それ行け一般人。 71〜75

71 72 73 74 75





それ行け一般人。――71



 水銀計の示す体温は三十七度台。下がらない。
 下がらないが、四捨五入してももう八度にはならなくなった。六度台を示したことも一度もないが、以前と比べればまだまだ楽になった。
 普段は存在すらも忘れられている水銀計は、私が熱を出してぶっ倒れたから日に数回も持ち出される大活躍である。

 食事もそこそこ取り始めた。
 おかゆからだが。

 体調の戻らない私のために、女性仕官の方が特別メニューでおかゆを作ってくれる。
 以前私が介抱したときの事を覚えていてくれたのだろう。
 以前私が彼女のために作ってあげた物とそっくり同じ物が再現されていた。
 感激だ。

 初めは白湯。
 次は砕けた粒粒。
 一食ごとに病人食から普通食に近くなってゆくというきめ細かな気配り。
 そして今回は――感激だ。

 塩と片栗で揉んで臭みを抜いて、塩と酒を入れたお湯で茹でた鳥ささ身。
 その出汁を使って米をたいて、みじん切りにしたニンジンとか適当な野菜も一緒に煮る。
 出来上がりの味の希望はコンソメ風味。
 でもここには顆粒コンソメなんて代物はないから、つまりは洋風の出汁だ。
 ブイヤベースとコンソメの違いがよく分らないから、そこらへんは無視している。
 それを足して塩を足して、先に茹でたささみを足して、更に煮る。
 出来上がりはぐつぐつ黄金色のなんとも香ばしい匂いのするおかゆだ。

 普段自分ではあまり作らないけど、大好き。

 どばっと熱が上がればそれで終わるだろうと思っていたけど、どうやらここに来て原因はガイラルディアだけではないような気がしている。
 つまりは日ごろの疲れと、明日にはもう店お開かないんだという理由で気が抜けたことが原因だろうとおもう。

 気を張っているうちは風邪も引かない人だったのが引退したらあっという間に、とか、連日の仕事で何日も休めない、といっていた人がいざ休みになったら体を壊して何も出来なかった、とか。
 それに近い物があると思う。

 実際ここ最近はブウサギランドを経営するにも精神的な負担は増えていた。

 安定してきていた経営も、戦争の話題が多くなるにつれて経済的にも守備の体制を見せるところが多くなってきたのか少し客足が減った。
 ブウサギランドに来る常連さんたちの口から出てくる話題も戦争のことが多い。
 キムラスカなんて潰してしまえ、と息巻く人間もいるし、息子や夫が兵士だから不安だと口にする人も居る。
 セントビナーやエンゲーブの安否を気遣う人。
 変り種になれば戦争と預言とを語って行く人も居る。

 そのたびに宥めてみたり、励ましてみたり、ピオニーは賢帝だからきっと何とかしてくれるって言ってみたり……。
 凄く、疲れる。
 そして止めがガイだったのだろう。

 彼らの不安を受け止める場所となれていたなら、その場所がなくなってしまうことには申し訳なさを感じるけど、まずは自分の体が優先だ。
 身動きままならなくては店所ではない。
 感染性の病ではないから感染拡大の心配だけはないのがまあ、ありがたいことか。




 高熱を出しているとき、私はタイムスリップした。
 眠っている間になんと三日も経過していたのだ。
 後で聞いたところ、時々は起きてトイレに行ったり水を取ったりしていたらしいが、全く記憶にない。
 恐るべき、である。

 つまりいつの間にか三日も経過していたという事は、私の知らない間に世界が三日分進んだという事で、つまり彼らは今どこに居るのだろうかと思う。
 寝ている間に三日。
 目が覚めてからすでに数日。
 今頃は、もうシェリダンにたどり着いているだろうか。

 熱のためになんだかぼってりとした感覚のする体を動かして、私はデスクに近寄る。
 鍵の掛けていない一段目の引き出しから一冊のノートを取り出した。

 中身は、日本語で書かれている。
 だからこの世界では読める人間は私だけ。
 私はこの言語を他の誰にも教えていない。
 長く時間をかければ解読する人も居るかもしれないけど、それにしたところで回りくどくごっちゃりとしている上に此方にはない固有名詞もある。
 知識のない解読にはそうとう時間が掛かるだろう。

 鍵のない引き出しに入れておいたのは、これを読む、少なくとも詠もうとする人間がいるだろうことを見越してのことだった。
 ある種、牽制にも等しい。
 違う文化圏にいたことを示すためのアピールでもある。

 数冊有る中から選んだタイトルは『意味』
 他にアビス、ストーリー、計画などがある。

 記憶する限りのあらゆる言葉とその意味を書きながら、十年かけて編集も繰り返し辞書のようにしていっている。
 今回は神秘の項目を開き、邪悪の木を探す。
 そこから更にシェリダンの項目を探し出す。

 セフィロトの、生命の木の方はけっこう覚えていたけど、その逆であるといわれる邪悪の木については記憶がかなりあやふやだ。
 もう十年も前の記憶なので、普段思い出さないことはすぐに霞がかって思い出せなくなる。
 シェリダンの意味も、その一つ。

 あった。
 アクゼリュスが残酷、シェリダンが拒絶、か。
 そもそも書いた時点でシェリダンか、シェリダーかも覚えていないから、これにはあまり正確性はない。
 キムラスカ関係の地名は邪悪の木の変化形が多いとは記憶しているが。

 逆がマルクトの生命の木だろうか。
 生命の木に関しても、守護天使まで何て覚えていない。
 グランコクマはきっとセフィロトの一つであるコクマーにグランド、大きいとか言う意味をつけた、祖母の意味をもつグランマと同じ程度だろうな、などと考えている。
 至高の父という意味を持つコクマーに大きな、あるいは偉大なという意味をつけると……偉大な至高の父?
 恐らく父とは隠喩で神となるから、まあグランコクマは神の都?
 いっそ祖父の都でもいいや。
 神から連なる自らの系譜を伝える場所、でも面白いかもしれない。

 これが自分の世界にいてゲームをやっているときなら製作者が――と言うところだが、こういう事態になるとなにか因果のような物も感じる。
 私の知る知識と、この世界の知識と。
 どうしてこれほどセフィロトが残っているのかと。
 互いに伝わっているのかと。

 邪悪の木といえば、バチカルとキムラ……続き忘れたは、皮肉だな、と思ったことで少し記憶に残っている。
 多くの神の意味や天使の守護をもつセフィロトの名を冠するマルクトのほうこそが預言離れ――神への依存が低く、預言通りなら神から見放されるシナリオにあり、物質主義や無神論であるバチカルやキムラなんちゃらの方が預言に強い依存を示し、最終的には共々滅ぶとはいえマルクトを滅ぼし栄光を得るという。

 神の直下に有るマルクトが神を見放し、神から程遠いキムラスカのほうが神を求める。
 皮肉だな、とか思っていたから覚えている。
 というか、この思考体系がそのままこのノートに書かれている。

 シェリダンの意味が知りたい。
 ただそれだけの目的を果たすと、私に逸ることが無くなった。
 今は休む事こそが役目とは言え、退屈だった。

 とりあえず形だけでもとベッドの上に横になり、熱に浮かされながら私はぼうっと考える。
 シェリダン。
 あそこで彼等がキムラスカの兵士に見つかったときのキムラスカ側の兵士の言葉に、この戦時下にマルクト船籍の船でキムラスカの町に港に乗り付けるなんて、正気か! 見たいなものがあったようなきがする。
 実際はもっと短くて違う台詞だったと思うけど、ニュアンスはこんな感じの。
 そのとき凄く、私は彼らに共感した様な気がする。
 彼らにはそれしか手段が無かったんだろうけど、やっぱり非常識だよね? と。
 なんだか安心すらしたものだった。












それ行け一般人。――72



 熱は下がった。
 けど、凄く疲れた。
 確実に言える。
 私はこの数日で筋力を落としたと。

 それはつまり脂肪を燃焼させるためのメイン機関の出力が落ちたと言うことであり、このままダラダラとした日常を過ごしていては、確実に太る、と言う事実が提示されていた。
 何とかしなきゃならないだろう。

 セントビナー崩落、まだ落ちきっていないけど、落ちかけていると言う知らせが入ってからもはや数日。
 ジェイドたちはうまくやっているだろうか。
 ジェイドもそうだけど、シェリダンに入り込んだ兵士の人。今が活躍のとき! だけどどうなっただろう。
 ちゃんと活躍できたのだろうか。

 譜術の国にあって譜業が好きで好きでたまらない! という人がいたらシェリダンに派遣できないかと打診したら通ったのが、たしか三年位前か。
 一度ダアトに移住し、そうの上でシェリダンに移り住み、手間暇掛けている。
 譜業好きは並々ならぬ物、らしいから、おそらくシェリダンに入り込んでしまえばなじみは早いだろうな、とか思っていたけど。
 活躍、できただろうか。
 譜業にはまりすぎて己の役目を忘れたりしていないだろうかとそれが心配だった。

 三年。
 というか、ダアトからシェリダンに移り住むのに一年くらいかかっているから、約二年か。
 でも上司であるジェイドの顔を見ていないと言うならほぼ三年なわけだ。
 仮想敵国のしかも戦艦製造都市への潜入工作……ということなのだろうか。
 殊更に気を使った記憶がある。

 三年といえばなかなかの長期だと思うが、けどまあジェイド変わらないし、彼の部下だったならおそらく印象深い上司だと思うし、顔を見れば私服でも分ると思う。
 面倒ごとは少なく、少なく、キムラスカとマルクトの間に後に禍根を残すような事は出来るだけ少ないように。
 と言うわけで、彼が活躍していてくれたらいいと思う。
 全てが終わった後ならいっそほんきでシェリダンの人間になって心行くまで譜業に浸かりこんだ生活をしてくれて構わないのでそのときだけは活躍してほしい。

 ただでさえどっちも禍根とか遺恨とかありまくりの国際関係なのに。
 これ以上ややこしいのは勘弁願いたい。私の理解の許容範囲を超える。

 ジェイド達は今頃はもうアルビオールに乗っているのだろうか。
 それともまだギンジを救助し隊なのか。

 いいな、空飛ぶ翼。
 なんというか彼らの様子を見ていると発見された浮遊機関なる物もかなり小型の物のような気がするし。
 スピードを備え、強度を備え、垂直離着陸も出来る。
 凄い。
 夢の飛行機械だ。

 何より垂直離着陸というのが羨ましい。
 滑走路が必要ないということはどこへでもいけるとも言える。
 何処からでも飛び立てる。
 死ぬ前には一度乗って見たい。
 けどプラネットストームを停止させたら起動しなくなる可能性もある。
 生涯無理かもしれない。

 普通の生活を送っていた者としては当たり前かもしれないが、向こうの世界に居た時もヘリコプターに乗った事は無い。
 小型ジェットもスカイダイビングも未経験だ。
 ジャンボジェットなどよりアルビオールのほうが空が近そうで乗ってみたかったんだけど。

 こればっかりは我侭を言ってみても始まらない。
 あるいはジェイドたちの旅の一行に紛れ込むと言う選択肢を選ばなかった時点でこの可能性も捨てたも同じだろう。
 ヴァンとかヴァンとかラルゴとか、言ってやりたいことはあるけど、彼らの旅は危なすぎるし。

 ……でも、そういえば全てについて行く必要性って、無いような?
 最初のセントビナーあたりで合流して、そのあとアルビオールを満喫したら別れる。

 だめだ。
 私はこの展望にアクゼリュスで生き残る可能性を見出せなかった。
 おとなしくしていよう。
 第一目的を忘れてはならない、ということで。
 そもそも彼らとは出会いたくないんだ、という前提が跳んでいる。

 アルビオール二号機といえばノエル、か。
 ギンジの妹らしい。
 ギンジの名前とノエルの名前の間にある大いなる谷について名付け親に聞いてみたい気がする。
 ノエルはギンジと同じようなノリで名前を付けられていたら、きっとキンコ、とかになっていたのではないかと思うんだけど……。
 さすがにそれは無いかな。

 うん。
 まあ、いいや。

 男性の兵士の方々がいなくなって、ブウサギランドは寂しくなった。
 店自体は閉めて久しいけど、ご近所づきあいはある。
 店が閉まっていても時々尋ねてきてくれる人たちには、彼らは戦争へ行ったと説明してある。
 もともと兵士だと言う事は伝えていないから、結構同情してくれる。
 どうやら私が熱を出して倒れている間ににもやはり来訪者はあったようで、思いのほか沢山の差し入れを貰った。
 なんと言うか日本に居たころには無かったことだ。
 親密なご近所付き合いをわずらわしいと感じるか否かが快適に暮らせるかどうかの分かれ目だろう。

 でも心遣いは嬉しい。
 またブウサギランドが開くの楽しみにしているよ、って……。

 ありがたいやら申し訳ないやら。
 近頃は幾らなんでもピオニーも忙しいみたいだし。
 まあこんなところに逐一来ないのが普通の皇帝といえるのかもしれないけど。
 今更普通、と言うのも変な話だ。
 だいたいピオニーが本当に普通の皇帝だったら、あるいは普通の皇太子だったら、私は今ここに居ない事を確信できる。
 そもそもピオニー含め、ジェイドに出会ったときに協力を求めようなどと思わなかっただろう。
 そしておそらくは、どんなに言葉や行動を尽くしたところでこれほどの生活環境は得られなかっただろう。
 まず真っ先に尋問に拷問が使われそうな予感がしたら何も言わずに魔物に襲われていた一般人の振りをして逃げていた、と思う。その先に生活が無くてもだ。

 普通じゃない感性に感謝するというのも変な話かもしれないが、個性は大事だろう。

 普通じゃない人生を送ると普通じゃない感性が身につくのだろうか。
 普通って大事だと思う。
 私は普通でありたい。

 そこそこ普通に。




 まだ大事を取って病人食にしているけど、もうそろそろ普通食もいけそうで非常に楽しみだ。
 筋力の低下にともなう体重、脂肪の増加に関しては回復してから考える。
 











それ行け一般人。――73



 普通食になって意気揚々、大好物のバナナケーキに大口を開けたとき、大地が揺れた。

 フォークに刺したままのバナナケーキをそのままに、そのままの体制で考えた。
 地震。
 時期的に見て、おそらくセントビナーだろうか。
 港はすでに封鎖されたし、テオルの森ももうすぐ封鎖されるか私がまだ知らないだけですでに封鎖されているかしているはずだ。
 セントビナーが落ちても不思議ではない時期である。

 避難は成功しただろうか。
 ちゃんとアルビオールは入手できたのだろうか。
 非合法では有るが、この時期に混乱に乗じてでもアルビオールを手に入れておかなければならないとは思っていた。
 ギンジはちゃんと救出できたのだろうか。

 そして魔界に下りたジェイドはうまくやって言うだろうか。

 テオドーロさん、というかユリアシティに対しても、シュレーの丘に対しても。
 テオドーロさんを含めたパーティーメンバーに対しての終末預言の暴露の時期は、全面的にジェイドに任せている。
 でも、おそらくセントビナー崩落の前後になるまでは話さないだろうと思っていた。

 切迫感が足りないときに話してもただの戯言だろう。
 今もはや証明できる手段はないのだ。
 有るといえばある。
 それはイオンが惑星預言を詠む事。
 だがそれは命と引き換え。

 肝心の第七譜石はホドと共に地殻に沈んでいる。
 だからこそジェイドの手腕とも言える。

 マルクトの滅びの預言をユリアシティ側は知っていたというのは確信だ。
 それを知らないはずのマルクトが知っていた、と言うことで証明とまではいかなくても言葉に真実味がでてくると思う。
 分らないけど。

 何を言ったところで私はここにいるだけの人間だ。
 導師イオンのほかにもう一人非戦闘員を抱えて旅をすることは困難だろう。
 連れて行けとはとてもいえない。

 私は昔の私より強くなった。
 けど上を見上げて相対値を取ればランクは低いだろう。
 田舎から夢や希望と一本の剣だけを引っさげて出てくる主人公たちのようには行かない。

 ほしいのは、安全、安心、安泰な老後だ。
 そう、それだけ、だ。

 セントビナーが崩落したならそろそろ戦争が始まるだろう。
 望むわけではないが、止められもしない。
 キムラスカ上層部とモースの暗殺に成功したらまた別の話かもしれないけど、幾らマルクトが非戦派でも仕掛けられた戦争に黙って打ち倒される訳にはいかない。
 キムラスカ上層部の暗殺、などと言うのも過激な話、マルクトの陰謀だと言われて民衆の間でも更なる開戦熱が高まるかもしれない。
 そうなれば最悪である。

 そもそもインゴベルドが死亡した場合誰が王位に付くのか。
 ナタリアも死亡扱いにしているし、そもそも今頃なら血を継がぬ姫だとばれた頃だろう。
 アッシュの事は認識していないだろうし、ルークも死亡扱いにしたうえでの開戦だ。
 そもそもナタリアは計算外だから、彼らの初期の思惑上の開戦の理由はルークの死だ。

 実際は死んでいないが、死んでいないなら殺そうと言うくらいだ。
 キムラスカは――モースは何が何でも戦争がしたい。

 インゴベルドが死んだら王位に付くのは、ファブレ公爵かシュザンヌ婦人か。
 シュザンヌ婦人は降嫁したとは言え王妹だ。
 インゴベルドに他に子供が居ない場合血統としては最も近い事になる。
 だが結局体が弱いと言う事はそれ以上の子供は望めない、イコールで現王家の血は滅びるとも言える。
 するとファブレ夫妻で一時的に玉座を得たとしても、裏で次の玉座を巡っての争いは起きるだろう。
 そうなると全く以って予測が付かなくなる。

 インゴベルド国王がまだナタリアによって懐柔される余地が有る今のほうが先は見やすい。
 預言、みたいだなぁ、と思うけど、使える物は使わなければ。
 心理的に否定間があったとしても、予言の未来を知りつつそれをなぞる事を至高とするならそれは予言にしたがっているのも同じだろう。
 預言は使う物だ。使われる物ではない。
 預言も人の生み出した技術。
 技術は使う物、だ。

 今はまるでなぞるようだとしても結果として違う未来を導きたい。

 手にしたままのフォークの先で、切り分けられたバナナケーキが乾燥してゆく。
 それを口に含んでミルクを飲んだ。
 バナナケーキとミルクの相性は最高だ。
 それを皮切りに次々と切り分けては口に運び、味わってはミルクを飲む。

 セントビナー崩落にせよ、開戦にせよ、そのうち知らせが来るだろう。
 ここでできる事なんてそうは無い。
 事前に大量に書いた手紙でそろそろ各地で動きが出ているはずだとは思う。

 まずはキムラスカ。
 将来的に和平を引き出す事ができ、定めを覆すことが出来たとしたら。
 王位はアッシュに、爵位はルークに継いでもらえれば安泰だ。

 そのためにも如何にアッシュをスムーズにキムラスカ、そしてファブレ公爵の下に返し、そしてその上で王位継承権を認めさせるかと言う事になる。
 認めざるを得ない状況を作り出すか、と言うことである。
 そのためにヴァンとモースには、私の知るゲーム本編より悪人になってもらわなければならない。
 行動は変わらなくても、風評ででも更に悪の印象を植えねばならない。

 そして、アッシュには影の英雄ではなく本当に英雄になってもらわなければならない。
 同情票でもいい。
 ゲーム本編に置いて語られなかったアッシュの過去すらも利用する。

 その行動が今ルークの陰に隠れているのだとしても、同じ容貌をした人間が二人居ると認識された上で活躍するというのがいい。
 話を大きくするための手段は手を回してある。

 漆黒の、翼だ。

 彼らのつながりはすばらしい。
 彼らのネットワークはすばらしい。
 彼らと繋ぎを取れて、本当に良かったと思う。











それ行け一般人。――74



 名前を書く。
 紙いっぱいに名前を書く。
 自分の名前を。
 ルーアでもルーアッシュでもない自分の名前を。

 たった漢字四文字の名前。
 ありふれた名前だ。
 多すぎもせず、少なすぎもぜず。

 気になってネットで調べてみた事がある。
 苗字は佐藤斉藤鈴木さんほどではなくても、いくところに行けば村落一つ丸ごとこの苗字といえそうな場所もあるものだったし、名前も奇をてらったものなど無いごく簡単なものだ。
 読みも一つしかないから間違えようが無い。

 私の知り合いは名前自体は単純だったけど、読みが三つある上に同じ読みでとても似た文字があり良く書き間違えられている人だった。
 その三つの読みも普遍的で、同じ名前で違う読みと言う人も結構な数が居るだろうという名前だ。
 間違った宛名のダイレクトメールなどが来ると溜息をついていた。名前ではちょくちょく話をした事を覚えている。

 名前。
 名前、ナマエ、なまえ。

 忘れそうで、怖くなる。
 私の本当の名前を。

 喋らないと決めたのも私だった。
 こちらに来て、勢いでルーアッシュと名乗ったときに決めた。
 私のための虚偽と黙秘。
 名前はそれを破られるきっかけとなる可能性がある。
 そして遠く離れてしまった今となっては大切なもの、だから。

 けど、近頃はめっきりフォニック文字しか書く機会がなくなってきて、遠い。
 辞書のようにして作ってきたノートにも、それこそもう書くことが無い。
 読めるけど書けない漢字のような、だんだんそういうものが増えて行く。

 以前ならワープロ病ですませていたものが、今は故郷の忘却のようで恐ろしい。
 二度と帰れない場所。

 行動如何によっては帰れないこともないのかもしれないとは思う。
 この世界のカバラに由来した名前とか、音の共通項。
 字は違ったけど基本的に筆記の仕方がアルファベットに似ていたり、言葉が通じた事。
 他にも色々とあげつらえば類似候がある。
 というか似過ぎている分も多々とある。
 それはもしかしたら、以前にも私のような人間が居たのではないか? と考えることも出来る。
 もちろんこれは、飛躍しすぎた思考であるという事も否定できない。
 世界が違っても人として私たちがあるように、二足歩行の人類と言うのはどこに行っても似た形になるというのなら、文化まで似ていても不思議は無い。
 だが、もしも、と思うことも止められなかった。

 此方の世界とあちらの世界の接点。
 それが何処かにあるとしたら?
 今までは一方通行でも、求めれば此方からあちらに行くことが出来るかもしれない。

 だが。
 その道はおそらくヴァンを倒すより果て無く険しいだろう。
 偶然ではなく、求めてゆくのなら。

 此方とあちらの間に、道がある。
 そして時々私のように向こうの世界から落とされてくる人間が居る。
 その理論でいくなら少なくともローレライが生まれるより以前から道はあると思われるから、今回に置いてローレライの関与か、などと言うことはおそらく無い。
 他の音素意識集合体たちも当てにならなすぎる。
 他のテイルズシリーズだとだいたい精霊達に接触を求めにいくが、ここではそれも無い。
 私の知るほかのシリーズだと精霊は人とかかわりを持てる場所に居る。
 実力さえあれれば。
 けれどここでは、何処かで観測されたらしきことはあってもそれは音譜帯に居るものだ。
 大地が降下していない今でさえ、それは遠すぎるのに。

 何が何でも故郷を求める、と旅立つことも不可能ではない。
 旅立つだけなら。
 ただその先に、命は無いだろう。
 盗賊か魔物に襲われておそらく私は呆気なく終わる。
 生きて向こうに渡れるとも限らず、渡ったところでその時の私が向こうの世界で生きられるかどうかももう怪しい。

 大体どう言い訳するというのだ。
 いまなら20台から30台に突入したわけだが、その間の十年。
 アビスの世界に居ましたとでも言うと?
 精神病院、かな。
 そうじゃなかったら黙秘か嘘か。
 黙秘じゃ十年分のブランクを埋めるのに周囲の助力はそう願えないだろう。
 そもそも字を書くのすら怪しいのに、己一人では限界が見える。
 そのときに両親が健在かどうかも怪しくて、健在で再会を果たしたとしても定年退職している年金生活者かもしれない。

 名前を、書く。
 父さんの名前を。
 母さんの名前を。
 姉妹の名前を。
 紙いっぱいに書く。
 忘れないように。忘れたくないから。

 両親には、会いたい。
 姉妹にも、会いたい。

 けれどそれは、不可能な望みに近い。
 だから、せめて両親から与えられた、家族から呼ばれたその名前だけでも握り締めて居たいのに。

 人は忘れる生き物だ。
 忘れるからこそ生きていけるのだという。
 それには私も同意する。
 生まれながらに忘却を知らない人間も世の中にはいるだろう。
 忘れない人間には忘れない人間の生き方があって、忘れる人間には忘れる人間の生き方がある。
 記憶の美化も、忘却の一種だろう。

 そうやって忘れて、忘れて、時には美化して語り継いで――。

 今までそうして生きて来た。
 けれど、今までの私には何が何でも忘れたくない記憶が無かったのだと気がついた。
 こうまでして握り締めたい過去が無かったのだと。
 日常は普遍的にこれからも続くものだと思っていた。
 続かないはずがないと、思っていた。

 毎日ポチと散歩できる日々。

 十年、経った。
 此方の世界にとってはまだ五年程度のことのようだけど、私自身は間違いなく十年分歳を取った。
 ポチは、あのころすでに餌を老犬用に切り替えた年頃だった。
 多分、もう。




 帰っても、もうポチはいない。











それ行け一般人。――75



 いた。




 マルクトにも居ましたヘンタイ。
 此方でははじめてみましたヘンタイ。
 ビックリですヘンタイ。
 日本では猥褻罪ですが此方ではどうなんでしょうかヘンタイ。

 そして貴方は知らないでしょうヘンタイ。

「ね、ねえ君たち――」
「拘束します」

 有無を言わさずそういった私の隣を歩く女性は、軍人さんです。




 ヘンタイを拘束する際に触れたところを汚い物に触れたといわんばかりにはたいて払う女性仕官の方。
 その足元にはノックダウンしたヘンタイ。
 私服に着替えると軍人などとは分らないだろう、彼女は可憐な女性だ。
 あこがれる美人女性。
 どちらかといえば儚げな人だろう。

 見た目なら。

 実力はご覧のとおり、と言うところか。
 男性より体力が劣るのを自覚した上でサブミッションを極めたらしい。
 恐ろしい。
 恐ろしく強い。
 容赦と言う言葉が全く無いという意味も含めて。
 ヘンタイも相手が悪かったな、としか。

「しかし、やはり夜は出歩く物ではありませんね」
「でも、むしろこの程度の相手なら私たちで良かったんじゃないかしら。見たくもないものを見たけど、結果はこれだし」

 三十路女に怖い物はない。
 相手だって私よりも本命は隣を歩いていた女性仕官の方だったのだろうと思う。
 まあ、暗がりの女二人連れだったから無差別犯と言う可能性も高いが。

「他に一般の女性が被害にあうよりは良かったと思おうよ」

 私たちなら、ヘンタイ程度こんな物だ。
 私一人で、相手が実力行使を伴ってくる、と言うなら話は変わってくるが、隣には心強い女性仕官の方。
 私も護身術程度なら身につけている。

 とっつかまえたヘンタイを兵舎に引き渡す女性仕官の方を見ながら私は思った。

 体力が回復して最初の外出がこれじゃ、幸先悪いな、と。




 今回の外出は女性仕官の方の用事について行った物だった。
 ついでに、というか帰りには夜の港を見たいとお願いしたりもしたが、感動もぶち壊しである。

 働かなくなってから疲れなくなったのか微妙に眠りが浅くなったので、こんな時間でも起きていた。
 もうなかなかの深夜帯だ。

 手元にあるのは大きくバツと書かれた一枚の紙。

 以前ジェイドたちの一行がこのグランコクマに来たときの小細工の片割れだ。
 でかでかとマルを書いてスミレの印鑑を押した紙は彼らの手に渡っている。
 今頃ゴミになっているのかあるいは誰かの懐に入っているのかは知らないが、私の手元に残ったのはこれだけだ。

 バツが残ったという事は、マルが彼らの手に渡ったということ。
 その時点で計画は、というか小細工はある程度成功と言うことである。
 このバツの紙をみて安堵したり感慨にふけったり、喜び勇んでグッジョブ!! と誰かにササムズアップしたりするはずだったのに、そんな暇もなく私は熱を出して倒れこんだ。

 放置されたバツの紙。

 今更それをもてあそんで感慨にふける。
 ひらひら、ひらひらと。
 ただバッテンが書かれただけの紙だ。

 ただの紙。だけど、私には重要な手段だ。
 小規模な電信や無線くらいもしかしたらあるかもしれないけど、基本的に長距離の連絡で最も早い手段が伝書鳩と言うくらいだからして紙の重要度は侮れない。
 まあ電子化が進んでいてももっとも確実な記録媒体は紙と言うくらいだっけど。
 バックアップとって無い電子データがとんだ時は泣きたかったな、と思い出す。

 ハードを乗り換えたとき、以前のハードと記憶媒体の規格が合わなくて泣く泣く、と言うこともあった。
 そこそこの互換性はほしい。
 パソコンもワープロもないし、今となっては意味も無い。
 気になるのは残してきたデータが処分されたか否か。
 それだけだ。

 引き出しの中の本の下に隠した本。
 パソコン内部のデータ。
 ネット上で作っていた一月誰も来ないような小さなサイトも消えたかどうか不安だ。
 有料サーバーの物は確実に支払いが途切れたら消えるだろうけど、無料サーバーだとずっと残っていることがままある。
 USBメモリは鍵をかけておいたけど、CD-Rの類はそのままだ。
 でもフロッピーはとっくに読み込み出来なくなっている確信がある。安心できるのはフロッピーディスクだけか。
 すぐにデータ領域がいっぱいになるからそのうちに大容量系の記憶媒体に代わって言ったけど、そうか。不慮の自体にはフロッピーが一番安心か。
 経年劣化が一番激しい。
 家族共有のパソコンはそのつどキャッシュを消しただけで何も隠してない。

 本に関してはそこそこ姉妹の理解が得られそうだから拙そうなのは破棄してくれそうな気もするが、居なくなってしまえば話は別と言う可能性もある。
 というか不審な失踪と言うことでまかり間違って捜査が入った場合そういった類の本だのデータだのが警察の目に付くことも……。

 どうしてずっと忘れていなかったんだろう。
 こんなこと。
 おっかしいな。つい昨日まではどうしても忘れたくないと必死になっていたのに。
 時々はネガティブディもあるか。きっとアミノ酸が足りなかったんだろう。

   ふだんなら見つかっても、ああ、見つけたの? で済ませられそうなものも自分が居ないところで色々とああだこうだと語られるのかもしれないと思うと気になって気になってしようがない。
 そんなに特殊思考だったとは思わないけど、さすがに両親はああいったものに理解の無い世代だし、嫁に行ったわけでもないのに自分が帰らないとなればもしかしたら処分どころか維持される可能性すらあるかもしれない。

 ……ジェイドたち、今どこに居るのかな。
 セントビナーが崩落したから、今頃シュレーの丘だろうか。
 無事に帰ってきて。
 そしてまた憎まれ口を叩き合おう。
 そうしたらきっと、忘れられる。


 なんか、中毒みたいで嫌かもしれない。
 居れば居るでピリピリしているのに、居なくなったらその平穏が平穏すぎて足りないなんて。







戻る
TOP