ジェイドの場合
目が覚めたとき、それこそ私は私の頭脳を真っ先に疑った。
過去の無茶が祟ったのだろう。
体は重く軋みをあげて、近頃では譜眼の制御も難しくなってきていた。
眼鏡では制御しきれず、眠るときには顔の半分を覆うようなまるで仮面のような制御譜業を付ける様にもなっていた。
その視界が――明るい。
譜眼の負担も少なく、体は驚くほど思い通りに、滑らかに動き、今ならヴァンも一ひねりで潰せるような気がするほどだった。
掲げた手は皮膚の張りが違う。
若い皮膚。
この私ともあろうものが混乱していた。
訳もわからないままに、十年以上前に使わなくなった軍部の仮眠室のベッドから立ち上がり、カレンダーを見て、そのまま当時の執務室へと向かう。
すでに死んだはずの人間や、老いて引退したはずの人間と挨拶を交わしながら歩くのは、とても不思議な気分だった。
夢でも見ているかのような心地で私は懐かしい軍部の内部を歩き彷徨っていた。
すでに使っていないはずの執務室は過去私が使っていた場所のように見えた。
陛下の作った巣もある。
だが、違和感がある。
違いは一目で分った。
ルーアッシュ――彼女とのかかわりの中で詰まれていた報告書や暗号書類の類が、この執務室には一つも、何一つ存在しなかった。
多少はショックから覚めた頭で予定表を確認すれば、日付は15年も前のもの。
一体どうなっているのか。
そして何より、この、ここに居たはずのジェイド・カーティスは何処へ行ったのか。
過去の、あるいは、この様子を見るに過去に近い可能性世界、と言ったところだろうか。
まあ、近しい可能性を持つ世界なら、どこにいても私は私だろう。
たとえ、今ここに現れた私に人格だか魂だか知らないが、殺されていたとしても全く同情する気は起きない。
日付はダアトに導師を迎えに上がるため、マルクトを出たその日の日付だった。
「まったく、何と言う運命の悪戯、でしょうかね」
「何か言いましたか? 大佐」
「いいえ、なにも」
私の目の前で、死者は穏やかに微笑んでいた。
導師を迎えに上がるついでにダアトであの鼻垂れを捕まえて、タルタロスに簡易では有るが自動走行機能をつけさせた。
もちろん、口外はさせない。
ヴァンたちの同士である振りをしろ、とも言ってきた。
いまさら洟垂れの懐柔などするとは思って居ませんでしたが、なかなか素直で大変よろしい。
これからも存分に扱き使うことにする。
そのあとで予定のとおり、エンゲーブへ赴き、以前のようにアニスを陥落し。
ここまできても、まだ私はどこか浮ついた心で居るのかもしれない。
受け入れたくないからこそ平常をよそおっているのかと、勘繰りたくもなる。
それでも。
この場所にも陛下――ピオニーが居た。
ダアトに行けば、まああの洟垂れも。
ケテルブルクに行けばネフリーが居るのだろう。
そしてどこかには恐らくはルーアッシュが酷く気にしていたあの二人の紅い髪の子どもたちと、そして緑の髪の子ども達もこの世界、この場所のどこかには居るのだろう。
私にとっては同じ顔をした別人に等しい。
それこそレプリカのようなもの。
実際にピオニーは私が変化したことに気がついたようだった。
私の中身が替わってしまったことに気が付いたのは、陛下一人だけでしたが、私も随分人並みになったものだ。
罪悪感のようなものを多少なりとも感じていたのだから。
まあそれでも、死んで欲しくないとは思った。
他人に等しくても、豪放磊落なように見えるピオニーのありかたは、変わらなかった。
他の全ての人間がそろっていて、ルーアッシュ。彼女だけが居ない世界。
気がつけば彼女とも随分長い付き合いになっていた事に気がついた。
彼女が居ないこと、彼女が書いていた手紙が手元に無いことが、これほどの違和感になるとは正直思っていなかった。
それでも死なせたくない、死にたくない、そう思うことは出来たから時間を掛けた細工は出来なくても、応急処置で堤防の穴を塞ぐような工作をしながら昔のように、道をたどっていく。
知識は全て、私の中にある。
彼女が語った、結末へ導くための道と、私が実際にかつて辿った道が。
今度は何のつながりも無い漆黒の翼の馬車を、何の申し合わせも無く以前のように追い、その途中で見かけた辻馬車に彼らは乗っているのか否かと想像して。
たどり着いたエンゲーブで私はまた、違和感に襲われた。
風に揺れている朱金の髪。
事前に彼らと接触できればと歩き回っていたせいもあり、今回の初見はローズ婦人の家ではなく、果物屋の前だった。
頭を抱えて「どうしようかな〜」と唸っている。
それが、違和感をあおる。
そして思い至る。
彼も、恐らくは何処からか来たのだ。
私が居た可能性世界では無いだろう。
もしそこから来ていたのなら、彼もルーアッシュの事を知っているはずだ。
最後には、ルーアッシュ、彼女が全てを知っていたことを私たちはぶちまけた。
だったら、私と同じ可能性世界から来たルークなら、私が未来から過去へ逆行するような真似事をしている人間ではなくても積極的に私に接触を持とうとするはずだろう。
話したところで何の不都合も無い。
私達は初めから知っていたのだから。
彼も、恐らくは私の居た可能性世界とも違う、そしてこの世界とも違う道を辿った膨大な数の可能性世界のどれかから、こちらにやってきているのだ。
私は足音を忍ばせて彼の背後に忍び寄る。
太陽が高く、あまり影の伸びない時間帯だった。
進行方向への位置関係上太陽を背負うことになったが、おかげでかなり近くに近寄るまで、気が付かれる事は無かった。
やがて自分にかぶさる影に気がついた彼が振り向いて目を剥いた。
「うわっ、ジェイ……っ!!」
あわてて手で口を塞ぐが、もう遅い。
その態度は私に確信を持たせるには十分すぎるものだった。
きょろきょろと視線を彷徨わせ、どうやって逃げようか思案している彼に、私は笑みを浮かべて尋ねる。
「おや? 私の名前をご存知のようで。あなたは何処のどなたでしょうね〜」
皮肉も篭めた私の態度にどこか安心したような様子を見せるルーク。
つまるところ、何処へ行っても私は私と言うことなのでしょうね。
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