの上に倒れこんだキリエは、肺の中の空気を搾り出すような息をついた。

「……ヒソカとの試合、終わっちゃったのよね?」
「そうだな」
「どっちが勝ったの?」
「俺だ」
「決め手はなんだった?」
「状態異常の魔法をかけまくってテンカウントで勝った」
「あはは、ヒソカ、かわいそうかも。あんなにスコールと戦いたがっていたのに、結局まともに相手をしてもらえなかったのね」
「だかこれで言い訳は立った」
「言い訳って言っているあたり、もう駄目じゃない?」
「理屈で撃退できるならなんだっていい」
「ヒソカ、変態だもんね」
「……想像以上だ」

 ヒソカの話題が出たときの、げっそりとしたスコールの様子にヒソカの威力を思い知るキリエ。

「ああ、終わったんだ。天空闘技場も、ドリームオークションも。ヨークシンも――」
「そうだな。……あんた、一体何が作りたかったんだ?」

 聞かれてキリエは考えた。
 何を作りたかった?
 そうだ、何かを作ったのだ。
 その結果としてキリエは数ヶ月にも及ぶ時間を喪失したわけだが――

「うわぁ、バカ」

 直前までの記憶を思い出したキリエの言葉はそれだった。

「ばか?」
「スコールのことじゃないよ。自嘲してるのよ。ははは」
「それで、結局何を作ったんだ?」
「……」

 むっと唇をすぼめて沈黙するキリエに、スコールは扱いかねて溜息をこぼす。

「迷惑かけて、ごめんなさい。ずっと面倒見てくれて、ありがとう」
「あんたの念薬頼りだったがな」
「そうじゃなきゃ、念使いといったところで今頃病院のベッドの上でスパゲティよね」

 点滴のチューブから状態監視用の機器まで含めてずらりと貼り付けられている自分を想像してキリエは顔をしかめた。
 もしそんなことになっていたら、体が鈍いどころの話ではなく体力は減退しているだろう。
 そんな状態で三ヶ月も過ごせば、目覚めたときには恐らくまともに立ち上がることすら出来ないはずだ。

 戦う戦わないどころの話じゃない。
 満足に身を守ることも出来ない。
 そもそもが分不相応な念能力を得るために、制約によって常にオーラの半分は使用できない状況にあるキリエ。
 この制約は師匠をはじめスコール達にも嘗ての恋人にも教えていない制約だ。

 知らせたくないし知られたくない。
 大体今の自分の表に出せるオーラ量を、瞬間的な量にせよ持続的な量にせよ二倍にして計算してみたところでフィールにも届かない。
 結局は凡人以下の凡人なのだが、オーラが常に半量使えない事を公言するのはなんだか凡人であることの言い訳じみていて嫌なのだ。
 それを気にすることじたいが既にコンプレックスを感じているといっているようなものだが、記憶や感情を読まれるような能力でも使われない限り、対外的にそれはわからない。

  「作ろうとしていた物に関しては……当分聞かないでくれると助かる、かな?」

 自嘲と苦笑を織り交ぜた笑いを浮かべるキリエ。
 自分では冷静なように思っていてしっかり頭に血の上っていたキリエ。
 今回挑戦したことはいつかはして見たいと思っていたことではあったが別に今する必要も無いものだった。
 それこそ後どれほど成長の余地が有るのか知らないが、時間さえあれば余地の無い部分でもじわじわと引き伸ばしていくことは出来ただろう。
 その時が来てから行なっても遅くは無かった。

 それを今決行したのは、完全にキリエのミス。
 その上はっきりいって当分使いどころもない。
 当分どころかもしかしたら一生無い。

 目指したのはオリジナル。
 だが思想の溢れるこの世の中ですでにキリエの完全オリジナルと呼べるようなものは無いに等しく、キリエが知らなかっただけで、その念具に持たせたかった能力は既に誰かが考えたことがあるだろう。
 あるいはその最後のラインがキリエの命を救ったのではないかと、今キリエは考えている。

 そもそも二割の有る成功率が高いかといえば、数字だけを見ればなかなかのものだが実情そうでもない。
 作りました、成功しました!
 そしてそのまま意識不明。
 見つかる事無く時は過ぎ、気が付けば自分で作った念具を握り締めた干物か腐乱死体と言う話も大いに有る。

 昏睡時は完全な絶状態であるから、かなりの長期間無防備に外界に曝されることになる。
 防衛どころか逃走もできない。
 今では名を集める念使いたちの側に居ることで不本意ながらも多少顔を売ってしまったキリエ。
 その意味は良くわかっている。

 かなりの高確率、と言うにはぞっとするほどの確率で死の影が付きまとう。
 これはゲームではない。
 死の後にリセットすることは出来ない。
 ゲームオーバーの回数をカウントしてはくれないのだ。

 とりあえず、作った念具の確認もその成否が記されているはずの本を覗くのも一人の時にしようと決意した。
 スコールたちのことだ。
 部屋を退散する時には荷物類はまとめてポーチに入れておいてくれているだろう。

「……わかった」

 見詰め合うことほぼ三秒。

「ありがとう、スコール」

 今度のキリエは自嘲の影も苦笑の意味もない純然たる、笑みを浮かべた。
 言葉よりもなお明確に感情を伝える手段。
 キリエの謝意と喜びは、言葉と合わさり間違いなくスコールに伝わった。

「ところでここ、どこなの? 走ってる?」
「車を買った。ワゴンタイプのキャンピングカーだ」
「へぇ、なんで?」

 狭いベッドに手を突いて、横たえた体を再び起こそうとするキリエ。
 それに手を貸そうとスコールが立ち上がったとたんに、石でも踏んだのかぐらりと車がかしいだ。

「ぐでっ!」

 ガン、ゴン、と二度壁に頭をぶつけた挙句に車体が均衡を取り戻す反動でベッドから転がり落ちるキリエ。
 まったく緊張を解いていた上に何の悪意も害意も感じさせない無機物の不意打ち攻撃にまったく受身も取れずにべしゃっと顔面から床に突っ込んでいった。
 辛うじて激突の瞬間に顔面だけは念で防御することが出来たが、体については何の防御も講じる事無く間違いなく叩きつけられた。

 骨粗鬆症や、日常生活に支障をきたすほどの筋力低下は無いだろうが、それでも以前と比べれば体力筋力の低下は否めない。
 念を使うときの反射速度も落ちている。
 床に体を打ち付けたキリエは体が痛むのか、ぐっと呻いたまま起き上がってこない。
 そしてスコールも、キリエに向かって中腰で手を差し伸ばす動作の途中のまま、止まっていた。
 だがその注意は既にキリエの上から離れている。

 自らの気配を殺すことによって、体全体で最大限外部の情報を得ようとしている。

 いつ間にか車は止まっていた。














 バン!



 と弾ける音がして世界は動き出した。


 アーヴァインが扉を破って車の外に飛び出した。
 いつの間にか緊張を感じ取ってうつぶせに倒れたまま息を殺すようになっていたキリエを抱えてスコールが車の後部から飛び出す。
 キリエは必死になってしがみつくばかりだ。

 以前とは感覚を変えてしまった体のせいでどうにも認識と現実の誤差を埋めきれない。
 何か起こってはいるらしいと認識するが――さっさと自分を戦力から削除した。
 後はどのようにしてせいぜい邪魔にならないようにするかが問題だ。

 一台のキャンピングカーを間に挟んでアーヴァインとスコールが向き合っている。
 そのキャンピングカーの屋根の上にはフィールが居た。
 キリエはそうであることを知らなかったが、それは別に不自然なことではない。
 そこまでを見るのであれば、当たり前のことだった。

 が。

 そこに黒い影が付属しているとなれば話は別だった。
 キリエは直接的には見覚えは無いが、なんとなく記憶の中の特徴とは一致するような気もする。
 正体を隠す気も無いのか、背中をそわりと這うような薄ら寒いオーラ。

 ――確か人間は空を飛べなかったよね?
 じゃあ空に逃げれば追ってこれないし、何とかなるかな?
 でも撃墜されれば無防備になるか。
 彼等が仲間付なら放出系の凄いのがいたし、やっぱりまずいかな――

 と、現状本人には考えうる限りの高速思考で、だが恐らく周囲と比べた場合は恐るべき糖質の足りない低速思考で現状打破を考える。
 だが、根底にあるのはこいつらなら大丈夫、何とかするだろうという信頼だ。

 スコールたちは間違いなくキリエのことも考えている。
 だがキリエは最大限自分が邪魔にならない方策さえ考えておけば、戦いにおいて他の存在を心配する必要が無い。
 心配するまでも無い。
 短い付き合いだが買い被りとは思っていない。

 総合的な能力から見ても確実にキリエの事は上回っているし、いま彼らに襲撃を仕掛けた存在たちの能力にも肉薄するか、届かなくても彼らには裏技がある。
 もともと住んでいた世界でなら、その裏技も正体から対策まで有る程度で回っているが、此方では彼ら以外誰も、それを知らない。
 見せつけ、知らしめても、原理も対策も真実も何一つ洩らしてはいない。
 それはそれらを使う者たちにしか理解出来得ないこと。

 いつかキリエも彼らの世界へいったなら、それを使うかもしれない。
 だが、キリエも今は表面的な物を知識として知っているだけでその真実を知らない。

 傾向と対策など、一つや二つの事柄を見られただけで真に迫って出来る物でもないし、そもそも知られたとしても――最終的な目的が全員で無事に逃げる、であればなんら問題は無い。

 唯一つを除いては。

「すみません、先輩」

 首筋にナイフを当てられたフィールが、喋りにくそうにそう言った。

「気にするな、フィール」
「そうそう、まあ仕方の無いタイミングだったと思うよ? 気に病むことは無いって」

 事実、そうだ。
 できることなら視界のいい草原や荒野ばかりを走っていたいところだが、走り回る定めとしてそうも行かない。
 見晴らしのいい景色から障害物の多くある森林地帯に入ったときと、タイヤが何かに乗り上げて車が傾いだ瞬間。
 どちらも注意が他のものに殺がれる瞬間だ。

 もちろんこういう場合は常にも増して敵襲などに備えてはいる。
 境界を抜けるまでは周辺環境への注意を向けることはいつもより厳しくしているつもりだが、人には限度がある。
 車を運転するアーヴァインも、周囲を警戒しながら運転し、更に目視で確認できない範囲のために多少の円も広げているが、意識を分割することで一つ一つに対する注意は薄れる。
 その上移動しながらのこと、前方への警戒は多少薄まる。

 スコールこそキリエの目覚めにより警戒を解いていたが、フィールだってただ屋根の上でぼーっとしていたわけではない。
 彼こそが一番周囲に気を配れる立場にいたが、いかんせん、フィールはキリエより強いと言うだけで念使いとしては基本的には凡人スペックだ。
 それをGFの存在を以ってカバーしているだけに過ぎず、その力を発揮する前にこういう事態に陥ってしまえば、弱い。

 そして何よりスコールもアーヴァインもとっさの身動きが制限される車中に居たと言うのが痛かった。
 ちょっと殴れば、蹴り飛ばせば、突き破れるような車だとしても、そのために費やされる一秒にも満たない短い時間が実力が拮抗する者たちの間では非常に重要な意味を占める。

 景色の変わり目、そして車が揺らいだ瞬間。
 人は自然に体制を整えようと無意識の意識を使う。
 つまりは、今まで警戒していたものから、多少なりとも注意はそれる。
 屋根の上にいたフィールはなおのこと転がり落ちないようにと必死になったわけで――このタイミングを狙っていた、というのなら、むしろ相手をほめるしかないだろう。

 そして最後に。
 相手は彼の集団のうちで最も俊足を誇るもの。
 警戒網の外側から、詰められた。

「随分余裕ぶてるね」
「さてな」
「余裕が無いからって、余裕の無い表情をしたってしょうがないだろう?」
「それもそうね」
「何の用だ、フェイタン」

 フィールを拘束する黒い影、幻影旅団が一、フェイタンが――そこにはいた。








「私たちの進む方向におまえ達がいたから先回りしただけね」
「一人か」
「そう思うか?」

 フェイタンがフィールの首筋に添えていた手をどければ、そこにはフィールに首筋に刺さった見覚えのあるアンテナが一本。
 スコールたちの感知の外から操作できると、そういう事なのだろう。

「偶然、って言うにはあざといよね〜、用意周到だし?」
「だいたい、グリードアイランドどうしたんですか。バッテラ氏から強奪したのは貴方達でしょう。プレイしないんですか」

 キリエも目を覚ましたことだし、さあこれから欲望の島へ行こうとしている身としては、こんな危険な奴等、島に居ない方がいいに決まっているのだが。
 ゲームは高度な念技能を持つ者たちが作ったもの。
 一度中に入ったら、よほどのことが無い限り誰にも手出しは出来ない。
 できる者が居るとすれば、それの解除を専門にし、更に才能があり、その上で高度に自らを鍛え上げた者。

 絶対に居ないとはいわないが、必ず居るとも言えないだろう。

「ゲームは逃げないね」

 彼らを何とかしてからでも構わない、と言うことだろう。
 わざわざ遠出してくるとも思えないことから、恐らくはこの付近にアジトを構えていると思われる。
 だが、約四日は前に彼らは欲望の島を手に入れていたはずだ。
 その日から今日までのこの間、一体何をしていたのか。

 スコールたちも、今は一度拠点としていた場所へ戻ろうかと言うことになっていた。
 ここの所オークションに向けてなのか、裏で何が働いているのか知らないが、やたらと襲撃者が多いとスコール絶ちは感じていた。
 拠点に帰ることもそういう意味では危険ではあったのだが、可能な限りの偽装工作は行なってきた。
 だがまあ技術と知識があればばれるだろうとは思っていたし、襲撃者の正体を知っている今となってはその技術と知識にも心当たりは有る。
 フィールの首に刺さっているアンテナ。
 その本来の持ち主である男。

 シャルナーク。

 彼なら、集めた情報からスコールたちがどちらの方へ向かっているのかを推測することも出来ただろう。
 ここにやってきた当初、早急に有益で広域な情報ネットワークを求めた結果として、手っ取り早く表裏合わせて有名どころで名を売っていたわけだが、帰還の手段としてまったく外部の情報を必要としない手段をとると言う方針が決定されてからは、今まで売りまくった名前が邪魔でしょうがない。
 常に警戒はしているが、探査系の念応力を持つ念使いもこの世にはごまんと居る。

 具体的な場所まではわからなくても、大まかな場所を特定した上で更に絞込みをかけ、そうした手間暇をかけてまで、悪意の有無は問わずに接触を図ってくる人物も多い。
 ネット上では姿をくらました彼らの情報は常に高値で取引されている。
 人の社会で生きていく以上、何一つとして痕跡を残さないと言うのははっきり言って不可能だ。
 その痕跡を隠し、偽造し、多くの目から彼らは確かに姿をくらましたが――それ以上の熱意と根性と粘着質な執着心や使命感を持って探し当てる者たちも居る。

 そのまま引き続き自分で接触を図っても言いし、外部に売れば、高値で買い取られるとあればそれだけを目的に探す者も居るだろう。

 一人で逃げろ、と言うにも現在はあまりにキリエは無力だった。
 あちらからの目視は可能だが此方からの探索は出来ない範囲まで含めれば、敵となる者がどれほど居るのかもわからない。
 全員そろっている、とは思わないが、少なくとも目の前のフェイタンとアンテナのシャルナーク、二人は居ることになる。

 あとこの世界でやることは、自らを鍛え上げもとの世界に帰還する方法を探すことともう一つ、無力なうちにキメラアントの繁殖を阻止しておくこと。
 それさえなせれば基本的に後はどうでもいい。
 なるようになれと思うしなるようにしかならない。

 面倒ごとはゴメンだった。
 フィールを取り戻した上で、どうやって逃げ切るか。
 それが命題である。

 スコールは後ろ手にバングルを外すと、それをキリエに押しやった。
 押し付けられたものとスコールを見比べて目を見開くキリエ。

 驚いた。
 しかも、受け取ったところで使えるような気がしない。
 彼女の記憶の中にあるゲーム中じゃ、ファイアの魔法一つ使うにもガーデンで幼いときから長い訓練をつんでいた。
 受け取ってもしょうがないと押し返そうとすると、スコールが言う。

「魔法は使えないだろうが、能力アップ系のジャンクションはそのまま使えるはずだ。準備が出来たら逃げるぞ」

 キリエには理解できないだろうと思い小難しいことは言いはしないが、バングルは外して委譲しただけではGFのジャンクションまで委譲できるわけではない。
 バングルはただ記憶の喪失と言うGFをジャンクションし使役する上での副作用を抑止する効果があるだけに過ぎない。

 幼い時の記憶を孤児院の幼馴染達がそろって無くしていたことに関しては本当にGFのせいかと疑問を憶えるところでは有るが、魔女戦争末期、アルティミシアを打ち倒したスコールは約束の場所の記憶をGFの副作用により喪失することで、未帰還者になりかけた。
 その恐怖は身に染みてわかっている。

 全員で無事に逃走、という条件をクリアするために一時的にキリエの能力を高めさせようということだが、それでキリエが記憶を失っては元も子もない。
 どこの記憶をどれだけ失うか、それは失ってみてから出なければまるでわからないことだ。
 記憶を失ったと言う記憶すら残らない。

 スコールは昔よく、ジャンクションのカスタマイズを面倒くさがっていたゼルのジャンクションを、代わりにカスタマイズしていた。
 仲間内であり、相手の了承もあり、GFに干渉することができれば、けっこう他人のジャンクションにも干渉できる。

 スコール自身はすでにバンクルを外す時に記憶喪失の予防のためGFのジャンクションは外してある。
 それをカスタマイズしてキリエにジャンクションさせるのも既に互いに仲間と認め合う間柄である。
 ジャンクションをスコールの方でカスタマイズするのも問題は無いだろう。
 そう思ってのことだったが、キリエは今までGFを使った事が無い。
 互いにとって大きな不安要素となるが、今を切り抜けるためには致し方ないこととも言えた。

「おまえ達、仲間にならないか」
「蜘蛛に入れと言うことか」
「そうね」
「断る」
「そうか。残念ね」

 とりあえず言ってみただけ、と言ったような雰囲気がありありとする。
 ガーデンと、スコールたちと接触を図ったのも、ただの暇つぶしと言う可能性も非常に高い。
 彼等がバッテラ氏を襲撃したのはほぼ間違いなく原作時間軸と同軸だが、それからの時間までも一緒であるとは必ずしもいえない。

 そもそも数日程度遅れたところで彼らにも、何の支障もない。
 何時帰って来られるかわからないゲームより、先に近づいてくる楽しみを選んだ、と言ったところか。

 湧き上がる剣呑な雰囲気。
 スコールが周囲を警戒しながらにじり寄るようにキリエを背に隠す。
 スコールのためにカスタマイズされているバンクルの大きさにキリエは付け戸惑どう。

 スコールはブロックサインでとらわれのフィールとその向こうのアーヴァインに意思を伝える。


 逃走、と。


 にたり、と、フェイタンの目が細まる。
 今身動きを封じられているフィール。
 側に居るのは拷問好きのフェイタン。
 まずはこの状態で来るなら拷問初歩の初歩、爪剥がしか! と身動侭ならない体で身構えたフィール。

 だが現実は常に彼らの想像の範疇外にある。

「だったら、同士討ちでもするといいね」

 同士討ちももちろん勘弁してもらいたいが、ある意味それは覚悟していたので、それはそれで拍子抜けだった。
 無抵抗で命乞いもない相手と言うのはそれはそれでつまらない、と言うものなのかもしれない。
 性癖は嘘をつかないと思ったがなんにせよ、何を考えているのかわからない。

 とりあえず同士討ちをやらされることのほうは予測のうちだった。
 爪が飛ばなかったことに両手を合わせて感謝したいフィール。
 この際それが襲った相手でもいいと言うあたり、これもストックホルム症候群に当たる心理状態の一つなのかもしれない。

 同士討ちでもするといい、とフェイタンはそういったが、それだけで済ませるつもりは無いのだろう。
 実力から言ってのっとったのはガーデン組みの下から二番目。
 下の一番と二番の間には雲泥の差があるが、まあスコールとアーヴァインより弱いことに間違いはない。
 二人掛りで追い込めば、さっさと確保されるのは目に見えている。

 つまりは、フェイタン自身もやる気である、と言うこと。

「行くね」

 案の定、オーラを爆発させるようにしてフェイタンはスコールたちに向かって飛び出した。







 キリエはスコールから渡されたバングルを装着する。
 さすがにスコールサイズに調節されているだけあってゆるいが、脱落する事は無いだろう。

 キリエがそれを装着したのを確認して、スコールがGFのジャンクションを移行する。
 キリエのうちに宿るGFたち。



 力。
 あるいは意思。
 それ以外の何か、そして全て。



 始めは感覚だった。
 意思の中に感じる他の意思。
 絶大であり、偉大であり、自然そのもののように穏やかに、または激しく時には間抜けにも感じられるほどの何か。
 それを感じると共に湧き上がる絶対感。

 絶対、と言うのは違うのかもしれない。
 けれど、今のキリエにはそれ以外になんと言っていいのかもわからない。
 暖かいような、冷たいような、まるで温度が感じられないような、そんな不思議なものが自分と共に存在していて、その者たちの存在を感じ取ることで共感を得、その力を借り受ける。

 弱っていた体は、その姿はそのままに内に膨大な力を宿す。

 キリエの体が震えたのは歓喜だけではない。
 自分が長い間鍛えて来た念の力をもたちまちの内に上回る力に対する、恐怖だった。

 スコール達にとって見れば使い慣れたものであり、自ら鍛え上げたものでもあるだろう。
 ある意味で、そこには力に対しても信頼が生まれる。
 だがキリエには、GF達に対して積み上げてきたものが無い。
 いきなり力に中てられて、キリエの歓喜を覆いつくし――ただただ彼女はその力に畏怖を抱いた。

 魔女と言う存在を、キリエは知らない。
 だがそれに触れたとき、これが魔女に連なる力だと、本能的に理解した。

 そして、その畏怖を治められないうちに、フェイタンは彼らに向かって地を蹴った。



 目だけは開いて、固まってしまったキリエに体当たりするように抱えあげると初撃を避けるスコール。
 その逆ではアーヴァインが己の体について考えることを一切やめた動作で襲い掛かってくるフィールをいなす。
 操られた動きは普段のフィールのものとはまるで違って読みづらい。
 アーヴァインは出来るだけフィールを傷つけないようにと思うのだが、フィールのほうは操られているせいでまったく己の身を省みない。
 相打ちで自滅までも計算に入れているような悪辣な操り手。

 最悪死にさえしなければ、欲望の島に赴いて回復系のカードを使うことも出来る。
 それが無理でもキリエの念具を使って将来的に状態を取り戻すことも不可能ではないだろう。

 だがそれは、最終的には考慮に入れても、終局的には選びたくない手段だ。
 失っても後がある。
 その考えは危険なものでも有る。

 とり合えずアーヴァインは目標をフィールの首筋のアンテナに定めた。
 抜くか壊すか。
 アンテナを模しているのなら、受信できない状態になれば操作は解けるだろうと期待してのことだ。

 此方は時間さえかければ何とかなるだろうとは思っているが。

 問題はスコールたちのほうだ。

 甚振るならやはりスコールよりはキリエのほうが面白そうなのだろうか。
 スコールを通り抜けて一直線にキリエに向かおうとするフェイタン。
 それを阻止しようとするスコール。

 正気に返ったキリエも、単独で致命傷を受けない程度には動けたが、それでも少しずつ全身に傷が増え、体を朱に染めていく。

 キリエには【複製の錬金術師】のほかにもう一つ、何より強者と対峙したときに傷を受けずに速やかに逃げるための能力があったが、今はなんといってもオーラが足りない。
 その能力は逃げた後のことを考えない多量のオーラ消費型だ。
 昏睡から復活したばかりのキリエには、それを発動させるだけのオーラが無かった。

 GFの加護を失ったスコールも、動きに切れがない。
 これならGFを譲らずにキリエを守りながらフェイタンを相手にしたほうが易かったのではないかとも思うが――スコールを目指してくるならともかく、それを素通りしてキリエを目指している。
 牽制していても隙を見てはキリエに手を出すのだろうと思えばキリエ自身にも手段を持ってもらわなければ危ない。

 相手も相当の実力者。
 その上発動した場合は相手に負わせたダメージが大きいほど危ない念能力保持者だとスコール達は知っている。
 やるなら一気に。
 少しずつ傷つけるのは得策ではない。
 が、一気にやるだけの隙も見つからない。

 予断無く責められるので、キリエも逃げようにも逃げる隙が無い。
 逃走の動作はことごとく潰される。

 片方は力を失うことで、片方は力を得ることで、どちらも自分の体をもてあます。
 だがその力を譲渡されることが無ければ、キリエはこの程度の傷ではすまなかっただろう。

 そんな攻防がどれほど続いただろうか。
 スコールにもキリエにアーヴァインの様子を窺う余裕など既に無い。

 そんな時。

 一発の銃弾が、彼らの戦いを掠めていった。




 三者の立ち位置が分かれる。
 その三者が視線を送る先には、見かけがぼろくなったアーヴァインと彼の方に担ぎ上げられているフィール。

 ちっと舌打ちが聞こえ、黒い影が飛び退った。

「つまんないね」

 こっちの台詞だ、とはこの場合フィタン以外の共通の認識だろう。
 つまらないなら仕掛けてくるな、と。
 さっさとグリードアイランドに行ってくれと言うのがごく素直な気持ちだった。

「興ざめよ」

 そう呟くフェイタンからは、既に激しい戦いを望む気配は消えていた。

 全身に裂傷を負ったキリエは座り込むことこそしないが、疲労がたまっている。
 長い昏睡から目覚めたばかりで体力が衰えているところにいきなりの実戦。
 その上鈍った体に強力な精神生命体の力を上乗せしての無理やりな稼動。

 せっかく目覚めたのに既に意識が朦朧としている。
 空っぽの胃袋がひっくり返りそうだった。

 とん、と軽く地を蹴ってフェイタンが居なくなる。

「……何がしたかったんだ」
「さあ?」

 その気配が遠くはなれた時、とうとう膝を折ったキリエは空っぽの胃から黄色い胃液を吐き出した。
 中和するものの何もない胃液が喉を焼き、口中を焼く。

 げほげほと苦しさにもがくが、のた打ち回るだけの体力も残されていなかった。

 スコールが急いで【魔法の箱】から飲み物を取り出して自力で飲む力も失ったキリエの口に流し込む。
 フィールを地面に横たえたアーヴァインがキリエの背中をさすりながらケアルラ、と傷を癒すために魔法を唱えた。

「ぐっ、……は、かふっ……はぁはぁ」
「大丈夫かキリエ」
「だいじょば、無いよ……」
「それは……悪かった」
「悪くも、無いけど。ああ、チクショウ。あいつ等一体何がやりたかったのよ、はぁ……はぁ」

 吐くだけ吐いて落ち着いたキリエは、歯が解けそうだと言ってスコールからドリンクを受け取ると幾度も繰り返してうがいをした。
 舌を突き出して、ひりひりする、と呟く。

「スコール、私にはまだ早い気がするからGF返す」
「……だが俺達と来るならいずれは使うことになるぞ。慣れておいたほうがいいんじゃないのか?」
「スコ〜ル〜、それはちょっと酷だよ。僕たちだって始めはもっと弱いGFから始めたんだしさ。それに僕たちが使っているGFってなんだか妙な人の慣れ方しちゃったしさ〜。訓練始めるならガーデンに帰ってからの方がいいと思うよ?」
「そうか?」
「そうだってば〜」
「私もそうして欲しい。今回は助かったけど、正直参った。凄い、ビックリ、驚いた。あんた達こんなもの使ってるんだ」

 膝に手を付いてよっこいせっと掛け声をかけたようやく立ち上がるキリエ。
 生まれたての小鹿のように、と言うほど可愛らしいものではないが、その膝はまさにそのように震えていた。

「こんなもの、と言われてもな」
「バラムのSeedは候補生時代からGFを使うからね。だからスコールはわからないのかもしれない。けど、僕だって始めてGFをジャンクションしたときはビックリしたよ?」
「そうなのか?」

 だんだんと話の方向がずれていく男二人。
 キリエはやっとの思いで立ち上がると、自分の吐しゃ物を迂回するようにして二人に近づき、懇願した。

「ねえ。もう何でもいいからさ、お願い。何か食べさせて……」

 御堂霧枝。
 不健康な絶食記録新記録更新。










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