行くは緑の申し子達よ



「イオン様!」

 たたた、と駆け寄ってくるアリエッタに、ソレは優しく微笑んだ。

「はじめまして。貴方がアリエッタですね」

 それをシンクが冷めた表情で見ていた。
 ビクッ、と肩を震わせて立ち止まったアリエッタが、恐る恐る見上げるようにソレを見た。
 導師イオンの法衣を着た、彼を。

「あなた、ダレ? イオン様じゃ……ないの?」

 それに対して彼は笑う。
 訓練されたイオンと同質の笑みだった。

「いいえ、同じですよ。貴方のイオン様と、同じものだ、僕たちは」

 自分で呟くその言葉が自分の心を切り刻む。
 けれど、いい。
 知っている人がいる。
 自分たちが確実に違うものだと知っていてくれる人が居る。
 だから、耐えられる。
 これしきの事、なんてことも無い。

「レプリカ、と言うものを知っていますか、アリエッタ」
「……ハイ」

 間を置いて頷いた少女に、頷き返してみせる。

「僕は、キミのイオン様のレプリカ、なんですよ」
「イオン様の、レプリカ? ……なら、あなたもイオン様……?」
「本当に、そう思いますか? 僕も、アナタのイオン様ですか?」

 少し考えるように間を置いて、アリエッタは首を振った。
 その腕がぎゅっと強く人形を抱きしめる。

「イオン様……どこ?」
「……アリエッタ。キミはどうしてレプリカが作られると思う?」

 アリエッタは答えない。
 答えられないのか、答えたくないのか。
 どうでもよかった。

「本物のかわり、だよね。僕たちもそう作られたんだ。導師イオンの代わりになるようにって、ね。どうして代わりが必要になったんだと思う?」

 尋ねても、アリエッタはただ首を振るばかりだった。

「代わりが必要になる事態が起きたからだよ。……導師イオンはもういないよ。オリジナルは死んだんだ」
「うそ……うそ! ウソツキ、ウソツキ、ウソツキィィッ!」
「嘘じゃない」

 叫んで駆け去ろうとしたアリエッタの肩を彼は捕まえた。

「ど、どうしてイオン様……嘘、付くんですか……」

 涙のたまった瞳はぼんやりと焦点をずらして、もう導師と同じ笑みを浮かべなくなった少年の事を見ていた。

「僕は……キミのイオン様じゃないよ」

 少年の傷ついたような物言いと表情を、驚いたようにアリエッタは見た。
 少女を追い詰めるイオンと同じ姿をした少年の隣に、傍観していたシンクが歩み寄った。
 仮面をしていても、並べばその類似性が見て取れる。
 白と黒。
 下ろした髪と逆立てた髪。
 全く逆のように見えて、酷く似ても見える。
 けど、今ならまだ、否定できる。

 アリエッタはきつく目をつぶると髪を振り乱して首を振った。

「ちがう……違う、ちがうちがう……違うぅぅ」
「違わないよ。だって、ほら」

 静かに仮面を外したシンクが、逆立てた髪を見せ付けるためだけに撫で下ろした。
 そしてつまらなそうにゆがめていた表情を、まるで導師イオンのように微笑みの形に固めてみせる。

「あ……あう、ううぅぅぅ……」

 ソレを見たとたんに、すとん、とアリエッタは地べたに座り込んだ。
 人形を抱いて座り込んだまま、長い間立ち上がらなかった。
 うつむいたアリエッタからは、すすり泣きだけが、聞こえる。

 違う、嘘だ、そういう声が時々嗚咽に混じって聞こえたが、すでに否定できないからこその最後の足掻きだと感じ取らせた。
 悪あがきだ。
 幾度そう呟いても、彼女の心はその現実を受け止めてしまった。
 後はそれが染み入るのを待つしかない。

 彼女の兄弟のライガが近寄ってきて、べろんと涙にぬれた頬をなめた。
 その途端に、わっ、と泣き声をあげて、彼女はライガの首筋を絡め取った。
 首筋に顔をうずめて、大声で泣き喚く。

 ずっと、ずっと、涙が枯れても、声だけは響き続けた。


















「ねえシンク。酷いと思わない?」
「なにが」
「違うと言った同じ口で同じだと言えって言うなんてさ」
「『同じじゃないから、べつにいいよ』……そう言ったのは、あんたじゃなかったっけ? フローリアン」
「まあ、そうなんだけどさー」

 ひらり、とフローリアンと呼ばれたイオンレプリカは、法衣の隠しから一通の封書を取り出した。
 上等な紙で出来た封書には、やはり上等な蝋封がされていた。
 その蝋封の印は、一本のスミレ。

 ピリピリと上等な紙を細かく破って、彼は風の中にばら撒いた。
 粉々に砕けた紅い蝋封がこぼれて散った。
 再び仮面をつけたシンクと、法衣をまとったフローリアンが並んでソレが散っていく様子を眺めていた。

 スミレの蝋印。

 顔も知らない人間だ。
 もう昔のように無垢じゃない。
 きっとその人にもなにか思惑があって自分たちを助けたのだろうとは、分っている。
 その人が何処まで読んでいたのか、どこまでの未来を望んでいたのか、自分たちに知る術は無いけれど、どんな思惑があったにせよ、助けられたという事実があって、彼らはそれに少なからず感謝もしていた。

 利用されているのだろう、その人の思う事に。
 けれどそれはいつもお願いの形を取っていた。
 命令ではない。断る事もできる、と何時でも逃げ道を用意している。

 きっと本人は気が付いていないだろう。
 その逃げ道こそが、自分たちの心から逃げ道を取り去っている事に。
 頼られる事の喜びを知った。
 そして自分たちには、頼る事と頼られる事しかまだ、無いのだ。
 弱くて、頼る事しかできない生き物だった。
 だから、頼られる事が、嬉しいのだ。

 何も知らないまま、知らされないまま殺されるはずだった自分たちを救ってくれた。
 そういう思いもある。

 一度はゴミと判じられ、捨てられかけていた事を強くコンプレックスに持つシンクは、なおの事生かされている、生かされていることに何かしら思うところもあるようだった。

 レプリカと言う不安定な体でどれだけ生きられるのか分らない。
 生まれて一年後には、仲間の一人が乖離して消えていった。
 自分たちも何時、そうなるのか分らない不安はある。
 それでも、ただ死ぬよりはずっといい。

 だって、消えていった仲間は笑ったのだ。
 短い人生を、幸せだったと。

 みんな、赤い海を知っている。覚えている。
 自分たちが投げ込まれてそこで命を終えるはずだった赤い海。
 命を生み出さない灼熱の海だ。

 そこに駆け込んできた赤い光に照らされた人間。
 自分たちを傷つけない譜術の炎の赤、紅い髪を揺らしてやって来た人間、そして――スミレの蝋封の赤。
 優しい赤が有ることも知った。

 頭をなでてくれた大きな手、寂しがれば一緒に眠ってくれたぬくもり。
 引き取られた先で出会った柔らかい女の人たちは、母性で彼らを愛してくれた。
 だから、笑って消えていけた。

 その人にどんな思惑があったとしても、構わない。
 その思惑は自分たちに優しかった。
 短期間に育まれた倫理観を持ってしても悪い事をしているわけでも無いようだし、ソレこそ協力に躊躇う理由は無くなった。

 生まれて数ヶ月目に、彼らは手紙を書いた。
 それに対して個別に、それぞれが書いた手紙にみんな別々にきちんと考えて手紙を送り返してくれる。
 いつでもスミレの蝋封の人は、手紙の向こうからでも彼らを間違えずに、混同する事は無かった。
 誰かになれ、とそう望まれて生まれてきた彼らは、ソレが何よりも嬉しかった。
 スミレの蝋封の手紙は、何時でも彼らに優しかった。

 はじめに自分たちを分けた人。
 名前を与えて、くれた人。






 不意に気が付いてみれば、激しい泣き声はやんでいて、風にまぎれる嗚咽もなくなっていた。
 ライガの首筋にすがり付いて、それでもアリエッタは静かな呼吸を取り戻しているようだった。
 ソレがもぞりと動いて、掴みかかっていたライガの首を手放すと、一度ふらつきながらも立ち上がり、人形を抱いて立ち尽くしていた彼らの元に、歩いてきた。

 変わらない、いつでも困ったように眉を下げている少女は、自分たちより遥かに年上なのに、遥かに小さいと彼は思った。
 見上げてくるその瞳は泣きはらして腫れていたが、何処へ置いてきたのかもう亡羊とした色は無かった。

「まもり……ます。イオン様じゃなくても、守ります」
「要らないよ」
「僕もそんな守られるほどか弱くないし……」

 年上なのは分っているが、こんな小さな女の子に守られるのかと思うと、色々思うところが無いわけでもない。
 ナム孤島で育った仲間は別にして、一人帰ってきたフローリアンはやはり男が多い軍人に囲まれて育っていた。
 差別するつもりは無いが、相手の女の子は、可愛い。
 やはり複雑なものは複雑だった。

 だが寸暇を置かぬ返答に、うる、とアリエッタの瞳に涙が浮かんだ。

「あ、え? ちょっと!」

 あわてたのはフローリアンだけだった。
 シンクは知らぬとそっぽを向いた。

「え、どうしよう? どうする? ちょっとくらい助けてよ!」
「ふん。知らないね」
「ああ、もう! ……ちょっと来て」

 シンクの態度にムカッと来たフローリアンは、思いついてアリエッタの手を取ってシンクから少しはなれたところまえ連れて来た。
 もしかしたら聞き耳を立てているかもしれないけど、恐らく聞こえないだろうと、けれど細心の注意を払う。

「ねえ、アリエッタ」
「なん、ですか?」
「出来ればさ、シンクの側に居てやってくれないかな」
「……? シンクの?」
「うん。あいつ、意地っ張りでさ、素直じゃないから、側に居てやってほしいんだ」
「……それじゃ、今までと、変わらない、です」
「うん、そうだね」

 長い野生の、人に合わない生活をしてきたせいだろう。
 少女はまだ初潮が来ない。
 それでも母になりたがった少女は、神託の盾騎士団にやって来た当初のシンクにライガと共に生き物のぬくもりを与えた。

「それで、いいんだよ。いつもと変わらなくていいんだ」
「それで、いいの?」
「うん」
「分りました……です」
「ありがとう、アリエッタ」

 恥しそうに顔をうつむけるアリエッタ。

「ねえ、僕はフローリアンって言うんだ。よろしくね、アリエッタ」
「はい……です!!」

 頷いた少女は、どこか気炎を上げているようにフローリアンの目には映った。









 後日。

「フローリアン! あんた、あいつに何吹き込んだのさ!」
「へ? なにって??」

 殴りこみの勢いでシンクがフローリアンの元にやってくる。
 シンクが何を言っているのか理解できずにフローリアンは小首を傾げた。

「アリエッタにだよ! あの時何か言ったんだろう?」
「別に変なこと言った覚えは無いんだけど……」

 記憶を掘り返して唸ってみるも、やはり妙な事は見つからない。

「ならどうしてあんな事に――」
「シンク! 何処ですか!」
「あれ、アリエッタ?」
「ああ、そうだよ!」
「シンク? ……シンク。一緒にいる、です」

 ははぁ、とフローリアンは納得した。
 アリエッタはアリエッタなりのやり方で一生懸命らしい。

「ああっ、もうやってられないよ!」

 窓から飛び出していくシンクと入れ違うようにアリエッタがやってきた。

「シンク! フロー、リアン。こんにちは……です。シンクは、来なかった、ですか?」
「あはは、残念だけど、僕も見失ったところだよ」

 嘘はついていない。

「そう……ですか」

 ペコリ、と頭を下げて、きびすを返した少女は、またシンク、シンクといいながらどこかへ行った。

「くっ……あはははははは。キミには丁度いいんじゃないの? って、きっとあの人も言うよ」

 手紙に書く内容が一つ増えた、と、フローリアンは楽しげに笑った。
















 果たしてアリエッタは、イオンの入れ替えに気が付いていたのかいないのか。
 もう分らない。
 気が付いても気が付かない振りをしていたのかもしれない。
 ライガはイオンとシンクを混同する事は無かった。

 ライガは知っていたのかもしれない。
 それでもなおアリエッタに伝えなかったのが、確信を持たせなかったのがライガだとしたら。




 なんと愚かしく賢い生き物なのだろうか。







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