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乗り込んだ船の帆柱の天辺に立って、フィールはその景色を見ていた。 声までは届いてこない。 まるで無声映画でも見ているようだ。 見送りに来てくれる人々に別れを告げるゴン。 心づけを渡して見送る人々。 遅れてミトさんがやってきて、感動の別れを繰り広げる。 まるで芝居でも見ているような、クジラ島の港。 知るということが、こんなにも怖い事なのか。 フィールにとってのパンドラの箱は開かれたままだ。 開かれた箱に、最後に残ったモノの名は、何か。 未来が見えるという絶望は、箱に閉じ込められて希望になった。 ゾルディック家に関わっても、幻影旅団と戯れても、ウィングさんと飲み明かしても、ここまで怖くはなかった。 自分達がいなくても回る世界。 自分達がいないことこそを正常としている世界。 ゴンは、それの象徴だった。 事前のゴンとの接触をスコールに押し付けたのは、どこかでこれを分かっていたからかも知れない。 スコールは知らない。 けれど自分は知っている。 この世界が、未来が、漫画として紙の上に描かれ、自分にとって彼らはその中の登場人物でしかなかった。 やがてゴンを乗せて船は港を旅立った。 マストの上から飛び降りて、フィールはゴンにの前に立つ。 突然の登場に驚いて見せながらも気丈に見上げてくる黒い目。 「わ、吃驚した。お兄さん、何処から来たの?」 答えずに、フィールはゴンを抱きしめた。 不躾だとわかっていても、実感が欲しかった。 「わわ、え、な、なに!!」 生きている。 体温、呼吸、心音。 押せば返してくる、生きている肌。 自分はきっと、彼らをハンターハンターの登場人物として見られなくなる日はないだろう。 フィールはそう思う。 けど、いま、確信できた。 それでも怖くない。 ゴンは生きている。 自分も生きている。 少しずつ違ったリズムで心臓を打ち鳴らし、怒り、戸惑い、笑う。 ここは、紙の中ではない。 「……お兄さん、どうしたの?」 くたり、と力の抜けたフィールに戸惑っていたゴンは、今度は心配の声をかける。 「はは、いや、なんでもないよ。ちょっと飛び降りた時に足が痺れちゃっただけだから」 「そう?」 「うん、勝手に支えにしちゃってごめんね? もう立てるから」 「ねえ、俺はゴン! お兄さんは?」 「僕? 僕はフィール」 「ねえフィール、フィールは何処から飛び降りてきたの?」 きょろきょろと周囲を見回すゴン。 スコール先輩はさん付けで呼ばれていたらしいのになぁ、とフィールは笑う。 けど、自分はそんなものかもしれない。 ゴンの前だと、まるっきり口調が変わっている自分に気付く。 全ての人に対して同じ喋り方をしているわけではないが、ガーデンの後輩に対して話しているときともまた違う。 不思議と砕けてしまう。 知り合いになるための小細工も、本当は必要なかったのだろう。 ただ、フィールが何かを恐れていただけで。 「あれだよ。あのマストの上から落ちてきたんだ」 それからたわいもない話をして、別れて。 むさっ苦しい船室を、本当に、本当に少しだけ覗いて。 まだ嵐がきていないせいか、船室でげろを吐くほど船酔いしている人はいなかったが、それでも異様に男臭い。 同性においても嫌になる臭さだ。 覗きこんだ僅かの時間、それでもフィールは二人の人物の姿を確認していた。 ゴンが来るまで、本当は見る事も出来なかった人たち。 ハンモックに眠るクルタの生き残りと、いかがわしい本を見る老けた十代。 胸に何か詰まったような、それを高揚感と理解しないまま船室を離れたフィール。 最も近い傍観者になろう。 何かを変えるかもしれないし、何も変わらないかも知れない。 それでもいい。 いつか自分達が元の世界へ帰った後も、誰かがときどき思い出してくれればいい。ン 変なやつでも、面白いやつでも、それこそ嫌われていてでも。 存在の証明の為に、歩こう。 決意を新たにするフィールの耳に、赤ら顔の船長の独り言が届く。 「荒れるな……」 フィールは、見上げる船長の視線を追おうとはしなかった。 嵐の予感は、誰の胸にもあるものだろう。ハンターを望むなら、平穏なんて先にない。 船が飛んだり跳ねたりしている間、フィールは安い雨具に包まりながらずっとマストの上にいた。 雨と風に熱を奪われるが、それでも船室に行こうとは微塵も思わなかった。 確認したわけではないが、おそらくは阿鼻叫喚の地獄絵図となっているとみて間違いないだろう。 筋骨逞しいハンター志望者達が、酷い船酔いにげろを吐き、揺れる船に転がされて自分や他人の吐き戻したものに塗れている景色など思い描いただけでも喉の奥から何かが出てきそうだ。 貰いげろはした事はないが、「見てると涙が出てくるし」 ぼんやりと考え事をしている間に嵐は過ぎ去っていて、ぱたぱたと黒い頭が走り回っている。 けど、その奮闘も成果を見ないうちに、また次の嵐がくるのだろう。 ゴンと船員達以外に人の姿はなく、クラピカもレオリオもずっと船室にいるのだろう。 「あのげろの臭気と暑苦しい男達の異臭の中で眠ったり本読んだりしてるのかと思うと……彼らも結構なつわものか、なぁ?」 微妙だ、とおもう。 『これからさっきの倍近い嵐の中を航行する』 うんたらんかんたら、赤ら顔の船長の声を響かせるスピーカー。続きは正直聞いていなかった。 さっきのろくでもない思考の続き。 マストの上から蜘蛛の子を散らすように逃げていく志願者達を見ながら、フィールはやっぱりぼーっと呟いた。 「気が抜けているなぁ」 と。 呟いて彼はマストを飛び降りた。 船内放送を聞き逃すなど、Seedであった時にはありえなかったことだ。 知っているという油断を含めて、もっと気を引締めてかからねばと、フィールは一人ひそかに気合を入れなおした。 「結局客で残ったのはこの三人か。名を聞こう」 「あ、待って下さい! 僕もいます」 「あ、フィール!!」 ゴンが嬉しそうに彼を見上げた。 出鼻を挫かれたレオリオがそこはかとなく哀れだ。 「四人か。……見ねぇ顔だな」 「はい。ずっとマストの上にいましたから」 「なに? マストの上だと!!」 「はい、一番天辺に」 「嵐のあいだじゅうか」 「はい、そうです」 ゴンの尊敬光線がひしひしとフィールに刺さる。 「凄い、凄いねフィール!!」 残る二人の、『こいつ、ただ者じゃねぇ』と言う視線も痛い。 潜入作戦中のSeedは目立たないのが基本だ。 だが、この注目の集めようは何だ? 帰ったらきちんとSeedに復帰できるのかどうかかなり不安になるフィール。 世界の傭兵としてのSeedの歴史は終わりを迎えつつあったが、世界のSPとしての新たな歴史を迎えそうな話もあったガーデンだ。 Seedの年齢も引き上げられる事も無い可能性じゃない。 なにより、ガーデンを開いたクレイマー夫妻の目的は達成された。 その目的を誤魔化すための幼さと無知はもう必要とされていない。 Seedとして活躍できる年齢を拡大する、最大の障害は排除されたのだ。 SPとしてなら、それこそ実力がある限り、続けられる。 ごほん、と船長が咳払いをした。 「そんじゃ、残った四人に、改めて名を聞こう」 「俺はレオリオという者だ」 「私の名はクラピカ」 「俺はゴン!」 「さっきゴンが言ってしまいましたが、僕はフィールです」 四人を、赤ら顔の船長が睨みつけている。 「フム……、じゃ、お前らは何でハンターになりたいんだ?」 きゅっと、空気の密度が変わった気がした。 誰もが敏感にそれを感じ取ったのに鈍感が一人。 ゴンにかかればシリアスも銀河の彼方だ。 「はい、はーい! 俺の親父がハンターで、俺は親父が魅せられた仕事がどんなものかをやってみたいんだ!!」 もう台詞のひとつまで正確に覚えているわけじゃない。 けど、何となく感覚が告げる。記憶にはないけど覚えている。 ああ、ずれている、と。 在るか無しかのずれだろう。それでも、この蝶の羽ばたきが、先のどこかで竜巻を起こすのだろうか。 密かにそれが、楽しみになった。 協調性のないガキだ、とか、虚偽と傲慢、だとか。 船長が薀蓄を並べ、二人がぶすくれたように言い訳をする。 やがて折れたようにクラピカがクルタの運命と、自らの望む道を語り、そしてレオリオも続く。 正直この時点ではただの嫌な奴だが。 なんだかんだとフィールにおはちが回ってくる前に決闘騒ぎにまで発展する。 これがニーダ先輩だったりしたら、本当に誰にも忘れられていじけたりするんだろうな、と思うと不意に小さく笑いがこぼれた。 止めようとする船長と、ゴンが言葉を交わす。 「“その人を知りたければその人がなんに怒りを感じるか知れ”」 確かにいい言葉だ。 結局ここでもまた、続きを聞かずにフィールは離れた。 可笑しくてならない。 微笑ましい、くらいだったはずなのに、何時の間にか小さな笑いが漏れていた。 憮然とした四つの瞳に睨まれる。 「てめぇ、なに笑ってんだよ」 足を止めて振り返る。 「いえ、失礼。お二人を見ていると、なんだか微笑ましい気分になってしまって」 「微笑ましい?」 怪訝そうに、というよりは、僅かに瞳の色を変えるほどの感情でクラピカに聞かれる。 「はい。まるで子供のようだと」 普通に失礼だろう。 「失礼だが、あまり年は変わらないと見受けるが」 「そんなに若いですか? 僕。そろそろ二十一になるんですが」 一見して一番老けているのはレオリオだろう。彼の年齢が明らかになるのはこの先の事だが。 どうせ先の事でおかしな奴と思われたのだ。 それならいっそつくづく変な奴になってやろうかと、フィールは構える。 「この世に過去があり、目的があり、行く道があり。羨ましいほどでは在りませんか。ならば何を争うのでしょうか。互いは障害ではないのに」 いうと背を向け彼らより先に部屋を出る。 「決闘をやるなら甲板までどうぞ。適ったなら、見届け人にくらいなりましょう」 甲板へ向かうフィールの背中に二人がついてくる。 互いににらみ合い、牽制し合い。 本当に、微笑ましい。 殴りつける雨、跳ね飛ばさんばかりに揺れる船。 こんな雨の日は、仕事をサボりたくなったものだった。 倦怠の雨の中、真剣に対峙する二人の男。 獲物まで持ち出している辺りかなり本気だ。 周囲があわただしいその中で、フィールはその二人を見つづける。 「今すぐ訂正すれば許してやるぞ、レオリオ」 「てめえのほうが先だ、クラピカ。俺からゆずる気はねえ!」 「ならば、やむをえんな」 「おう、その小生意気な口を黙らせてやるぜ」 「いくぞ!」 「きやがれ!」 低く腰を落したクラピカが先に出る。 中腰になってそれを受け止めるレオリオ。 マラソンでは一番にばてていた気がする彼だが、こうして見ると中々いい戦いをする。 一般人のくくりの中では、ナイフ使いとしてレオリオは中々優秀な部類だろう。クラピカの双剣にはまだ及ばないが。 船員達を手伝いたい気もするのだが、見届けるといった手前こうして立っているのだが。 それに、おそらくもうすぐだ。 人為に寄らない事は、おそらく起こる。 フィールには船内の人々をかき回すことは出来ても、船の行方と嵐までは操れない。 まもなく、マストが折れる。 バキィィィ――!! 「カッツォ!!」 マストの一部が折れ、船員の一人に直撃した。 行き着くところは変わらなくても、あれだけ台詞は変化したのに、当たる船員に結局変化はなし。 それでもフィールは、彼らを置いて走り出した。 ゴンも走っている。 レオリオも走っている。 弾かれたようにクラピカも走り出す。 先についたのはレオリオとクラピカだった。 けれど伸ばされた手は宙を掴む。 「クッ……!」 「チィ……!!」 舌打ちを飛び越して小柄な影が飛び出した。 ゴンが上手くカッツォの足を掴み、ゴンの足を二人が掴む。 ゴンの勢いに躊躇はなく、二人の判断は早かった。 このままでも無事に引き上げるのは分っている。 だが、何事にも確実をきすにこした事はないのだ。 ここは、紙の中ではないのだから。 ヒュッ、と風を裂いて鞭がしなる。 くるくると優しくカッツォの胴体を巻きつけて、彼の足から繋がる四人まとめて船上へ引き上げた。 引き上げた力を抜くと、鞭は解けて帰ってくる。 鞭の扱いはキスティス先生から免許皆伝を受けた腕前だ。 ガーデン入学時にまだ学生だったキスティス先生に憧れて、彼女が先生となってからは同じ武器を扱う事もあって個人指導も受けた。 正直な話、キスティスよりスコールに先に出会っていたら、ガンブレードを使おうと思っていたかもしれない程度の微妙なタイミングだ。 憧れとは思う以上に人を動かすものである。 新規のガーデン入学者には、ガンブレードを使いたがる者も多い。 大体はその難しさに他の武器に流れていくのだが。 ちなみに魔女戦争時の功労者、人気の次点はキスティス先生だった。 ガーデン内には鞭使いも増えて、フィールとしては嬉しいやら悲しいやらだ。 苦笑いしているゴンに、二人がものすごい勢いで詰め寄っていく。 けど、何を言っても、結局はゴンの一言に苦笑せざるを得なくなるのだ。 「でも、つかんでくれたでしょ」 笑いながら言われてはかえす言葉もない。 武器まで持ち出して決闘騒ぎを起こしていた二人が、ゴンを挟んで和解する。 こういう景色を見ていると、つくづくフィールは思うのだ。 変人にはなれてもゴンにはなれない。 クロロ達や、さっきクラピカとレオリオにやったように、元の世界なら変人覚悟の芝居は打てても、彼のようにはなれない。 サラブレッドの血筋とか言う気はないが、そうなんだろうなぁ、と。 「スコール先輩だって、カリスマはきっと父親譲りでしょうし」 その質は違えども。 話に聞く限り、彼の母親もウィンヒルでは随分と慕われていたらしい。 それこそ何とかラグナを追い出したいと思うくらいに。 余所者の子供を産んだためにレインは死んだ、というのがあれからそろそろ二十年になろうという村の老人達の語りだ。 スコールもラグナも、どちらもウィンヒルには心中複雑な物を抱えている。 「ん? なら、ラグナさんのカリスマは突然変異?」 「あん? なに言ってんだ?」 何時の間にか隣に船長がいた。 結構距離を取っていたから、一通りのイベントを終わらせてきたのだろうと思う。 ゴンの姿も見えないし、位置的にわざわざ来たとしか思えないのだが、何のようだろうか? 船長は赤ら顔に真剣な眼を載せて言った。 「おめぇもうちのもん助けてくれてありがとよ」 律儀な人だ。 「どう致しまして。無事でよかったです」 「……ところでよ、お前だけハンター志願の理由、聞いてなかったと思ったんだが」 心持言いにくそうに空を見ながら持ち出す船長。 嗚呼そう言えばそうだったな、と。 変人奇人になるのに夢中ですっかり忘れていたフィール。 ヒソカみたいにはなりたくないが、たまには誰も知らない所ではじけるのもいいかも知れない。 実は病み付きになりつつあるフィール。 「理由は無きにして在り。……僕たちは迷子なんです。だから、導が必要なんですよ」 「はぁ、迷子だ?」 口つけていた酒瓶を離し、怪訝そうに見てくる船長に、フィールは振り返り儚げな笑みを返す。 ちょろちょろと動く影にはあえて知らないふりをする。 「僕らは時をも操る魔女の庭に育った者です。新たな魔女に、僕たちは新しい存在意義を得た。滅ぼす者から、守る者へ」 フィールは魔女戦争を知っている。 当時のガーデン生徒には、今世界に公表されている以上のことが伝えられた。 それは、ガーデン設立当初の目的と、学園長夫妻の心も。 イデアという魔女の元に、Seedはやがて彼女を、彼女の内に在るアルティミシアを滅ぼすために魔女の庭で育てられた。 栄えてSeedとなって、魔女の望む時、魔女の望む滅びの花を咲かせるために。 そして魔女の願いは叶い、アルティミシアは滅び、イデアは人となった。 リノアという新たな魔女を生んで。 Seedは魔女のために生まれた。 Seedの全てが魔女の騎士。 心優しい魔女が、受け継いだ力に負けて心を失ってしまった時、その時を恐れる魔女の愁いを払うため、Seedはいる。 リノアの未来がどうなるのか、誰も知らない。 彼女が悪しき魔女となったとき、Seedは再び魔女に滅びをもたらすべく芽吹くだろう。 けれど、今Seedは新たな魔女の元、世界の復興、再生と守護へ力を持つ目的を変えつつある。 それは、素晴らしい事では無いかと思うのだ。 そしてその力の変換は、ある意味でスコールの肩にかかっている。 Seedは全てが魔女の騎士。 それでも、魔女にはたった一人の騎士がいる。 リノアの騎士は、スコールだ。 だから、スコールは帰らねばならない。 「心優しい魔女に、もう自分を犠牲にさせたくは無いのです」 「……魔女ってぇのは」 「偉大なる母。僕たちSeedという存在を生み出した、ガーデンの主」 じっと船長の目を見ると、フィールはにっこりと笑った。 「秘密ですよ?」 裏 |