来る人。



 砂色の髪をし薄化粧を施した女性は、セレニアの花の発する光に淡く浮かび上がる渓谷で歌を、歌っていた。
 二年を経てなお思いを深めた歌を渓谷に響き渡らせた。
 ローレライとの契約の歌。
 それは彼女の、彼女たちの待ち人が好んでいた歌だった。
 彼が人々の前から姿を消してから約二年がたつ。
 今日は彼がいたならば、成人になるとされる日だった。

 彼が仲間とした人々は一人残らずこの渓谷に集まっていた。
 示し合わせたいわれも無く、いま彼らの待ち人が淡く思っていた人が歌う歌に共に耳を傾ける。
 帰らぬ人を待つ時間としては長く、思いを記憶にするには短すぎる。
 あの頃は色々ありすぎたのだろう。激動の時代だった。
 失われ消費された命は、どれをとってもあまりに幼かったと言えるだろう。

 渓谷でユリアの末裔は歌を歌った。
 ローレライを魅入る歌だった。
 待ち人たる彼がローレライの別たれた半身の一部であるのなら、もしやこの歌に招きよせられはしないだろうかとかすかに思う。
 だがなによりこの時、この場所で歌う歌にこの歌をと思い謡うのは、この歌を待ち人が好んでいたからだ。

 約束した。帰ってくると。
 必ず帰って来ると。
 だから、墓碑の前で歌い上げるような無粋はしたくなかった。
 たとえ彼がもう帰らぬ人だとしても。骸無き墓碑に祈りを捧げるのなどもううんざりだ。

 歌を歌う。

 集う人々はタタル渓谷からかつての栄光の島を見下ろしてその歌に耳を傾けた。
 少なくなった第七音素が歌い手の紡ぐ歌に魅入られて踊りセレニアの花はいっそう輝く。




 歌が終わって、第七音素が静まっても――やはり奇跡はそこに無かった。




「さあ。そろそろ帰りましょう。夜のタタル渓谷は危険です」

 赤い目をした一人の男が仲間を促した。
 それをきっかけに、一言二言仲間内で言葉を交わしてその渓谷に、見えるかつての栄光の島に背を向ける。
 ひとり、またひとりと背を向けて、渓谷の出口へと足を進める。
 歌を歌っていた女性もまた、その景色に名残を惜しみつつも背を――向けようとした。

 なにか、分からない。
 それは予感だったのかもしれない。
 ふと、ただもう一度と名残を惜しむように歌い手の女性は振り返った。
 そして、目を見開く。

 明々とした月と朽ち果てた栄光の島を背にし、赤い髪が揺れた。
 風を受けて髪は遊ぶように跳ねる。
 突如現れたかのように見えた赤い髪の青年は数歩、歩を進めた物のここに居た彼らの側までは行かず足を止めた。
 まるで戸惑うかのように。

「どうして、ここに……?」

 砂色の髪をした歌い手の女性は空色の目を見開かせ、わななく声でただ一言そう尋ねた。

「歌が、聞こえたから――」

 青年はただ一言そう答える。
 尋ねた女性の眼から、涙が一筋零れ落ちた。









 青年はありていに言えば彷徨っていた。

 約束をした人がいる。必ず帰ると。
 その約束を覚えている。

 いま自分が生きているなら、その約束を果たすために自分は帰らなければならない。
 それなのに帰る場所が――分からない。

 それは致命的なことだった。
 迷子になんて、なるはずが無い。
 小さな世界のその隅々まで彼は知っているはずだったし、知っている事は彼の喜びだった。
 ただ日が暮れた程度で己の場所を見まがうはずなど無い。
 それだけは確信が持てたことだったのに今それは覆されている。

 皆で力を合わせて強大な敵を倒した。
 そう。そこまでは覚えている。
 青年は己の記憶を思い返す。

 自分ひとりじゃ出来なかった。迷惑をかけて、助け合った大切な仲間たちの手を借りて、自分たちは明日を奪う敵を倒した。
 そして――自分は一人でそこに残った。
 そこまでは確実だった。

 敵を倒して、終わりじゃない。
 終われなかったから。まだやらなければならないことがあったから。

 危険な事だった。
 命の保障なんて無い。
 帰ると約束した。けど、誰もがきっと確実な死の予感を感じたのだろう。
 だからこそ執拗に生きて帰ると約束しろと、せがまれた。

 彼は生きて帰りたかった。
 死にたい訳がない。やっと見つけた大切な人々だった。真実をくれた人々だった。自分が自分になれた。
 大切な人たちのところへ、帰りたい。

 青年は一途にそう思っていた。

 生きるために、明日のために、仲間のために剣を握った。
 戦って、戦って、戦い続けて。
 あらゆる敵を倒し続けて。

 望んでなんかいなかった。
 倒したくなんて無かった。でも闘いを挑まれれば守るためには剣を取るしかなかった。
 そのことで煩悶した事もある。

 それでも彼は戦った。
 戦って、みんなの明日を勝ち取った。

 そして青年は一人、大切な仲間たちと大切な約束を交わして、崩れはじめた大地の上で一人残った。
 剣を掲げて、そして振り下ろす。
 眩い力の本流に包まれた事までは覚えている。
 そして気がつけばここにいた。

 ここだ何処だかわからない。
 帰りたい。なのに帰る場所が分からない。
 満ちた月が空にかかっていた。
 だが彼の道を照らすには、それではあまりにも心許ない。

 それでも彼は歩き始めた。
 帰ると約束した。だから、ここが何処なのか分からなくても立ち止るわけにはいかなかった。

 そのとき。
 歌が聞こえた。

 とても優しくて、切ない歌声だった。
 綺麗な、歌だった。
 彼には意味など分からない。
 それでも彼はその歌声に導かれるように草を掻き分けて進んで行った。
 やがて月以外の白い光が見え始める。
 天から降り注ぐ物ではない、地から立ち上るような淡い光だった。
 まるで聞こえてくる歌声のような、光だと青年は思った。

 淡く、切ない。そしてとても優しい。

 ふいに歌声が途切れる。
 彼は戸惑った。

 すると今度は男の声が聞こえた。
 数人人がいるらしく、会話が聞こえる。
 彼はむしょうに安堵して、歩みを進めた。

 白く、儚い、光を放つ花の咲く渓谷へと。




 人の後姿が見えた。
 今まさに立ち去ろうとしているところだろう。
 去り行こうとする背中に一歩踏み出したとき、砂色の髪をした女性が振り返った。
 大きく目を見開いて、体をわななかせる。

「どうして、ここに……?」

 青年の知らない砂色の髪の女性は震える声でただ一言そう尋ねた。
 だから、彼も答えた。

「歌が、聞こえたから――」

 青年はただ一言そう答える。
 尋ねた女性の眼から、涙が一筋零れ落ちた。
 落胆の涙だった。

 そして青年は悟った。
 自分は間違われたのだと。
 だれか、ここで彼等が待っていた大切な人と。









 泣き崩れた女性を宥めるように、二人の女性が寄り添った。
 現れた青年は立ち尽くす。
 どちらも会いたい人に会えなかったのは同じ。
 だが、心優しい青年は泣き崩れた女性の悲しみを感じ取って立ち尽くした。

 当たり前だが、彼女が待っていたのは自分ではなかった。
 自分が悪いわけではないことは分かっている。
 だがそれでも、今この場に出てきたことに、申し訳ない思いを抱かずにはいられなかった。

 立ち尽くす青年に、青い服を着た亜麻色の髪をした男が近づいた。
 男は立ち尽くす青年をしばしの間じっと見ると、苦い思いを噛み締めるように唇をゆがめる。

「すみませんね、彼女は少し、情緒不安定なんですよ」
「あ、いや……」
「待ち人来たらず、と」
「すみません、俺なんかが出てきてしまって」
「あなたが出てきたのはあなたのせいではない。それは彼女だって分かっていますよ」

 答えかねる赤毛の青年に青い服を着た男は僅かだが今度は好感の笑みを浮かべる。

「失礼。私はマルクト軍第三師団所属、ジェイド・カーティスと言う者です。あなたの名前を窺っても?」
「あ、はい。俺はレックス。家名はありません。ただのレックスです」
「レックス……ですか」

 男は口の中でその音を転がした。
 キムラスカ王家の証である赤い髪を持つ男。名はレックスと言うらしいが、だが家名が無い。
 見たところ男は剣を持っているようだったがこの時間にタタル渓谷に人が入り込むこと事態が普通ではないと言える。

「あの……」
「おや、なんですか?」
「ここは何処なんでしょうか」

 尋ねられてジェイドは再び考えた。
 やはりこの男は迷い込んできたらしい、と。
 不審な点は限りなくある。

「ここはマルクト帝国領土タタル渓谷、といったあたりですね」
「マルクト……帝国、タタル……渓谷?」

 呟いて視線を彷徨わせ始めたレックスをジェイドは観察する。
 愕然とした様子を見せる男にジェイドは良くわからない確信を得る。
 彼は、違うのだと。
 何が違うのか分からないままただ違うのだと感じた。
 そうして冷静になってみれば彼にはジェイドが今まで普遍的に感じていたが故に意識する事も無かった音素の流れが無い。

「――」

 やがて強く拳を握ったレックスは、短く音にならない呟きを零す。
 大切な音を噛み締めるように。

 違うという確信と共に、ジェイドも感じた。
 このレックスと言う男も、自分たちと出会ったことが落胆、あるいは悲しみであるのだと。
 彼にも出会いたかった人がいるのだろう。あるいはいたのだろうと。
 肩透かしを食らったのはどっちもどっちだ。

 やれやれ、とジェイドは肩をすくめる。

「どこか行く当てはありますか」
「いえ、ぜんぜん。せっかく教えてもらった地名も全然聞き覚えがなくて」
「なら、私たちと一緒に来ますか? 彼女も落ち着いたようですし」

 言われて見れば嗚咽がやんでいた。
 泣き腫らした目で、その女性はレックスの事を見ている。
 レックスが振り返ると、彼女は決意をこめて切なげに眉を寄せて無理して笑う。

「突然ごめんなさい」
「いや、いいんだ。俺のほうこそ邪魔したみたいで」
「ここは占有地じゃないもの。あなたが気にすることじゃないわ」
「そんな」
「私はティア。あなたはレックスでいいのかしら」
「はい」
「そう……」

 答えてティアは目を伏せた。




 出会いはどちらにとっても悲しいものだった。
 ありえない交錯はこの場に置いて負の感情のみを生み出したかに見えた。

 待ち人は帰らない。
 行く人は帰れない。  




あとかき
これぞ真のとても悲しい物語、かも。
エンディングとサモンナイト3を知っている人ならきっと一度は思ったはず。
レックスセンセー出張しすぎ。



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