彼の者の名は



 目が覚めて最初に目に入ったのは、薄明かりを提供する音素灯に照らされた見慣れた天井だった。






 見慣れた?
 そんなまさか。
 だってこの天井は――

この天井は?


 あの肖像画は――

あの肖像画が――?


 ベッドはこんなに小さくなかった。

まさか、ずっとここで寝起きしただろう?





 なんだかごちゃごちゃしたものが押し寄せてきて、とりあえず俺は考える事をやめた。
 考える事をやめても、その何かが俺の中から無くなったわけじゃないけど、少しは何かが楽になるような気がする。
 ……気のせいなんだろう。
 交じり合うことを、意識するか、しないか。

 ただその程度の事。

 滑らかなシーツの中から抜け出して、やっと今自分が何を着ているのかに意識が行った。
 いかにも値が張りそうなシルクの夜着。
 慣れ親しんだはずの、けれど遠い記憶。

 俺はこれを懐かしみ、あるいは当たり前のものと受け止めて、そして忘れようとしたはずだった。




 ……着替えさせたのは誰だ?





 メイドだったら少し……落ち込むかもしれない。

 気を取り直して、とりあえず着替えることにする。
 この場所がどこかはもうわかっている。
 それでも俺は――




 クローゼットを開き、服を探す。
 どの服も見知ったもので、どれも知らない。

 ゆるいズボンをベルトで閉めて、黒いアンダーに上着は白しかなかった。
 アンダーは、とりあえず臍の出ないものを選んだ。
 窓から外を見れば、音素灯に照らされた白光騎士団の鎧。
 ……窓は無理か。

 ならばと堂々と扉から出て行けば、メイドが一人、扉の脇に控えていた。
 この深夜に、何時目覚めるとも判らない者を延々と待たせていたのか。
 ありがた迷惑と言うか、なんと言うか。
 とりあえずご苦労なことだと思う。

 瞬間目を見開いたメイドは、それでもよく教育された仕草ですぐに慇懃に頭を垂れた。

「お目覚めになられましたら応接間にご案内するようにと申し付かっております」
「……ああ」

 頷いておとなしく付いていけば、煌々とした明かりのともされた応接間には、父上と母上のほかに、ナタリアもいた。

「ああ、ルーク! 目が覚めましたのね」

 母上がすがるような声でルークを呼んだ。

「ルーク……いや、アッシュか?」

 応えないのをいぶかしんだのか、父上がアッシュを呼んだ。

「ルーク……? アッシュ……?」

 ナタリアが心配そうに名を呟く。

 俺は、それに――応えられなかった。




「アッシュでも、ルークでも、どちらでも帰ってきてくださったのなら、私はうれしいですわ」
「“ルーク”はコーラル城で一度死に、アクゼリュスで二度死んだ。そして、アッシュも」

 いけない、と思っていても、言葉は口から飛び出した。
 目の前の三人の人間の顔が、全て同じように蒼白になり、まるで虚ろのような目をする。

「ここと、ここと、ここ」

 ゆっくりと、レプリカ神託の盾兵士にアッシュが刺された場所を指で示す。
 貫かれた傷跡はこの体には無かった。
 だが、あの熱さも痛みも、吐き気をこみ上げる感覚も、血が失われてゆく寒さも、全て俺のものだ。

「刺された剣を自分で抜いた。俺は俺の事切れる瞬間を知っている」

 カタカタと震え出すナタリアと母上。
 父上ですらはを噛み締めて何かを堪えている。

「ローレライを解放した後、落ちてきたアッシュを受け止めた。その指先がだんだんと透けていって、意識が失われる瞬間まで、俺は知っている」

 アッシュを受け止めたときの悲しみも、乖離を引き起こす体への諦めも、約束を果たせないと痛む心もその記憶も、全て全て俺のものだ。

「アッシュもルークもここにはいない。ここにいるのは二人の記憶を持っている、誰かに過ぎない」

 大切な人たちの心をえぐる言葉が口をつく。
 それは絶対的な決別の言葉だった。







 ナタリアと交わした約束。
 父上と交わした約束。
 レプリカと交わした約束。
 思い返せばどれも果たせなかった。

 ティアとした約束。
 ガイとした約束。
 オリジナルとした約束。
 俺も全部果たせなかった。
 死ぬなって言っといて、結局俺も死んじまったし。

 ナタリアを好いていた。
 そしていつかこのキムラスカを背負うのだと思っていた。

 俺、ティアが好きだった。
 消えると思ったから、言えなかったけど。

 ギンジが俺を慕ってくれるのが、くすぐったかった。
 俺より年上なのにな。

 ジェイドがさ、俺に、理論上じゃありえないことを望むって、いったんだぜ?
 死霊使いもとうとう人にって、やつかな?

 漆黒の翼の連中は口うるさいが嫌いじゃなかった。

 あいつらおっかしーよなー。でも俺だって、嫌いじゃないんだ。






 アッシュの思いもルークの記憶も、全部全部、俺のもので、そしてだからこそ限りなく遠い。

 もう俺はアッシュになれない。
 もう俺はルークでいられない。

 それでも、二人を知る者たちは俺に二人の影を重ねるだろう。
 俺は二人に、似すぎているから。



















「俺は――何故ここにいるんだ」







 ジェイドなら説明してくれるかもしれない。
 包み隠さず伝えるのも、あの眼鏡なりの優しさなんだろう。

 誰も喋らなくなったから、背を向けて歩き出せば、躊躇ったような呼吸が聞こえる。

「……剣を、持って行きなさい。いつでも、帰ってきなさい」
「感謝する」

 やすやす死ぬつもりは無かったが、さすがに無手からはじめるのは大変だと思っていた。
 父上の言葉はうれしかったが、キムラスカの政治の要職にいる父上だ。
 政敵に漬け込まれるようなことをするつもりは無い。

 閉めた扉の向こうから、すすり泣く声が聞こえて罪悪感を感じたが、俺がどちらでもない以上、この手はもう慰めるための手ではない。
 声を掛けたところで今更、傷つけるだけだろう。
 違うと、宣言してきてしまったのだから。
 今はまだ、彼らに俺を見て、どちらの影も重ねるなと、言う方が無理な話だ。

 武器庫に行って、手ごろな剣とナイフを数本見繕う。
 さすがの業物ばかりだった。

 外に出るとラムダスがいた。
 痛ましげな表情で俺を見ている。

「……坊ちゃま」

 呼ぶ前の沈黙は、どちらの名をつけようかと迷ったものか。
 どちらでもないなら、俺には今名前が無い!!

「――旦那様から、これを坊ちゃまに渡すようにと言付かっております」

 差し出されたのは、中身の重そうな財布。
 長期的な計画は立てていたが、そういえば短期的な足場を築くための資金も必要だった、と思い至る。
 数秒躊躇って、結局俺はそれを受け取った。

「ありがとう、ラムダス」
「坊ちゃま」

 父上が渡せといったものならば、中身を確認するまでも無い。
 俺はそれを服の隠しに入れた。
 ……財布としては入れすぎだと思うぞ。
 重さで服が歪んで襟が引っ張られている。
 漆黒の翼の連中なら喜びそうな財布だな。

「坊ちゃま、せめてこのラムダス、お見送りさせてくださいませ」
「必要ない」
「せめて、せめて表玄関から――」
「それこそ必要ない」

 そう言って、俺は屋敷の勝手口に足を進めた。

 ルークは知らない屋敷の裏側。
 それをアッシュは知っている。
















「よぉ、兄ちゃん。腕が立つねぇ」
「そりゃどーも」

 隊商を襲う魔物を退けた俺を、煙草をふかしながら男が関心したように見る。
 ここまでやるとは思ってなかった、とその眼差しは語るが、まあ仕方が無いかとも思う。
 あれから、ムカつく事に背はあまり伸びなかった。

「あんた、なんてぇ名前なんだい?」
「ルーアッシュ」

 聞かれてこの名を答える事に、もう躊躇いはなくなっていた。
 ルーク、アッシュ、アッシュ、ルーク。
 自分の名前をどうしようかと呟いているうちに、ルークとアッシュが一つになった。
 まるで俺みたいだとそう思って、それからずっと名乗っている。










あとがき

統合ルークエンド後です。
屋敷を出たのは混乱のきわみの末、ですね〜。
まあ、残ったところでナタリアとは結婚しないか、したとしても政略結婚でしょう。
自分とルークとアッシュと言う存在について、キムラスカと言うよりはバチカルに残っていればいっそ無為なほどにこんこんと考えなければならないでしょうから。
アッシュもルークも、根底にそういう資質がありますし。

ただし、為政者として残った場合は結構優秀だと思います。

アッシュとしての十七年と、ルークとしての七年全ての記憶と思いと思考回路を、多少比重はどちらかに偏り気味とはいえ持っていますから。
幼少のころアッシュが受けた帝王学の知識。民を背負う認識。真の貴族としてのあり方の探求。
ルークの柔軟な思考回路。
決めていても、ほかに最良が現れればいつでも意思を覆すことが出来るありかた。
二人とも頑固者ですけど、頑固さの現れ方が表面的に違いますから。

合わさればいい為政者になるんじゃないかなぁ、とは思います。
それでもやっぱり但し書き付きで、バチカルにいる限り、庸兵やっている以上の苦悩を抱えるでしょう。
庸兵をやっているのは、本人逃げとして、負の認識をしていますが、彼となった彼らにとって、それが自己を保つ最低ラインです。



戻る
TOP