それ行け一般人? 16〜20

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それ行け一般人?――16



 アッシュは指示の書かれた手紙を見て、少し不機嫌に顔をしかめた。




真実を知っているルークを無駄に刺激したくない。
私を知る史実の中では、アッシュ、貴方はケセドニアに到着したルークに回線を繋ぎ彼を操るわ。
お前は、俺だ。
そういった意味合いのことを言って、ルークの体を操って、ルークの仲間に剣を向けさせる。
でも、今回はルークは、自分がレプリカだと知ってオリジナルの存在を殊更に恐れているようだから。

オリジナルを恐れるというよりは、昔貴方が感じていた感情に似ているのかもしれないわ。
居場所を奪われたと思った貴方。
居場所を奪われるのではないかと恐れる彼。

そう時を置かずして彼の真実は暴かれるときが来る。
いまは、そっとしておいて欲しいの。
アッシュ。
お願い。




 そうするつもりは無かった。
 この手紙を見て、そういうこともあったのか、と思ったくらいだった。
 実験などしなくても、回線を繋げばレプリカから自由を奪える事は確信があった。
 相手の状態にもよるが意識を取り込む事もできるだろう。

 そうするつもりは無かった。
 無かったところにそういわれてすこし反発心が沸いたのも事実だった。
 だが、お願いされてしまった。

 願われる事に弱いのは、シンクも自分も変わらない、と自嘲をこめて薄く笑う。

 願われる事に弱い。
 アッシュの場合は命令される事とすることしかない世界に居た反動だろう。
 父は彼に命令しかしなかった。
 使用人には命令した。

 神託の盾騎士団に来てからは、ヴァンに命令された。
 特務師団長になってからは命令した。

 そんな彼は、願われる事に弱い。
 願われる事のくすぐったさに弱い。
 願う事と言うのはある種対等な立場に居る者同士の間でしか成立しない。
 あるいは願う方が僅かに下かもしれないが、命令と違って拒む事も出来るという隙が有る。
 明確な上下関係が有るなら命令すればいいだけのことだ。

 常に上下関係の中に身を置いてきたアッシュにとって、お願いと言うのはじめ酷く珍しいものだった。
 ナタリアは別だ。
 それ以外の人間から、願われる事。

 ぼんやりとした思考をおいて、アッシュは沸きあがった反発心を飲み込んだ。
 何のことは無い事だ、と。









 ケセドニアに付いたとたんにルークが倒れたのはジェイドが診察して経度の熱中症だと判明した。
 症状が重いと命に関わる。
 早いうちに倒れてこの場合はよかったのだろう。

 イオンの同行もその場で決められた。

 今日はルークが倒れた事もあり、体が弱いイオンの為にもと言うことで大事を取って一泊する。
 マルクト領事館に向かったのは翌日になってからのことだった。

 その領事館ではヴァンが先に出立してしまった事を聞くルーク。
 せっかく会えると期待していたのにその期待が覆されてご機嫌斜めだ。
 落胆から、お前らのせいで遅くなった、と言い出す前にジェイドが横槍を入れた。

「船の用意はできているそうですし、早めに行きましょうか」

 と。
 先に結論を述べて率先して先を行く。

「さあルーク、行きますよ」

 と、更に口を開こうとしたルークの先を制してしまう。
 付いて歩きながらもしばらく口をもごもごさせていたルークだが、やがて話しかけてきたミュウをうざいと言ってぶんぶんと振り回し溜飲を下げたようだった。




「もうすぐアクゼリュスか〜。師匠はもうカイツールを発ったって話だけど、急げばまだ追いつけるかもな」

 海の向こうを見ながらルークが言った。
 対してジェイドはそれは不可能だろうと見ている。

 そもそもヴァンには工作するための時間が必要だ。
 たとえザオ遺跡に寄る事無く自分たちが早くケセドニアに到着していたとしてもヴァンは早々にアクゼリュスへと赴いていただろう。

 幾人もの、これから死ぬ事になる神託の盾騎士団の兵士を連れて。

 アクゼリュスのその場に居たタルタロス。
 その中の人間は一人も助からなかったとルーアッシュは言ったし、ジェイドもそれには頷くところだ。

 ただの崩落ではなく、超振動により無理やり落とされたアクゼリュスは、酷くゆれた事だろう。
 上下に激しく振られる事になるタルタロスの中は考えるだけで恐ろしい事になる。
 床、天井、壁にと叩きつけられて、あの甲冑の中で人の形を保っていられるかどうかも怪しい。
 そしてその後にも六神将が出て来たという事は、そのタルタロスの中に六神将が居なかった事を示す。

 幾ら強靭とは言え人は人。
 その時のタルタロスの内部に居たのなら助かるべくも無い事は分る。

 ならば六神将はどうしていたか。
 そもそもアクゼリュスの地方に居なかったか、あるいはアリエッタの魔獣を利用して逃げたか。

 やはり後者の可能性は低いだろう。
 デオ峠でであったというリグレットは恐らくはアクゼリュスから去る途中。

 アッシュの事をヴァンはアクゼリュスに近寄らせないようにしていただろうし、ディストも恐らくアクゼリュスには居ない。
 ネビリム先生を蘇らせる事を目標としていた彼が、たかだか不義理な同盟関係を結んでいたヴァンのために危地に赴くわけが無い。

 もしアクゼリュスに居たとするなら、ラルゴかシンク、か。

 だが、シンクはルーアッシュの語る預言にも似た何かの中でもアクゼリュスに居たとは思えない。
 ラルゴも然りだ。
 彼の場合ヴァンよりなおさらいい体格をしている。
 逃げるにしてもアリエッタの魔獣が彼を抱えて飛行できるかと言う疑問はあるが置いておく。

 結局のところヴァンは、己と己の連れてきた決して多くは無いだろう兵士のみを使ってことをなさねばならない。
 先遣隊の始末に始まるもろもろの事を。
 タルタロスに乗せて連れて来た神託の盾騎士団の兵だとて、ティアがアッシュにつれ出される事がなければ恐らくはもっと遠く、被害の及ばない場所まで退避していた事だろう。

 そうでなければ助けだそうとしたティアを殺す事になる。

 タルタロス崩落による死を予想できなかった、恐らくは情報を与えられていなかった神託の盾の兵たちが失点を取り戻そうとアクゼリュスに留まり、結果として崩落に巻き込まれて死んだと見るのが妥当だろう。

 自分たちはユリアの譜歌により助かったと話に聞いている。
 だが、高度数万メートルにも及ぶ場所から垂直落下をしてほぼ無傷に近いというのは奇跡に近い確立だろうとジェイドは見ている。
 そもそもユリアの譜歌の強度がどれほどのものか未だにはっきりしないところもあるが。

 つらつらと思考を重ねていたジェイドはふとそれを断ち切って吐息をついた。

 結局なるようにしかならないのだ、とそう思う事にする。
 可能な限りよい方向へ向けたいと思うが、こればかりはしょうがない。
 賭けの要素が強いが、

「まあ、賭け事には負けたことが無いですし」

 と呟いて、ふと見えてきた陸に視線を送った。
 そこはカイツール。
 もうアクゼリュスは近い。











それ行け一般人?――17



 デオ峠も終わりに差し掛かった頃、ジェイドたちはティアを引き離そうとするリグレットとであった。

 もはやジェイドにルーアッシュの言葉を疑うつもりは無かったが、ここまで細かい事を当てられると、曖昧とした預言を得るよりもむしろ恐ろしい。
 安い預言師に詠まれる預言は、読み違いも有るが解釈の余地も有る。
 最終的に預言は一方向しか指しておらず、事が終わった後に意味を読み違えたり理解できなかった言葉の意味を知る事も有るが、過ぎ去るまでは解釈の余地もある。

 ジェイドは預言を否定するつもりも無かったが、あまりそれを積極的に取り入れているわけでもなかったので生誕預言などを詠んでもらう時にもどんな預言師が詠んでいるのか気にしたことは無かった。
 読み違いも有るが解釈の余地も有る預言。
 だが無いよりはずっと生きていくための指針に出来た。

 無意識にでも覚えがある。
 迷ったとき、最後の背中を押したのは預言だった、と。

 そうやって度々彼も預言を利用してきた。
 だがこうやって、事細かに正確な出会いや誕生、あるいは死まで詠まれたとなるといっそ恐ろしい。
 正確すぎる事が怖くなる。

 腕のいい預言師に高い金を積んで預言を詠んでもらったなら、より預言は正確に、緻密になる。
 なら、それだけの金を積んで預言を詠んでもらっている人々は本当に何一つ自分で決定する事の無い生活を送っているのではないのか。

 リグレットが言った、夕食の献立まで預言に頼る者まで居る始末、と言う言葉が今更になって恐ろしい響きを持つものと感じられた。
 未来の事如くを詠まれ、それをなぞり、そして望むように改変されていく。

 自分の未来の何もかもを知る者が居ると言う事が酷く恐ろしいことのように感じられた。
 騙すも嵌めるも思いのまま、となるだろう。
 未来を知ると言う事はある時点においての過去も知る事である。
 ジェイドがルーアッシュとであったとき、彼女がいきなりジェイドに弱みを突きつけて脅したように、弱みを握られて、酷く不快だった事をジェイドは覚えていた。






 遠目にアクゼリュスが見えた。
 露天掘りの採掘場であるアクゼリュスはすり鉢の様な形になっていて、底に紫の澱は淀んでいた。

 霧の様な、もやのような瘴気は風の吹き抜けない場所にあってただひたすら沈み込み、濃度を増していくだけなのだろう。




 踏み込んだアクゼリュスの中で、ルークはたまらず声をあげた。

「こ……これは……」
「想像以上ですね……」

 最後に受け取ったアクゼリュスに対する報告よりも、なお酷い。
 明らかに瘴気の濃度が増していた。
 町中に溢れる死の気配。
 饐えたにおいがするのは、死体の処理が侭なら無いからだろう。

 以前に派遣されていたマルクト軍は、道を確保する事を理由に一度撤退させている。
 瘴気が噴出し始めた直後から、瘴気障害が出た者をまだ体が動く位置にと避難させ、それに付き添う形で出来る限り健常な者もこの都市を出させた。
 だが、それでも残る人はいる。

 ここを出ることを預言に詠まれかなったから、と言うものや、残ったまま瘴気障害が悪化し動けなくなった者。
 それを看病するために残るものなどさまざまだ。

 ルーアッシュが語った歴史よりは、確実に残る人員は少ないだろうとジェイドは思う。
 だが、確実に失われる命はあった。
 瘴気障害の深度が高い者たちは、たとえ体内から瘴気を取り除けたとしても内蔵機能の低下によりやはり緩やかに死を迎えるしかない者も居るだろう。

 診療所代わりに使われているという建築物の中は、言葉に尽くしがたい惨状だった。
 中でも症状の酷いものがここに収容されている。

 中に踏み入ったジェイドは、目を見開いた。
 青い軍服を脱いで軍医に従い働いている看護師は、タルタロスで放した己の部下だった。

 驚いたものの今は特に態度に表さず、目配せだけを交わす。
 内部の惨状に言葉の少なくなる同行者達の会話を聞きながら、ジェイドは奥歯を噛み締めた。

 なぜ、せっかく生きる事ができたのにここに居るのか、と。

 自分に死は分らない。
 けれど、他者が多くの場合酷く生に執着し死を恐れる事を知っていた。
 なぜ、生きる機会が与えられたのに死に近づくのか。

 理解する日など永遠に来ないのかもしれない。
 その事象に対して、歯噛みしている自分自身にも。






 坑道には、活動しているキムラスカの先遣隊の姿は無かった。
 やはりヴァンに始末されたのだろう。

 うっかり石に躓いてふらついたイオンを、体が弱いから心配だと出しにして、これ幸いと看護師として働いていた己の部下を連れて来た。
 医師も連れて行きたかったのだが、彼は断固として拒否をした。
 病人を置いてはお置けないと。
彼の部下の中にも一人、事情を知って名を死を覚悟した眼差しで残る者が居た。

 彼が何を考えているのか、ジェイドには分らない。
 何故生きる機会を捨てるのか。

 彼らのことを救えないだろう。
 じんわりとした諦めがジェイドの心に広がった。
 それを痛みとは感じなかった。

 坑道も半ばまでたどり着いたとき、引き返すか、進むか、ジェイドは迷った。
 アッシュはまだここには居ない。

 ここまで来ればヴァンにアッシュの裏切りを隠す意味が無い。
 そもそもアッシュはこの地で、ヴァンからの離反を露にするという。
 もし、ルークが超振動を使うときにアッシュの培ってきた制御の力が加わったなら、と思うところがあった。

 ルーアッシュの言葉にもそれは示唆されている。

 すでに今の状況でティアは居ない。
 やがてアッシュに連れられてやってくるのだろうが、その前にパッセージリングを破壊されては生き残る事はできないだろう。

 上に行き、彼らの様子を見てくるべきかあるいはルークについていくべきか、迷った。

「……上の様子がおかしい。見てきます」

 ジェイドは決断した。
 走り去るとき、その最後の視界に頭痛に唸るルークの姿が、見えたような気がしていた。











それ行け一般人?――18



 上へと駆け上っていく途中、駆け足でかけてくる足音が聞こえた。
 軽い足音、これは恐らくティアだろう。
 今回の重要な布石の一人がやって来た。

 早口で今回の事態を捲くし立てるティア。
 その向こうから二体のグリフォンらしき魔物に追われてやって来るアッシュが来る。
 焦って見れば分らないだろうが、その魔物のやる気のなさをジェイドは感じ取っていた。

 中途半端な手回しにメガネに手を添えたくなるのを堪える。

「……兄さんは……アクゼリュスを消滅させるつもりなんです!!」







「せんせ……い……?」

 意にそぐわない無理な力の行使に、ルークは倒れてそのまま気を失った。
 その様子を、明らかに侮蔑を含んだ眼差しで見下ろすヴァン。
 気絶した導師に付き従ってきた看護師達が歯を噛み締める。

「くそっ! 間に合わなかった!」

 駆けつけてきたアッシュが叫んだ。

「アッシュ! 何故ここにいる! 来るなと言ったはずだ!」
「……残念だったな。俺だけじゃない。あんたが助けようとしてた妹も連れてきてやったぜ!」

 嘲るようにアッシュは叫んだ。
 ヴァンは黙って指笛を吹く。
 グリフォンが飛来し、ヴァンを、そしてアッシュを崩れかけた大地から宙へ救い上げた。

「……放せ! お前のところには行かない!」

 叫び身を捩る。
 アリエッタの魔物だ。
 アッシュを傷つけるようなことはしない。
 だがここはすでにヴァンがに従う意思がない事を見せるためにアッシュは抗った。

「イオンを救うつもりで用意したグリフィンだったが、仕方がない。お前を失うわけにはいかぬ」

 アッシュを安全な場所へと連れて行くべく飛び去ろうとしたときに、ジェイドを初めとする布石を持つ人間達がその場所に駆け込んできた。

「兄さん! やっぱり裏切ったのね! この外殻大地を存続させるって言っていたじゃない! これじゃあ、アクゼリュスの人もタルタロスにいる神託の盾も、みんな死んでしまうわ!」
「……メシュティアリカ。お前にもいずれ分かる筈だ。この世の仕組みの愚かさと醜さが」

 ティアの悲痛な叫びに応えたヴァンの言葉は、沈黙に近い。
 何一つの答えも与えない。
 自らの苦痛を語るわけでもない。
 世界のおどかさと醜さなど、口にしなくとも皆何処かしらで気が付いている。

「それを見届けるためにも……お前にだけは生きていて欲しい。お前には譜歌がある。それで……」

 身勝手で一方的な言葉だけを残し、去っていく。
 彼は誰の理解も求めていない。

「まずい! 坑道が潰れます!」

 ジェイドが叫んだ。
 響き渡る振動は間近に迫った限界を切々と伝えてくる。
 すでに細かい破片からこぶし大の岩石が降り注いできている。
 このままでは降り注ぐ岩石に押し潰されるだろう。

 看護師として働いていたジェイドの部下達が、ガイに先んじて手早くルークを回収してジェイドの側に駆け寄った。

「私の傍に! ……早く!」

 ティア杖を構え叫んだ。
 意識を集中して譜歌を歌い始める。
 この場に居るすべての人間を取り込むように、ティアの結界は作り出された。





 降り注ぐ岩が弾かれる。
 まるでゆっくりと落ちているような錯角を得る。

 神秘をうたう歌声。
 その声に呼び起こされる神秘。
 確実に守られて彼らは落ちてゆく。

 そのすぐ隣をタルタロスが落ちていった。

 痛ましい眼差しでそれを見送る看護師達。
 地下に居た場合よりも、激しく揺り動かされた地上部に居た方が深刻な被害を受けただろう。
 ぴちゃり、と守りの壁の天井に紅い雫が降り注いだ。

 手も、足も、胴体も分らない。
 地上に残っていた人間は恐らく須らく死んだだろう。
 アクゼリュスの民を逃がす工作も、何処まで功を奏したのか。

 何もしないよりはましだ。
 だが失われたものの数がそう減ったとは、ジェイドには思えなかった。

 この年の終わりまでアクゼリュスに住む事が預言されているからと、健常なものほど退避を拒んだという話も耳にしていた。
 それよりも、たとえ同じ預言を得ていても、多少体を壊した者の方がよくアクゼリュスを出て行ったという。

 ジェイドは上を見上げながら皮肉気に唇を歪めた。

 この地に残っていた数人の部下だけでも助かった。
 それだけでも今はよしとしよう、と。
 全ては本来なら、失われていた命だ。

 それだけでいいと。




 やがてたどり着いた地の底も、地上と変わらぬ地獄だった。

 大きな塊の岩石が次々と流動する地殻に飲み込まれていく。
 それのどこに人だったものが居るのか、もはや見極めようという気も起きなかった。

 あの時、覚悟を決めた眼差しで診療所に残った部下や患者を残していけないと言っていた医師も、あれらの何処かにはいるのだろう。
 偶然か必然か、漂ってきた挙句に彼らの居る岩盤に衝突したタルタロスの内部を率先して確かめに入り、ジェイドはその惨状を確かめた。

 一人は口元を抑えるだけで堪えたが、もう一人は駆け下りて行ってマントルの上に吐瀉した。
 ジェイドはただその様子を見ていた。

 今、ジェイドは同行者達の居る岩盤の上に戻り、ルークの目覚めを待っていた。
 部下達にはタルタロスの内部の清掃を言いつけた。

 時々音が聞こえてくる。
 タルタロスの甲板まで運び出した死体を地殻へと放り投げる音が。
 他に死体の処理の仕方は無い。
 だがこれは何よりも台地に近い埋葬だろうとジェイドは自嘲した。




「おや、目が覚めましたか」

 ぼんやりとした焦点の結ばない瞳を開いたルークにジェイドは声を掛けた。
 現実を認識したのか、すぐにルークの瞳の焦点が結ぶ。

「ご主人様! よかったですの!」

 すぐに捕らえたのは心配そうにルークを覗き込むミュウだった。
 誰にも余裕は無く、憔悴した面持ちで空を、大地を、焦点無く周囲を見回していた。

 せめて一人でも、助けられないかと思っても、大方の人間は崩落と共に岩盤の下敷きだろう。
 体の弱った人間なら大地の揺れで命を落としただろう。

 やがて聞こえる、父を呼ぶか細い声に、彼らは呼び寄せられて集まった。
 手は届かない。
 彼ら――子を庇って息絶えた父親と、庇われてここまで生きて落ちてきたのだろう子供が儚い戸板の船の上に乗っていた。
 泥の船の方がまだ頼もしいだろう。






 そして彼らは、ルークの目の前で泥の海へと飲まれていった。











それ行け一般人?――19



 乗り込んだタルタロスは、血痕の処理などまでは手が及んでいなかったが、メイン機関部の死体はあらかた片付けられたようだった。
 端末の部屋まではまだ手が回らないが、操作部であるブリッジにおいては死体と並んで、と言う事態は避けられた。

 ティアの提案に乗り、当面の目的地をユリアシティと定めた。




 兄を止めることができていればとティアが言う。
 瘴気を消そうとしただけだたんだとルークが叫ぶ。
 その声を聞きながらとめなかった人間であるジェイドは、断罪の声を聞いていた。
 いまはまだ明かすときではない。

 ヴァンの意図、目的も考察するが、この時点で彼らに与えられた情報ではまだそれを指摘する事はできなかった。
 ただ、これだけでは終わらないだろうとだけは、全てのものが感じ取っていた。
 止めなければならないと。
 そして気がつかなければならならないとジェイドは黙す。

 外殻大地の成立が語られ、それに伴いティアの出身も明かされた。
 ここからが、本当に世界の動く時だ。
 もはや止められない。
 ならばどのように世界を動かしていくのか。

「なんでこんな事になったんだ? 聞いたところじゃアクゼリュスは柱に支えられていたんだろう?」

 ガイがイオンに問いかけた。
 瞬間視線を彷徨わせたイオンの代わりにジェイドが答えた。

「それは……柱が消滅したからでしょう」
「どうしてですか?」

 と、尋ねるアニスの声はこわばっていた。
 その視線はジェイドの上を掠めるが、ジェイドはそ知らぬふりで受け流す。

 無言のまま、ティアはルークを見る、
 その眼差しを追うように、全員の視線が彼に投げかけられた。

 彼らの視線を受けて、ルークは身を強張らせる。

「……お、俺は知らないぞ! 俺はただ瘴気を中和しようとしただけだ! あの場所で超振動を起こせば瘴気が消えるって言われて……!」
「あなたは兄に騙されたのよ」

 彼女の言葉は静かだた。
 事実を告げるのみ。断罪の響きは無い。
 それを断罪と取るのなら、それは己の罪の自覚だろう。

「そしてアクゼリュスを支える柱を消してしまった」
「そんな! そんな筈は……」
 ルークの反駁は消え、眼差しと沈黙が注がれる。

「……ヴァンはあなたに、パッセージリングの傍へ行くよう命じましたよね。柱はパッセージリングが作り出している。だからティアの言う通りでしょう」

 その事が起こったときにその場にいた、イオンが言った。
 駆動音のみが響く沈黙の中、その言葉は過たず人々の耳に届いた。
 ミュウが小さくみゅうと鳴く。

「僕は……」

 知っていた。
 自分はイオンではない。
 だから知らされていた。
 何か言う資格なんてありはしない。
 認めていてもいなくても罪の重さに変わりは無い。
 知る人間全てが、止めなかった、止められなかった人間全てが、実行した人間全てが、罪人だ。

 それでも“イオン”は言葉を振り絞った。

「僕が迂闊でした。ヴァンがルークにそんなことをさせようとしていたなんて……」

 アニスが“イオン”を見る。
 不安げな感情がその眼差しにはこめられていた。

 情けない姿で事実を拒絶して、首を振るルーク。

《嘘だ。だって、師匠は……》

 思い出されるのはヴァンに囁かれた『愚かなレプリカルーク』と言う言葉。

 ヴァンは知っていた。
 ルークがレプリカだと知っていた。
 知っていて、利用した。
 利用して、捨てた――。

 ルークは愕然とした。

「……せめてルークには、事前に相談して欲しかったですね。仮に瘴気を中和することが可能だったとしても、住民を避難させてからでよかった筈ですし」

 本当に、そう思う。
 ルーアッシュがいないときの自分だったなら、どうだろうかとは思うが、今なら、もし相談されていれば、変えられたかも知れないと思う。
 彼が自らルーアの語る歴史とは違う行動をとってくれていたなら。

 どちらにせよアクゼリュスの避難は限界だった。
 地上にあれほど濃く瘴気が漏れ出すほどアクゼリュスのパッセージリンク、そしてセフィロトは瘴気に汚染され、力を失っていた。
 ルークが落とさずとも間もなく落ちていただろうとの見解はジェイドにも有る。

「……今となっては言っても仕方のないことかもしれませんが」
「だって。アクゼリュスの奴らを移動させたら戦争になるって、師匠が。直前まで誰にも言うなって。だから俺は……」
「さすがはヴァン、といったところでしょうか。言葉でルークの心を縛り付けていった。用意周到ですね」

 ぼそぼそと告げたルークの言葉にジェイドは溜息を交えながら一人呟く。

「そうですわね。何を言ってももうしかたがありませんわ。アクゼリュスは……消滅しましたわ。何千という人間が、一瞬で……」

 悼むようにナタリアは天を見上げた。
 何処までも暗く蓋のされた空を。

「俺は、こんなことになるなんて、知らなくて……。人助けだったんだ。なのに! ……お、俺が悪いってのか……?」

 ルークの声に応えは無い。
 誰も答えられなかったからだ。
 だが追い詰められたルークには、答えないことと答えられないことの違いが、分らなかった。

 送られる眼差しが脅かすように感じられて、ルークは萎縮して、なおの事叫んだ。

「……俺は……俺は悪くねぇぞ。だって、師匠が言ったんだ……。そうだ、師匠がやれって! こんなことになるなんて知らなかった! 誰も教えてくんなかっただろっ! 俺は悪くねぇっ! 俺は悪くねぇっ!!」
「本当に、そうですか? 貴方は誰かに教えを請いましたか? 機会はあったはずです。タルタロスで、ザオ遺跡で、崩落前のアクゼリュスで、ななたは――」
「やめろ!」
「……」
「やめろ、やめろ、やめてくれ! 俺は……」

 叫び、頭を抱えたルークを、ジェイドはしばらくの間見つめていた。

「変わってしまいましたのね……。記憶を失ってからのあなたは、まるで別人ですわ……」

 一人、立ち去ってゆく。

「お、お前らだって何も出来なかったじゃないか! 俺ばっか責めるな!」
「あなたの言う通りです。僕は無力だ。だけど……、罪は貴方だけのものではありません」
「……イオン?」
「イオン様! こんなサイテーな奴、ほっといた方がいいです。誰が、いつ! あんたの事だけ責めたって言うのよ、バカ!!」

 “イオン”はアニスに引っ張られて去っていった。
 何が起こったのかわからずに眼差しをあげれば、レンズ越しの赤い瞳とぶつかって萎縮した。

「わ、悪いのは師匠だろ! 俺は悪くないぞ! なあ、ガイ、そうだろ!?」
「ルーク……。あんまり幻滅させないでくれ」

 疲れた声でそう告げて、彼も去った。

「少しはいいところもあるって思ってたのに……。私が馬鹿だった……」

 呟くように言い捨て、彼女も甲板を立ち去った。
 甲板にはルークと、そしてジェイドが取り残される。

「……ど、どうしてだよ! どうしてみんな俺を責めるんだ!」
「では、なんと言ってほしかったのです? 『よくやったな、ルーク』とでも?」
「違う!!」

 裏返った声。
 鼓膜を震わす悲痛な叫び。
 だが、顔をあげ、受け入れない限り、それは本当の意味では誰にも届かない。

「ご主人様……。元気出してですの」
「だ、黙れ! お前に何が分かる!」
「ボクも……ボクの起こした火事のせいで、仲間たくさん死んでしまったから……だからご主人様の気持ち……分かるですの」
「お前なんかと一緒にするな! お前なんかと……うぅ……」

 蹲ったルークは嗚咽した。

「気付いてましたよ。私は、あなたのことを。タルタロスでであった時から、それ以前から。私はあなたのことを彼の存在を含めて認めていました。貴方を、貴方として」

 ジェイドは蹲る背中に言葉を送る。

「アニスも、“導師イオン”も、知っていました。貴方から問われるのを、相談されるのを、待っていました。ずっと」
「うぅ……あ、あぁぁあぁ………」

 そしてジェイドも、甲板を立ち去った。
 瘴気の渦巻く地の底で、一つ嗚咽がこぼれ出る。

 うわべの言葉が無くなれば、それは痛く胸に響いた。<











それ行け一般人?――20



 アッシュはその時初めて、自分のレプリカをじっくりと見た。
 過去には機会もあった。
 記憶に刻み付けるように睨みつけた事もある。
 だが、特に何の感慨も抱かずそれを見つめたのは初めてだった。

 憐れだと思った。
 心を寄せた最大のものに手ひどく裏切られ、その結果として多くの人間の命を奪う事になる。
 認めたくない、と憔悴する。

 認めることすら出来ない。
 その姿が憐れだと思った。




 アッシュはずっとさまざまな物を憎んできた。

 五年前、ある男が現れて、それ以来ずっとアッシュの心をほぐしてきた。
 憎しみも、怨みも、悲しみも、多くは和らいだ。
 第三者的な観点も手に入れた。
 だがそれが完全に消える事も無かった。

 レプリカと自分との区別も付かない両親や使用人。
 いずれアクゼリュスに自らの言葉を持って死にに行けと言うことになるだろう息子を、そうと分っていて愛さなかった父親。
 ヴァンや、神託の盾騎士団。
 最大は己のレプリカであり、そして世界そのものをも。

 それが五年前に一人の男の出現により、少しずつ違う観点が与えられた。

 レプリカと自分との区別も付かない両親や使用人には、信じるしかなかったのだろうと。
 自分と同じ顔かたちをした人間が、記憶もなければ言葉も持たずに見つかった。
 事情を尋ねる事もできず、命以外の全てを失うほど酷い目にあったのだろうと思うしかなかったのだと。
 その真偽などどうでもよかったのだ、とも知った。
 本人の口から聞いたわけではない。
 だがあの男が現れて言葉を交わすうちに、運んでくる手紙を読み、それに返事をするうちに、その思いを想像する余地が出た。

 いずれ死地にやる息子。
 どうせ死ぬなら、そこにいるならその真偽など関係なかった。
 偽者であれば言いとまでは思わずとも、息子が見つかったなら息子を探す理由は無い。
 そしてそもそも息子を愛そうと、見ようとすらしていなかったのだから違いなんて気が着くはずがない、と。
 自分たちの主がそういうのなら、使用人たちにはなおの事どうでもいいことだろう。

 知ったところで怒りや恨みのなくなるような思考ではなかったが、知る事は己の中で形のつかなかったものに言葉や意味や、理由を与えた。
 ただそれだけで管理や整理がしやすくなったような気がしていた。

 ヴァンや、神託の盾騎士団の事も憎んでいた。
 いや、神託の盾騎士団ではない。ヴァンの事を。

 だがそれは形を変えていった。
 ヴァンに対する憎しみを抱ききれていなかった過去から、今へと。
 ヴァンはアッシュにとっても依存の対象だった。
 屋敷にいた頃から憧れを抱き、彼の人から剣の指南を受けることが出来る日は無常の楽しみの一つでもあった。
 それも、父親から得られなかった愛を得るための代償行為だったと今なら思う。
 レプリカに居場所を奪われた。
 そう思った、帰る場所がなくなったと、そう考えたアッシュにとって、ヴァンは憎しみはあっても憎んではならない対象だった。

 その痛みすら、レプリカに向けていた。

 現れた男と話し、彼が持ってくる手紙のやり取りを長い間続けていた。
 アッシュは忘れられない。
 最も初めに与えられた手紙の、拙い言葉を。




私はあなたを見ている。
どこに居ても見間違えない。
あなたが二人並んでも、私はあなた間違えない。





 ひっそりと隠されたやり取りは、やがてアッシュに隠された世界を見せ始めた。
 生きていくために、心を生かすために見ない振りをしていたものをも見え始める。
 つらくはあった。
 対立もした。
 だが、認めないことも矜持に関わった。

 ヴァンが本格的に行動を起こすまで、それはつまりアッシュに対する監視が緩むまで、現れる男とは長く話をする事もできなかったが、少しずつだが時間も取れるようになった。
 彼は感心する聞き上手で、気がつけばアッシュは多くのことを話していた。

 ヴァンの裏切りにあって以来、誰にも話すまいとしていた。
 それが気がつけば父親に愛されない悲しみや、何かに対する恨みや憎しみの心、他愛無いだろう日常の事まで。
 聞いて欲しいと思っていたのだと、彼はやっと自覚した。

 誰かに、聞いて欲しかったのだと。
 誰かに、自分の言葉に耳を傾けて欲しかったのだと。
 自分はここにいるのだと、誰かに訴えたかったのだと!!




 アッシュは多くのものを憎んでいた。

 ヴァンを、レプリカを、自分の入れ替わりに気がつかない全ての人間を。
 だが彼はその思いを抱いたまま、哀れむ事で世界を愛し始めた。

 ヴァンの過去と目的を知らされて、哀れんだ。
 自分の変わりに自分が持つはずだったものを持つレプリカを憎みながら、自分を押し付けられている事を哀れんだ。
 予言と言う、これから自分たちが破壊する、狂わせて行くものに踊らされて心を殺す憐れな父親。

 最大は己のレプリカであり、そして世界そのものをも。




 やがて現れたイオンレプリカ達が、アッシュにまた違う観点を与える事になる。
 若者らしく盲目に。
 若者らしく柔軟にアッシュは世界を己の中に取り込んでいった。

 アッシュ。
 スペルを取り去り、音を読めば火。そして遺跡、遺骸、灰。
 またトネリコの木を指し示す場合もある。
 トネリコの木は神話上において世界樹ユグドラシルでもある。
 骸の上に世界は生まれ、世界は再び骸となって新たな命を育む。
 世界は灰の上に生まれる。

 地上にあるローレライ。
 彼こそは世界。

 だが彼は、ヴァンが彼に嘲りの意味をこめてつけた以上の意味を知らない。
 焔が灰と名付けられて、調べようともしなかった。
 そしてそれに思いを馳せたルーアッシュも、それを伝え損ねていた。




「行きたくねぇ……」

 ユリアシティの入り口でルークは言った。
 何処にも行きたくなかった。
 何もしたくなかった。
 ただ、考えたかった。
 何かを言われたような気がしていた。

「何処まで屑になるつもりだ、“ルーク”」

 名前に意思をこめて呼んだ。
 ルークを、自分のレプリカを認めるか否か。
 あまりに愚かなようなら切り捨ててやるという気持ちでアッシュはルークの前に立ちはだかった。

「……お、お前!」

――オリジナル――

 音も無く唇だけが言葉を形取る。
 それを読み取ったアッシュは眉間の皺を減らして唇を歪めた。

「俺……俺は――」
「認めろ」

 一言。

「ヴァンはお前を裏切った。人の忠告も聞かず裏切られに行ったお前は操られて、超振動でアクゼリュスを落とした。結果として数千の命が失われた」
「俺が、落とした……」
「認めろ。もう気がついているんだろう。お前は俺を元に造られた」
「アッシュ! やめて!」

 ティアが叫んだが、彼は一顧だにしなかった。
 たとえ、世界と心中する事になっても、認めることも出来ないような者を認めるわけにはいかない。

「レプリカだ。七年前にヴァンて悪党に誘拐された俺から、お前は作られた」
「俺、やっぱり、俺じゃないのか?」

 その言い草にアッシュは僅かに眉をしかめたが、続けた。

「お前は俺の劣化複写人間だ。フォミクリーで作られた、レプリカなんだよ!」

 ルークの、もう一つの忌避してきたことが降りかかる。
 自分がレプリカである事。
 二年前にそれを知った。
 それからずっと、見ない振りをして生きてきた。

 ヴァンにも、父親にも母親にも、ガイにも告げることが出来ずにここまで――。
 自分のオリジナルに告げられては、もう逃げる事もできなかった。
 生きている限り、根源は目の前にある。

「認めることすら出来ないような出来損ないなら――叩っ切る!!」

 唸るばかりで明確な答えを返せずにいるルークに、アシュは剣を引き抜いた。

「う、うあぁぁぁああーーーーーっ!!」

 ルークは獣のように唸って切りかかっていった。

 怖かった。
 何もかも怖かった。
 息を吸うことすら怖かった。

 オリジナルが現れる事で己の全てが、否定されたような気持ちに、なっていた。







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