それ行け一軍人。 1〜5

    





それ行け軍人。――1



 慎重な選考の上に選ばれたその男は、今独りパダミヤ大陸に降り立った。
 巡礼者に紛れ、石碑を廻り、そしてダアトの名を冠する地を踏みしめる。

 彼に与えられた密命は二つ。
 ユリアロードの存在の確認と、赤い髪を持つ少年に会うこと。

 そのうちの一つ、ユリアロードの確認は巡礼にまぎれて終わらせている。
 彼はその実力も選考のうちにあったし、ホーリーボトルを随時使っていけば何のことは無い。
 資金は潤沢に与えられている。



 彼は巡礼者として教会に入る。

 そして咎められることの無いように、巧妙に教団の深奥に入り込んで行った。



 そして彼は三度目に、その少年を見つけた。
 赤い髪、翡翠の瞳。
 こわばった顔をした少年。

 これが、バチカルのルーク・フォン・ファブレ――







 男はもう一度、己に与えられた情報を整理した。



 ローレライ教団神託の盾主席総長、ヴァン・グランツによってレプリカを作られた少年。
 誘拐される以前はキムラスカ・ランバルディア王国首都バチカルに住む、ファブレ公爵の嫡男。
 現神託の盾特務師団所属、アッシュ響長。


 大盤振る舞いだろう。
 信を得ている、と自惚れる。
 だからこそ、その期待にこたえたい。

 死霊の軍隊と言われたところで構わない。
 それが相手の恐怖になるなら。
 自分たちは死を恐れずにあの方のため、そしてマルクトのために進むだろう。

 マルクトのためならば、敵にだって頭を垂れる。



 彼は周囲の様子を窺った。

 歩哨の兵士は彼のところから逆に向かっているし、深部と言うにはいささか階層が浅いが、そうやすやすと巡礼者や預言を求める者が入ってくるような場所でもない。

 好機である、と。

 廊下を進む紅い髪の少年のまえに飛び出して、彼は膝を付いた。

「あなた様はもしや、ルーク・フォン・ファブレ様ではございませんか」









「上官より、あなたにお会いしたならばこの手紙を渡すようにと、言付かっています」
「手紙?」
「それとどうか、この事は――いえ、私と会ったということは、御内密に」

 そう言って、男は封筒を差し出した。
 真っ赤な上等の蝋印は、今回がはじめて使われたデザインのもの。
 その意味を知る者はこの世界にもごく僅か。

 ほんの二年ほど前までは、バチカルの屋敷で帝王学と共に蝋封の印章一つで家を見極めるためにあらゆる家紋を記憶するべく努力していたアッシュ。
 まだ全ての家紋を覚えきれたわけではなかったが、その時点で現存する全ての家紋と印章を一通り見てはいた。
 その記憶のどれにもかすらない印章。

「……これは、何処の印章だ」
「残念ながら存じません。近頃新しく家が興ったという話は、キムラスカもマルクトでも聞きませんが」
「それは知っている」

 だからこそ、聞いたのだと。

 見た事の無い、ただ一輪、スミレらしい花の押された蝋印。

「折を見て、また会いに来ます、ルーク様」
「アッシュだ」
「ではアッシュ様」
「……」

 複雑そうに顔をゆがめるアッシュ。

「我等マルクトは、何時でもあなた様の亡命を受け入れます。どうかそこのところをよく憶えて置いてください。居場所なんて、造ろうと思えばいつでも出来るし、無いと思えば何処にもありません。新しい居場所を造っても、前の居場所を捨てることは無いのです」
「おまえ!」
「幾つも帰る場所があるのは素敵なことだと、伝えてくれと、その手紙の主の方からの言伝です」

 まて、と声を掛けられるが、そろそろ限界だった。
 歩哨が帰って来る。
 アッシュもそれに気が付いたのか、ちっ、と短く舌打ちした。

 互いが背を向け、他人になる。

 振り返ることもなく、彼らは何事も無かったかのように、それぞれの場所へと帰って行った。




 教会の外へ出て、借りていた宿の個室に入り、男はやっと吐息をこぼした。

 接触したのは、誘拐され、名を奪われたとはいえ長く敵国であったキムラスカの、高位の貴族の子弟。
 憎んでいた、見下していた。
 民に知を与えず搾取するだけの貴族のその嫡子。

 そのはずだった。

「なんだ……」

 気が抜けたように男は呟く。

 華奢な肩、薄っぺらな胸板、瞳に映るのは精一杯の虚勢。
 初めて見つけたときのあの子どもの顔は、見知らぬ土地で迷子になっていた自分の弟となんら、変わらなかった。

 親から離された、泣き出す寸前の子どものような、目。

「ただの……子どもじゃないか」

 そして、思い出す。
 上官から渡すようにと命じられていた封筒の、蝋印の紋章を。

 あれが家紋であることなどありえない。
 細工こそ精緻であったが、スミレが一輪だけなど子供の遊びのようなもの。

 なにか意味でもあるのだろうか、そう考えて、まずは花言葉でも思い出してみようとしたが結局彼は花言葉、と言うものについてまったく思い出せなかった。

 男で増して軍人なんてそんなもの。
 花言葉なんて宮廷遊びの延長線だ。
 無骨な自分になど判るわけがない。

 後で分りそうな人間にでも聞いてみよう、と男は重い腰を上げたのだった。











それ行け軍人。――2



 これでもう、何度目のやり取りになるだろうか。
 私の差し出した手紙をその場で開いて読むアッシュ殿。

「はっ、少しはまともなものが書けるようになったじゃんねぇか」

 と皮肉げに呟いた。

 出会った当初は、もう少し、口が良かったと思うのだが、やはりこれが環境なのだろうか。
 ここの所幾分口が悪くなったような……いや、取り繕うのはやめよう。
 はっきり言って、口が悪い。

 ローレライ教団員としているのならともかく、軍事色の強い神託の盾に所属しているのならば仕方が無いかとも思うが、もはやどう見ても良家の子息ではない。
 いや、動きや作法に関しては、いまだに教えが身についているのか、他と比べても抜きん出て優雅であったが、言葉が全てを台無しにする。

 ああ、口が悪い。
 目つきが悪い。
 態度が悪い。

 穏やかに笑うことでもあればいい顔になると思うのに、常にどこか皮肉を篭めたように笑うようになった。
 色々と台無しだと思うこのごろだ。

 最初に出会った頃のような、やたらと張り詰めたような雰囲気のなくなってきたアッシュ殿。
 様とは呼ぶな、と言われたが、敵国とはいえ元王位継承者。
 その継承権は、いまバチカルにいるレプリカがもっていいるが、何時か彼がファブレの子息としてバチカルに帰ることがあったなら、順位は判らないが再び王位継承権を持つ可能性もあるし、そうでなくてもファブレ公爵の子息とあれば高い爵位を持つことになるだろう。

 年下だからと言ってやすやす呼び捨てには出来なかった。
 私は我が上官殿のようには出来ない。
 我が上官殿のあれは――あれも一種の世渡り、処世術。
 私には到底まねできない仕上がりようではあるが。

 まして、アッシュ殿はここで理不尽な扱いを受けようとも、マルクトに亡命する気は無いとの事。
 キムラスカの王族の教育は行き届いている、と皮肉をもって感心するしかない。

 接触を重ねる中で既に私はアッシュ殿に、第七譜石の内容と、アクゼリュスに読まれている秘預言の内容を伝えてある。
 何時伝えるか、あるいは伝えないでおくのか、裁量は私に任されていた。
 それらを伝えたのは、今からそう遠い話ではない。

 マルクトからの使者であること、そしてアッシュ殿が一度信頼していた者から誘拐され、理不尽な環境におかれていることと、信頼を得られるようになるまでは随分と時間がかかったが、その間でもあの手紙を拒むことは一度もなかった。
 私は、あれの中身に何が書かれているのかは知らないが、まあ、ああいった言葉が出てくるようなものなのだろうと漠然と思っている。

 自分が届けている手紙の内容がどういったものなのか、正直な話をすれば、気になると言えば、ものすごく気になっているのだが。
 任務と割り切り、誘惑を断ち切る。

 いつもと同じ、スミレの花が一輪だけ浮かび上がる蝋印の施された封筒を。

 育ち盛りの子どもの成長を、本意ではないにしても見続ける事になり、私は自分でも意外と思う新鮮な思いを抱いていた。
 この任務が終わったら、いや、それを言っていたら先が無い。
 なんと言ってもこの任務は長期にわたる。
 機会があれば、私も結婚して、子どもを持ってみるのも悪い気はしなくなった。

 神託の盾のなお暗がりに身を置かされながらも、心までは落としきらない。
 見ていていっそ気持ちいいほど高潔であるが、そのあり方は恐らくは随分と、生きにくくあるだろう。
 キムラスカも高位の爵位を持つ家に生まれながら、現状の彼は神託の盾でも影を担う部分の一団員に過ぎない。
 本来身に受けるはずの無い理不尽を、どれほどその身に浴びてきたのか。

 容姿も整っているし、存在感もある。
 目立つ要素を持っている上に、神託の盾騎士団において人望も厚いヴァンがつれてきた子供……と言うだけで、どれほどの災禍が彼の身に降り注ぐのか。
 差し出される傘さえ拒んで強がる様は、痛々しい。

 だがそれが彼を支える矜持だと言うのなら、庇護という名の傘は用意しつつも、いつでも手にとれる程度のところい置いておくのもいいだろう。
 人間、雨に当たりたくなるときも有るものだ。

「明後日だ」

 そういって背を向けたアッシュ殿に、

「それではまた後日」

 と返して私も背を向ける。

 その明後日に再び合った時には、また長くは無いが会話をし、そして渡したときより分厚くなった封書を渡される。
 あるいは、本人と接触できないときは指定の置き場所に、その封書が隠されている。

 返信、となるのだろうその場合は、蝋印も施されていないし、見ようと思えば隠蔽工作の必要もなく中身を見ることが出来るのだろう、が――

 そろそろ見ないことに全力を注ぐほど、私はこの手紙に興味を持ってしまっている。
 私が軍人である限り、開くことは恐らく無いが。

「どうかしたのか」

 言われてはっとなる。
 そんなつもりはなかったのだが、アッシュ殿をずっと見つめ続けていたようだ。
 アッシュ殿もいい年をした男に見つめ続けられてもいい気はしまい。
 その証拠とでも言うかのように、眉間には皺が刻まれている。

「いえ、アッシュ殿も大きくなったなぁ、と。つい先日までは子どもだと、思っていたのですが……」

 かぁ、とアッシュ殿の顔が赤くなる。

「う、うるせぇ! 誰が子どもだ!」
「いえ、誰のこととは」

 本当に、子どもを持ってみるのも、悪くないかもしれない。











それ行け軍人。――3



 ダアト、パダミヤ大陸に総じて一体何人のマルクトの人間が思惑を持って入り込んでいるのか。
 残念ながら私は知る立場にない。

 私がこちらに来たころには、まだそれほどの人数はいなかったと思ったのだが、気が付けばちらほらと知った顔も見かけるようになっていた。
 互いに知らぬ振りをして通り過ぎるのだが。

 神託の盾に、教団員に、馴れない制服の中身が見知った顔だと言うのは不思議な気分だった。

 ダアトの近郊に家を持ち、結婚を前提にお付き合いを始めた女性も居る私は条件がいいらしく、あっちにこっちにとつかいっぱしりにされていた。
 私は預言を詠んでいないが女性は結婚の預言が詠まれているらしい。
 預言など無くても、伴侶として申し分ないよく出来た女性だ。

 預言が彼女の背を押したと言うのなら預言に感謝もしよう。
 だが預言など詠まれなくても、私は自分の意思と行動で彼女と親交を深めただろうと思う。
 ほれているのか、と。
 胸に湧き上がる感情に苦笑した。

 話してみれば、習慣として預言を詠んでいるだけで、何もかもを預言に頼る、と言うほどの執着は無いようだった。
 そもそも預言を詠むには金が要る。
 彼女の家は、頻繁に正確な預言を求められるほど裕福ではなかった。

 年に一度、生誕預言を詠む程度らしい。

 あちらこちらに連絡係として走らされつつも、幸せな家庭をつかみかけている私の元に、ひとつの仕事が舞い降りてきた。
 いや、土の入った植木鉢を窓から投げ落とされたような気分になった。

 ダアトで彼女と出会った、幸福の切っ掛けを与えたのも仕事なら、それを奪うのも仕事なのか。
 失敗すれば命は無い。




 それでもやるのが軍人か。




 上官は敬愛する死霊使い殿。
 ますます断るわけにはいかない。
 間違って死ぬわけにもいかない。

 噂の真偽はよく分らないが……死んでも扱き使われそうな予感がする。

 ただでさえ忙しい今日この頃、死んだら給料ももらえない。
 こんど彼女が気に入っていたブローチを送ろうと思っているのだ。
 小さくて可愛らしいデザインで、彼女も気にしていたようだった。
 自分の家の財政状況を言っているのだろう。
 笑って『必要ないもの』と言っていたが、そんな時ぐらい私を頼って欲しいものだった。




 今回の任務は、造られたローレライ教団導師、イオン様のレプリカを保護すること。
 ザレッホ火山の火口に捨てると言う幾らレプリカだからとて随分と酷い始末をつける。
 胸糞の悪くなるような話だった。

 正確な月日がわからないから、いずれそういうことが起こる、と情報が入ってから長期にわたり、ザレッホ火山を監視していたのは知っている。
 私はそれらの連絡員でもあった。

 ザレッホ火山、火口、とは言ってもあの火山は広い。
 内部の空洞もかなりの面積を誇る上に、教団本部旧図書館から通じる場所にはモースが場所を陣取っている。

 モース本人ではなく、その手勢であるが。
 本人は大詠師と言う立場にありながらダアトに居る時間のほうが短いと言うくらいよくキムラスカへ赴く。
 戦争戦争、と、早速吹き込みに言っているのか。
 呆れたものだ。

 モースは居ないが監視員はほぼ常駐、転移陣の位置のせいもあり旧図書館側から火山内部に侵入できたことは数えるほどしかない。
 その数回の貴重な時間にも、探索にたいした収穫は伴わなかった。
 何かをしているのだろうが、何をしているのか。
 証拠を隠している、と言うよりもそこはただの中継地点か、置くべき物が無いようだった。

 作られたレプリカたちが廃棄される、との情報はあったが、場所は火口、としか情報がなく、この広い火口部分の一体何処でそれが行なわれるのか分らない。
 監視を強めるか、だがこれ以上は人員の投入も難しい。
 どうするか、と言ったときに、我が上司殿がレプリカ製作にかかわっている神託の盾騎士団六神将、死神ディストを陥落させた。




 我々は武器を手に、先を行く者たちの後を追う。
 体力の無い子ども達を引き摺っているせいか、あちらの足は速くない。

 振り上げた武器は先を平たく叩き伸ばしたウォーハンマー。
 そして火属性の譜術。

 まさか剣でも槍でもなく、こんなものを武器として使う日が来るとは思わなかったが。
 譜術も武器も、このザレッホ火山に住む火竜を擬態するためのもの。




 後ろで一人が譜術を唱え終えたそのとき。
 風切り音をさせ、それは振り下ろされた。




 保護した子どもたちのガラスのような目玉に見つめられて、たじろぐ。
 他の同僚も同じようだった。
 ガラスのような目。
 六つそろった同じ顔。

 これが――レプリカ。

 まるで死人のようなレプリカたちの目に、我が上司殿の噂を思い出した。

 死霊使い。
 使者を生き返らせ、使役する。

 目の前に居るのは姿だけならまさに導師の写し身だった。











それ行け軍人。――4



 死人のようだ、と思った子ども達も触れ合ってみれば何のことは無い、ただの人間だった。

 何だこの糞ガキどもは!!

 と言うのが今の正直な心境だ。
 連れ帰り、栄養を取らせ、一通り風呂に突っ込んでみれば薄汚れていたレプリカ達も大分見られる容姿になった。

 と思ったら、もはや周囲に怖いことがないのを悟ったのか、暴れ始めた。

 子どもは食ったら寝るんじゃないのか?
 さっきまでのおとなしさはどこにおいて来たんだ。
 殊勝な態度はどこ言った!

 何でもいいから黙って座れ!!

 彼らにとっては何もかもが珍しいのか。
 導師となるために施された刷り込みのせいだろう。
 喋っても怒られないことを学んだのか、やたらと喋る。
 此方を質問攻めにする。
 狭い部屋の荷物をひっくり返して足の踏み場もなくす。
 此方を試すような行動を繰り返し取るレプリカも居る。

 やっている事は赤ん坊か、せいぜいでも5、6歳くらいだと思うが、体が大きいから被害が尋常ではない。

 ああ、また椅子が倒れた。
 倒れたいすにつまずいた子がテーブルに額をぶつけて泣いている。
 その鳴き声に触発されて何も無いのに泣き始める子も居る。
 泣きながら大きな体で地団太を踏む。

 花瓶が倒れて破片が飛び散る。
 誰だ、ここに花瓶なんぞ持ち込んだのは!

 子どもを拭いたタオルをそのままにしておいたら、自分の首に撒きつけて窒息しかける。
 塩壷をひっくり返した子どもが程度を知らない塩のなめかたをして涙目になる。
 かと思えば数人でよってたかって砂糖を一瓶明けるような勢いだ。

 暖炉の中に入り込んですすだらけになり、頭をぶつけて泣き喚く。
 黒い顔のなかで涙の跡だけ洗われている。
 後で風呂の入れなおしだ。
 ああ、待て動くな!!
 煤を払わないと部屋っ……が…………。




 もう、いい。好きにしろ。




 阿鼻叫喚、ああ、まさに地獄絵図。
 まだやっと彼女が出来たばかりで何故子育ての苦労を感じているのか。

 精神の年齢と肉体の年齢が噛み合っていない。
 つい先日子どもが独り立ちしたばかりだという年配の男が、上手いこと子どもをあやすのを何も出来ずに突っ立ったまま見ていた。

「いやぁ、息子の小さい時を思い出すよ。触って欲しくないものに限って触る、口に入れる、壊すし泣くし」
「そ、そんなものなんですか……」
「大きくなれば一人で育ったような顔をして、小さい時のことなんて覚えていないんだろうなぁ」
「は、はぁ……」
「まあ、こういう行動をするのも一時のことさ。ま、私の息子がこんなことをする年頃には、こんなに図体はでかくなかったがね」

 子育てどころか孫すら居ると言うその言葉には、妙な諦観と説得力があった。

 抱っこに味を占めたらしい子どもが、更に抱っこをせがむと、それを見咎めたらしい子ども達がわっと駆け寄り次々に我も我もと抱っこをせがむ。
 泣いていた子どもも泣くことも忘れて駆け寄っていた。

 ああ恐ろしい、何たるパワー。

 誰が片付けるのか?
 ああ、俺に決まってるか。
 足元がじゃりじゃりする。
 塩だか砂だか分ったもんじゃない。

 ああ、飲料水のタンクが壊された。
 広がってくる水が塩や砂糖、煤や泥を全て一緒くたに混ぜ合わす。
 私はふっと天井を仰ぎ、私より階級の低い者が何名居たかと考えた。

 片付けは、手伝わせる。
 ただでさえ俺は不調法者。
 こんな場所の方付けを一人でやっていたら夜明けを見るどころか次の夕焼けを見ても終わらない。

 そんな時ふと、一人駆け寄っていない子どもが居たのが目に入った。
 まだはっきり言って見分けが付いているのか自信が無いのだが、恐らくはずっと此方を試すような行動を取り続けていた子供、だと思う。
 同じ環境に居たはずなのだが、なぜか一人だけ、スレている雰囲気を持つ子どもだった。

 何が彼と彼らを分けたのか。

 この子供らしい子供である糞ガキどもと、このすれた子どもと。
 同じ顔が、オリジナルも含めれば全部で八つ。



 ああ、この子は彼らにはなりたくなかったのか、とそういう思いが浮かび上がり、認識したとたんに納得した。
 あの子は、あのレプリカは、彼ら、では無く自分になりたかったのだ。
 替わりなんて居ない。
 ただ一人の存在に。

 これから、他の子ども達も生きていくことが出来たなら、今は無頓着な己の容貌にいつか気が付く日が来るだろう。
 揃いもそろった同じ顔。
 互いを区別する日が来るまで、彼らはそろって同じ存在。

 なんというか、こんなスレた子にはなってほしくないが、どんな個性を伸ばしていくのか、少し興味がわいた。

 そんな時だった。




 バタン、と勢いよく扉が開かれ何かが飛び込んでくる。
 とっさに武器を構えようとして、ハンマーは火口に捨ててきたことを思い出した。
 しまった、手ぶらだ!!

 せめて共に居た年配の男が一人でも逃がす時間が有ればと前に出れば――

「はーっはっはっはっはっはっは! 薔薇のディスト様登場! さあ、私を称えてギュム……」
「ふん、馬鹿が。テメェは死神ディストだろう」

 椅子の裏側からやってきた焔が高笑いする変態を叩き落し踏みつけた。
 泥と砂と塩の混じった沼のような水溜りに突き落とされるディスト。
 傍から見ても酷い扱いだ。

 泥沼の中でもぞりと動いたかと思うと勢いよく体を起こし叫ぶ。

「ムキーッ! いきなり何をするんですかあなたは!!」

 出会った頃から比べても、自称薔薇のディストのヒエラルキーの著しい低下を感じる今日この頃だった。











それ行け軍人。――5



 疲れきってうとうとし始めた子ども達を再びまとめて風呂に突っ込み、人数を数える。
 六人。
 きちんとそろっている。

 五人目のレプリカの逃亡に気をつけろと通達されていたが、誰が五人目なのか分らないので均等に目を光らせる。
 まあ、逃げ出すとするならば、あの妙にスレた雰囲気を持つレプリカだろうか。

 ディスト律師が眠りかけるレプリカたちを揺すり起こしながら一通り診断を下す。
 手伝ってくれないアッシュ殿を少し恨みがましい目で見ながらその間に私は部屋の掃除に着手した。

 辛うじて魔の手の伸びていなかった部屋で寝かしつけられたレプリカたち。
 律師ディストの診断では、特に問題は無かったらしい。
 製造、研究段階からそれなりに気をつけていましたからね、と胸を張って言われたが、どう返していいのやら正直困る。

 適当にほめておけば言いと言われたが、適当と言うのも……。

 付いてきただけだ、と言っていたのに、レプリカ達にまとわり付かれてもみくちゃにされていたアッシュ殿。
 うっとおしくは有ったようだが、害意の無い怒鳴り声では怯えるものでも無いらしく、多少乱暴な動作にもレプリカたちはキャーキャー叫んで喜ぶばかりだった。
 アッシュ殿も、あれで意外と付き合いがいいというか――子どもに弱いのかもしれない。

 一度は断る、と言いながらも、駄目なの? と下から涙目で訴えられるとたじろいで、結局了承するような場面もみられた。
 それを見て笑っていた老年の男のなにか含みのあるような笑みが気になるところだ。

 検診が終わったディスト殿を引き摺るようにして帰っていったアッシュ殿。
 何をしにいらしたのか。

 下級兵を引き連れて、人海戦術で家の掃除をした。
 家具など一つも残らず廃棄した。
 一応ここは、隠れ家のはずなのだが。
 ここまで騒いで見つからないか心配になる。



 翌日になってレプリカたちを叩き起こし食事を取らせ、片付けさせたために何もなくなった居間に集めた。
 これだけ何もなくなれば、もはや壊せるものが有るものかという有様だ。

 次に使命有るまで、ザレッホ火山での任務の為にかき集められた兵たちはほとんどが各々の任務に戻っている。
 ここに残ったのは料理を作ったものと私を含め、既にほんの数人だ。

 レプリカたちはまた一暴れしたが、もはや壊せるものなどありはしない。
 律師ディストがまた訪れるまで勝手に暴れさせておくことにした。
 くるくるとまとわり付かれて――彼が来るまで体力が持つかどうかの方が心配だ。

 これでも十五の年からマルクト軍に所属して、厳しい訓練を耐え抜いてきている。
 体力には自信があったのだが……何かが根源から突き崩されそうだった。

 昼を回る前に律師ディスト殿が再びここを尋ね、その頃には騒ぐレプリカたちもある程度体力を使いきったのか何とか集めて座らせることができた。
 集まったレプリカたちの前で私は一通の封筒を取り出す。

 スミレの蝋印は私の手によって既に解かれた後だった。

「あー、お前たち、誰が五番目に生まれたかわかるか?」

 五番目? 五番目、五番目?

 とレプリカたちは互いに囁くが、意味が通じているのかどうか怪しい気分になってくる。
 一通りの言葉を操れることは、昨日今日と遊ばれているうちに分ったのだが。
 ディストが言語プログラムに心血を注いだことを懇々と語っていたのを上の空に聞きながらもてあそばれていた時には知らぬ風にする彼を恨みがましく思ったものだが。

 レプリカたちがディストをおもちゃにしに行かないのは、製作されたときからの環境のせいだと信じたい。
 けっして彼の人間性のためではないと……。

「ディスト殿。誰が何番目の子供か分りますか」
「分るはずが無いでしょう! こんな同じ顔がゴロゴロしていて」
「……そうですか」

 ディスト殿に分らなければ、生まれた瞬間も見ていない私に何番目のレプリカであるカなど分るはずも無い。
 諦めて、もう一つの注釈に従うことにした。

『五番目の子供か、あるいは一番スレていそうな子どもがシンク』

 ぐるりと見渡して、すぐに決めた。
 誰が五番目か知らないが、もう一つの条件なら彼しか居ない。

 とりあえず、昨日のうちに服装で差異をつけておいたので、服の取替えっこなどをやっていないのならひと目で分る。
 その服の子どもを見つけてしばし態度を観察する。
 うん、ああ間違いない。

「君は今日からシンクだ」
「シンク?」
「君の名前だ」
「名前?」

 逐一怪訝そうに繰り返すレプリカ――いや、子ども。

「ここにいる六人の君達を区別するための記号でもあり、まあ、この手紙の主に言わせれば、誕生の祝福らしい」

 そう言って、再び手紙に目を落とす。
 一度読み込んだ手紙には、六人分の名前の最後に彼らの誕生を言祝ぐ言葉が記されていた。

「とりあえず憶えておけ。君が今日からシンクだ」

 そう告げた時、残ったレプリカたちが色めきたった。

「名前、僕も名前!」
「僕にも、僕にも名前!」
「名前ちょうだい、僕にも名前ちょうだいよ」

 わらわらと寄り集まってくるレプリカたち。
 特別なものである、と言うニュアンスは、伝わったようだ。

「わかった、分った。ちゃんと全員分の名前があるから」

 適当に子ども達を宥めて、再び手紙に目を落とす。

『三番目の子供か、あるいは純粋無垢そうな子どもがフローリアン』

 シンクの方はいい。
 五番目かどうかは結局分らなかったが、注釈の方は理解できた。
 レプリカたちの中では一人異彩を放つ雰囲気。

 だが、今度はお手上げだ。

「ディスト殿。三番目に造られた子は誰か、分りませんかね」
「施設で監視していた時ならともかく、こうなってしまっては分るはずも無いでしょう!」

 ふん、と鼻をならしてそっぽを向かれた。
 一体どうすればいいのだろう。
 この三番目の子どものためらしい名前を、誰に送ればいいのだろう……。








『生まれてきてくれてありがとう。
隣人が、親友が、そしてもしかするなら貴方達自身がその生を呪い疎むのだとしても、貴方達が生まれてきてくれたことを私は感謝します。
貴方達として生まれた貴方達が、いつか自分になれるように、貴方達がいつかこの世に何かを見出せるように、祈っています』








 この言葉を、彼らの前で読み上げるまでにはまだ幾許か時間が必要なようだった。







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