FF8時間逆行について思考してみる。
FFTに現れるクラウドについて思考してみる。
FFT初期メンバーのモブについて思考してみる。日記転載
FF-T 死んだのは誰か。日記加筆。
FF7-AC 過去日記から3/1
ジェノバ=悪意のオメガ論






FF8の時間逆行について思考してみる。



 FF系統はあまり逆行作品を見ないが、見るとしたら7の作品だろうか。
 一つ好きなFF7の逆行をやっているサイトがあったのだが見失ってしまった。
 9はやはりハッピーエンドに属するためにかエンド後捏造形の物語は良く見るが逆行は見ないな。
 それ以前のFFに関しては造詣がない。

 8の逆行を、私は私以外に一つしか知らない。
 そもそも逆行など作りにくい物語だろう。

 表層を見れば逆行させる必要が無い大団円。
 内面を見れば、ゲーム内部で未来から干渉しても過去は変えられないと定義されている。
 未来の記憶、と言う未来を持ってしても過去を変える事は出来ないと物語の中で散々語られてしまっている。

 リノアやイデアが語った時間圧縮と言うのは、未来の魔女の記憶から読み取った未来の記憶だ。
 その未来の記憶をもって彼らは現在を作り、手の届かないはずの未来を彼らは過去に触れさせて、未来を完全な形の未来ではなくしてしまった。
 未来は過去になり、過去は不変の定義によりその事象は必ず起きるとされてしまった。

 いかにスコールが、キスティスやリノアやあるいはイデアなどが未来から記憶を持って過去に下っても、細部を変えることが出来ても大筋は何一つ変えることが出来ないとすでに示唆されている。
 逆行が、アルティミシアがイデアやリノアを完全に支配していたように、ある種ジャンクションだとしたら。

 ジャンクションでは何も、過去に干渉できない。
 それを持って未来から干渉することすら過去に起こった事象として定義されている。
 それがFF8の世界だ。


 ……ガンバレスコール








FFTに現れるクラウドについて思考してみる。



 えふえふー、といいつつタクティクスをやっている。
 それもPS版のFFTだ。
 クラウドが出てくる奴だ。
 PSポータブルは持っていないからソフトだけ持っていてもしょうがない話だ。

 妹が始めたのに触発されてはじめたのだが、あれは切ないし痛いのに病み付きになる。
 戦闘システムも面白い。

 もうちょっと仲間を増やすスペースがあればいいのに。
 そうしたらモンスターの仲間も種類のコンプリート、とか?

 しかし謎なのはクラウドだ。
 なぜ、武器を火山の山頂になんぞ隠したのだ。
 初めてプレイした時はジャンプ力が足りなくて武器を回収できなかった。
 あの悔しさ。
 次は高低差無視をつけたキャラが溶岩と魔物に邪魔されて無理だった気がする。

 マテリアソードが無いとクラウド弱いのに、魔物はびこるこの世の中でなぜ武器を隠すなどと言う真似事をしたのか。
 わからん奴だ。

 奴は、どこに行っても奴だった……








FFT初期メンバーのモブについて思考してみる。



 FFTについて少し考えてみた。

 プレイヤーの初めの戦闘はオーボンヌで有るが、ラムザ・ベオルブである彼の物語の始まりとしてはガリラントでの逃亡した盗賊たちの後始末である。
 一応ラムザが率いている形になっている出撃メンバーは士官学校の士官候補生たちのはずである。

 初めのころは主戦力として、固有ジョブを持つキャラたちが加入した後は儲け話のメンバーとして連れて行くが、はっきり言ってモブ、斡旋所で斡旋される人々と変わらない扱いだ。

 ラムザが父バルバネスがディリータを士官学校に入れたと言ったときに、先方が驚いていた、あるいは驚くだろうといった発言があった。
 士官学校は平民が少ない。
 居たとしてもごくごく僅か、それこそ十指で数えられる程度かもしれない。

 ガリラントから共に戦った固有ジョブを持たない彼らも階級は知らないが最低でも貴族の子弟のはずである。
 それが、モブ扱い。
 もんくもいわずにラムザと共に戦っている。
 北天騎士団に逆らっても、異端者にされても、ずっと。


 いいのだろうか。
 異端者ラムザと共にいる汚名のために家名まで汚す事にはならないだろうか。
 異端者の仲間とされてしまうだろう彼らに大戦の後に生きる場所はあるのだろうか……。






 などと言ってみたが、結局モブだしな〜〜、と言うところで終わってしまう。
 都合よくストーリー序盤で斡旋所でブレイブの高いのを見繕ってきたと思っておこう。








FF-T 死んだのは誰か。

 これはブログの記事に加筆したものである。




 実は私、以前はあのエンドでディリータが死んだと疑っていなかった。
 だがよく考えてみればそれでは後世獅子王として名を残す事は不可能であろう。
 名を残すほどの偉業を成し遂げるには時間が掛かる。
 平民から王に上り詰めたと言うだけで、平民達の希望となることはかのうだろうが、即位後すぐに死んでしまうのでは何も出来ない。

 だがあのシーンには画面暗転と同時にあのゲームにおける死亡時の特殊効果音が挿入されている。
 ついでに私はあの時ディリータはオヴェリアにさされて殴り返しただけだとずっと思っていた。

 よくある、拳を鳩尾に入れて意識を奪う、というあれだとおもっていた。

 ディリータはオヴェリアを殴りその意識を奪っただけで死んだのはディリータだとずっとおもっていたが、そうなると上記のとおりディリータに獅子王と呼ばれるだけの実績を作る時間はない。
 ならば。

 二人、あるいはどちらか一人は必ず死んでいるだろう。
 ゲーム内に後世オヴィリアの記述は見当たらないがディリータが獅子王と名を残した事は記されている。
 ならば生き残ったのはディリータで死んだのはオヴィリアか。
 だが王家の血を引く伴侶を失ってディリータは王権を維持できたのか。

 ラーグ候とオルダーナ候。
 王位を巡る争いの最先端に立っていた二人の公爵が共に死し戦争において死亡した。
 それこそがまたディリータの付け込む隙になったのか。
 教会もその当時教皇がヴォルマルフ等ルカヴィの一行に殺害されている。
 教会の権力も恐らく揺らいだ事だろう。

 教会に権力を持つライオネルの主も死んでいる。
 教会の主も死んだ。
 ライオネルの主が行なっていた悪事の裏方たる人間も殺害されている。
 名前を忘れた大望を抱いた武器商人も死亡した。

 王家からは陪臣であったが名のあるベオルブも滅び、雷神シドも反逆者の名の下表上は処刑されている。
 他にも多くの、ありとあらゆる上に立つ人間がこの戦争の中で死亡した。
 骸旅団もウィーグラフ、その妹と含め結局壊滅した。

 ある種厄介が片っ端から消えている。
 そして王に至るまでの過程で消している。
 オヴィリアが居なくなってもその後堅実な治世を敷けば王であり続けることは可能な状態だった、だろうか。

 少なくともイヴァリースの民の支持は厚いだろう。
 民の事なんて全く関係なく貴族の社会はありそうなイメージもあるが、下級貴族などのこの騒ぎに乗じて取り立てることで味方を増やす事もできるだろう。
 なんと言っても上級貴族のその天辺は居ないのだ。
 その地に名だたる城持ちはその多くが死んでいる。
 そこを取り立てることによって信義を得る。

 まあ、最良のエンディング、と言うのなら両者共に生き残った、と言う奴なのだろう。
 互いに誤解を重ねたまま、二度と誤解を解くことの出来ない彼岸と此岸に別れてしまった。

 ゲーム自体は好きで幾度もプレイを繰り返しているがエンドを見るのが嫌でクリアした回数は数回だ。
 延々と儲け話とディープダンジョンをしている。





 とブログに書いたのだが、プレイしたのはほぼ十年ほど昔のことで、その当時の記憶は曖昧のままずっとそう思い込んでいた。
 改めてエンディングを見たところ、オヴェリアとディリータがいる最後のシーンに置いて、死者がでたときの特殊な効果音は入っていなかった。
 そして、よく見たところ確実にオヴェリアはナイフを握っていて、ディリータはそのナイフを奪い取ってオヴェリアを刺し返している。
 そのうえあれは時間の概念もかなり、ものすごく曖昧である。

 もしかしたらあれは、かなり後年の出来事ではないかと取ることもできる。
 何年も経ってそこそこ治世も安定してきた時の出来事。
 どちらが死んだのか、あるいはどちらも死んだのか、もっと更にはどちらも死ななかったのか。
 どう転んだところである程度治世の安定した時期であり、血を望むルカヴィは無く、玉座を争っていたラーグ公とオルダーナ公も居ない。
 教会に権力を持つライオネルの主も居ない。
 その上にもし、オヴェリアとディリータの間に幼いながらも子が居たとしたら?

 オヴェリアの後ろ盾は議会。
 ディリータはもちろん平民出身の上、のし上がるために利用してきた後ろ盾はことごとく死ぬか力をなくしている。
 ならば、その子を持ち上げるのは議会しかあらず、そしてまたオリナスを初めとしたほかに持ち上げられる王家の血筋はない。
 そもそもオリナス皇子、すでに死亡しているか国外逃亡しているあろう。
 今更戻ってきてもそこにはディリータが作り上げてきた基盤がある。

 ラムザとアルマが仲良くチョコボに乗って移動しているムービーのあとにオーランデュライが執筆した本と、そして彼が火刑に処されたことについて触れられているが、その中にディリータ及びオヴェリアに関する描写は特に無かった気がする。
 語り手が最後に語る自らの名はアラズラム・デュライ。
 おそらくはオーランの子孫だろう。

 義子にせよ、実子にせよ、己の子にオーランの真実を伝えると言う意思と姿勢を見せられるだけの時間は経過していることとなる。
 オーランも、おそらくデュライ白書の執筆には時間を掛けたであろう。
 実子であるならそれを理解し、父が火刑にされた後国外へ逃亡することが出来るだけ育っていることが必要である。
 ならば、デュライ白書が教会にて公開、隠蔽されるのは数年から十数年、あるいは数十年単位で後のこと、ではないかとおもう。

 結局年代が不肖のため私にはこれ以上のことは考えられない。
 ただ、それでも、生きていてくれたら、と思うのは願望である。








FF7-AC



 ファイナルファンタジー7アドベントチルドレン。
 アマゾンだったと思うけど、ネットで予約してドキドキしながら待っていたことも懐かしい。

 超人間の実写に近い超絶バトル。
 CGだけどまるで人肌。
 すごい。

 やはり、彼等はもはや人ではなかった。
 スーパー野菜人だったのだ!!

 ただ、どこかで関係者の誰かがちらりと言っていたように、バトル無しのドラマだけで構成していたらかなり短い作品になっていたんじゃないかなって思う。
 でも、バイクバトルのシーンはもう少し短くてもいいかな。
 バイクバトルはちょっと冗長だった気がする。
 もっぱらカダージュとのバトルシーンやティファ対ロッズとかの人対人、あるいは魔物の戦いが好きだ。

 しかし悔しい。
 羨ましいなぁ、これをフルスクリーンで見れた人。
 北海道じゃやってくれない。
 あたっても飛行機代が出せないと思った時点で泣く泣く上映券の応募を諦めた。
 結構笑いのつぼがたくさんあったりして。

 ルードはレノにロッドで殴られてるし、レノはレノで子どもに鼻の穴に指突っ込まれているし。
 でも、登場シーンに、なつかしの曲が使われていて、ああ、タークスはこれだよなぁって思った。
 銀髪三人衆や、クラウド一味の戦い振りからすると、彼等はまだ人間だなぁと思った。
 たぶんクリリン。
 普通の人間と比べると格段に強いけど、普通じゃない人間から比べると一発で吹き飛ぶレベル、というか。

 人と、クラウドたちの間は何があるのか。
 絶対もうクラウドたち人間じゃない。
 空こそ飛べないけど間接的に空中戦もしている。
 ユフィは壁を垂直にかけ上げる。
 これと比べれば、まだよじ登っているレノは、人間だ。

 よじ登る速さは人ではないが、本当に超絶した人々と比べるとまだ遅いあたりが好感度高い。

 空から落ちてきた鉄板に頭を打たれて頭が割れて無くても、足首掴まれてグルグル回されて椅子とかぶっ壊した後に意識保って反撃に出るティファに比べらば、ふらふらっとなる分だけルードは人間だ。とおもう。
 あのすばやさはちょっと異常だけど。

 そういえば、ヴィンセントは空も飛んでいたような……。
 ところでツォン、生きていたんだね。
 7でも、死んだとは明確に言われていなかったが、本編に置いてあのあとツォンに対して言及された事は無かったと思う。
 何回プレイしても彼があの後どうなったか気になっていたけど、ある意味ここで解消された。
 すっきりだ。

 結局、子供たちが救われていないとか、何かあればエアリス頼みになるんじゃないかとか、そんな意見も読んだ気がする。
 何だかんだあるけど、いいんじゃないかと思う。
 語らない所に何を見るか。
 それしだい。
 私は、救われたと思う。

 この場合の子供、って奴はデンゼルとかマリンとかの子供、と言うよりはクラウドやティファのような気がする。








ジェノバ=悪意のオメガ論



FF7・アドベントチルドレンとダージュオブケルベロス。
これが私が本編以外に知っているFF7だ。
なのでこれを前提に話をする。

ジェノバ=悪意のオメガ論としては、ジェノバが外宇宙からやってきた異星人である、との見解に発する。
FF9などにも見られる、星が滅びるとき、その星の住人の魂を他の星を侵食することで生かす、のようなそういう構図。
その、魂ではなくDNAバージョンがオメガではなかろうか、と。

宇宙が老いた時に外宇宙へ、宇宙船にのり少数の人類が脱出し、他の宇宙でその宇宙の人類と交わる、のような設定が、けっこうある。
脱出を図った人類側からみればDNAを混じり物になるとしても残すことに成功しているが、それを受けた側としてはDNA汚染といえるのではないか、と。

宇宙船で他の宇宙、他の星に行って生き延びる、遺伝子の延命を図る、というのが化学によるオメガの発動であり、そういう科学が発達しない世界、星に置いては星自身が最後の生命をかき集め究極の1である生命体、オメガを作り星を脱出する。
宇宙を脱出する。
そして他の命の育まれる星に着陸し増えてゆく。

それをオメガというのなら、ジェノバもまた他の星のオメガではないか。
通常のオメガが他の星にたどり着いたとき、その星に生命らしい生命が無い場合はそのまま。
既に知的生命体が居た場合は闘争や衝突を繰り返しつつ和合していき、知恵を持たなくとも生命がいる場合はその生命と触れ合うこと(たとえば現地のモノを飲食することも含む)で遺伝子的に交じり合いながら融合していくところを、一方的に侵食しようとするもの。
それがジェノバではないか。

ジェノバの行動がジェノバにとって悪意かどうかはわからない。
ただ、FF9の主人公のジタンの生まれた星が、滅びに当たって相手の星に仕掛けた侵食戦争を単体で成し遂げようとするのがジェノバのようなものではないのか。

書けば書くほど自分の中の認識をどう伝えればいいのか分らなくなってくるこの未熟が憎い。
(と独り言を挟む)

FF7で展開された理論によれば、星の上で繰り返される生と死のサイクルは、星と星の間である宇宙でも繰り返されているという。
ならば宇宙と宇宙の間でもそれは繰り返されていると考えることも出来るだろう。
宇宙と宇宙の場合、それを観測できない、あるいは認識できないのだとしても。

ならその星単位、宇宙単位で見たサイクルの場合、オメガはライフストリームであり、正しく巡れば繁栄となる。
けれどジェノバやFF9の主人公、ジタンの故郷の星のように対象を滅ぼし、消滅させた上で乗っ取っていこうというのはどうなのだろうか。
純粋性を保つことはできても、そこに発展は見込めないのではないだろうか。

もっと言うなら、自己のために対象を滅ぼし去りその上に生命を繋ぎ(ここまでは不自然ではない)その星が老いれば違う星へとまた全ての自分達を乗せて旅立つのだからあとには再生、また他の要素となることも見込めない死のみが残される(ここが不自然。自然の状況では他の滅びは自己の滅びにも繋がるので意識せずとも抑制される現象がある)。
やがて宇宙中の星をそうやって死の星にしてしまったときに、宇宙そのものも死んでしまう。
それは、貪欲に増えた挙句に宿主すら殺してしまうガンに似ていなくはないだろうか。

言いたい事を私の語彙力では伝えられないもどかしさを感じつつ纏めに入る。

ジェノバ=悪意のオメガ論。
ジェノバの侵食は、ジェノバにプログラムされた行動であって悪意と呼べるかどうかはわからない。
セフィロスが間に挟まるようになってからは、それはジェノバの意志ではなくセフィロスの意志だろうと思う。
セフィロスはジェノバを飲み込んだ。

ただ、それでも分ることに、ジェノバは融合するものではなく侵食するものであろう。
誰かの中に入ると、その誰かの中身を自分に作り変えてリユニオン、再結合することで自分を増やす。
決して誰かと共生するつもりはない。

ジェノバがそれを悪意と認識するかは問題ではなく、クラウドたちの星のオメガの形から見れば、ジェノバという外宇宙、あるいは外惑星からの使者=オメガの可能性のあるものは、彼らの星にとって悪意 でしかないだろう。
それ、ジェノバが他の星のオメガでであるのではないのか?
という思う私は、ゆえにここにジェノバ=悪意のオメガ論とするものである。









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