それ行け一般人。51〜55

51 52 53 54 55





それ行け一般人。――51



「ああ、ううぅ……」

 ハァ、ハァ、と荒い息遣いが聞こえる。

「ああ……っ、やめっ!」

 ぴちゃり、と滴る唾液の音が息遣いにまぎれる。
 静かな室内に、衣擦れの音とうめき声、そして荒い息使いが響くようだった。

「……頼む――頼む、もう……っ」
「……まだよ。まだ駄目」

 乳の匂いが香るような柔らかな肌に舌を這わせる。
 ぺちゃり、ぺちゃりと水音が響く。

「……ヨシ。いいわ」

 執拗に柔肌をなめていた口はやがて、がぶり、と白い肌に深く歯を突きたてた。

「あ、あ、ああ―――――っ!!」



















 苦しげにもがいていたが、叫んだと思うとピオニーはがくり、と力なく地に伏せた。

 私からヨシ、といわれて仔ライガが食事にかぶりつく。
 元気な食べざまは感心するほどだが正直見たくは無いなぁ……と。
 初めて食事風景を見た日から2日はなんとなく肉を敬遠したし。

「うっとおしいよピオニー。いい加減にしてくれない?」
「ああ……うう……ブウサギ、可愛いブウサギがぁぁぁぁぁ」
「だったら食事の時間に来るんじゃないよ。見たくないって言って何でわざわざこの時間に来るのさ」
「ううう。見たくは無い。が! 可愛いかわいいブウサギが食べられるところを見てみぬ振り等……っ」

 といって拳を握るピオニー。
 近頃これが一番うっとおしい。

「あなたね、そういって市場全部監視でもするつもり? ブウサギはもともと食用家畜よ」
「……わかってる。少しぐらい慰めてくれたっていいだろう?」
「私なりの精一杯の譲歩よ。ピオニーに見せないようにしたのは。それなのにわざわざ時間を突き止めて見に来ているのはあなたじゃないの? 公務を抜け出してまで」
「せめてチキンにするとかビーフにするとか……」
「チキンは三ヶ月を過ぎてから。ビーフは高い。彼らの食事代はブウサギランドの売り上げで賄ってま〜す。国庫で食べさせている訳じゃないんだから。背に腹は変えられません」

 わざわざピオニーの目に付かないように食事時間は不規則にした上に知らせないでいるのに、度々こうして公務を抜け出してブウサギランドにやってきてライガの仔の食事事情を見ては嘆くピオニー。

 こちらに運ばれてきたライガの仔の食料に、主にブウサギが選ばれているのだが、そのせいかピオニーが日々うっとおしい生き物になっていく。
 ライガの仔は可愛い。
 とても可愛い。
 虎でもライオンでも般若のような面構えをしたハスキー犬でも小さなときは皆可愛い。
 ライガも例外ではなくとても可愛い。

 その可愛い彼等がブウサギの筋と皮を引き裂いて貪る様は少し敬遠したいところだが……いずれ野生に、と思うなら人口飼料と言うわけにも行かない。
 生まれたときから人口飼料で育った我が家のポチは生ものは野菜以外一歳食べない犬になった。
 まあ、ここには私の居た世界のようなドックフードとか加工飼料とかは無いみたいだったけど。
 内臓とか骨の中の骨髄とかは、野生には貴重な栄養源にしてビタミン、ミネラルの宝庫だ。
 見たくないから食べるなともいえない。

 そもそも言葉が通じていない。
 犬よりは賢いみたいだけど、それでも人と人とが会話をするようにとはまるで行かない。
 卵生、イコールで授乳を必要としない生物であり、卵の中である程度育ちきる生物。
 非常に飼育がしやすいのはありがたいことだった。

 ここに来る途中で孵化しちゃったからインプリンティングなどは大丈夫だろうかと思ったが、鳥類のような強い刷り込みは無いらしい。
 刷り込みは一生もの、と思われていた時期もあったらしいが、どうやら覚えなおしも出来るらしいことがわかっていた。
 育ててみて分ったが、ライガは刷り込みなどではなく行動で保護者を覚える、らしい。
 ここに来たときは世話役についていた兵士の人に懐いていたが、一緒に育て始めて、だんだんと役目を摩り替えて入って、最終的に私に懐くようになったので万々歳である。

 とりあえず今日までにお手とお代わり、伏せとマテを覚えさせた。
 我が家のアホポチに一通りの芸を覚えさせた私にこの賢い動物が手なずけられないはずが無い!
 すぐに力的に負けるようになるのだろうが。
 人間が勝てるのは超小型犬位だっただろうか。

 犬の方が加減してくれているだけで、犬が本気になったら人間が負けるとどこかで聴いた。
 こんな私でもあの仔にとってはご主人様だったんだなぁ、と思うと嬉しいような、今では寂しいような。
 私の身の安全のためにも、この子達とは互いに信頼の情で結ばれるようになりたいと思う。

「はい、ピオニー」

 うだるピオニーに差し出したのはほのかな草の色をした牛乳。
 昔飲んでいた紙パックの低脂肪乳とかと比べてとても美味しいのだが、これにも慣れた私がいる。
 この味を普通と認識するようになったけど、元の世界に帰ったらもう牛乳は飲めない気がした。
 それを見たピオニーは机に伏せたまま力なく首を振る。

「ミルクは嫌いだ」
「ちゃんとハチミツを溶かしてあるから」
「なら貰う」

 ユラリ、と起き上がってグラスを手に取るピオニー。
 ぐいっと喉をの鳴らして一気飲みをして、口の周りに付いた白い牛乳を袖口でふき取った。
 あの服、高そうな生地使ってるのに。

「こんどはイチゴミルクがいい」
「はいはい、鮮度のいいイチゴが手に入ったらね」

 イチゴは季節じゃないんだが。
 かんきつ類が収穫期に入ったらしいけど、すっぱいもの混ぜたら似非チーズになってしまうし。
 イチゴでも酸味が強いのはタンパク質が固まるから、少しはいいのを選ばないと、と思う。

 なんなんだこのやりとり、とは正直思うところだが、ここの所なじみのやり取りでもある。
 牛乳だって前回ピオニー自身がリクエストしていったのだ。
 ハチミツ入りで、と。
 普段はソバ蜜くらいに色が濃くて濃厚な味のミネラルたっぷりのハチミツが好きだが、ピオニーのためにアカシア並みに白い蜂蜜を用意したのだ。
 白い方が値が張るけど、じつはあっさりしたハチミツも結構好きだったから半分は自分のために。

 ジェイドが居なくなってからピオニーが一番の常連なのだ。
 無碍にも出来まい。
 それに正直なところ、誰かのために、何かを考えるのは相手がピオニーでもなんだか楽しい。
 チップも弾んでくれるから、まあ前言どおり3ヶ月過ぎたらライガのご飯はチキンかポークに変えようと思う。

 とぼとぼと肩を落としていくピオニーが出て行って、わたしはライガを見た。
 ……後で口の周りの血は拭いて置こう。
 鮮度がいいから生臭くは無いけど。









 こそこそと、こそこそこそと、こそこそと。

 ひっそりじっくり水面下の活動と言うものをしているが、そこは秘密だ。
 秘密にするまでも無いことと言うか、むしろ語るまでも無い。

 ライガの生育は順調だ。
 兄弟でここにいるからゾウガメに求婚した孔雀のように種族の姿を見失うことも恐らく無い――少ないだろう。
 鏡も設置してあるし。
 でもそろそろ心配だから、何とかしてアリエッタをつれてこようと思う。











それ行け一般人。――52



「ポッポッポー、ハトポッポー、まーめが欲しいかそらやるぞー……っと」

 アッシュから手紙が来た。
 ハトポッポー、が頑張ってくれた手紙だからいつものようにそう多くの内容があるわけではない。
 それはぽポッポッポーの足に括りつけられた小さな筒に入ったままやって来た。
 検閲は経ているだろうが。

 端的に言えば、レプリカに遇ったといった内容の手紙だった。

 その時自分が何を思い、レプリカをどう思ったのかがみっちりと記されている。
 顔も知らない者どうしでは有るが、これも小さなカウンセリングもどきの一種だ。

 自分の感情を明確にすること。

 例えばの話し、ある時ふと不安を感じた。
 なんだかわからない不安だ。
 とにもかくにも不安なんだけどどうすればその不安がなくなるのかわからない。
 対処できないのは、その不安が何に対するどういう不安なのかが明確では無いからだ。

 もっと単純に言えば、お店に幽霊が憑いている。
 祓いたいけど祓い方が判らない。
 お化けには実体が無いからだ。
 だけど、毎日来るあの迷惑なお客さんを何とか追い払いたい。
 というなら幽霊よりは対処のしようがある。
 それは実体のある生き物、店の迷惑な客、と言う存在だからだ。

 例え話を幾つもしていてそれが果たして明確であるのかだんだんわからなくなってきたけど、とにかくそういうことだ。
 日常の些細なことにどういうことを感じたか。
 それは人間性を掴むのに確実に意味がある。
 そしてアッシュの中にあるレプリカや己、そしてヴァンや神託の盾騎士団、キムラスカなどに対する感情、人に話すことも出来なかった感情を、書くという動作を通じて明確にする。
 人が読む事を前提に書くことで伝わるように記そうという意思が生まれる。
 自分のための文章でも構わないが、伝わるようにと言う努力は自分のためになる。
 後で自分で読み返したときにもそうだし、伝わるようにと言うことはそれを読む他人だけではなく自分に理解させることでも有る。
 訳のわからない憤りや怒り、そういった物が形を持つことで納得を伴ったり対処しやすくなったりする。

 まともな幼年期を遅れなかったアッシュにはなおのことそういった過程が必要だと思う。



 アッシュは昔から年に似合わないほど理路整然とした手紙を送ってきていた。
 生まれたときからの環境と教育の賜物だろう。
 理路整然とはしていたが、まるで自分の心など無いかのような手紙を書くような子どもだった。

 心を殺されたのか、発達を阻害されたのか。
 両方と見ていいだろう。
 心の存在を隠したがっているように思えた。

 環境を思えば、と何度も言うのはいやだけど、全く共感できないわけじゃない。
 私は全くアッシュの環境とは非なる場所で育ったけど、想像の余地はある。
 そう有ったら、辛いだろうな、と。

 どれだけいい子になっても振り返ってくれない親。
 心の影響を加味しない教育。
 周囲は全て使用人。
 きっちり教育を受けてきたアッシュには使用人に対してルークのように接する事もできなかっただろう。
 本人の第七音素の親和性なども、長じて実験体となる要素でしかなかった。
 それが父親公認の苦しみであるとするならなおの事辛いだろう。
 ガイの硬い態度もアッシュの事を傷つけただろう。

 未発達の心、情緒。
 そこに苦しい事ばかりがやってくる。
 ならいっそ心などなければ、と。
 思うだけで多感なお年頃をやっていたみたいだが、心を殺したいと思った事実は辛いところだ。

 本人は陽だまりと思っていたようだが、第三者的な視点で見ると物質的な充足以外かなり貧しい環境だと思う。
 母親がどうだったかは知らないが、少なくとも病弱だというならそう頻繁に接触を求めることもはばかられただろう。

 ヴァンのやり口も、私に力があったならまず真っ先に殴り飛ばしに行きたい。
 まあ、その力が無いからものすごく遠まわしに誰か――具体的にはルークやガイとか、ジェイドとかに殴らせるために画策しているわけだが。

 うう、切ない。

 と言うかなぁ。
 自分で自分を鍛えてみて思ったけど、あそこまであっさり限界を告げられるとは思わなかったし。
 年も年だしそう伸びないだろうとは思っていたけど。
 一人旅は出来ない、という確信を得ただけでよしとしよう。



 アッシュの手紙を受け取って、私は小さく溜息を零した。
 それを読んでいたデスクから立ち上がって、側の書架に寄る。
 むき出しで並べられている本の更に下の方の書架は、厳重な扉と鍵が掛けられていた。
 三つの鍵を外し扉を開いた先から取り出したのは、アッシュの身体データを記録したものだった。

 初期、中期、後期――つまり現在に最も近いものであるが、初期のデータは酷いものだった。

 生かさず、殺さず。
 けれど使える程度に。

 ある時ふと思い立ってアッシュの健康診断をしてくれるようにと申請したら通った結果、わかった事だった。
 肝心のアッシュが協力してくれない可能性もあったわけだが。
 アッシュはなんか医療機関にトラウマがりそうなイメージがあった。
 医療機関、と言うよりは白衣と薬品だろうか。
 しかも協力関係にあるとは言え元は敵国。
 自分の体を預けるのにどこまで信頼が置けるのか。
 幾ら私たちが信じてくれ、少なくともヴァンを信じるよりは価値がある、と主張したところでそれを相手が信じてくれるかは別の話だ。
 しっかりじっくり時間を掛けて心をほぐしていくしかない。
 そう思ったが、少なからずヤケッパチになったのかもしれない心境をプラスしたとしても、以外に素直に健康診断を受けてくれた。

 その態度にもビックリしたが、結果にもビックリした。

 自分の不調を判った上で、ヴァンに頼らない道を選んだ結果だったのかもしれない。
 あるいはヴァンのところにそのまま居たなら不調を置いてそのままにしていた可能性もある。
 私の知るゲーム上のアッシュなら、そうそうヴァンを頼りにはしないようなイメージがある。
 実際問題は別として、誘拐、そしてレプリカ作成の後はヴァンに頼る事を良しとしない、とプレイヤーである私に感じさせる行動はあったという事だろう。
 ならば恐らく、そういうことだ。

 アッシュの検査結果は、ぼろぼろだった。
 このままでは普通の寿命は望めないだろう、と言うことらしい。
 ゲーム中でアッシュは“自分がフォニム化している”といっていたが、それが性急な死で有るなら、これはもう少しだけ緩慢な死か。

 17歳。
 いや、ゲーム中において全てに決着が付くころには18歳くらいか。
 その頃からなら親になれるかどうかも怪しい、とこのカルテについてジェイドに解説を受けた。
 本当に、ヴァンはローレライが憎いらしい。
 アッシュはそのローレライの完全同位体。
 つまり地上に居るローレライとも言える。
 彼の計画の後、アッシュの超振動でローレライを消滅させたら――もうアッシュは要らない、と言うことなのだろう。
 つまりヴァンにとって、アッシュは大切な道具で有ると同時に憎むべきものでもあり、全てが為れば用済み、つまり長い寿命はいらない、と言うことに為る。
 むしろ余計な寿命と言う事だろう。

 使うために殺しはしない。
 だが生かさない。
 ヴァンの計画の後にアッシュの生きる時間は無い。

 ああ、ムカつく。











それ行け一般人。――53



 ヴァンの幼年期だって哀れなのは判る。
 けど、もう同情できない。
 未来のため、と言って今を食いつぶしていくヴァン。



 この結果を受けて極秘裏にプロジェクトを進めた結果、今のアッシュはおじいちゃんになれる、娘か息子がよほど晩婚じゃない限り孫の顔を見る事が出来るくらいには、生きる事が出来そうらしい。
 将来的にガタが来る事は免れ得ないだろうが、ある程度の寿命の回復は出来た、と。

 そこまで為れば計画初期に考えられたルークとアッシュの寿命との差は誤差の範囲にまで狭くなる。

 アッシュの大爆発を防ぐために色々画策して、研究して、頑張ってもらっているのにその肝心のアッシュがそれを待たずして死んでしまうところだった。
 それらの技術を使って大爆発を阻止すれば、阻止できれば、アッシュが死んでもルークと混同する事は恐らく無いだろうと推察されているが、それはそもそも二人がそろって生きるための研究なのだから。









 アッシュを見ていると、本当に思う。
 確かに彼の過去は本人がどう思うにせよ哀れまれるに値するものであるし、それはヴァンにとっても言える事だ。
 だけど、その後のあり方は二人は全く違う。




 狂気に侵されたヴァンはその過去を元に世界に悲しみを広げる事を選んだ。
 たいしてアッシュはその過去を持ちつつそれを阻む事を選んだ。




 どのような過去を持っていても、悲しみや痛みを持っていても、それが他者を害する理由となってはならない。
 他人に痛みと悲しみを広げる理由に持ち出してはならない。

 他人の共感を得られたかもしれないそれらの過去も、そうなってしまった時点でただの言い訳に成り下がる。
 自分が痛かったから他人も痛く有るべきだ、なんて何処の幼稚園児の理屈だ。
 幼稚園児だって子どもによっては他者との混同から自立する。

 ヴァンのしている事は、世界を憂えるという名目の元全てを破壊する事だ。
 自分の痛みを世界全てに広げようとしている。
 きっと、自分の唱えたお題目に盲目になって、その自覚も無いのかもしれない。

 厄介な、と言うよりは、馬鹿な人。
 大人になれなかったのね、と言ってみたところで、子供だからとすでに許されるレベルではない。
 体は立派に大人になった。
 社会的な地位を得て、大勢の部下も居て、彼はもう子供ではないのだから。

 普通、と言うのもなんだか少し最近は嫌な感じだが、ヴァンの過去を知る人間なら普通はこう思うだろう。
 あの辛い過去を乗り越えて、良くぞここまで為ったものだ、と。
 テオドーロ・グランツ、ユリアシティの市長であるその人も、随分後になるまでヴァンに対する認識は、恐らくそういったものだっただろう。




 私は一通り眺めたカルテを棚に戻すとまた厳重に三つの鍵を掛ける。
 その三つの鍵も、しまう場所は三つばらばらの隠し戸の中だ。

 天井、床下、最後はノーマルに机の引き出し。
 の中の隠し部分。
 これ、なんて言うんだっけ。

 しかも面倒くさい事に天井の方は私の身長の関係上どうしても台が必要だし、床下の方は開くのにコツが必要だ。
 だれだ。
 こんな面倒なつくりにしたのは。
 しかも鍵が三つって、どちらかといえばからかっている様なふしもある。

 重要だよ? これは。
 って見せ付けているような感じだ。
 実質、誰のカルテと書かれているわけで無し、私自身を含め幾人分かのモノが一緒に入っているし、カルテ自体がそう重要なものではない。
 そもそもコピーだ。
 重要そうな場所だ、と思った誰かがそこに狙いをつけて弄っている間にどこぞから応援がやってくる、と。
 そしてお縄になる仕組みか。

 アホらし。

 机に戻ってペンをとる。
 アッシュに返事を書くためだ。

 自分の心を、思った事を出来るだけ排除した手紙を書いていた子供が今ではこんなにも自分を語ってくれる。
 嬉しいね。
 私も最初はアッシュの事を侮っていた感じはあったけど、それにしてもビジネスメールかと思った。
 まあ、読めなかったから女性仕官の人が翻訳してくれたんだが。
 押し殺そうとしている隙間からにじみ出る感情が、切なさを誘った事を覚えている。

 何を書こうか、思いつかなくてもう目に焼きついたようなカルテをもう一度見たりなんかしたわけだが。
 具体的に何を書こうか、文字の読み書きが出来るようになればなるほど迷う。
 というか困る。

 それこそ一番初めに書いた手紙のような頃だったら、内容の事なんて気にすることが出来るほどの余裕がこちらに無かったものだったが、こうなるとむしろ困る。
 さて、何を書こうか。



 迷った挙句、まずは無難に相手の健康状態を労わってみた。
 内容は無難だが、その心は本物だ。
 アッシュの不健康は放っておいたならこれからが本番だから。

 昔から手紙を書くのは苦手だった上に、私がこちらに来る直前には郵便局が郵便配送物の減少に頭を悩ませていた頃だった。
 それは郵便局にしてみれば収入源の減少な訳で、そのうえ各民間のメール便とかが増えたから郵便小包も減っていただろう。
 手紙のやり取りはかなり廃れて、ほとんどが電子メールに取って代わられていた。

 私は手書きの手紙の方が好きだったんだけど、ものすごく筆が悪かった。
 字が汚い。
 ゆっくり書いても丁寧に書いても汚い。
 がりがりとちょっとした記憶をとどめるために書いたものなど後で読み返して自分で読めなかったりした。
 メモ帳が読めないなどものすごく、意味が無い。

 それがどうした事、こっちに来て私は厳しい教育とアッシュからの添削により反骨精神がむくむくとわきあがり、人に見せても恥ずかしくない字を書けるようになったのだ!

 まあ、元の世界の字はそのままだが、今では私以外に使う人間もいない暗号に等しい。
 古代イスパニア語よりマイナーだ。
 どんな極秘事項を書いたって読めなければただの落書きにも等しい。
 汚い字も便利に使わせてもらっている。

 頭を悩ませたがどうにか手紙を書き終えて、私は普通に封筒に包んでスミレの印章で蝋封をする。
 これがまた勿体無いくらい高級な蝋なんだ。
 なんと言っても皇帝様の横流し。
 と言うと人聞きが悪いが、つまりは皇帝であるピオニーが使っているものと同一と言う事だ。
 昔の私なら手を合わせて拝んだかもしれないが、それを知った頃には少なからず金銭感覚を侵されていた。

 ピオニーやジェイドの金銭感覚に。

 あいつら何さ。
 あいつらの立った一言で世界が変わる。
 この小さなブウサギランドの世界が。
 恐ろしいね。

 なんと言っても皇帝陛下に名門軍人。
 小市民の私とは懐の感覚が違った。

 それはいいんだ、それは。
 そもそも住む世界が違うんだから。

 とにかく書いた手紙の手配を済ませると、私は背中からベッドに倒れこんだ。

「いてっ……! つぅ……」

 目測を誤ってゴチンと後頭部を壁偽らの淵にぶつける。
 思いっきりだ。
 涙目になって痛みを堪える。自分の間抜けさに呆れがさして、うめく気にもなれなかった。

 痛みが治まった頃、私は全身の力をぬいて吐息を零す。

「どうか、どうか成功しますように」

 祈りの言葉を呟いた。











それ行け一般人。――54



 頭を抱える。

「つか、私の馬鹿!!」

 思わず叫ぶと女性仕官の人が駆けつけてきた。
 夜中に起こしてごめんなさい。
 とりあえずなんでもないからと帰ってもらった。

 ……叫ぶのはもう少し自重しようと思う。

 ここのところ消化不良で胃が痛い。
 タンパク質を控えてトマトジュースを飲んでいるけど、慢性的なストレスのせいで消化能力が低下している。
 胃酸過多には牛乳で、消化不良にはトマトジュース。

 って、現実逃避……。

 準備期間から本格的に動くまでの過渡期。
 何も出来ない感じがじりじりとする。

 ヴァンの側への情報漏洩はたぶんまだ大丈夫なはずだ。
 妙な探りを入れられているという報告は無い。
 全てが全く水面下だとしたらそれこそ恐れ入る話だが、奴等は詰めが甘い。
 詰めの甘さを期待して、そこまで計算した上で行動していると言うならこちらが馬鹿だが、恐らくは大丈夫、だろう。
 初期に送り込んだスパイはそれぞれその地域に根を下ろしている。
 昔の日本のような、地域住み込み型のスパイだ。

 完全であるというには歳月は短いが、ある程度周囲との関係を築いたうえで信頼や信用も得られるだけの歳月は過ぎている。
 油断するつもりは無いが、そこのあたりから足が付くことは恐らく、ないだろう。

 彼らはよくやってくれていると思う。
 よくやらなかったのは考え無しの私だ……。

 私の方針として、目立つことをするつもりは無い。
 要所要所で他者の手、ジェイドやサフィール、引き込んだシンクやアッシュやアニスなどの手を借りて手を出すつもりではある。
 けど、物語の形そのものを劇的に変えてしまうようなこと、物語、というよりはヴァンの行動を予測付かないものにしてしまう行動は出来る限り控えるつもりだった。

 こっちの最大の武器は擬似的にせよ先を知り、事前に対策を取れることだ。
 相手が予想の付かない行動を取り始めたら対策の取り様が無くなる。
 まして私の頭は奇想天外なアイディアに溢れていない。
 どちらかといえば頭が固い。
 思考力が固く柔軟ではない。
 マニュアル人間だ。

 マニュアルから外れたら対策を練るだろうが、今まで以上にきっと私は怯える。
 改変が最悪を産むことを。

 決断が遅れれば取り返しが付かなくなることが山とあるのに、私は迷う。
 今迄だって選ぶこと一つ一つがストレスだったのに……。

 自分を迂闊と呪ったのは、ルークに自分がレプリカだと気が付かせたことだった。
 と言うかむしろ知った状態でオリジナルであるアッシュに出会わせたことだった。

 先に知るのはいいんだ。
 いいというか、私はどうせなら彼らにこそ幸せになって欲しい。
 それがやすやす行かなくても、本人たちにだけ全てが後だしな状況、特にアクゼリュスまでのルークみたいな、周囲は知っているのに自分だけが知らないもどかしさ、苛立ち。
 あれだけはなんとなく嫌だった。

 そのために、ルークに自分がレプリカであると気が付くための何かを与えたかった。
 のだが、その結果としてルークの行動が予測しがたくなってきた。

 今のところ大きく外れた行動は無い、少ない見たいだけど、この先どうなるのか。
 早伝書鳩から送られて来たジェイドからの報告によれば、ルークはオリジナルとレプリカの関係を自分から外部に話す様子はない、とのこと。
 まあ、自分から触れ回るようなことでもないが、オリジナルと出会うことで深まる確信をどっちの方面に向けるか。
 いっそルークが何も語らないままアクゼリュスまで言ってしまえば、と――。

 ああ、もうどうしよ。

 もういいや。
 異変が出れば考える。
 何もでなければそのままに。
 とりあえず今は新手のイオンの派遣準備をしよう。

 シンクほどダアト式譜術方面の能力が低いものではなく、けれどイオンより体が丈夫な者。
 というと、残ったのイオンレプリカたちはだいたい当てはまるが。
 初期の構想どおり、出来るだけイオンには負担を軽くいてもらい、長生きしてもらいたい。
 それはイオンたちにも。
 皆で負担を分け合えば、皆で長生き。
 いいじゃないか。




 ストレスといえば。

 のん気にあくびをしながら足元で丸くなっている二匹のライガ。
 こいつ等の食欲が痛い。

 経済事情に大打撃だ。

 言い方は悪いがこの子らはアリエッタに対する大切な大切な人質――ライガ質だ。
 栄養状態には気をつけて飼育している。
 その一環としてのブウサギ、イコール生の餌、と言うことなのだが。
 人間側での衛生問題と臭いの問題で、本当にごく新鮮な仔ブウサギの肉を与えている。
 まだ親の乳から卒業するか否かといった程度のブウサギの肉だ。
 というか丸ごとだ。

 ウサギもブタも多産な動物だ。
 その特徴を引き継いでいるらしきブウサギも同じように多産なわけで、そのおかげで牛の肉などを与えるよりはずっとコストが低い。
 けど、それでも高い。

 ネックは鮮度だ。
 鮮度を維持したままグランコクマまで運んでこようとするから高い。
 恐らく大丈夫だと思うが、鳥の骨は縦に裂けるから胃に刺さる、と言う話も聞いた。
 ライガたちもある程度大型になってしまえば関係ないだろうが小さい頃はさすがに心配だ。
 それが以前ピオニーに言った3ヶ月たったらチキン、と言うことなのだが。
 ライガに育てられた人間はいてもライガを育てた人間は知るところほかに居ない。

 こちらの経済事情を鑑みても早くチキンに移行できるようになって欲しい。
 ブウサギランドは国営だから赤字を出しても潰れない。
 だが、赤字を出すのは小心者の私にとっては精神的にストレスになる。
 日々食欲の増大していくライガの仔。

 ……生活費切り詰めるまで後どれくらいだろうか。
 チキンに移行したら、ちょっと場所を借りて鶏の飼育でもしようか?
 テオルの森は警備も充実していて魔物もいないし、あそこで……。

 ああ、ちがう。
 今は忘れろ。
 今だけ、全てに決着が付くまでは赤字のことなんて、生活のことなんて忘れろルーアッシュ!!

 言うではないか。
 貧すれば鈍する。
 貧しくなると生活に苦しくなって心の活動まで、鈍くなる、と。

 ことわざが本来言いたいこととは違うが、お金に追われて思考を鈍らせてはいけない。
 思考のメインは今、この外殻大地の行方を左右する出来事に向けていなければならない。
 決して、日々の生活に比重を移してはならない――











それ行け一般人。――55



 放っておけば、円満とは言わずとも世界にとっては、生き残った人々にとっては問題なく解決を迎えた日々がやってくる。




 レプリカは社会問題だろうがはっきりいって一世代限りだ。
 レプリカの子はレプリカか?
 否。
 そもそもレプリカ同士の自然妊娠は確率が低い。

 世界の崩壊を預言するものも、ルークたちの活躍のおかげでひとまずは壊される。
 壊す、というかそれを世界が認識する事で回避の方向へ向かおうとする、だろう。
 あの流れなら。
 ピオニーがわざわざ戦争を起こそうとするとは思えない。
 そしてキムラスカも、とりあえずはインゴベルド6世が生きている間は大丈夫だ。
 二年後に返ってきたのが誰かによってはもう少し未来のあり方が変わるとおもうが。

 ファブレの子としてキムラスカに戻るなら王位継承権の順位の関係で安泰だろうし、ナタリアと婚姻を結ぶならもっと安泰だ。
 帰ってきた彼がそれを選べる彼かはわからないが。
 婚姻を結ぶのはティアでもいい。
 マルクト由来の貴い血筋の人間。
 両国の交友のためになどの言い訳にも使える。
 この際ユリアシティとダアトとの交友でも構わない。
 片方は崩壊しかけているとは言え二大勢力を敵に回してはピオニーが暗殺されたりなどしても丸マルクトはやすやす戦には持ち込めないだろう。

 そもそも英雄の死など、ただの民衆には関係が無い。
 誰が王になろうともその人物が良政を布けば民はそれでいい。
 その場合人々が称えるのは王と言う何かであってその人個人である必要はない。
 それと同じ事だ。
 世界を救った英雄だ。
 でも、危機が去った後となってはその生死など民の日常生活には何の関係も無くなる。




 多分に一方的とは言えルークやアッシュ達には好意を持っていた。
 それい、帰ることが出来るのか否か、出来ないならここが終の棲家になる。
 どういう理屈か知らないが言葉は通じる。
 だが読み書きは出来ない。
 社会的地位もなく生活基盤も無い。
 そしていい加減いい年齢である上に年のとり方が周囲と比べると特殊である。

 それについての確信を得たのは当時からずっとたってからだったが。
 世界を渡ったらそっちの法則も異世界仕様にならないものかと少し期待していた、が。
 バッチリ地球仕様で歳を取っている。

 確実な未来を臨むのなら、放っておくのがよかったのだろうと時々思う。
 その状態、かなりの混乱期にあって私のような何のとりえも無い人間が生き残っていけるかどうかは別の話だが。
 しかも怪我をしても第七音素の降下も低いというおまけつき。
 早く歳を取るということは肉体労働も長くは出来ない。
 老後の蓄えもなく老後に突入。
 先は見えない。

 原作への介入と言うのは、突き詰めればメインメンバーの死と言う事と言う事態をも示唆する。
 ルークが、アッシュが。
 ジェイドが、ガイが、アニスが、ティアが、ナタリアが、死んでしまうかもしれない。

 誰かの靴下の色が本編と違うだけで何が違うという感じかもしれないが、もし、原作中で青い靴下を履いていた人があるひ私のせいで紅い靴下を履くことになったら?
 転んで靴が脱げたその下が本来は青い靴下だったのが介入のせいで紅い靴下になっていて、偶然見ていた犬が興奮して噛み付きにかかって逃げ出したその人がメインメンバーの誰かに体当たりをして、よろけたその誰かが走ってくる馬車の前に飛び出してジ・エンド。

 靴下一つでここまで妄想を繰り広げられる。

 恐らくもう、私の望んだ改変は、取り返しがつかない。
 私が居なくても進められる。
 それが改善となるか、改悪となるか。

 私としては改善となることを望んでいるが。

 改善にしてみせる、と意気込んではいる。
 そのための徹底した情報統制だ。
 ヴァンさえそのままなら、恐らくは望みどおりの流れでいけるはずだ。
 アクゼリュスの民の避難についてもそう重くは受け止めないだろう。

 各所に僅かずつ手を出しつつ、肝心なところは抑える。
 情報漏えいの危険が強いからガイにもまだ話していない。
 シンクは初期の段階であれば何とかなる確信はあった。
 小生意気なのは持ち前の性のようだったし。
 アッシュに関してはだめだったらそもそも成り立たない気持ちで接触した。

 後の安泰のためにはアッシュには王家を離れていても世界と国のためを憂い、などと言う立て看板があったほうが確実にいい。
 ナタリアが民衆の支持を受けて王になれる見込みすら得たように、救国の英雄の七年間に人々は感涙、する、かな。
 判らないが、とにかく美談ではあることだろう。

 本編の時点であれば、和平会談の時点では明かされなかった第七譜石の預言も、さらすつもりだ。
 それを前にすれば破滅の預言を覆そうとする行為は多大な宣伝を伴って美談として広まるだろう。
 世界の英雄にまで祭り上げれば、お受けに戻るのに反対できる者など居ない。
 居たとしても、その意を配する事ができるだけの力を民意に持たせたい。
 ナタリアの、時のように。

 ナタリアに対するように身近な事は無いだろうがそれでも、排するとなればマルクトと、ついでにダアトからも避難が上がるだろう。
 宣伝には漆黒の翼にも存分に活躍してもらおう。
 アッシュやルークを題材にした小活劇を作ってもらって各地で公演するというのもいいかもしれない。

 この場合ルークの事は隠された双子、などに改変した方が人々の受けはいいかもしれない。
 レプリカはまだ一般的ではなく、導師イオンの事の隠蔽にも、レプリカと言うよりは双子といったほうがいいのかもしれない。
 盛大に、盛大にせい谷に宣伝して事実など覆い隠してしまえばいい。


 多少の良心の呵責の末にも、彼等が幸せをつかめるのならば。


 何よりもルークとアッシュにはその心を成熟させるための時間が必要だから。


 何事も無ければ次に連絡が来るのは、いつだろうか。
 アクゼリュスまでの道のりで思い出せる仮定はほぼ伝えてある。
 アニスの密書の内容も、私などに関すること以外はほぼそのまま送って構わないと伝えてあるし、とりあえずキムラスカに到着したと伝書鳩が知らせた、と聞いたのがつい昨日だ。
 人目を憚るようならよほどの事が無い限り知らせは送らなくてもいいと伝えてある。
 手筈も整えてある。

 シンクやアッシュ、ディストから手に入れた導師イオンの資料から、導師イオン模倣対策も立ててある。
 そもそも本編に入ってから彼がヴァンなどと触れ合う時間は限りなく短く、仲間内にいる間はアニスとジェイドで多少の不審さは誤魔化せるだろう。
 敵方に渡る事があっても、病弱を理由に引っ込んでいれば発覚は遅れるだろうし、アッシュ、ディスト、シンクの三人がかりで隠蔽すればなんとか、為ると思いたい。







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