深淵ボート 9



 バチカルの港に着けば二人の軍人に迎えられた。
 ライガ二匹を見て、多少ぎょっとした表情になったが、それでも崩さない慇懃な態度にはまま好感を覚える。
 そう、今私は、ルークの客人、ルークの連れ。

 ガイの動揺から始まった自己紹介は、死霊使いの名が出たところで女性軍人との牽制が入る。

「それで、こちらの方は」

 紹介を流されて、私に視線が集まった。
 ごめんなさい、実はちょっと、自己紹介しなくてもいいなら言いなぁって、忘れられていたらいいなぁって、思っていました。
 ちょっとだけだよ、ちょっとだけ。

「これは失礼、挨拶が遅れました。私はルーアッシュと申します。薬師を生業としておりまして、今回はルーク様に乞われルーク様のご母堂を診察するために、カイツールより同行させていただいております。ここにおりますライガ二匹は、私の妹から預かったものでして、人を襲わぬようにと躾はしております。どうぞここにあることをお許し下さい」

「ルーク様が許しているのであれば、構いません。ですが街中では」
「では、廃工場に下ったところで待たせたいと思うのです。人目につかないように行きたいと思うので、よろしければ案内を付けていただけませんか」
「では、兵を一人つけましょう。その後はそのままファブレ邸へご案内いたします」
「よろしくお願いします。それではルーク様、また後ほど」

 陛下の元へ自分が案内すると言い出す前にさっさと分かれる。
 まだモースをどうするか決めていないから、会えない。
 知らずに親子でいられるのなら、ナタリア。
 それもそれでいいと思うんだ。



 それに、謁見の間で出会うモースがルークを見る眼差しを、私があの場で許せる気がしなかった。



 ねえリノア。
 あなたに会いたい。
 自分の手で自分を滅ぼす算段までしてしまった強かな女性。
 世界はリノアと言う存在を少しずつ忘れ、ガーデンにいる魔女と塗り替えた。
 どんなに努力しても、リノアはリノアとして認められずに、魔女と言う認識のままパッキングされ、眠ってしまった。
 もし、目覚める先に彼女がアルティミシアとなるのなら。
 あなたを抱擁する私達がいないなら。





 愛する人の手で殺されたいと言うのは、許されるわがままだろう?





 例えその相手が、まだ何も知らなくても。
























 廃工場にライガ二匹を待たせて、バチカル上層へ戻る。
 案内されたファブレ邸では、すでに伝令がいっていたようで私はすんなり内部に招かれた。

 目の前に大柄な赤毛の男性が目に入って、反射的に膝を折った。
 赤毛だ。ファブレ公爵だ。

 普段のキリエだったらそもそも会わないように小細工するか、出会ってもそもそもこんなことはしない。
 面倒嫌いだし。
 けど今はルーアッシュだし。
 なんとなく、最近やっと“ルーアッシュ”のキャラが定まってきた感じがするんだよね。
 長生きのしすぎか、冗談抜きで素の人格ぶっ壊れて来ているような気がしていたけど、ルーアッシュは慇懃なキャラ、のペルソナでどうだろうか?

 今更かなぁ。

 まいいか。ここって階級差社会にありながら微妙な甘さがある。
 全てを預言に押し付けるのはどうかと思うけどきっと預言のせいなんだろうなぁ。

「おまえがルークが連れてきたものか」
「御意に」
「構わん。顔を上げろ。ラムダスをつける。報酬は好きに取らそう。シュザンヌを、頼む」

 そしてラムダスに声をかけられるまでの僅かな間に目に入ったのは、――剣。

 ガルディオスの剣、だっただろうか?
 昔――戦国時代の昔には日本にもこんな習慣があったようななかったような……ナムナム。

「はじめましてナタリア殿下。私はルーアッシュと申します」
「あなたが? お話は聞いておりますわ。ルークがつれてきたと。シュザンヌおば様を見てくださるそうですわね」
「はい」

 案内にラムダスが付いて、まずはナタリア様にご挨拶。
 じっと上から下まで見つめられて、けど、男だからかルークがうんたら疑惑はなかったようだった。
 その上でナタリアにシュザンヌ婦人の診察に同席をお願いする。

 快く同意をもらえて向かった先にいたご婦人は、アッシュのものよりも、ルークのものよりも深い赤――フルボディ赤ワインの色の髪の女性。

「お初にお目にかかります。ファブレ夫人。私はルーアッシュと申します」

 ここに着て何度目だろうこの挨拶。
 膝を突付いて一礼。
 やや、ここの正しい礼の仕方は知らないけど、膝をついておけば最低限無礼じゃないはず、だし。

「まあ、お顔をおあげになって。貴方のことは伝え聞いています」
「それでは失礼します」

 日本では、主? 目上の者? が良しと言うまで面を上げてすらいけない時代があった。
 今でも古い家なんかではそんなことがある。
 まあ、このご夫人は別に主と言うわけではないけど。
 貴族のご機嫌はとっておいた方がいい。
 悪害あるならともかく。

「ルーク様より乞われ、ルーク様のご母堂の診察に参りました」
「そうでしたわね。ではお願いしますわ」
「触れることをお許し下さい」

 もう一礼して、近づく。
 今私、体は完璧に男だもん。
 降嫁されたとはいえ、さすがに王妹と二人っきり? と言うのはどうかと……。
 診察の真似事で瞳孔と舌ぐらいしか見る気はないけど。
 あ、脈は何処ではかろう。
 首、腕。……腕でいいや。

 一通り診察する振りをして、悩む姿は本当。
 何を出そうか悩んでいる。

 自分は小粒で呑みやすく手軽だったから、と言う理由と、なめて溶かして一粒を長く使うことも出来る、と言う理由、それと、ポーチを使わなくてもケースごとポケットに忍ばせても邪魔にならない大きさと言うことも気に入って、キシリトールとか、眠気何とかとかのタブレットを愛用していた。
 けど、診察する振りをしながらアナライズに念を上掛けして病域を診断したところ、どうにもこうにも心因性の部分が大きいような気がする。

 体が弱いと思い込む。
 と、本当に体が弱くなって、原因が除去された後も弱いまま、のような。

 たしかに、悪いところはあった。
 心臓。

 すぐに命には関わらないけど。
 でもこの夫人の場合、それがなおっても当分心因性の虚弱で倒れそうな気がするんだよね?

「心臓弁膜症、心肥大、高血圧、と言ったところ、でしょうか」

 塩分がどうのこうのというよりは体質的な高血圧症だろう。
 心臓に関しては、ことさらに軽度のもの。
 医療の発達した世界に住んでいても、生涯気がつかないで寿命で死ねそうなものだ。
 だけど、というか。環境が悪いともいえただろう。
 なんてったってバチカル。
 地上から見上げれば霞むほどの高所。
 口にしないが軽度の高山病も患っている。
 常人であればたいした事のない症状でも、心肺に病を抱える身には心身に触る。
 でもこればっかりは、ねぇ。
 高山病とでも言ったらベルケントあたりにでも療養に出たりするだろうか。

「とりあえず、私はあなたの持つ病の完治をお約束します。ですが、ことさらに少ない体力に関しては、自力で付けていただかなければなりませんし、シュザンヌ様におかれましては心因性のところも大きいと思われます」
「心因性、ですの?」
「はい。心に起因する体調不良。ですね。私の薬は体を癒しても、心までは癒しません。いえ、癒せません。なにか、大きな不安ごとでも抱えておられるのではないですか」
「それは……」
「ご子息のことですか?」
「……ええ」

 ダークローズの髪を力なく肩に揺らす。

「大丈夫ですよシュザンヌ様。あなたのご子息は、あなたの知らないところでとても心強い者を味方につけました。その者達は、自らの存在と誓いにかけて、必ずやあなたのご子息を守り通すでしょう」

 ルークには私が、アッシュにはアーヴァインが。

「巣立つ子を、祝福してやってください。それがいつか親の役目であり、子はそうして安心して巣立つことが出来ます」
「ええ、ええそうね。分ってはいるのですわ」
「あまり気を張り詰めることのないように。きちんと子供と接していれば、それはやがて時が解決してくれることです。とりあえず、これをどうぞ。私を信頼してくださるのなら、今すぐ飲むことをお勧めします。もうすぐご子息もお帰りになるでしょう。体調が悪いとあっては彼も心配するでしょう。根の優しい人間ですから」

 差し出したのは、いつも常備しているタブレット。
 損傷、は直るけど、欠陥、は治らない。
 けど、今の一時しのぎになら十分だろうし、こういうタイプの患者には、一気に治るより時間をかけて治ったと言う印象を植え付けたほうがいいと見た。

「ええ、そうね。いただきますわ」

 そういって目の前で薬を飲む。
 ……毒見とかさせなくていいの? 預言に不審者のことは読まれていないから大丈夫だと思っているの?
 わっかんねー。

「まあ、信じられないわ。あれほど辛かった体が嘘のように軽く感じます」
「まあ、本当ですの? 叔母様」

 シュザンヌ夫人に駆け寄って喜ぶナタリア。

「残りの薬は執事の方にお渡ししておきましょう。飲み方も指示しておきますので。体に抱える病が治れば、ご子息と向き合う時間も作れましょう」
「ええ、ありがとう。ルーアッシュといったかしら」
「はい」
「あなた、こちらの宿は決まっているのかしら」
「いえ、これから市外に出て探そうかと思っています」
「なら、この屋敷に泊まっていってはくれないかしら」

 その言葉は、確かにちょっと予想外の展開だった。
 街に出てジェイドでもとっ捕まえて宿代節約しようかと思っていたのだが。

「ありがたい申し出、謹んで受けさせていただきます」
「そう、ありがとう。ラムダス」

 シュザンヌ夫人に呼びつけられて、すぐに現れると言うことは、扉の向こうで控えていたか。

「何用でございましょうか奥様」
「この方を客室まで案内して差し上げて。それと、薬の代金を出して差し上げなさい」
「かしこまりました。では、参りましょうか」

 ちょうどそのとき、屋敷の中が騒がしくなった。
 彼らが帰ってきたのだろう。

「どうやら、ご子息がお帰りになられたようですね。親子水入らずを邪魔するのも無粋というもの。私はここでお暇しましょう。ではシュザンヌ様、ナタリア殿下。薬師ルーアッシュをどうぞご贔屓に」
「感謝いたしますわルーアッシュ」

 私はそれに、深々と頭を下げて退室した。





 屋敷はゲームで見るより広かった。
 だからだろう、ラムダスにつれられて歩いて、ルークたちとすれ違わなかったのは。
 ゲームどおりなら二分の一の確立ですれ違う。

 私は残りの念薬をラムダスに渡し、デタラメの処方を教え、ホクホクと薬にかけた念の1.2倍の金額をもらった。

 まだまだ良心的だよ今回のは。
 それに、初期の心臓弁膜症と心肥大、高血圧症。それくらいなら、念薬もイオンの乖離を留めるための薬と比べれば安い安い。

 客室に案内されて、後は自由にしていいといわれたので、邸内を見て回ることにした。
 価値はあるのだろうさまざまな一品たち。
 念をかけるのにも効率がよさそうだった。
 そして目に入るのは、はやり剣か。

「何をご覧になっているのですか」

 話しかけてきたご老人。名は、確か……

「ペールギュント殿」

 考えすぎて本名を出してしまう。
 一見穏やかな眼差しの奥に強い警戒の色が現れた。
 こんな色が欲しいわけじゃないが、今回のは完全に私の過失だ。

「……ガルディオスの宝剣を眺めていました」
「あなたは、あの剣の由来をご存知でいらっしゃるので?」

 ペールの眼差しが、その表面すらも厳しくなる。
 これが、ガルディオスの盾と呼ばれた人間の、眼差し。

「さあ。ただ、あの方のあの体質が治らなければ、あの剣を継ぐ者も絶えるのだろうと思うと、少し寂しい気もしますが……。私は薬師です。ですが、体の病を癒せはしても、心の病までは癒せない」

 そうして、また剣を見上げた。

 隣の老人も、もう何も言わなかった。







「ああ、ルーク」

 母親への挨拶が終わったのか、中庭を通って出てきたので声をかけた。
 振り向いて、めんどくさそうにでも近寄ってきてくれる。

「君の母上についてだ」
「母上が!!」

 この素直さこそが、この子の本質。

「君の母上の病の完治は、私が約束しよう。それこそ、魔女とガーデンの名にかけて誓ってもいい。不慮の事態が起きない限り、完治する」
「そ、そうか。サンキュー、キリエ」
「今はルーアッシュだって言っただろう? ああ、でも、ルークのそういうところ可愛いよなぁ。好きだよ? そういうところ」
「男に言われても嬉しかねぇっつーの!!」
「いやすまない。体を変えても中身が、というか、思考回路が女のままなんだよなぁ。気をつけないと語尾がオカマくさくなるんだ」
「オカマって、なんだ?」
「大衆的には、女装している男性のこと、かな」

 私が沈黙すると、ルークも沈黙した。
 自分の知る男達に、片っ端から男装させているのかも、しれない。
 その表情がへにゃりと歪んだ。
 ペールやラムダス、クリムゾンは別としても、ガイやジェイド、イオンあたりなら似合いそうな気がするけどね。

「あまり想像するな。それより、どうした?」
「お、そうだ! おまえも来いよ、俺の部屋見せてやるから!!」

 こんな可愛い子供に誘われれば、お姉さん……お兄さん? 行かないわけには行かないでしょう!!



 みんなが少しずつしゃべって、ガイが白光騎士団にゴマすりに行くといったのを切っ掛けにイオンから暇の言葉が出た。
 そうしてひとり、また一人と部屋を出て、屋敷から居なくなってゆく。
 そしてティアも居なくなって一人、と思ったルークが寂しげな顔を見せた瞬間、ぽん、とその肩をたたいた。

「んあ、キリ――ルーアッシュ! まだ居たのかよ!!」
「おうさ。俺は当分こっちの客間、借りることになったから」
「当分って、どれくらいだよ」
「次の旅に出るまで、かな」
「ちっ、しかたねーなー」
「ま、そういうことでよろしく」

 仕方ねー、めんどくせー。
 そういいながらも、誰も指摘しなければ彼は、嬉しそうに顔をほころばせているのだ。
 おそらく、本人無意識に。






閑話二







キムラスカ=ランバルティア王国、バチカル ノームデーカン・ノーム2の日



 ファブレ邸を出たところで流れる水を見ていると、中からルークが駆け出して来たので声をかけた。

「ルーク、どうしたんだ? 外に出てもいいって、許可が出たのか?」
「ああ、なんだか知らないけどな、いいらしい。あ、そうだ。おまえも来いよ!」
「何処まで」
「城だ。城までだ」
「いや、ルーク、私は遠慮しておくよ。ルーアッシュは薬師だ。城は必要のない場所だ」
「ちぇ。つまんねーの」
「気にするな。行って来い。これからおまえの世界はもっと広がるだろう」
「広がる、のかな」
「広がる。あらゆる真実がおまえの目の前に現れる。良く目を凝らせ。おまえには互いに鏡となる者がいる。それは幸いなことだ。大丈夫、一人じゃない。私もいるよ」
「ああ……」

 呟いてからカッと赤くなって、

「う、うるせーっての!!」

 ほんとうに、からかうものや反発する理由がないときのルークは、とても素直に感情を表す。
 かすかにうつむいて、髪の影でルークは照れた。











 城までかけていったルークには、ごめんなさいかな。
 今ルークには、発信機の代わりに盗聴器が付いている。
 発信機は電池切れだ。
 これもオーラを電池代わりにするから、しばらく持っていれば再び使える。
 ふだんは守るためにも位置把握だけはしているけど、プライベートを大切にしているから盗聴器はつけていない。
 けど、今日は嫌な意味で特別。

 耳に当てたイヤホンから流れ込んでくる謁見の間での会話。
 行かなくて、良かった。
 私は自分の殺気を抑えられたか、自信がない。

 ヴァンの開放を餌にされるルーク。
 普通政治的取引でもこれはない。
 預言の成就のために何が何でもアグゼリュスへルークを送ろうとしている。
 聞いていられなくなって、イヤホンを耳から外した。

 音は遠くなり、言葉は意味を成さなくなり。
 途切れ、足音だけになったときに、再びそれを耳につけた。

 聞こえてくるのは、にっくき髭の、あの声。

「都合のいい事ばかり言っちゃって。まーあ」

 ヴァンと罪人部屋の前で交わされる会話。
 知っているものからすれば嘘八百、けれど知らなければそれは真実となるだろう口の達者なこと。

 おまえが必要なんだ。

 ヴァンにそう言われてのぼせ上がるルーク。
 私もそういえばと、思う。  あなたの存在と命を惜しむ。そうは言った。  けれど、もっとストレートに必要だと、言ったことはあっただろうかと。
 相手は七歳児。
 遠まわしな言い方では通じるものも通じまい。

 第三者によって増長されたあのルークの性格。
 放っておくにも憐れだ。
 時間は少ない。
 けどならば今せめて、精一杯ルークの存在を必要としてみようと思う。





 モースのことも、ルークのことも。
 だんだんとどうしようかと思考が混じって答えが出ない。
 モースはさっさと排除しちゃった方がいいと思っている。

 ローレライを解放し、預言を廃したあとにはスコアスコアとうるさいモースは邪魔なだけだし、ナタリアの偽皇女疑惑を王に吹き込むのもあいつだ。
 アニスの両親を人質にとっているのもこいつだし、導師守護役につけながら、戦うこと以外たいした教育を与えているようではない。

 マジにろくでもない!!

 すげぇ、こんなに純粋に悪意を向けられる人間なんてめったにいないぞ。
 ヴァンとはまた別物だ。
 そこまで思うのに、何故まだ排除を躊躇うのか。

 誰も悪じゃないんだ。
 預言に詠まれたからと言って戦争まで起こすのはどうかと思うけど、モースは確かに、敬虔なローレライ教信者として、預言を信じ、その向こうにある繁栄を信じているだけだ。
 そしてヴァンも。

 どちらもやっている事は決して許せる事ではないが。

 アグゼリュスが落ちたときに、戦争を仕向けるのもこいつ、だったかな。

 ……決めた。
 落とす。
 とりあえず、私の信条にかけて殺さない。けど、やすやす戦争論ぼっかけられないくらいにはなってもらう。
 ただの時間稼ぎだ。

 そうと決まれば行動だ。
 木陰に入って絶をして気配を殺し、城壁を見上げ進入地点を定める。
 助走なしの垂直跳び二十メートル。
 壁のぼりあり。
 私に進入できない建物はない!!

 城壁だけは外部から越えて、城内には兵士の意識の隙を縫って侵入した。
 高い天井に、さまざまな装飾ででこぼこがいっぱいあるこの場所は、幾らでも身を隠す場所がある。

 モースはどこか、と思えば、今まさに謁見の間から出てきたところだった。

 落とすとは決めたがならどうする?
 食事に毒物混入。

 ペケ。

 だめ、タイミングが足りない。
 なら、吸気ガス?
 死にマネのお香とか?

 ペケペケ。

 周囲に被害が拡大する。
 一人二人じゃない人間が昏睡すれば、一騒動だ。
 余計なものはいらない。
 なら、ただひとつ。

 近づくのも本当は嫌だけど、直接行動に出る。
 念具の小物入れから取り出したのは中身の入った注射器一本。

 昔、ちょっと仲間に性質の悪いいたずらを仕掛けようとして、あまりのたちの悪さに諦めたものだった。
 普通に考えればあんまりにもたちが悪く、いたずらどころの話ではないのだが、仲間、身内の話で言うならそもそも何の効果もない。
 毒物を、種類を問わず無効化するからだ。

 少し周囲の普通の認識と感覚がずれていたころのまあ過剰ないたずら心だった。

 それをもって、私は天井を蹴ってモースの背後に飛び降りて、背中にそれを一突きした。
 ぐっと押して中身を体に注ぎ込み――すぐに離脱。
 空の注射器はあとで焼却炉にでも捨てておけばいい。

 目の前で、早速ぐらりとかしいで倒れたモース。
 この世界にも解毒の譜術や薬がある。
 とくに音素が関わる解毒作用は、私達で言うところの概念的な感覚も有るような気がする。
 何処まで効くのかは分らないが、恐らく譜術や医術を以ってしても完全な回復は不可能だろう。
 なんと言っても、脳が萎縮してしまうその薬は、初期の症状として極度のボケを引き起こす。
 明日にはもう下着姿で城内を歩き出すかもしれないし、明後日には自分の名前も忘れるかもしれない。
 そして最終的には寝たきりだ。








 混乱に乗じ、私はちょっとすっきりした気分と罪悪感がまぜこぜになった気持ちで王城を出た。
 いくら気に入らないというか、むかっ腹がたつ人間でも、やはりなんというか、ざまみさらせこのやろう!! と全力で思うには少々小心者なんだろう。

「街を探したら、どこかのサーカス団みたいな人が、イオン様っぽい人と街の外へ行ったって……」

 ……タイミングはなかなか悪くない。
 もう一つ二つ台詞が早いころに出てこられれば最高だっただろうが……。気配を隠して忍び寄った私は、背後からいきなり声をかけた。

「アニス」
「きゃわ!!」
「導師守護役ともあろうものが、とんだ失態ですよそれは。普通に考えて懲罰ものです」
「むぅ〜、だったら、ルーアッシュならどうなんですか? 庸兵で、雇われて仕事をするんでしょう? あなただったらイオン様を守れたとでも言うの!」
「それが私の仕事なら、我等Seedの誇りにかけて、仕事は必ず成功させる。誘拐されるだなんて無様な真似、させませんよ」

 嘲笑の意味も篭めて、凄んで笑うとさすがに唇を引き結ぶ。

「それより、何であんたがここにいるのよ!?」
「決まってるじゃないですか。ルークがアグゼリュスに行く。だから私も付いていくんですよ。どうせグランコクマに行くまではジェイドに雇われているし、私はルークのことが大好きですから」
「な、なななな、テェメなに恥ずかしい事言ってやがるっ!!」
「安心して下さいルーク。私の好意に下心はありません。親が子に注ぐ愛情のごとく無償です」

 とっくの昔に感情移入しすぎている。

「私はあなたを必要としている。ここに居るルークを。全幅の心でもって」
「お、おおう……」

 そしてルークに今度は、柔らかく笑いかけた。

「ということですので、ここに居るのは私もアグゼリュス行きの人間だからです。さて、アニス。今はいいでしょう。残念ながら、ここにはあなたを罰する権利を持つ人間が居ません」

 ふつうならモースにでも、ということなんだろうけど、モースの息のかかっているスパイだ、アニスは。
 たいした罰もなくまたイオンを探せとでも言われるのがオチだろう。
 あとは階級的に無理。
 ヴァンは居ないし、ティアは地位が足りない。
 大佐は地位的にはともかく所属が違う。

「導師守護役は、大変名誉な仕事です。名誉で飯は食えない、とあなたなら言うのかもしれませんが。あなたの行動が導師の立場を貶めることがあると言うことを忘れないで下さい。それで、とりあえず、サーカス団、でしたか」

 話を変えれば、皆がほっとしたように吐息を吐いた。
 うーん、とガイが頭をかかえ、考える。

「サーカス団……か。おい、まさか」
「やられましたね。多分、漆黒の翼の仕業だ」
「なんだと!? あ、そういえば、神託の盾の奴と何か話していたな。あいつらのせいか! 追いかけようぜ!」
「……だめだよ〜! 街を出てすぐのとこに六神将のシンクがいて邪魔するんだもん」
「まずいわね。六神将が居たら、私達が陸路を行くことも知られてしまう」
「ほえ? ルーク様たち、船でアクゼリュスへ行くんじゃないんですか」
「いや、そっちは囮だ。くそ、何とかして外に出ないと……」

 真剣に知恵を絞ろうとするルーク。
 今彼の心の中はヴァンでいっぱい、なのだろう。
 むしろ私に信頼を寄せさせたいところだが、さすがに歳月がものをいう。

「それなら私も途中まで連れてって! 街の外に出られれば、イオン様を探せるから!」
「ジェイド、どうする?」

 ルークに尋ねられてジェイドは眼鏡を押し上げた。

「仕方ないでしょう。しかし今回のイオン様誘拐にはモースの介入がないようですね」
「そうですね。怒ってたもん、モース様」

「そういえば、さっき王城の方へいってきたんですけど、騒がしかったですね。なにかモースが倒れたとか倒れないとか死んだとか死なないとか、物騒なことを言ってましたよ?」

 いっそ殺されてしまえ、と、思ったのも嘘じゃない。
 けど、あいつは倒れているのを知らずに踏むのにも厚みが有りすぎる。

「ええ!! モース様が倒れたの!」
「そうらしいですよ? さて、何時目覚めるんでしょうね」

 こみ上げて来る暗い笑いを止められずに、私はくるりと皆から背を向けた。
 つりあがる唇。
 今の私はきっと、さぞかし嫌な顔をしていることだろう。









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