ティアの場合
二年。
待ち続けたわ。
私たちはそれこそどれほどでも待ち続けられるとそう思っているのに、世界はもっと早く決着を求めた。
そして大きな流れであるそれに、私たちは逆らえなかった。
英雄の墓碑が建てられる事になったその日に、出席を乞う書簡が届いていたけど、返事も出さずにすっぽかすことだけが小さな抵抗の証だった。
まだ、終わっていない。
いつかルークは帰って来る、って。
けれど、世界が新しく生まれ変わるために英雄の死と言う区切りを求めているのも判っていた。
判ってしまえたのが辛かったわ。
でも、彼は帰ってきた。
帰って来てくれた! 約束どおりに!!
あの日、セレニアの花畑の中で切った髪は長くなっていた。
色も少し変わっていたわ。
服装だってあの時とは違ったわ。
それでも、彼はルークだった。
すぐにわかった。
一目でわかったわ。
どんな姿をしていても、ルークはルークだもの。
見間違えたりしない。
見間違えるわけが無いわ。
皆でパーティーをしたわ。
ルークの帰還を皆で喜んだわ。
ファブレ公爵とシュザンヌ様も、インゴベルド陛下も喜んでくださったわ。
ルークが長くは生きられないだろうって、そう語ったのはその後だった。
アッシュが生かしてくれたって、彼はそう語ったわ。
アッシュの構成音素を取り込んで彼は帰ってきたんだって。
けれど、アッシュの体の寿命がさまざまな要因で蝕まれていたから、その要素も音素と共に継いだためにあまり長くは生きられないって。
それを聞いたとき、大佐はメガネを指で押し上げながら「やはり、そうでしたか」と呟いていた。
不完全な大爆発、特殊な空間、ローレライも含めた三体の完全同位体。
さまざまな条件が重なったのでしょう。
そう告げた大佐にルークは少し寂しそうに微笑みながら言ったわ。
不完全だけど、アッシュの記憶が少し有る、って。
その記憶がルークとしての人格を侵食しないか大佐は心配していたけど、彼はそれが平べったくて感情の無いものだから大丈夫だといっていた。
私にはそれがどんなものか、想像もできない。
彼がアッシュのどんな記憶を垣間見たのか。
彼が幼い時の記憶?
まだルークだった頃の。
誘拐された時のもの?
彼が生まれたというコーラル城で。
それとも神託の盾騎士団に居た時の?
特務師団長として――鮮血の名を負って。
あるいは、ルークの人生が大きく動き出してからの、こと?
タルタロスで、カイツールで、アクゼリュスで出会ったアッシュ。
彼が一人何をしていたのか、ルークは知ったのかしら。
私たちはルークを通じて僅かにアッシュの事を知ったわ。
その半生が過酷なものだったことも。
今となってはもう、彼に何かを伝える事はできないけど。
プライドの高い彼のことだから、もしかしたら知られることを嫌って、記憶の音素をかき集めて音譜帯に昇ったのかもしれませんね、って大佐が締めくくったわ。
そうかもしれない。
その人生が過酷なものであればあるほど、彼は人に知られたくなさそうな気がした。
それがあの時のように、誤解を生むのだとしても。
それでも、ルークが帰って来てくれたなら、何でもよかった。
約束を果たすために帰ってきたって、帰ってきたって!
ただ、それだけでよかった。
確かに、彼はあまり長生きできなかった。
けれど生きている限り精力的に活動して、知識を深め、人脈を広げ、変わって行くこの世界に新しい道筋をつけるべく奔走していたわ。
私も、彼の隣で一緒に奔走したわ。
彼にあまり時間が残されていないって言うのも、私の背中を押したのかもしれないわね。
彼が生きたその時間が、短く感じられてしょうがなかった。
楽しい時間は早く過ぎるものとはよく言うわ。
本当に。
七年で世界に殺された英雄は、それから十年、世界で生きて、そして死んだ。
私の中に、新しい命の種を残して。
とてもとても愛しい、命の種。
膨らんでいく生命の蕾。
兄さん。
ねえ兄さん。
兄さんはいま音譜帯に居るのかしら。
それとももっと遠い所?
世界は兄さんが嘆いたように、優しいばかりじゃないわ。
どんなに八方手を尽くしても、レプリカ問題は依然としてある。
同じ人の姿をした者たちに優劣をつけ、人は醜い差別をするわ。
社会的なストレスを更に弱者に押し付けて心の安寧を得ようとする。
そんな世界でも、やっぱり私は大好きよ。
何よりも、いま私の中で育っている小さな命が生まれる場所だから。
育ってゆく世界だから。
それがどんなに過酷な世界でも、私は愛せる。
このお腹の中で育っていく小さな命は兄さんが愚かと嘲笑ったレプリカだったルークのもの。
私の中で育っていくレプリカとオリジナルのハーフ。
今でも、そしてこれからも、私はきっと兄さんを許せないわ。
それでも一言だけ、言うわね。
私の大切な人を、この世に生み出してくれて――ありがとう。
やがて生まれた私とルークの命の種は、ルークのものよりももっと薄い朱金の髪をしていた。
ルークそっくりの色をしていなかったことは残念だけど、私の子でもあるんだもの。髪の色はどちらかといえば私の方に近い気がしたわ。
血筋はともかく、これならほとんどバチカルの王権に関わることは無い色だから、実はかなり安心していた。
たった一粒の種だもの。
妙な争いに巻き込まれて失うことだけは避けたかった。
そして開いた瞳は――あの明るい新緑の色をしていたわ。
涙が出るほど懐かしい、それはルークの色だった。
まだ言葉を知らないような赤ちゃんでも、いいえ、感情さえまだ未発達だからなおさらなのかしら。
私が泣き出すとその子も一緒に泣き出したわ。
音譜帯まで届くんじゃないかってくらい、大きな声で。
ルーク、ルーク……。
ねえ聞こえているかしら。
あなたは今音譜帯に居るんでしょう?
この子の鳴き声が、届いたかしら?
あなたが死んでも続いていくあなたが居た証。
あなたは間違いなく立てたわ。
死ねば跡形もなく消えてしまうレプリカであるということを憂いて居たあなた。
けど、ほら。
あなたは死んでも消えては居ない。
あなたはこの子に、続いていく。
産まれたその子が育っていくのを、種が芽を出し、枝葉を広げ、花を咲かせようと蕾を膨らませていく様子を私はずっと見守ることが出来たわ。
子育ては大変なことばかりだったけど、楽しかった。
一日だって同じ日は無いわ。
夢を語るようになったその子が、自分の力で努力を重ねて、大輪の花を咲かせていく様子が嬉しかった。
見届けることが出来なかったのが残念だったけど。
私の体内から、イオン様が瘴気を引き出してくださったから、私は生きていくことが出来た。
けれど、一度傷ついた内臓はそうやすやすと元通りにはならなかったわ。
すぐに浄化できたならまた話も違ったのかもしれないけど、私は薬で痛みを誤魔化して戦っていた時間が長かったから。
ルークよりはずっと長く生きられたわ。
あなたの子どもを生んで、その成長を重ねる姿を間近で見ることが出来るほどには。
親が子より早く死ぬのは自然の摂理だわ。
あの子より長く生きるよりはずっとまし。
もしあの子の死を見るようなことがあったらと思うと気も狂うようだわ。
私は、きっと満足していたように思う。
ありがとう。
ありがとうみんな。
私たちが王家の騒動に巻き込まれないように気を使ってくれたナタリア。
ダアトから纏め上げてルークの望んだ世界を実現するために奮闘したアニス。
女性恐怖症もちで社交界は大変だっただろうに功績を挙げて両国の橋渡しになっていったガイ。
私とルークの子どものために手を尽くしてくれた大佐。
私に命をくれたイオン様。
ルークに命をくれたアッシュ。
私に希望をくれたルーク。
みんな、みんな――ありがとう。
感謝して目を閉じたはずなのに、気がつけば私はユリアシティの自室に居た。
カレンダーの日付は私が兄を打つ決意を固めてユリアシティを出たその日のもの。
私の旅装も整っていて、今まさに、ユリアシティを出て行く、と言うところのように見えた。
何が起きたのか、判らなかった。
内臓の活動の低下と共にだるく動き辛くなっていた体が軽々と動くのが不思議な感覚だったわ。
夢のようなふわふわした感覚のまま外に出て空を見上げれば、毒々しい色をした瘴気の満ちる大気と、天を覆う外郭大地が見えた。
血の気が引いたわ。
ルークと、そしてアッシュが存在を掛けて消した瘴気がここにある。
命懸けで下ろした外郭大地が天にある。
なぜ?
どうして?
全てが夢だったというの?
あの、何もかもが?
ルークの残してくれた私の子どもも!!
私は力の抜けた膝を叱咤して部屋に戻った。
閉じた扉に背を預けるようにして座り込んで、膝を抱えて、そうしていたのはどのくらいだったかしら。
判らない。
暗がりは私から時間の感覚を奪っていた。
何が、あったのか。
何があったのか判らなくても、暗い空と瘴気を見れば、やらなければならないことはわかっていた。
あの日から、外の世界からの交流に昼も夜も人の絶えない様になったユリアシティは、以前の監視者の町としてひっそりと、していたわ。
昔よりも、抜け出すのは簡単だった。
何があっても、なくても、やらなければならないことは変わらない。
世界がこうであるのなら。
今があの時であるのなら、たとえルークがルークではなくても、同じ悲劇は二度いらない。
ここに居たのかもしれない私に一言だけ謝って、私はユリアシティをでた。
一時期はあんなに殺してしまいたかった自分だった。
愚かで、無知で、どうしようもなくて。
こうもあっさり自分殺しが出来るなんて笑ってしまう。
死んだはずの自分が、生きている自分を殺して今もなお生きている。
なんて言う喜劇かしら。
そして私はルークに出会う。
そこはセレニアの花の咲き乱れる場所だった。
いつでも私の運命の変わり目に咲き誇る花に囲まれて、私はルークに出会う。
彼は私が人生を共にしたルークでは無かったけれど、彼もまた間違いなくルークだった。
どこに居ても、彼は変わらない。
「いこう、ティア。早くしないと馬車に乗りそびれちまう」
「ええ、そうね」
「タルタロスが間近を走り抜けていくのって迫力だったよな〜。はは、なんか楽しみになって来たぜ」
先陣を切る彼の背中を見る。
まるであの頃に帰ったような気持ちになって、私はそっと浮かび上がった涙を拭った。
彼はどこでどういう経験をしてきたのかしら。
私たちが互いに違う私たちだと分っても、彼の背中はもう寂しそうではなかった。
それがとても、嬉しかった。
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