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それ行け使用人。 1〜5
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それ行け使用人。――1
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「お初にお目にかかります、ルーク様。本日よりファブレのお屋敷で奉公させて頂く者で、ルーク様つきとなりましたものです。どうぞ、よろしくお願いいたします」 レプリカだと、聞いた少年は、ふーん、と興味もなさそうに呟いただけだった。 退屈そうに、きょろきょろと落ち着き無く目線を動かし、体は常にもじもじと動いている。 「なあ、ガイは?」 それが本音か。 まあ、私だってすぐに気を許されると思っていないが。 かつて滅んだホド諸島。 そこで行なわれていたフォミクリーの実験。 この少年の存在は、その結晶とも言える。 嘗て私もその実験に加わっていた。 研究者ではないから、詳しい理論など知りはしないが、その崩壊と共に、私は家族も失った。 二度と、フォミクリーには関わるまいと思っていた。 その私が、今こうして、フォミクリーにより生まれた少年の側に居る。 何の因果か。 研究していたホドは滅び、マルクトにおいてフォミクリーの研究は禁忌と封印された。 もはや二度と出会うことも無いと思っていたが――一度生まれたものは二度と消えることは無いというのか。 逃げる、転ぶ、ぶつかる。 泣く、わめく、癇癪を起こす。 投げる、倒す、壊す。 綺麗に手入れされた庭は土が剥き出しになっている場所も無いはずなのにどこかで泥にまみれてくる。 インク壷をひっくり返して浴びる。 メイドが回廊を磨くために用意していたバケツの水を蹴り倒す。 ヴァン・グランツが出入りするようになってからは、まだ剣の教えも受けていないのにあの男の持つ剣にあこがれたのか、箒を握って振り回す。 箒だって子どもの目の届く場所には無いはずなのだが、一帯何処から見つけてきたのか。 子どもはひとときも留まることを良しとせずに屋敷中を駆け回る。 家庭教師から逃げる、人参を残す、まだ寝小便を垂れる。 周囲の、子どもをその年齢どおりに見る者たちの無言の眼差しに反発して、なおのこと素直にはならない。 以前のルーク様は、以前のルーク様は。 別人とは知らないのだから無理は無い、と思う半面で、たとえ入れ替わりを知らなくても、そうまで違うと言うのなら、違う対応をしてもいいんじゃないかとも思っている。 子どもはガイにべったりで、私の方には近づこうともしない。 せっかく子どもの側付きの使用人になれたのに、これでは託された役目を果たすことが出来るのか。 任務は受けた。 だが、初めは確かに無理だと思っていたのだ。 私から家族を奪ったフォミクリー。 その技術の結晶として生まれてきた子ども。 愛せるはずが無い、と、慈しめるはずが無い、と。 それを、子供のほうでも敏感に感じ取って居たのやも知れない。 だが今なら、と思う心も、気がつけば芽生えていた。 子どもの成長はただでさえ早い。 それを更に早回しするようにして育っていく赤い髪の子ども。 レプリカとはいえ、敵国の、第三位王位継承者。 慈しめるはずが無いと思っていたはずが、気がつけばこの心に芽生えている感情は何だというのか。 子どもの成長を見守ることの愛おしさ。 私は以前のルーク様を知らない。 だからきっと、今なら誰にも重ねる事無く、あの子どものことを見ることが出来るのではないか。 この屋敷の人間の、父親も母親も含めてあの子どもに見せることの出来ない、出来なかった大人の姿を。 そう思っては、居るのだが。 「おやめ下さいルーク様! それはだんな様に叱られます!」 「手を離してください、ルーク様。それはやってはならないことです」 「逃げないで下さいルーク様! 家庭教師の方がいらしています!」 「好き嫌いをなさらないで下さいルーク様! ルーク様の残した人参一欠けらにも、大変な労働をして育てている生産者が居るのです」 言葉遣いを身につけるだけで三ヶ月。 身についたら身についたで言う言葉はこればかり。 反抗期ですか? ルーク様。 思春期ですか? ルーク様。 つい先日は、『お小言魔人!』と叫ばれてべろを出して逃げていかれた……。 多少研究者よりだったとはいえ、もとより軍人の私がこんなにも言葉遣いに気を使っているのに、何処から仕入れてくるのかルーク様の言葉は日に日に酷くなっていくばかり。 うぜー、とか、たりー、とか、結局この屋敷の中ではそれほど酷い罵り言葉も聞かれませんし、ボキャブラリーには乏しいのですが……。 ええ、ですがルーク様、私はめげませんとも! そして、故ホド領主の嫡男、ガイラルディア様。 ルーク様と共にいつもお側に居ながらも、今は遠い人となられてしまった。 私の妻子も、かつてホドの民でありました。 碧き海に囲まれた、潮の風の流れるホドに、誇りを持っておりました。 グランコクマとはまた違う、青の島に。 いつかあなた様がまたあのホドのような穏やかな心を取り戻されて、マルクトにて、領地を持つことがありましたなら、その御許へ寄せさせていただきたいと、思っております。 |
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それ行け使用人。――2
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「もう小言なんて聞き飽きたんだよ、バーカ!」 叫んで走っていった背中を見て、溜息を一つこぼす。 「口うるさいのはラムダスだけで十分だっつーの!」 子育てって、大変だ。 今は亡き妻の苦労が偲ばれる。 こんなに大変なものだたっとは……。 小言を言わないのも大人としてどうかと思ういますが、やはり私の記憶を手繰っても、小言を嬉しいと思った憶えは、無いような気がします。 ですが、本当に叱るところが無い、と言うのならともかくとして、叱られることなく育つと言うのも寂しいものです。 野放図な振る舞いも、公爵が居なければ止められる人間もいません。 「またルーク様に逃げられましたね」 「ガイ殿……」 ガイラルディア様が苦笑しながら近づいてきた。 苦笑と、やはり、なんともいえない生暖かさと言うか、そういったものを感じる眼差しとをもって。 このごろ背中に哀愁が漂っているんじゃないかと、そういう自覚はあった。 メイドの方々の視線が、どこか哀れみを含んでいるような、受ける小さな気遣いがどこか生暖かさを感じるような……思い込みと思っておきましょう。 それにしても、この屋敷の方々も、ルーク様も。 マルクトの奴等のせいで、マルクトの奴等が、と、一体キムラスカはマルクトをなんだと思っているのか。 そりゃ、フォミクリーで人間のレプリカを造ったり、島一つ崩落させてしまうような国だが、わざわざ王位継承権保持者を誘拐して、訳の判らない幻聴を聞こえるようにしていったいどうするというのか。 「ははは、相変わらずあんたは堅苦しいな。あんたのほうが年上なんだし、同じ使用人だ。ガイでいいって」 ですが、と言いかけて、迷う。 私がこちらに来たころより、随分といい顔で笑うようになられたガイラルディア様。 まだ時々葛藤を露にした表情をすることもあるし、仇敵と定める者の子育てを何故しなければならないのかと、ルーク様が言葉を解されないときには幾度か呟いているのも聞いておりましたが。 ペール殿もガイラルディア様の成長が喜ばしいのでしょう。 好々爺然とした雰囲気が増してきましたし、ガイラルディア様も、本人何処まで自覚しているのか存じませんが、近頃は本当に好青年になられました。 女性恐怖症が玉に瑕、と言えばそうなんでしょうが……。 メイドの方々に遊ばれた挙句、時々とんでもないことを叫ばれたりもしています。 「ガイ……どの」 「なんだ」 相変わらず敬称の抜けない私に、苦笑する。 マルクトを出てくるとき、私には多くの情報が与えられた。 それに伴い義務と、多くの権利が与えられた。 ガイラルディア様に、ホドの真実をお教えするかしないか、するのならばその時期も、私自身に選ぶ権利が与えられた。 一番近くで見ること、接することになる私が、私の裁量で時期を見計らい、私が良いと思ったときに、話すも話さないも私の自由であると。 正直に言えば、そこまでの判断を背負わされるのは、身に重いのですが。 その上、ガイラルディア様は要警戒するようにときつく言われてきたヴァンデスデルカと繋がっている。 時期とタイミングを見誤れば、情報は全てあのガルディオスの剣であった男の下へと流れていくことだろう。 本当に身に重い。 だが、何時までもくすぶっているわけには行かない。 「ガイラルディア様」 意を決して名を呼べば、見つめる彼の表情には驚きと、次に警戒が浮かび上がってくる。 それが正しいのだとわかってはいても、少しばかり寂しいような、いえ、悲しくなる。 名前もつけられないようえもいわれぬ感情に、自分の知る名前を当てはめてみても、どうにもしっくりとは当てはまらない。 私は一体、どうしたかったと言うのだろうか。 不意に苦笑が浮かび上がり、連動するようにガイラルディア様の顔には困惑が浮かび上がる。 「あんた、何者だ?」 「かつてのホドの生き残りです。ガイラルディア様のことも、ペール殿のことも、存じ上げております。あなた様のことは、いつも遠くから、見ておりました」 「本当、なのか?」 「何がでしょうか」 「ホドの生き残り、だってのは……」 「はい。……崩落の折に、私は妻子を亡くしましたが、どういう因果か私だけは、生き残ってしまいました」 前の苦笑の残滓に重なるように、苦笑が深まる。 私の妻子を、ホドの民を、水底深く沈めたのは、誰だ? それを私は知っていると言うのに――。 ガイラルディア様は、涙をお流しになる。 私のためになど、泣いてはなりません。 私とてホドを落とした人間の一人。 その際に妻子を失ってなお、ホドを落とすことを決断したマルクトに、軍籍を置いていた薄情な人間なのです。 私に涙を流す価値はありません、ガイラルディア様。 そう、何度口をついて出かけたことか。 「そう、か。良かった。生きていて、くれたんだな……」 「泣かないでください、ガイラルディア様。私もこちらに来て、あなた様とお会いできたことを、嬉しく思っております」 「そうか――そうか」 「ですがどうか、私がマルクトの出であることは、他の方には――あなた様の剣と、盾にも、ご内密にしていただけないでしょうか」 「何故だ?」 「何時か、機会があれば――私から伝えたいと、思っております。なんと言っても、ガイラルディア様にお声をおかけするのにも、これほど時間のかかった、臆病者ですから」 自ら話せるようになるまで、そっとしておいてやってください。 そう伝えれば、苦笑しながら了承してくださった。 ガイラルディア様と別れて、屋敷の庭を歩いていると、屋敷の陰から飛び出してきたむっと睨むような顔をしたルーク様と鉢合わせをした。 いや、ルーク様は、どうやら私のことを待ち構えていたようだった。 屋敷の角に手を突いて、俺は怒っているぞ! と言っているようだが……ほほえましい。 こう感じることが出来るのも、今私の心がとても穏やかに、凪いでいるから、なのだろう。 「おまえ、ガイを泣かせただろう!」 びっくりした。 そして納得もした。 このお坊ちゃまは、ガイラルディア様のことが、大好きだったな、と。 「いいえ、ルーク様。泣かされたのは、私のほうですよ」 答えた私がどんな顔をしていたのか。 私を見上げるルーク様の呆けた顔が、知らせていた。 |
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それ行け使用人。――3
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勉強がお嫌いなルーク様。 今日も見事家庭教師から逃げおおせました。 見ていて見事な逃走っぷり。 腕を上げられました。 ルーク様は勉強はお嫌いなようですが、けして頭が悪いと言うわけではない。 ただ勉強したときに、ようやく以前のルーク様のように、と言われるのが嫌なだけなのでしょう。 証拠に、と言うのも可笑しなものですが、人目の無いところでの好奇心はなかなかのもの。 興味を持ったものに対して覚えがいいのは万人共通のことですが。 ファブレ邸備え付けの書庫に時々忍び込んでいるのを、気が付かれていないと思っているのでしょうか。 そこの管理を任されているのは、私ですよ? ルーク様。 本を移動するとなれば力仕事でもあるし、ルーク様付きとは言え、他にガイ殿もいらっしゃる。 ルーク様が成長なさることで、手隙になっていたところをラムダス殿に書庫の整理に回されました。 ひっそり、こっそりとやってくるルーク様。 まだ、私が居ることも知らないでしょう。 少しでも何かに興味を持って学ぼうと言う姿勢を見せれば、珍しいな、と言われたり、あからさまに驚いた目で見られることの多くなった昨今。 今までのルーク様の態度のせいで周囲に定着された認識、であるからしてある意味自業自得とでも言うべき側面も備えていますが、どちらにせよ否定され続ける姿は真を知る身としては、哀れでもあります。 ルーク様の好奇心が潰されてしまうのも、このままではそう遠いことではないでしょう。 少し前までであったなら、私もそのままにしていたやも、知れませんが。 なんと言ってもヴァン謡将に睨まれると不便ですし、彼こそは軍部に無理強いをされホドを落とすこととなった張本人。 私がマルクトはホドの出身であることが何の慰めになると言うのか。 いっそのこと近づいていって取り入る、と言うのも考えましたが――そもそも前提条件が、駄目でしょうね。 私はヴァンデスデルカ少年も、嫌いではなかったですが、此方の好意がそのまま相手に受け取られるとは限りません。 相手に好意を返されるとも限りません。 まして私は彼が苦しんでいるのを知っていて、止めなかった人間ですから。 仕事と妻子を惜しみ、預言にも詠まれたからといって逆らいもしなかった。 結果として、私には仕事しか残らなかった――。 妻子の死預言を知らされていなかっただけ、と見ることも出来るでしょう。 ですが、結局は預言に従って妻子を失うことを選んだと取れなくも有りません。 彼の男がルーク様を手名付けていくのを、傍観しているつもりでした。 数日前、出入りの商人に混じってやってきた新しい知らせを得るまでは。 聞いてしまえば、黙っていることも出来ませんでした。 私にはもう大切なものが無かったのです。 何にかえても守りたいと思えるものが。 妻も、子も、失いました。 故郷であるホドも、既にありません。 ガイ殿はやがて主君と思う日もありますが――彼にはペール殿も、他のホドの民も居ります。 特にペール殿となれば、彼にとって絶対の味方となる人間でしょう。 ならば。 守ってみようかと、思いました。 あの子どもを。 自身によるところなく、生まれたときから重ねられ続けていた他人の幻影の為に誠に味方となる人間を得られずに居る子どもを。 はじめはそれこそ作られたばかりのレプリカに過ぎなかった存在が、人間になって行った存在を。 ガイ殿やヴァン殿ほどではないにせよ、私もルーク様に懐かれている方であります。 好かれて悪い気はいたしませんでした。 少しであろうとも好意を返せると思ったのであるなら。 過酷な運命に曝される子どもの味方になってみようかと。 いつでも側にいられるとは思いません。 ですが、せめて側に居るときくらいは、すべてにおいてあの子どもを肯定する存在になって見たいと。 いつか、失った息子のかわりではなくなる日が来るように―――と。 ルーク様の世界がこの屋敷の壁の中で終わることが無いことを、私は知らされました。 今まで預言はことごとく外すことができずにおりました。 外れぬようにと暗躍するものもおりましょう。 ですが、私も預言を――外れるようにと、願いたいと思います。 この外の世界で、生きていけるように。 少し勉強をして見ませんか? ルーク様。 勉強と言う言葉自体が既に嫌悪の対象であるのなら、勉強をしましょう、とは言いません。 まずはあなたの、好奇心を満たす手伝いを、させてください。 まずは、今ルーク様も手にされている絵も多く色使いも鮮やかな図鑑がいいでしょう。 馴れたらもう少し字の多いものに増やし、知識を増やしていきましょう。 一つ物事を知れば世界の謎は三つ増えます。 疑問に思う限り果てなどありません。 そのうちに古代イスパニア語にも手をつけましょう。 意味と絡めて行けば、結構面白いものです。 接続語などはフォニック語とほとんど同じですから、興味さえ持てれば難しいものではありません。 私は別室から、ルーク様の手には届かない高さの書架に納められている図鑑を取り出す。 堂々と出入りされるのであれば家人に取れ、と望めばいいでしょうが、隠れるようにやってくる限りではまだ手に取れなかったはずだ、と思い。 ちょうど、先日ルーク様が見ていた譜石帯のことが音素学と絡めて初心者向けに書かれています。 恐らく興味を持ってくださることでしょう。 |
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それ行け使用人。――4
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ルーク様が、篭られました。 他の方はご存知では無いでしょうが、ルーク様は己がレプリカであることを、知ってしまわれました。 すでに三日、間に一度ヴァン揺将もこられましたが、いつもはあれほどヴァン殿に懐いているルーク様が顔すらも見せませんでした。 報告を送れば、帰ってきたのはたった一言、 『天岩戸』 と書かれた紙切れだけが。 屋敷内で調べられる限り意味を調べてみましたが、どうにも理解できず。 天にある岩の扉、でしょうか。 困惑するばかりで有益な指示ではありませんでした。 水分だけは摂取しているようですが、食事もほとんど残されてしまうルーク様。 クリムゾン殿は放っておけ、とそう言い放たれました。 ええ、そして喧嘩です。 シュザンヌ殿と。 重厚な扉を一枚隔てて、あの子どもは何を考えているのか。 今はどんな姿でいるのか。 厳重にカーテンが掛けられていて、覗き見ることも出来ません。 ですが五日を越えたところで、私は決断しました。 昼間はさすがに人目がありますから、夜になってから、人目を忍んでルーク様の部屋に向かいました。 外から、窓に近づき、様子を見ます。 いつも窓からガイ殿が入るからでしょうか、頻繁に開け閉めされる窓の一つ、そこの鍵が緩んでいるのを私は知っていましたから。 カタカタと揺らせばかちりとずれて、窓は開放されました。 周囲に眼差しを走らせて、巡回も歩哨もいないことを確かめると、私はルーク様の部屋に飛び込みました。 もちろん窓はきちんと閉めて、カーテンも隙間なく降ろし、外からは一切の異変が感じ取れないことでしょう。 入り込んだ私が見つけたのは、ベッドの上で丸くなっているルーク様でした。 いつもは明るく清潔な部屋も、散らかり、微かに饐えたにおいがしました。 寝ているのでしょうか。 起きるのを待って観察し続けるのも悪趣味なような気がします。 眠っているのを起こすのも忍びなく感じますが、せっかく進入したものの、ここで帰っては無駄足です。 ルーク様も、絶食とは申しませんが、体に対して明らかに摂取する食事は足りていません。 かなりの空腹を感じているか、やっとそれを忘れて寝入ることが出来たか。 あるいはカロリーが足りなくて満足に身動きできずにいるのか。 どうしようかと逡巡している内に、もぞりとルーク様がベッドの上で身じろぎなさいました。 「出てけよ」 「お断りいたします」 「出てけよ!」 「ならばせめて、食事だけは普通に取ってください、ルーク様。このままではお体を害します」 出てけ、と叫ぶ声にも力がなく、ほとんどかすれている。 腹に力が入らないのだろう。 くっきりと浮かんでいた見事な腹筋も、こうなってしまえばただひたすらに余計なエネルギーを消耗するだけに過ぎない。 それきりに、沈黙が流れる。 「……お前、知っていたのか」 「ルーク様がレプリカであること、ですか?」 「知って……居たのかよ」 「はい。存じておりました」 また、沈黙が。 以前のより長い沈黙の後、口を開いたのはルーク様が先でした。 「なんで……なんで……」 「知らせなかったのか、黙っていたのか? 他には何があるでしょうか」 「――なんでっ!!」 震える声は、泣く事を堪えているようにも、聞こえました。 「以前のルーク様は」 びくり、とベッドの上で体を震わせるルーク様。 「賢く聡明であると評判のようでしたが、比べて卑下なさることはありません。はっきり言ってあなたは、ろくな教育も施されなかった五歳児です。比べることがそもそもの間違いでしょうから」 教育のレベル自体は非常に高度であるが、以前のルーク様、今のアッシュ様がここにいる十年の間に学んだ基礎を無くいきなり高度な学問を押し付けられれば、理解できるはずも無い。 理解されることを放棄している行為とも言える。 「俺は……五歳児かよ」 「そうです。ですが、その外見では五歳児です、と通すことも不可能でしょう。生きた時間の長さより、見た目の年齢こそが人の目には映ります」 「俺、ガキかよ」 「たとえ十五歳だとしても、十分に子どもです。私の目から見れば」 はは、と笑うルーク様。 もう少し荒れるのかと思っておりましたが……暴れるだけの体力も今は無いのかもしれません。 平気で動ける気がするときもありますが……不健康な生活を続けている時は体の調子にも激しい波がありますから。 むしろこういったタイミングで訪れることが出来たのはよかったことかもしれません。 腹が減ると前向きな思考も出来にくくなりますから、それだけは良いとはいえませんが。 「ルーク様。これ以上は体に障ります。いいえ、ルーク様。もうすでに声を張り上げることも出来ないのでしょう?」 沈黙こそが答えか。 「どうか考え事は明日の朝までにしてください。朝は特別柔らかいおかゆを作るように言っておきましょう。空っぽの胃袋を食べ物に馴れさせたら、好物のチキンはそれからです」 そもそも食べ物に釣られるような精神状態であればこんなことにもならないとは思うが、これ以上いい案も思いつかない。 「ルーク様。何時いかなる時も、私はあなたの味方です」 「なんだよ、お前も――以前のルーク様とやらのほうがいいんじゃないのか」 「私は以前のルーク様を知りません。私が知るルーク様は、ここでこうしていじけてベッドで不貞寝しているルーク様だけです。私が必要としているのは、今のルーク様です。以前のルーク様が帰ってこようと、それがどれほど出来た人間だろうと、知ったこっちゃ有りませんよ、ええ」 目の前のルーク様一人のことを心配するだけでも胃に穴が空きそうなほどだというのに、二人も心配してなんて居られません。 私が心配するルーク様はただ一人。 オリジナルだろうがレプリカだろうが、関係ない。 研究者であった当時は、分らなかった。 虚ろな眼差しをしていたレプリカたちが、こんなにも生き生きと人のように――人になれるということが。 「私の知るルーク様はあなた一人です。私が必要とするルーク様もあなた一人です。いつかあなたが遠い旅に出ることになっても、私はいつでもあなたの味方です」 「俺……居てもいいのかな。必要って、冗談じゃねぇの?」 「ルーク様は、私がそんな軽薄な冗談を言うような人間だとお思いですか?」 少なくとも、過去は面白みの無い堅物として有名だった。 「成人して外に出ることが出来るようになるまで残念ですがまだまだ時間が有ります。ゆっくり時間をかけて悩んでください。私はいつでも側におります」 実際は、言うほどの時間は無いことを、私は知っている。 私の言葉のどれをとっても欺瞞にしか、過ぎないのかもしれません。 「俺、誰かに必要とされたのなんて、初めてだ……」 「それは、私にとっては喜ばしいことでしょうか」 「はぁ? なんでだよ」 「私が始めてルーク様にその言葉を言った人間であるなら、きっと少しは強く印象に残るでしょう。簡単には忘れられないでしょう?」 「は……ははっ――。そう、だな」 そういって、ルーク様は掛け布を引き上げてクルリと中で丸まってしまいました。 私は部屋に持ち込まれているはずのフォミクリーについて触れられている本を探して回収すると、再び窓から退散しました。 書庫番であるのをいいことに、この本のような、読む気にならなければフォミクリーの知識について触れることが出来ない本の数々を搬入したのは、私でした。 簡単な検閲程度に流し読みしていては気がつかない。 けれどじっくりと読み込めば、少しずつ違う知識を取り込みながら、一つの形になっていくだろう。 気がつくだろうか、気がつかないで欲しい。 そう思いつつも、仕向けたのは確実に私でした。 |
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それ行け使用人。――5
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ルーク様が旅立たれました。 知らず死地に赴かれるのでしょう。 オリジナルに出会ったと報告を受けました。 旅立つ前より不安定にゆれている気がするのは、恐らくそのためなのでしょう。 他の方々には分らないのでしょう。 何故ルーク様が憔悴しているのか。 そうしてヴァンや、ガイ殿に対して依存度を深めているのか。 ヴァンにとっては都合のよい事でしょう。 結局今回の帰還では、私はルーク様と会話をする事はありませんでした。 どれほど味方だと伝えようとしても、その思いが真実だったとしても、自分がレプリカであるという事を受け入れる事ができていないルーク様にとって、私はただ弱みを握っている人間に過ぎないのかもしれません。 悲しい事ですが、恐らくはそれが真実でしょう。 二年前のあのときより、私はルーク様に避けられているようでした。 無理に近づいても恐れられるだけなら、と私はただそれまでと変わらぬように生活を続けました。 書庫の番をし、雑用をこなし、私がいないときに本を読むようになったルーク様を見ない振りをする。 貴方がどんな態度を取ろうと、どうあろうと、私は何時でもそこにあり、いつでも変わらずルーク様を待ち続けます、という無言の意思表示でしたが、言葉にしなければ伝わらないのでしょう。 生まれて五年。 その上ほぼ監禁状態にあり、知識の幅も経験も外部により制御されているような状況です。 そんなあの方に、気が付けと、配慮を求めるつもりはありません。 ですが、言葉でそう伝える機会も奪われていました。 あの方は、言葉を聴かずに逃げるのです。 これでは一方的に告げることすら出来ない。 二度目となる新たな旅立ちで、ルーク様の心はなおの事強く傷つけられる事でしょう。 私はそれを望みません。 ですが避ける事もできません。 マルクト軍においては閑職にあった一仕官。 キムラスカはファブレの屋敷にあっては書庫番を任されている一使用人。 発言力ももちろんほとんどありません。 私が仕えるのはルーク様のみ。 けれどこの屋敷にあっての主はファブレ公爵と言う事になります。 公爵が、息子を親善大使に送り出すというのを、どうしてただの使用人に止められましょうか。 もっと幼い――それこそ私がここに来たとき程度のルーク様であったなら、まだこの屋敷から連れ出す事も出来たかもしれません。 誘拐と言うことになっても、構わなかった。 ですがその当時はまだルーク様をそれほどには思っておらず、今となってはもう遅い。 ヴァンにでしたら誘われて付いていくのでしょう。 ですが、自分の弱みを握っている、と思っている人間に誰が付いていくでしょうか。 無事に、アクゼリュスを生きて超える事ができたなら、ルーク様にとって長い旅になるでしょう。 私はここで待っているつもりでした。 ルーク様の帰られる場所を何時までも。 守り続けると。 私だってマルクトの人間です。 キムラスカはともかくとして、このファブレの屋敷を愛しているとは、正直言いかねます。 ですが、私がここにいるのなら、ルーク様にここに帰ってきてほしい、と。 そう思っておりました。 ですが日が経つにつれ、私は耐え切れなくなりました。 待つ事がもどかしくなりました。 待ちきれずに心が騒ぎます。 そもそも待つ意味は有るのでしょうか。 はじめの旅の時には、ルーク様がすぐにお帰りになられることはわかっていました。 それでも数ヶ月はかかりましたが、必ず帰って来ることは分っていたのです。 ルーク様が死亡するなりなんなりして帰還が不可能となったあかつきには、すぐに私に連絡が入り私はこの屋敷を出奔する事になっていました。 その知らせがないということは、生きているという事であり、その時点でルーク様の帰る場所はまだここしかなかったのです。 ですから私も、ある意味では安心して待つ事ができていました。 ですが、今度の事に私は確信を持てませんでした。 アクゼリュスが落ちる、と聞いたのもまだ何処か夢物語のような気がしていました。 愚か過ぎて笑えもしません。 私はかつて、ホドが落ちるのに手を貸したというのに。 ユリアの譜歌の使い手であるヴァンが崩落から助かったというのなら、その妹であるメシュティアリカ――未熟であっても譜歌の使い手であるティアが共にいるのなら助かる可能性はある。 そもそも計画は全てそれを前提にしたもの――。 待っている事こそが私の役目。 そうなのですが。 数日と経たず、私は耐え切れなくなりファブレの屋敷に休暇を願い出てまずはケセドニアに向かいました。 そこから船を乗り換えてダアトへ。 ほぼ五年にわたり、私は勤勉にファブレの屋敷に仕えてきました。 ルーク様が屋敷にいる限り、私も外部に私用等めったに無かったので休みを願い出る事もありませんでした。 家族はとっくに失っています。 そのためもあるのか、ダアトへ巡礼へ行く、という理由のもと願い出た長期休暇はすんなりと受理されました。 道程のほとんどは海路であり、陸路でケセドニアまで行き、そこを経由してアクゼリュスまで行く事になるというルーク様が目的の地へたどり着かれるより、随分早く私はダアトに着きました。 そこで巡礼者に交わって過ごす事しばらく、ある時大きな地震を感じました。 ここダアトでは割と頻繁にある火山性の微振動とは明らかに質の違う揺れでした。 その揺れを感じたとき、私はこの地にいるマルクト軍の密偵に力を借りて、アラミス湧水洞を下りました。 そこで力を借りた密偵と別れ、私はユリアロードを、行きました。 眠っているルーク様のいるベッドの隣に、椅子を持ち出して私は座っていました。 その部屋には、私と、眠りに付くルーク様と、恐らくは目が覚めたルーク様に今の現状を知らせるためなのでしょう。 鏡の前に立つアッシュ様のみがここにいます。 |