それ行け一般人? 51〜55

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それ行け一般人?――51



 連絡船に乗せられて運ばれるなかでジェイドは見ていた。
 ノエルの安否から始まって自分たちはどうなるのだろうかと言う憶測に及び、モースであるなら預言をなぞるためにルークを殺すだろうとジェイドが言うに始まった青臭い哲学の香りのするやり取りをジェイドはただ見ていた。
 特に何も思わないようにしながらそれを見ていた。
 ルークとティアが人生に関わる哲学的な問答をしているのを。

 バカにするつもりはないが青いな、とは思う。ピオニーなら間違いなく青春だな、といってくれるだろう。とてもムカつく仕草をプラスして。
 そしてジェイド自身はこれ以上よほどバカな事を言い出さない限りその哲学的なルークの問いに口を挟むつもりは無かった。
 自分のスタンスは既に教団にいたときに伝えている。
 預言の狂いを否定をしない、ひいてはルークの存在も否定しない、と。




 連絡船でバチカルにたどり着き城でルークとナタリアと離されて拘束されてからしばらくがたった。
 ジェイドたちは既にティアの譜歌と予定通りの助けの手を得て脱出を謀っていた。
 つくづく便利な譜歌である。まあ無くとも実力行使で突き進むが。

 今頃かもう少し後か、ルークとナタリアが服毒自殺を迫られているかと思うと気が急いている。
 譜歌を使って騒動も起こさずに脱出してきたので服毒自殺を迫っているほうがあせることは無いと思うが不安は不安であった。
 いや、ちがう。不安なのはジェイドではなく、バチカルの街の雰囲気と人々だ。
 船を降りたときから感じていた町を押し包むようなその雰囲気。
 しかけている作戦が今のところ成功していることを示す物だとは思う。だが鬱屈したこの雰囲気が解放される局面を間違えると酷く困難な事になるだろう。
 早く、と思う。勝手に爆発する前に解放される場所を用意してやらねばならない。

「急がないといけませんねぇ」
「だね〜。なんかやな感じ。なにかありそう」

 ナタリアたちの拘束されている部屋へ向かってジェイドたちは駆けていた。




 助け手からの情報と警備の様子からそこが二人の拘束されている部屋だと判断しガイとジェイド、アニスとティアが周辺の兵士達を一声も上げさせずに昏倒させる。  意識を奪うほうが殺してしまうより難しい事であるがこの場所を思えば無闇と殺生も出来ない。
 そして守られていた扉の向こうに響くように、ティアが声を上げた。

トゥエ レィ ズェ クロア リュオ トゥエ ズェ

 扉の向こうでばたばたと人の倒れる鈍い音がする。
 それが一通りやんでそれでも人が飛び出してこないのを一瞬だけ確認してから、彼らはルークたちの捕らわれているだろう部屋に続く扉を開け放った。

 真っ先に飛び込んだティアの目に映ったのは、二人の前に差し出されたまだ手付かずのグラスに注がれたワインだった。

「間に合ったわね」
「ティア! みんな! どうしてここに!」
「牢に入れられてたんだが、思いがけない助力があってね……」
「説明は後で! 早く逃げようよ!」

 余裕を見せて、安心させるように笑うガイの横ではアニスが切羽詰った顔で彼らをせかす。
 だがナタリアは叫んだ。

「お待ちになって! お父様に……陛下に会わせて下さい! 陛下の真意を……聞きたいのです」
「俺からも頼む。戦争を止めるためにも、伯父上には会うべきだ」

 ルークも言った。
 毒杯を差し出されてなお信じられずにいるルークたちはジェイドの目には甘く映ったし、今まで娘と育ててきて、偽者であったと知れても高貴な死である毒を差し出しながらその最後の役目を他者に委ねたインゴベルドは流されやすい、それこそ預言に全てを委ねてきた人間の典型に見えた。

「信じられない気持ちは分りますが……」

 あの王が自分で決めて自分で彼女に杯を差し出したというならともかく、おそらくは周囲に、モースやアルバインなどに促されたからされたという程度の決断だろう。
 優柔不断は移ろいやすいぶんだけ落とすのも容易いがいつ裏切られるか分らない。

「危険だけは、覚悟して下さい」

 ふうと息をついてジェイドは眼鏡を押さえた。
 ナタリアがぎこちない微笑でジェイドに感謝を述べる。

「……ありがとう」

 と。

「急いで。譜歌の効果は長くは続かないわ」
「モースも来ているようですし、この時間です。インゴベルド国王は謁見の間に居るでしょう」

 彼らは速やかに部屋を出て行った。
 その僅か後ろで立ち止ったルークが「ティア」と少女を呼び止めていた。
 どうせ曲がり角や階段ばかりの場内なら全力で走ってきたなら追いつくような距離だ。

 ジェイドはそれに気がついたが――「青いですねぇ」とそう小さく呟いて、全く躊躇せずに駆けていった。




 武器を取り戻してもキムラスカの城内で、これからナタリアの父王に理解を求めようとする中切った張ったの大立ちまわりと言うわけにもいかず、ティアの第一音素譜歌、ナイトメアとそれに耐えた者には動きの鈍ったところで昏倒させながら彼らは突き進んでいた。
 一路目指すは謁見の間、この異常事態にインゴベルドやその周囲が気がついて退避される前にたどり着かなければならない。

「お父様!」
「ナタリア……」

 突如駆け込んできたナタリアの姿にインゴベルドは狼狽した。

「逆賊め! まだ生きておったか!」

 玉座の前に立つモースが憎々しげに吐き捨てた。
 モースの周囲には、六神将のディストとラルゴ、そして一人の老女の姿が有る。
 ナタリアの乳母だった。

「お父様! 私は本当にお父様の娘ではないと仰いますの!?」 「そ……それは……。わしとて信じとうは……」

 自ら決断できない者が毒杯を差し出す愚かにジェイドはイライラする。
 旨く言葉を繋げなくなった王に成り代わり、冷酷にモースが言い放つ。

「殿下の乳母が証言した。お前は亡き王妃様に仕えていた使用人シルヴィアの娘、メリル」

 ラルゴが不意に背を向けた。それに構わずに、そうだな? とモースは老女に問いただす。

「……はい。本物のナタリア様は死産でございました」

 頷いた老女の声は震え、自らのなしたことに恐れ乱れていた。

「しかし王妃様はお心が弱っておいででした。そこで私は、数日早く誕生しておりました我が娘シルヴィアの子を王妃様に……」
「……そ、それが、真実ですのね、ばあや」

 ナタリアの声は上ずっていたが、彼女の心はまだ前を見ていた。
 信じていたものが壊れ、それと一緒に今にも壊れそうではあったが彼女はまだ、前を見ていた。
 その目に見つめられてインゴベルドはたじろぐ。
 それが気に喰わないモース。

「今更見苦しいぞ、メリル。お前はアクゼリュスへ向かう途中、自分が本当の王女でないことを知り、実の両親と引き裂かれた恨みからアクゼリュス消滅に荷担した」

 これ見よがしにモースは朗々と告げていく。

「違います! そのようなこと……!」
「伯父上! 本気ですか! そんな話を本気で信じているんですか!」

 ナタリアの声に、言葉に、存在に、情を抱き狼狽しながら、それでもモースの声に身を委ねて行くインゴベルドの姿に耐え切れなくなり、ルークは叫んでいた。

「わしとて信じとうはない! だが……これの言う場所から嬰児の遺骨が発掘されたのだ!」

 心に爪を立てるようにインゴベルドはそういった。











それ行け一般人?――52



 それは確かに痛いだろう。
 鋭いナイフで切られるよりも、もしかしたら痛いかも知れない。
 だからどうしたというのだ。
 誰かの心をナイフで切り裂きながら爪で掻かれた傷が痛いのだと彼はいう。
 17年も前のこと。それで心が痛んだからといって今更彼女自身もメリルとしての人生を奪われた犠牲者だろうにそれを己の感情の為に罰しようと言うのか。

「……も、もしそれが本当でも、ナタリアはあなたの実の娘として育てられたんだ! 第一、有りもしない罪で罰せられるなんておかしい!」
「他人事のような口振りですな。貴公もここで死ぬのですよ。アクゼリュス消滅の首謀者として」

 モースがルークに目を向ける。冷酷な眼差しだった。言葉だけは取り繕ってもそこに浮かぶ侮蔑の感情を隠そうともしていない。
 何かを堪えるようにインゴベルドは唇を引き結ぶとはっきりと二人に向かって告げた。

「……其方の死を以って、我々はマルクトに再度宣戦布告する」

 長く預言に浸かって来たキムラスカの王には預言の伝道者である者の言葉のほうが、血縁こそ偽りであったとは言え十七年掛けて築いてきた親子の絆を引き裂くよりも重かったのだろう。
 その預言の向かう先を知らずに。

 ナタリアとルーク。二人は息を呑んだ。
 無理だった。通じなかった。ここまで言われてなおまっすぐにインゴベルドを見つめ返したナタリアの思いは――砕け散ってしまった。

「あの二人を殺せ!」

 モースは左右に控えていたディストとラルゴを見回し、ルークたちを指差して命令した。
 弾かれたように謁見の間の出口に向けて走り出すルークたち。

「何をしているのです! ラルゴ! 他の者の手にかかってもよいのですか?」

 背を向けたまま動こうとしないラルゴに、得意顔でディストは煽る。

「……くっ、強引に連れてこられたかと思えば、こういうこととはなっ!」

 吐き捨てたラルゴは振り向いて大鎌を抱えてゆっくりと歩き出す。
 とその時、彼らの目前の扉が開き、そこからアッシュが飛び込んで来た。

「アッシュ! ちょうどいい! そいつらを捕まえなさい!」

 ディストが叫ぶ。

「アッシュ……!」

 ナタリアが彼を呼んだ。
 アッシュは応えずに走ってルークたちの後ろに回りこみ追ってくるディストたちと対峙すると背中越しに、ルークたちを怒鳴りつけた。

「せっかく牢から出してやったのに、こんな所で何をしてやがる! さっさと逃げろ!」
「お前が助けてくれたのか! だったら、お前も一緒に……」

 言いかけたルーク更に怒鳴った。

「うるせぇっ! 誰かがここを食い止めなければならないだろう! さっさと行け!」
「……ご無事で!」

 駆け去ってゆく彼らの背中に「きーっ!」 というディストの金切り声が届いた。




 途中ペールとアッシュに手配された白光騎士団に助けられてルークたちは昇降機を降りた。
 そこはキムラスカ軍本部などキムラスカ国営にとって重要な施設の集っている場所だったが、そこも白光騎士団によって道を開かれていた。
 ナタリアを我等の希望の星、とそういった彼らに託されて、ルークたちは更に下層へと降りてゆく。
 だがそこでも既に、キムラスカの兵士たちが道を塞いでいた。

「待て! 逆賊共!」

 ナタリアを背に庇いルークはじりじりと下がっていた。
 剣を抜き、その暴威を持って切り抜けることは難しくない。
 だがここはキムラスカ――ナタリアの愛する国だ。例え今は命を狙われ追われているのだとしても、白光騎士団を初めとして、キムラスカの全てが敵となったわけではないことを知っている。
 ルークにとっても、愛着がわくほどこの国の事を知っているわけではない。それでも彼の国でもあった。

 その時。

 一人の市民が、ルークと兵士の間に立った。
 ルークたちを守るように彼らに背を向けて。
 それを皮切りフライパンやはたきなどをてに構えて幾人者市民達が彼らを守るように飛び出してくる。
 無手では心もとなかったのだろう。だが訓練され剣を持つ兵士達の前に箒やはたきがどれほどの助けになるだろうか。

「な、何をする!」

 とうろたえる兵たちの前で一人が叫んだ。

「ナタリア様、お逃げ下さい!」
「な、何故私を……!」
「サーカスの連中から聞いたんです!」
「私はアッシュ様から聞きましたわ」
「アッシュが!」
「姫様が無実の罪で処刑されようとしているって!」
「お顔は存じ上げませんでしたが、上の階から逃げて来られたってことは姫様でしょう」
「さあ、逃げて下さい!」

 ナタリアはそれらの言葉に困ったように固まってしまう。

「行きましょう! ナタリア」

 ティアが促すが、その顔から憂いは消えない。

「え……ええ……」

 後ろ髪を惹かれるような思いでナタリアは走り出す。
 飛び出した市街地ではあちらこちらで同じような騒動が起こっていた。
 大勢の市民たちが、お玉や鍋のふたで、そうでなければ身一つで両手を広げて抵抗していた。
 切れるものなら切ってみろとでも言うかのように兵士達を留めている。
 押し合ううちに怪我を負うものも居たようだった。それでも市民達の熱は引きはしない。むしろ尚熱く滾るようにも見えた。

 その彼ら、ルークたちと市民たちの前に立ちふさがるのはゴールドバーグ将軍と彼の率いる軍だった。
 たちまちの内に一軍の周囲に市民達が集まって壁を作る。
 決してナタリアを害させはしないという強い意志が感じられた。
 だがそれに耐えられなくなったのはナタリアだった。

「待て! その者は王女の名を騙った大罪人だ! 即刻捕らえて引き渡せ!」

 その言葉にとうとう足を止めると振り返り、叫ぶ。

「そうです! みんな、私は王家の血を引かぬ偽者です。私のために危険を冒してはなりません。――どうか逃げて!」

 心からの悲鳴のような、願いだった。
 それを聞いてなお市民達は壁となったまま動こうとしない。いや、その言葉を聴いたからこそ、動かぬ決意がなお固まった。

「ナタリア様が王家の血を引こうが引くまいが、俺たちはどうでもいいんですよ」
「わしらのために療養所を開いてくださったのはあなた様じゃ」
「職を追われた俺たち平民を、港の開拓事業に雇って下さったのもナタリア様だ」

 壁となった市民達は我も我もといわんばかりに次々にナタリアの“今まで”を語っていく。
 そうして兵士を押しのけ道を作り送り出しては兵士達の道を塞いでいく。

「ええぃ、うるさい、どけ!」

 いらだったゴールドバーグが手にした剣を振った。それは市民を傷つけはしなかったが、老女がそれに驚き倒れて尻餅をつく。
 ゴールドバーグは剣を握り直し、老女が倒れて開いたそうして開いた場所を埋めるようにまた市民が飛び出してくる。
 ギリ、とゴールドバーグが歯をかんだ。











それ行け一般人?――53



 剣を手にしたゴールドバーグの表情に強い苛立ちが浮かぶ。
 剣を握る手に力が籠められ、それが僅かに持ち上がった。
 ルークには次の瞬間何が起こるのか鮮明に想像できた。

「やめろー!」

 叫んでルークは駆け戻る。その後ろにナタリアが続く。抜かずに通してきた剣をとうとうルークは鞘から抜いた。
 今抜かなければ、剣を握った意味が無い。

「ええいっ! うるさいっ!」

 苛立ちに任せてゴールドバーグは老女の抜けた穴を埋めた市民に向かって剣を振り上げた。
 間に合わない。
 経験から瞬時にそう悟ってしまってルークの、そしてナタリアの体から一瞬で熱が引いていった。

 その時。

 横から黒い影が駆け込んでくる。
 赤い髪をなびかせた黒い影はその勢いのままゴールドバーグを蹴り飛ばした。




「アッシュ……!?」
「……屑が。キムラスカの市民を守るのがお前ら軍人の仕事だろうが!」

 蹴り飛ばされて尻餅をついた将軍に、自分が居ればこのような軍になどさせないのに、という腹立たしさの滲んだ声で威丈高に言い放つ。
 守るべき市民に手を上げる、その暴挙を彼は許せなかった。

「ここは俺たちに任せろ。早く行け、ナタリア!」

 アッシュはナタリアに視線を向ける。
 いつの間にか市民だけではなく訓練された動きの男たちが市民達を更に庇うように散見されていた。
 キムラスカの軍服ではなく、ローレライ教団のものでもなく、統一されたその服はよく見ればアッシュのものとも同じだった。
 ざわざわと市民達の間に今までとは違うざわめきが起きている。
 彼らは呟くように口にする。
 本当にアッシュ様がいらっしゃった、と。

「……アッシュ……」

 呆然と見つめてくるナタリアに、アッシュはふっと微笑みかける。

「……お前は約束を果たしたんだな」
「アッシュ……、『ルーク』! 覚えてるのね!」

 叫んで、ナタリアは両手で口元を押さえた。
 抑えきれない歓喜に涙が滲んでくる。

「行け!」

 動かないナタリアにアッシュは再びそういったがナタリアの足は動かなかった。
 その眼差しは吸い寄せられるようにアッシュただ一人を見つめている。
 そんな彼女にアッシュは子供に言い含めるような小さな笑みを浮かべて見せた。

「……そんなしけたツラしてる奴とは一緒に国を変えられないだろうが!」

 ナタリアは目を瞠った。
 今やこの事態を見つめているのはルークたちだけではない。市民も、そして押し留められている兵士達も、じっとこの二人を見つめていた。
 ナタリアは力強く頷いた。

「……分かりましたわ!」
「ルーク! ドジを踏んだら俺がお前を殺すっ!」
「……けっ。お前こそ、無事でな!」

 素直でない言葉は今この場で心地よかった。
 どこからか「ナタリア様ばんざーい、アッシュ様ばんざーい!」と声が聞こえてくる。

 駆け抜ける途中すれ違う市民たちが、口々に彼らに言葉を掛ける。

「ザオ砂漠は途中で消失してます! 街道を南に下り、イニスタ湿原へ向かって下さい」
「ナタリア様! ご無事で!」
「せっかく生きて戻ってきて下さったんだ! 生き延びて下さい!」
「わしら戦争はごめんですじゃ! ナタリア様なら、きっと戦争を止めてくださいますな!」
「軍の連中は私たちが抑えます! 急いで!」

 市民達と、いつの間にか現れていたアッシュと同じ服を着た男たちに守られながらルークたちは街の外へ続く長い橋を駆け抜ける。
 そしてついに、ルークたちはバチカルから脱出した。

 その背中にアッシュとナタリアを称える声を聞きながら。




 道を開いてくれた市民が教えてくれたイスタニア湿原を目指しながらルークはふと疑問に思った事を口にした。

「なんであいつらアッシュのことまであんなに言ってたんだ?」

 と。
 具体性の無い独り言めいた言葉を拾い上げたガイがイロイロと聞いたところ、バチカルの市民がどうしてあんなにアッシュのことを称えたのか、そしてアッシュのことを知っていたのか疑問に思ったのだという。
 ナタリアのことなら、分る。
 ルークはナタリアの功績と言う物をよく知らなかったが、今回の出来事で市民達の口から聞いたことでもあるし、それらは命を懸けて自らの体を張って剣の前で壁になることを決意させるほどのことであったのだろう。
 市民と呼ばれる彼らにとっては。
 ルークにとっても幼馴染がそれほど慕われているのは喜ばしいことであったが。

 ならばアッシュはどうなのだろうか。
 アッシュは七年バチカルに姿を現していないはずの人間だ。
 十年前まではバチカルに居たのだとしても、さすがに十歳程度では慈善事業であったとしても国政に口は出せまい。
 それに加えてルーク、と呼ばれるならまだしもアッシュとして認識されてのあの扱いだ。疑問にも思うだろう。
 神託の盾騎士団の服を脱ぎ捨てて、いつの間にか現れていたそろいの服を着ていた一団も気になる。

「事前に噂を流している者たちたいたとすれば、市民の誰かが言っていたサーカス、つまり漆黒の翼でしょう」
「そう、か?」
「うまいことアッシュの手足となっているようですね、彼らは」

 ジェイドの結論にルークは腕を組んで唸る。

「じゃああの黒服の奴等はなんだったんだ? アッシュと同じ服を着てたよな」
「そういえばアッシュも、神託の盾騎士団の制服を着ていなかったわね」
「あの服が、制服のような物なのでは? 自然に考えるならアッシュの部下、でしょうね」

 結局アッシュも含めて正体不明ですが、とジェイドは締めくくった。











それ行け一般人?――54



 決死の思いで湿原を抜けてベルケンドにたどり着いたものの、逃走の果てのことであったのでこの町に対して特に目的があったわけではなかった。
 どうしようか、と話し合った彼らは、スピノザという男がこの街でヴァンと組んでレプリカ研究をしていたことを理由に彼を締め上げて情報を引き出すことで決まった。

 ルークとティアはここを訪れるのははじめてであるが、ルークは一度アッシュの中からここを見ている。
 目的地である第一音機関研究所への道は知っていた。
 知らなくても他の仲間たちについていけば言いだけの話ではあったが、気が逸るルークには人の後を付いて行くのはもどかしいことだったので、道を知っていることで精神的に多少楽に慣れていた。
 その第一音機関研究所に近付いたときだった。
 大勢の神託の盾の兵たちがバラバラと駆け出してきてあっという間にルークたちを取り囲んでしまう。
 しまった、と身構えたルーク達に――いや、ルークに向かって、彼らを取り囲んだ兵の一人が声を掛けた。

「バチカルでは派手にやってくれたそうですな特務師団長!」
「……特務師団長?」
「ヴァン主席総長がお呼びです! 出頭していただきますよ。アッシュ特務師団長」

 ハッとした。
 ルークをアッシュと間違えているのだ。
 確かにアッシュとルークは同じパーツで出来ている顔をしている。
 それが取り囲まれる事によって真剣な面持ちになれば表情からしても区別は付かないか、付きにくいだろう。
 だが相当な間抜けだな、とジェイドは思った。
 あるいは思考を放棄してきた結果か、と。
 敵対している存在がどんな構成人員なのかも聞いていないのだろうかと呆れてしまう。
 ルーク自身に対しては見間違えても、その周囲をも含めれば、勘違いの余地などないに等しいというのに、だ。

「ヴァン謡将に会う絶好の機会です。ここは大人しく捕まりましょう」

 小声で言うジェイドの言葉に、ルークは剣に伸ばしかけていた腕から力を抜いた。




 第一音機関研究所内にあるレプリカ研究施設に連れ込まれ、何処までいくのだろうと思ったその更に奥の部屋にルークたちは連れられた。

「アッシュ特務師団長を連行しました」

 先に室内に入った神託の盾の兵が、中に居た人物に敬礼してそう報告している。
 もったいぶるまでも無い、ヴァンとそしてもう一人、リグレットだった。
 部屋は奥の壁が一面書棚になっており、隙間なくと本が詰め込まれている。その前にはデスクがあって、その席にヴァンは座っていた。
 おそらくはここがベルケントでヴァンが個人的に使っていた部屋なのだろう。
 ヴァンが座っているデスクの横にリグレットも居た。

「兄さん! リグレット教官!」

 はじめに叫んだのはティアだった。
 続くように声を張り上げようとしてルークはその言葉を瞬間躊躇う。
 何を聞くつもりだった? 『師匠は俺をアクゼリュスで殺すつもりだったのか?』とでも?
 そう思うと口が動かなかった。
 忙しさにかまけてそのことを考えるのをやめていたような気がする。
 そうしてもう答えは出したから、と思うことで尚の事忘れようとしていたような気がした。
 答えは、出した。
 師匠よりも、自分の身近に居てくれようとしていた人がいたことを大切に思う、と。
 師匠と慕ってきた人が、自分を道具としてしか見ていなかっただろうことを、認めようと。
 けれど、それを心が納得していたかは別だった。
 だからとっさに出かけた言葉があれだった。
 だがそれはルークのなけなしの矜持が遮っている。
 思考が理解した。認めようと思った。だからもう言わない。

「ヴァン、何を考えてるんだ! セフィロトツリーを消して外殻を崩落させるなんて!」

 ヴァン、と呼び捨てる事は、ルークの必死の強がりだった。




 ユリアの預言とローレライと、決してかみ合うことの無い意見を戦わせるのは非常に精神的に疲れる事だった。
 外殻を崩落させ、人類を滅ぼし、それをレプリカで代用させ、そしてユリアの詠んだ預言とそれを生み出すローレライから逃れる計画。
 ヴァンの言いたいことはなんとなく分かった。
 だが決して受け入れられることではなかった。
 今、自分たちはヴァンが預言に縛られていると言う人の手によって預言を覆そうとしている。

 フォミクリーで大地や人類の模造品を作る、その計画を馬鹿馬鹿しいと吐き捨てたガイにヴァンが告げたことは確かに彼らに少なからぬショックを与えた。
 ガイラルディア・ガラン・ガルディオス
 わざわざガイのホド領主としてのフルネームを口にしてヴァンは告げる。

「ホドが消滅することを、預言で知っていながら見殺しにした人類は愚かではないのか?」

 と。

「それは……」

 口篭るガイ。

「私の気持ちは今でも変わらない。かねてからの約束通り、貴公が私に協力するのならば喜んで迎え入れよう」
「かねてからの、約束……?」

 思いがけない言葉にルークは眉根を寄せて怪訝そうな声音で尋ねた。

「ガイ、どういうことだ?」
「それは……」

 ガイは言葉に詰まった。
 答えられない苦しさに表情を歪ませる。
 ガイが直ぐに答えられずに口篭ったことにヴァンはにやりと笑った。

「ガルディオス伯爵家は、代々我らの主人。ファブレ公爵家で再会した時から、ホド消滅の復讐を誓った同志だ」
「え……」

 瞬間、ルークの思考が漂白された。
 理性は言っている。
 今までの状況を組み合わせればなんら不思議な事は無い、と。
 グランコクマでファブレの家に復讐をしたいと思っていたと言っていたガイ。
 屋敷の庭で不審な話をしていた二人。
 ジェイドから聞いたアルバート流とシグムント流の話。
 そのほかにも色々だ。
 分かっている、つもりだった。
 それでも、改めて聞かされたときのショックは決して鈍いわけではない彼の思考を止めさせるほど大きな物だった。

「来たようです」

 部屋の外から物音が聞こえて来て、リグレットがヴァンに告げた小さな言葉が白い思考に入り込んできてルークを現実に引き戻す。
 次の瞬間、バン、と扉が勢いよく開かれ風を切るように赤い色が翻った。
 再び神託の盾の服を身に纏っているアッシュだった。

「アッシュ!」

 ナタリアが叫ぶ。
 だがそれに振り返る事無く、アッシュはその碧の双眸で強くヴァンを睨みつけた。

「ふ……。待ちかねたぞ、アッシュ」

 その強い視線をものともせずに正面から受け止めてヴァンは笑う。
 そして右手を差し出した。

「お前の超振動がなければ私の計画は成り立たない。私と共に新しい世界の秩序を作ろう」
「断る!」

 間髪入れずに断るアッシュの後姿を見ているルークに、急速に冷静な思考が戻ってきていた。
 何故なのか、わからない。
 それでも、アッシュの背中はルークを強くしてくれた。











それ行け一般人?――55



 一騒動二騒動の末に彼らは第一音期間研究所を出た。  思わず溜息をついたのは誰が初めだったのか、堪えた人間でも思わず溜息をつきたくなるような状況だっただろう。
 消沈しているルークに掛けられる言葉は、あまりなかった。
 心配そうにルークを見る視線が集まる。
 どう言葉を掛けていいのか分からない。

「ルーク……」

 ただ呟きのように自分の名前を口にしたティアに向けて、ルークは地面を向いていた眼差しを向けた。
 眼差しがかち合うが、言葉が詰まる。
 何もいえないティアに向かってルークは微笑んで見せた。
 自分が笑えることを確認するような、そんな笑みにティアには見えた。

「……は〜。総長がこんな所にいたなんて、もー、びっくり。しかも神託の盾の騎士団員を自分の兵士みたいにしてて、なんか感じわる〜!」

 両腰に手を当ててアニスが憤慨のポーズをとる。
 何が解決したわけでもないのだが、それで少しだけ空気が動いたような気がした。
 ふっとナタリアがアッシュの前に移動して彼の前で両手を組んだ。

「アッシュ……。バチカルでは助けてくれてありがとう」
「そうだ。お前のおかげだよ。ここまで逃げてこられたのは」

 ナタリアに続くようにルークもいった。
 彼にとっては他意のない言葉なのだが、受け取るほうはどうやら複雑なようだった。
 気難しそうに眉根を寄せて、軽く吐息をつくと緩める。

「偶然だ」

 と言うことにしておこうと彼は思った。
 少なからず他意はあれども。

「導師に言われて仕方なく助けてやっただけだ」

 その導師も誰かに言われていたのだろうと思いはすれども。

「イオン様が!?」

 アニスに「ああ」と返してアッシュは少し考えた。なんと言おうか、と。正直に言えばそこで“あいつ”の存在が出てくることになる。
 だがアッシュにはジェイドとは違い別にその“あいつ”を表舞台に引き出そうとかそういう意思はなかった。

 手紙だけのつながりだけとは言えもう結構な年数のやり取りになるし、そいつを知っているのは自分だけではないとは分かっている。
 だがそれでもルークやガイなどを初めとして目の前に居る奴等が“あいつ”の事を知らないで居る、と言うのがなんだか自分だけの、自分たちだけの大切な、心地よい秘密のような気がしてそれを大勢に明かしてしまうのは惜しいようなそんな気もしていた。
 秘密を共有する心地よさのような物を、感じていたのかもしれない。
 結局アッシュは無難と思えるところで返事をした。

「ダアトで調べたいことがあったんでな。……その際に導師に会った」

 白々しい眼差しでジェイドが見てくるのをふと眼差しを逸らして見ない振りをする。
 その眼差しを振り払うように、彼は言った。

「ヴァンは全ての外殻を落とすだろう。世界を変えるために」




 アッシュにはまだまだやることがあったのでその場を立ち去ったが、時々彼はもどかしくなる。
 手紙の人物が伝えてくる事は、その多くが真実だった。
 妙だと思ったことは問い詰めればただの思い違いや記憶違いであったし、彼女の言う事は確かに最善ではなくても次善の策をとる。
 知っていれば最善を取ればいいじゃないかと思ったことも彼には有るが、一つの物事に対する最善が連鎖する物事に置いて必ずしも最善とならないことも既に知っていた。
 局地的に見れば最善が大きく俯瞰すると最悪になることもある。
 逆に局地的には次善の策でも連鎖する物事の中俯瞰してみればそれが最善となっていることもある。

 だから一つ一つの物事に当たる時、その時々でもどかしいのだ。
 今最善を取らない事が。取れない事が。
 そしてもどかしく感じる物事が通り過ぎて連鎖する違う物事に掛かって来るまで、どうしてその次善が選ばれたのか、そのときが来るまで理解しきれない自分がもどかしい。

 アッシュがもし、と思うことの一つに、『もしヴァンを説得できていたら』と言うものがある。
 もしヴァンを説得することができていたら、もっと犠牲を少なく良い形でこの動乱を、ユリアの残した崩壊の預言を覆すことが出来たのではないだろうか、と。
 彼がもう少しだけ若かった時、彼はそう思った事がある。
 真っ赤なスミレの蝋封の手紙を受け取って、ヴァンの真意を知って、いつごろだっただろうか。

 あいつが言い出さないのなら、あいつがヴァンに接触を持たないのなら、自分がそうしようかと思ったこともあった。
 あいつは手紙の中でヴァンへの接触と発覚を恐れているようだったが、あの頃の彼にとってはヴァンはまだ信じていると思っている対象であったし、疑ってはならない対象でもあった。
 疑いを持ちつつも否定する事で己を肯定していた。
 ヴァンを否定する事は今そこにいる己への否定でもあった。
 そう思いつつもあいつの話を聞いていたのは――手紙を受け取っていた、今思えばとんでもない矛盾だ。
 どちらにも真剣だった。
 繰り返すごとに少しずつ自分が変わっていくのを感じていた。
 楽になっていくような、視界が開けていくような、肩の力が少しずつ抜けて行ってどうすればいいのか分からなくなって亡羊としたのもつかの間、何か違うモノで満たされていった。
 そうしてしまうと気がついてしまう。
 自分では、ダメだ、と。

 自分の言葉はヴァンに届かない。
 ヴァンにとって自分はただの駒でしかなく、自分がヴァンに反抗することで、ヴァンに異を唱える事でなるのは自分が利用できないと思われることでヴァンの計画の一部が変更される事ぐらいだろう。
 終局的な目的は変えられない。
 そういうことを理解してしまった。理解できてしまった。

 彼は例え周囲の六神将が全て敵に回ったとしても、己一人ででもその計画を実行に移すべく行動しただろう。
 そんなヴァンを知ってしまって、彼の心は急速に彼からの自立を図った。
 それでも最初は依存の対象を摩り替えただけだったかもしれない。
 ヴァンから離れようとして離れられずゆらゆらとしている様はどれほど不安定だっただろうかと思う。
 望郷の念、レプリカへの憎しみ、ヴァンへの依存、何もかもが一通の手紙から一気に突き崩されて、あの時期に良くヴァンに気が付かれなかったものだと思う。
 その不安定さを恰好が悪いと必死に押し隠して平静に見せようと振舞っていたことを思い出した。

 依存の対象を挿げ替えただけかもしれないと思ったその対象はいつまでもアッシュの依存を許さなかったし、またヴァンとは違い己の元につなぎとめようとはしていなかった。
 手紙のあいつはいつでもお願いしかしなかった。
 アッシュは自分で考えなければならなかったのだ。

 そんな中で感じたもどかしさは、まだヴァンのことを信じていたのだろう。
 そしてそれが叶わないと思ったとき、決定的にアッシュの中でヴァンは切り離されたのだ。

 そうしてから彼は自分で色々と考えた。
 与えられた情報の真偽をまず疑うことから始めて、考える事をやめなかった。
 考えた結果としていまアッシュはあいつの願いを聞いている。
 そいつに対して、顔は知らないとしても好意を持っていることと、それが回りくどくても最終的には自分のためになるだろうという判断も有る。
 今終局が分からなくても、最善と思えないことを提示されても、従うと決めたからには従おうと思っている。
 だがそれでも時々彼はもどかしさに身を捩る。
 それはもどかしさではなく、もしかしたらヴァンに自分の言葉が通じないことを悟った時のような、そんな感覚だったのかもしれない。







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