まじなうこえ。



 時至れり。
 望まなかったときだ。
 八方尽くした手は虚しく虚空を掴み、二人の焔は露ときゆ。

 キムラスカとマルクトの和平は早くも崩された。
 インゴベルドが崩御して、ナタリアは民衆を味方につけようともキムラスカの貴族連に排斥された。
 跡取りを失ったクリムゾンは影響力を損ない、心労にシュザンヌは倒れた。

 有力貴族たちによって新に王位につけられた王はまだ子供。
 傀儡だった。

 開戦の報を受けたのは半月以上前だった。
 キムラスカの兵たちがルグニカの地を駆けて来る。
 グランコクマを、最後の皇帝を目指して駆けて来る。
 私は活気の無くなったグランコクマのブウサギランドに今日も居る。

「ルーア」

 世話役兼護衛兼監視役の女性仕官の人が沈んだ面持ちでやって来た。
 この時期なら、大体何を言うのか分かってしまう。
 それでも尋ねなければならないだろう。多分それが、私の役目だ。

「何かしら」
「……7日ほど前にセントビナーとエンゲーブが陥落したと、知らせが入りました」
「そう……」

 伝令も、ほとんど機能しないらしい。
 ああ、結局、私は私の命が尽きるまでも世界どころか私の生活も守れなかったのだ。
 ルークとアッシュ。
 二人の焔を喰らった世界は灯し火を失って破滅を進む。
 暗黒の時代、か。

「それと」
「まだなにかあるの?」
「陛下から言伝を預かっています」
「なんと?」
「『もういいんじゃないか?』と、ただそれだけを。……私には、意味がはかりかねますが」

 らしい伝言だ。
 ああ、本当に。
 なんとでも取れる伝言だ。
 最後まで私の意志に委ねてくれる。
 命運を共にする私の大切な仲間。
 大好きだ、けど大嫌いだ。
 時には選びたくない時だってある。
 けど、仲間だから、友だから、最後まで意思を預けてくれる。

 私とピオニーの間には、友情はあっても恋情はない。
 もし恋情があったなら、今はこうではないだろう。

「もうすぐここにキムラスカの兵士達がなだれ込んでくると思うわ」

 ゼーゼマン、ノドムハイム、そしてジェイド。
 重鎮達が次々と前線に借り出される戦。
 もう帰ってはこない人々だろう。

「グランコクマからでなさい。例え戦乱のルグニカに下るのだとしても、グランコクマに居るよりはよほど生存の可 能性はあるわ」

 帝都であるグランコクマは虱潰しに荒らされるだろう。
 建物は破壊され、煙突の中まで調べられ、床下の貯蓄庫まで火を放たれるだろう。
 どこまでもどこまでも、ネズミ一匹あり一匹だってこの都市から逃すまいとするだろう。
 マルクトの象徴であるグランコクマのあらゆるを破壊してゆくだろう。

「では、ルーアも共に」
「いいえ。私は残る」
「なぜですか。逃げてはならないとは言われていないのでしょう!」
「あなたも、そう言付かっている訳ではない、でしょう?」
「もちろん」
「なら、逃げてもいいんでしょうね。……逃げる先が、問題だけど」

 海は封鎖されキムラスカの軍艦が並び、陸はルグニカに万の兵がひしめいている。
 私ではとても、抜け出せない。
 彼女一人ならともかく、私は共に居れば足手まといだ。

「ならば、共に逃げましょうルーアッシュ。貴方を守る事が、私に与えられた任務です」
「では解任します」
「あなたにはその権限はない」
「私には無い。けど――」

 私は意気込む女性仕官の方の前に、ひらりと一枚の紙を突き出した。

「なっ、これは!」
「今日この時をもって、あなたをこの任から解任します。マルクト軍からの除隊も、命じられているわね」

 ピオニーの玉璽の入った、命令書だった。
 マルクトの兵士でなければ、万に一つ、臆に一つの可能性で助かるかも、しれない。

「そん、な……」
「だから、逃げて。おねがい」

 みんな、戦争に行ってしまった。
 一度はここに帰ってきた男性軍人の人たちも、再び戦争に駆り出された。
 妻子ある人も居たけど、戦はそんなこと躊躇しない。
 このグランコクマの何処かには、彼らの妻と子どもが居るかもしれない。あるいはもうすでにケテルブルクあたり にでも逃がせただろうか。

 グランコクマが落ちれば、ケテルブルクもそう遠くない時分キムラスカの手に落ちるだろう。
 それでも、大切な人には一秒でも長く生きていてほしいと願う。
 私も本当は、開戦初期にケテルブルクへ行く事を打診されていた。
 それを断ったのもそう遠くない頃の事だ。
 断った事で、大切な隣人である女性仕官の方を巻き込んでしまった。

 マルクトの兵としてこの都市を守る一員であると意気込んでいたようだけど、本当に大切なら私がおとなしくケテ ルブルクに移動していれば、彼女はまだ生きられる可能性が高かったのに。
 大切なのは本当だ。
 けど、私は彼女だけを選べなかった。

「……ルーアは、どうされるのですか」
「行く所があるの。この事態だし、もういいんじゃないか、ってピオニーの台詞じゃないけど私もいい加減そう思う 。だから、行くの禁じていた場所を解禁しようと思って」
「なら、私も共に行かせて下さい」
「……だめ。あなたは逃げて」

 今更の我侭に、本当に申し訳なく思う。
 本当に本当にごめんなさい。
 もっと早く解放してあげれば良かった。

「逃げないなら、またピオニーに命令書発行してもらうわよ」
「私はもう、マルクトの兵士ではありません。そう言ったのはあなたでしょう、ルーア」

 そうだった。
 しまった、と思う。
 任務から解く事はともかく、軍籍まで消してももらうんじゃなかった。

 私が渋い顔をしているのに、女性仕官の人――いや、今はもうただの女性は微笑を浮かべる。

「私はマルクトの国民ではあっても兵士ではない。私に命令する上官はもう居ません」

 ジェイドが生きていても死んでいても、兵士で無いなら上官は居ない。

「私は私の意志で、あなたの友として貴方を守りたいと思っています。それは、許されませんか」

 真摯な眼差しで見つめられる。
 逸らす事を許さない強い意思。
 こんな強い意思に晒される事には、慣れていない。
 おもわず頷きそうになるのを抑えて、断りの返事をしようとしたときだった。
 鼻をつく不安を煽る臭い。

 生焼けの木の匂いだ。
 黒いすす交じりの風が運ばれてくる。

 はっと目を開いた彼女が窓辺に駆け寄って窓を開いた。
 はためくカーテンの向こうからいっそう強く臭いは流れ込んでくる。
 微動だにしなくなった彼女の脇から私もその景色を見てぎょっとした。

 グランコクマが水の都と称される所以である水の防壁の向こうに、立ち上る膨大な黒煙が見えた。

「あの方向は――テオルの森」

 たった一つの可能性も、今断たれたようだった。

「ねえ」

 声を掛けると彼女は振り向く。

「最後のお出かけになると思うけど、付き合ってくれるかしら」
「もちろんです」

 本当に、すまないと思う。




 ピオニーから貰った剣を手に、私と彼女はブウサギランドを出た。
 もう二度と戻る事はないだろう。
 まっすぐに寄り道せずに宮殿に向かう。
 道行は膨大な不安と恐怖を抱いた空気に緊張し、静まり返っていた。

 宮殿の前には警備の兵士が居たが、剣を見せルーアッシュが来たと伝えてくれと申し入れれば道は開かれた。
 どこか寂れた雰囲気の宮殿で、ピオニーから譲りうけた剣はかなりの威力を発揮した。
 何も言う前に剣を見せれば大抵の人は反応を示した。

 滝の見える謁見の間を目指す。
 会議室とどっちにしようかと思ったけど、まだ余裕のあるときに一度でも噂の大瀑布を見ておこうと思った。
 深い考えなんて無かった。
 案内役には彼女が居る。
 いまなら誰も居ないだろう、とそう思った場所には――

「ピオニー……あなた、何でここにいるの?」
「なんではないだろうルーア」

 玉座に座って足を組んだピオニーが居た。

「あなた大本営でしょう? やることがあるんじゃないの?」
「こうなるともう俺なんぞの手出しするところじゃないんでな。とっくに首都を捨てて撤退するように言ってあるは ずなんだがなぁ」

 と苦笑いをする。
 嘘だろうと思う。だが真実だろう。
 テオルの森が落ちた。
 グランコクマは袋のネズミだ。
 後はただ、一人でも多く生き延びる事を祈るしかない。
 覚悟を決めて残った人々も、生の為の覚悟ではなく、今となってはただ一人のピオニーと言う人間の死のための覚 悟だ。
 それが心苦しいのだろう。
 残った人々のために、後はせめて彼らに誇らしい皇帝の姿であらねばならない。

「逃げ出すやつは逃げ出した後だろう。ここに居るのは、知って残っているやつだけさ」
「なら、なおの事、あなたにはやることがあるんじゃないの?」
「後は、ここでどっしり構えているくらいしかやることは無いんだよ」

 と、ピオニーは苦く苦く笑った。

「それで? ルーア、あんたは何でここに来たんだ?」
「ジェイドも居ないし、寂しいんじゃないかと思ったんだけど、そうでもないみたいね」

 ぐるりと見渡せば結構な数の兵士の人々が居た。

「もういいんじゃないかと思って、来たのよ。あなたの言伝どおりに、ね」
「そうか」

 どうとでも取れる伝言をよこしたのはピオニーだろうに、渋い顔をする。

「そっちは?」

 とピオニーが眼差しを移した先には、膝を付いている女性が一人。
 マルクト兵士ではなくなってもマルクトの国民だと言う事か。

「私の、友達。ピオニーから貰った紙で解任したところまでは良かったんだけど」
「ピオニー陛下におかれましては」
「いいっていいって。堅苦しい事は無しだ。それで、どうしてあんたはここに居るんだ? あれを使ったって事は、 軍籍も無いんだろう。逃げたほうがいいんじゃないか?」

 苦い笑いを浮かべたまま言うピオニーに、彼女は顔を上げて宣言した。

「私は私の意志で、彼女の友として彼女を守りたいと願ってここに居ます」
「そうか」

 そう言って、また笑った。

「ルーア、隣に座れ」
「となりって……」

 ピオニーの指し示す先には、ピオニーが皇帝の御位に付いたときから一度も人の座った事のない椅子がある。
 それは、ピオニーのファーストレディ、つまり妻となる人のために用意されている場所だ。
 私なんかの座る場所ではない。

「椅子がないだろう」
「あなたねぇ」
「安心しろ。ここに居る奴はみんなルーアの事を知ってるやつだ。ジェイドのやつと口で渡り合う女が居るってな」

 私が唇を曲げると周囲でかすかな笑いがおこった。

「一度も后妃の座らないままじゃ様にならないだろう? ちょっとぐらいかっこつけさせてくれよな」
「初恋が忘れられないからって、妥協しすぎじゃないの?」

 そういいつつも、私は促されるままにピオニーの隣の椅子に座った。
 互いにはっきり言葉にはしない。
 だが、ここが終わりの場所だと分かっている。

 私とピオニーの間に恋情はない。
 あるとすれば友情と一繋がりの命運だ。

 もし恋情があったなら、私はここには居ないだろう。
 すでにケテルブルクへ逃がされているか、あらゆる手段を尽くしてキムラスカに紛れ込まされているかもしれない 。
 あるいは今更ここに来る事無く、初めから終わりまでここに居たのかもしれない。ピオニーの隣で。
 互いの間にあるのが友情だからこそここに居て、友情だからこそ私は今彼の隣の椅子に座った。

 何処からとも無く、というか実に迅速に運んできた人が居るわけだが、見るからに質のいい上着を手渡された。
 マルクトの青。
 私は複雑な思いを抱えながらそれを着込む。
 すこしサイズが大きい。というか、どう見ても女性物じゃないのはどういうことだろう、と、決まっているか。ピ オニーの上着だ。
 ピオニーと同じ香水のにおいがする。

「似合うぞ」
「世辞は結構」

 それが私が、歴史に名を残さないマルクト帝国最後の皇妃になった瞬間だった。




 帝都が蹂躙される音がする。
 戦の狂気に身を任せた声がする。
 血に酔う叫びが近づいてくる。
 地鳴りのように、近づいてくる。

 ここを守っていた兵士の人々は、宮殿の門が落ちたときにここを出て行った。
 だから今ここには、私と、ピオニーと、私の友人の彼女の三人だけだ。

 外は騒々しいのに、扉一枚、壁一枚隔てただけでここは静寂があった。

「わるいな、ルーア。つき合わせちまって」
「選んだのは私。逃げなかったのも、ここに来たのも、誘われるままここに座ったのも、私」
「だが誘ったのは俺だな」
「けど応えたのは私」

 その昔に思ったことがある。
 もし、預言を潰せなかったときには、ピオニーの側に居ようと。
 彼が死ぬときは近くに居ようと。
 その時はジェイドも含めて三人で、だったような気がするし、私もこんなところに座る予定じゃなかったし、かな り変則的だけど大まかなところかなったんじゃないかと思う。

「ピオニーは仲間、ジェイドは永遠の天敵、彼女は大切な隣人にして友人」
「仲間、か」
「運命共同体、だったでしょう。私の命はマルクトと一つだった」
「だったら、もっと早くそこに座ってくれても良かったんじゃないのか?」
「形だけでも?」
「そうだ。形だけでもルーアが座れば、外野から小うるさく言われないで済むからな」
「そうして私が出来るわけも無いのに子供子供って言われるわけね」

 皮肉を言えばバツが悪そうに頬をかく。

「それに、私が座っちゃったら万に一つもネフリーをお嫁さんにもらえなくなったと思うわよ」
「けどまあ、ここまで粘ってもネフリーは来てくれなかったからなぁ」
「……犬猫ならともかく、自分の名前の付いたブウサギを飼っている男と言うだけで付き合いを悪いほうで考え直す には十分な理由ね」
「そう言うなって。ブウサギは可愛いんだぞ!」

 ぐっと拳を握るピオニーに、私は小さくと息をついた。

「いいけど」

 大瀑布の音が耳に入る。
 外部の音が遠くなる。
 ここは、静かだった。

「……ねえ、のど渇いたんだけど、ピオニー」
「俺も乾いた」
「水どこ?」
「どっかに飲料水のタンク無かったか?」
「私が知るわけないでしょう。ここに来たのは初めてなんだから」

 軽く言い争いをしていると、私の友人の女性が言葉を挟んだ。

「あの、私がお持ちしましょうか」

 と。
 私とピオニーは目を合わせる。

「お願いできるかしら。宮殿の構造には明るくなくて」
「俺も俺も」
「あなたは黙って。そもそもここはあなたの家でしょう」

 ふふふ、と控えめな笑い声がする。
 振り向けば微笑とであった。

「では、ちょっといってきますね」

 彼女も居なくなると、沈黙が降りた。
 どれほど黙っていただろう。
 僅かが永遠にも感じられる瞬間が来るなんて、思わなかった。

 物がこげるにおいがする。なのに火薬の匂いがしない。さすがは譜力の世界と言うべきか。
 譜力が衰えたからこそ、キムラスカとマルクトの間には国力差が出た。
 個人の資質によるところの大きい譜術の得意なマルクト帝国。
 対して機械化と言う扱う人間の資質に依存しない譜業の得意なキムラスカ王国。
 少なくなった譜力をいかに低コストで、省エネ環境で使うかと言う話なら、資質の低い人間が次々と譜術を使えな くなってゆく中で、機械は一度省エネ化に成功すれば、あとは普遍的に誰でも同じ物が使える。

 人口比較なら負けることは無いが、火力が違ってしまっていた。

 もうすぐ死ぬのに不思議と心は乱れない。
 ルークのようにいっそ無様なほど死にたくないと願えれば良かったのに。
 インゴベルドが死んで、ナタリアが王権を剥奪された時からなんとなくこの時を悟っていたからだろう。

 堅牢だったはずの石の建築物が壊される音がする。
 ごうごうと大瀑布の音に違う音が混じる。
 あの雄たけびは、断末魔は、どちらの兵士のものだろうか。

「まだ、やりたいことがあっただろう」

 突然ピオニーは此方を見ないまま問いかけた。
 それはそうだ。無いはずがない。やりたいことなら沢山あった。

「もっと世界旅行したかった。世界の美味を、その場所で食べたかった。もっといろいろ知りたかった。もっと色々 知り合いたかった。私の友達の彼女ともっと馬鹿みたいな話をして戯れたかった。子供がほしかった。孫が見たかっ たわ」

 私の答えにピオニーは苦笑した。

「すまなかったな」
「いい加減しつこいわよ」

 そう、言ったときだった。

 ドン、と扉が叩かれた。
 可笑しな話だ。
 私が来たときは何の抵抗もなく開いた扉なのに、今は来るものを拒む堅牢なる門となる。
 だが、そう長くは持たないだろう。

「きたな」

 ピオニーが呟く。

「そうね」

 私が答える。
 誰があんなに強固に扉を封じたのだろう。
 ピオニーを思っている、誰かには違いないのだろうが。
 けど、これじゃあ。

「彼女、戻ってこれないわね」
「そうだな」

 答えを得たとき、バン、と扉が破壊され、その向こうに赤が見えた。
 ピオニーが立ち上がる。
 そして、キムラスカの兵士達の機先を制して声を張り上げた。

「我こそはマルクト帝国皇帝ピオニー・ウパラ・マルクトである。命が要らぬと言うのなら、我が元にかかって来い !」

 その声はびりびりと空気を震わせて、幾分かキムラスカ兵士達の意気をも挫いたようだった。

「さすがピオニー。伊達に皇帝してないわね」

 私の呟きは突撃してくるキムラスカ兵士の雄たけびに消えた。




 私の目の前で一人の兵士の槍の穂先がピオニーの腹を貫いた。
 謁見の間にはキムラスカの兵士の屍が幾重にも重なるようにして横たわっている。
 これまでピオニーが倒した数だった。
 まさに鬼神のように彼は戦った。
 強いだろうな、とは思っていたけど、ここまで強いとは、と言うのが正直な気持ちだった。
 だけど、それも最後か。

「おお――りゃぁ! まだだ! まだ俺は死んでいないぞ!!」

 と思えばまた一人。
 あの兵士、首級を挙げたと思って甲冑の下では喜色満面だっただろう。
 致命傷になる場所を貫けなかったあんたの負けだ。
 安全圏に居たと思っても、何時自分が死者になるのかわからないのが戦場だ。
 油断したな、と思うがもちろん同情の余地は無い。
 したところで、相手にも受ける余地は無いだろう。なんと言っても既に屍だ。

 大振りの攻撃の隙を突いてもう一本ピオニーの体を鋼が貫く。

 悔しい。
 本当に悔しい。

 どうして私は強くないんだろう。強く、なれなかったのだろう。
 ピオニーを守れるまでとは言わない。それでも、ピオニーと共に戦えるくらいには、強ければ。

 剣を手に、ピオニーが倒したキムラスカ兵士の血と、今はピオニーの血も浴びて、だが私は無傷だった。
 なんて情けない事だろう。
 私はこの戦いに置いて完全にピオニーの足手まといだったのだ。
 闘いに参戦する方がよっぽど、守られているよりも邪魔だったのだ。

 私に背を向けるピオニーが、貫かれた体で僅かに振り向く。
 まるで謝るように情けなく僅かに笑んだ。
 そしてその目は焦点を失った。

「マルクト皇帝のく――」
「まだよ」

 今度こそ、首級を取った宣言をしようとした兵士を、今度は私が手に掛けた。
 動きの止まった的なら私でも急所をつけた。
 兜と鎧の境目、首筋を。
 この兵士が、この場所になだれ込んできた第一軍の、最後の一人だった。
 共々に床に倒れたピオニーと私が手に掛けたキムラスカ兵士を見下ろして、思う。

 なんて苦しい思いだろう。
 友の屍の上に私の生がある。

「初めての人殺しが――これとはね」

 呟いたときだった。

「随分勇ましい女性だな」
「そうでもないでしょう。女性兵士だって、居るじゃないですか」

 新たなる乱入者は、明らかに一般兵とは違っていた。

 明らかに上等な装備。
 より深い赤。
 彼の登場と共にピオニーが倒しつくしたキムラスカの兵士がなだれ込んできて周囲を囲んだ。
 これが最後と言うやつだろう。
 畳の上、は無理でも、ベッドの上で老衰で死ぬ予定だったんだけど。

 これが私の心の漣なのだろうか。
 泣いているのか笑っているのか。良くわからない。ただ唇が僅かにつりあがる。
 涙が見えれば泣いていると人は言うだろう。
 涙が見えなければ笑っていると人は言うかもしれない。
 そんな表情だろうと思う。

 私は声を掛けてきた乱入者に向き直る。

「キムラスカにおいても高位の方とお見受けします。逃げも隠れもできない事とはお分かりでしょう。少々、お待ち いただけませんか? せめて、彼からあなたの兵士が貫いたこの槍を引き抜くまでは」
「あなたは、ピオニー陛下とはどのような関係の方ですかな」
「今日この日、ほんの数時間前にマルクトの、最後の后妃となりました。……夫の体から剣を引き抜くだけの時間を 下さいませんこと?」

 彼が真の武人なら時間をくれるだろう。
 敵にかける情けは二種類あるからだ。
 もしそうじゃなかったときには、仕方が無いから諦めよう。

「この惨状は、あなたの夫が?」
「ええ。最後まで私を守ろうとしてくださいました」
「――よろしいでしょう」
「感謝いたしますわ」

 名も知らぬ将官の慈悲により、私はピオニーの体から鋼を引き抜く時間を得た。
 幾重にも私たちを取り囲む赤の兵士に取り囲まれて、しっかりと食い込んだピオニーの剣を引き抜くのは随分と時 間がかかった。
 から、と引き抜いた槍を投げ捨てて額を拭う。
 じっとりと汗をかくほどの重労働だった。
 そのままピオニーの体に手をかけて、玉座に持ち上げるまで、彼は待ち続けていてくれた。

 あせる事もないのも事実だろう。
 先が無いのは目に見えている。
 敵ながら、この時は本当に感謝したくなった。
 私を殺す人間に、何を馬鹿なことをと思いもする。

 あがった呼吸を整えながら、私は既に体温を失ったピオニーを一度、抱きしめた。
 一人じゃない。
 ここには私が。
 そしてきっとあの世にはジェイドとサフィールが居るから。

 血の通わぬ体を離して、私は再びかの将官に向き直った。

「お待ちいただいたこと、感謝いたします」
「気丈な方だ。実に惜しい」
「過剰評価ですわ」
「そうかな?」
「そうです」

 ここに剣があるのだから、喉でも腹でも掻っ捌いて自死するのが帝位に関わったものの最後に相応しいのかもしれ ない。
 まあこれは生まれ育った日本の侍文化的な側面もあると思うけど。
 この期に及んでやはり私には無理だと思う。

 私は自分を殺せない。
 ああ、やっぱり、私は死にたくないのだ。
 ルークのようにはなれなくても、死にたくないのだ。

 あの将官が、剣を抜いた。
 私も剣を手に、ピオニーから貰った椅子の前に立つ。

「ローレライの力を継ぐ若者、人々を引き連れ鉱山の街へと向かう。そこで若者は力を災いとし、キムラスカの武器 となって街とともに消滅す。しかる後にルグニカの大地は戦乱に包まれ、マルクトは領土を失うだろう。結果キムラ スカ・ランバルディアは栄え、それが未曾有の繁栄の第一歩となる」

 私の読み上げた記憶に、私の命を奪うだろう男は足を止めた。

「キムラスカ・ランバルディアの陣営はルグニカ平野を北上するだろう。軍は近隣の村を蹂躙し要塞の都市を進む。 やがて半月を要してこれを陥落したキムラスカ軍は玉座を最後の皇帝の血で汚し、高々と勝利の雄叫びをあげるだろ う」
「預言にある繁栄のために我等は戦をした。そして預言の通り、マルクト皇帝の血で玉座を汚した。あなたが、キム ラスカの繁栄とマルクトの滅亡を読む預言を謳うとは」

 違う。
 これは呪いだ。

「やがてそれがオールドラントの死滅を招くことになる」

 私を殺す将官が、私に切っ先を向けて踏み込んだ。
 これが呪いだと気がついただろうか。
 彼がたどり着くまでに言い切るべく、私はなおさら声を張り上げた。

「要塞の町はうずたかく死体が積まれ死臭と疫病に包まれる。ここで発生する病は新たな毒を生み人々はことごとく 死に至るだろう。これこそがマルクトの最後なり。以後数十年に渡り栄光に包まれるキムラスカであるが――あああ あああ!!」

 迎え撃とうと構えるが、一瞬で弾かれる。
 だが辛うじて相手の剣の軌道を逸らすことはできたようだった。
 一直線に心臓を目指していた剣は右の肩を深々と貫く。
 肺を傷つけたのは確実だ。痛いを通り越して傷がアツい。
 喉を擽りながらアツい液体が駆け上ってくる。
 咳と共に鮮血を吐いた。
 まだ、喋れる。

「マルクトの病は勢いを増し、やがて一人の男によって国内に持ち込まれるであろう」
「まだ、喋るか」

 死ぬまで、止めない。
 私に刺さった剣は深く、やすやすとは抜けない。
 まだ辛うじて動く左手を、引き抜かせたくなくて剣を握る相手の手の上に重ねたが、引っかき傷を作るだけの力も 入らなかった。

「かくして……オールドラント、は。障気に、よって……破壊、され……塵と、化すで、あろう……。これが、オー ル、ド、ラントの、最期……で、ある」

 言い切ったときには既に目の前が暗かった。
 よく言ったものだ。
 良く言い切ったものだ。
 そしてまた、良くこのままでまだ生きているものだ。
 後何秒、生きられるのだろうか。
 生きているなら、その生の最後まで、死が訪れるときまで――

「ユリアの、名の、下に……私は、キムラスカを――」

 はっ、か――あ、っ。

 一息に剣を引き抜かれた。
 足腰が立たなくなっていたのに支えを失って、私は後ろに倒れこむ。
 そこは丁度、ピオニーから貰った椅子の上だった。
 臨時の夫婦とは言えど、夫婦揃って椅子の上で死ぬなんて。
 ベッドの次ぐらいにはまあいいかもしれない。

「――」

 呪う。
 その言葉はとうとう口からでなかった。
 その方がよかったかもしれないと、ぼんやりそう思いながら、私は命の止まるときを知った。

 どうか、帰って来なかった彼女が――何処かで生きていますように。














「ルーア……ルーア!!」

 彼女は宮殿の中を走り抜けていた。
 どうしてか分からない。
 友であるルーアとピオニーの為に水を取りに謁見の間を出ただけだった。
 打撃を受けて意識を失い、気がつけば周囲には音がなかった。

 大瀑布も止まっている。
 日々聞いていた滝の音に比べると、水の揺らめきの音は無きに等しいほど静かだった。

「ルーア、ルーアッシュ!!」

 床にも、壁にも、天井にも、美しかった青の宮殿にはそこかしこにどす黒い血痕が飛び散り、引き伸ばされ、塗り たくられていた。
 死に絶えたマルクトの兵士の遺体は放置され、腐敗を始めている。
 キムラスカは己の兵士達の屍は持ち帰ったのだろう。あたりには見当たらなかった。
 装飾品は破壊さえれ、汚され、略奪され、以前の面影は見る影もない。
 吐き気を促すような腐敗臭の淀む宮殿を、彼女はひたすら走っていた。
 大切な友の名を呼びながら。

 そしてたどり着いた謁見の間の破壊された扉を見て、彼女はそこに飛び込んだ。

「ルーア!!」

 叫んで、名を呼んで、見つけた。
 揃って椅子に座っている、夫婦を。

「るー……あ、ルーア」

 名を呼びながら、一歩、また一歩と震える膝を叱咤して、彼女は進んだ。

「るー、アッシュ……」

 彼女の見つけた友の亡骸は、夫婦揃って首が無かった。




 それから数年が経ち、繁栄を謳歌するキムラスカはマルクトで発生した病を国内に持ち込ませないために、堅牢な 壁を作った。
 橋を落とした。船を渡らせる事を禁じた。
 それでも、民間での秘密裏の密航を完全に封じることは出来なかった。

 キムラスカの人間はマルクトの病を恐れ、彼等が入って来る事を拒みはしたが、彼らに物資を送ることを止めるこ とは無かった。
 ヴァンが倒され世界が灯し火を失ってから、戦争が始まるまでの僅かな年数ではあったが、一時期キムラスカとマ ルクトの国交は活発になっていた時期がある。
 その間に互いの国を行き来して、突然の開戦につながりを絶たれた人々は多かった。

 ある老人の子や孫は開戦時マルクト側に居た。
 ある男の母親と妻は開戦時マルクト側に居た。
 ある女の恋人は開戦時マルクト側に居た。

 連絡は取れない。
 けれど情を捨てきれない彼らは、マルクトへ向けて援助を送り続けていた。

 彼女はその援助のおかげで生きていた。
 あれから数年がたった。
 罹患すれば命は無いと云われる病に、いま彼女は掛かり――























 密航者たちの船の上で揺られて―――――――――



















まじなうは、変換すると呪う。呪いたいけど、呪い切れない。だから恋のおまじないのよう に、ささやく。



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