それぞれの自分殺し




 停止していたタルタロスがいきなり唸り声を上げ、走行を始めた。
 予想だにしないその衝撃に彼らは僅かにふらつく。
 さっと周囲に眼差しを走らせ敵対者が居ない事を確認すると息をついた。

 出会う敵のほとんどは人ではなく魔物だった。
 今回の襲撃も主力はアリエッタの使う魔物たちなのだろう。

 同じ命だ、と言うのは理想であって詭弁である。
 人はテーブルの上のブウサギのソテーに感謝はしても涙は流さない。
 ティアにとってもルークにとっても、人を敵とするよりはよっぽど心が楽だった。

「おいジェイド! これ走り出したぞ!」
「艦橋を占拠されたようですね」
「以前みたいに止められないんですか!」

 ティアのそれは何気なく出た言葉だったのだろう。
 以前と言う一つの言葉の裏にあるそれぞれの事象の違いを緊急時にいちいち吟味している余裕は無い。
 そしてそれはある意味でジェイドへの信頼でもある。
 夜明けを見てまでそれなりの事は話してある。
 ジェイドなら、その言葉のもつ意味を正確に読み取ってくれるだろう、と。

「止められない事は無いですが――一度使うと非常停止コードを変更しないと同じコードは二度と使えません。今より必要なときが来るかもしれません」
「もう何でもいいから早くアニスのところに行こうぜ! イオンが心配だ」
「そう、ね」

 そうして再び彼らは走り出した。
 魔物をなぎ払い、時々現れる兵士は峰で打つ。
 ルークたちと神託の盾騎士団達の間には、手加減する事ができる実力差があった。

 遠くから獣の声以外の聞きおぼえのある声が聞こえてくる。
 戦っているのだろう。
 戦闘音も聞こえてくる。
 防音のよさに正確な位置が掴めない事が今は少しだけ恨めしかった。

 そんな時だった。
 頑丈な艦のガラスを割る鋭い音と、ついで尾を引くように遠ざかっていく悲鳴? が聞こえた。




「ヤローてめーぶっ殺す!」
「アニス!」




 断じて、悲鳴ではない。
 むしろその後の、アニスを案じているのだろうイオンの声のほうがよほど悲鳴じみていた。

「あー……間に合わなかった、のかな」
「噂に聞く悲鳴をこの声で直に聞くことになるとは」
「……ごめんなさい、アニス。どうしてか分らないのだけど、あまり心配知る気が起きないの」
「それもきっと信頼だと思いますよ? ティア」
「そーかなー……」

 あさっての方向を向いたまま、ルークは投げやりに呟いた。

「それより、どうする? 結局アニス落ちちまったし、イオンは今頃捕まっているかもしれないし」
「人質に取られていたら厄介ですねぇ」
「イオン様はお体が強くないですから、あまり戦わせたくありません」

 ふむ、と一つジェイドは唸った。
 考える仕草一つもさまになる。

「アニスも居ない、イオン様は捕まっている可能性が高い。ここは下手な戦闘は避けて機会を待つべきでしょう。具体的には、曰く前回をなぞります、といいたいのですが」
「が? なんだよ」
「私の前回とあなたたちの前回とではここに決定的な違いがあります。私の前回ではここではアッシュとシンクが完全な協力者だったんですよ」

 と言えば、ルークが羨むようにジェイドを見た。
 ルークはアッシュを慕っている。
 それがここでは敵かもしれないと示唆されるのは、理性で理解していても辛い事だった。

「ということで、あなたたちの言う前回に習いたいと思います」
「艦橋の奪還、か」
「でも大佐、そううまくいくでしょうか」
「行かなくても何とかなるでしょう。敵はイオン様を殺しません。今回この艦に他に人員は居ませんし、あと守るのは自分のみだけです。失敗したとしてもそう憂うものは無いでしょう」
「そう、ですね」
「それに、今ならまだイオン様も艦内の何処かにはいるはずです」

 四方を囲まれたとしても、ここには三人居る。
 負ける気などそもそもしない。

「では行きましょう」

 駆け出す彼らの今度の目的地点は艦橋だ。
 そこを奪取し、艦の支配権を取り返す。
 そして出来うるならば、他の六神将も確保してしまいたいところだった。
 手足である彼らを失えば、ヴァンの行動もかなり制限できるだろう。

 アッシュの存在が懸念すべき事ではあったが、今がどんな風であろうとも、ティアやルーク、アニスから聞くほかの世界のアッシュも色々有るが性根は悪くない。
 裏付けを含めた証拠や長い対話を持てば、何とかなるだろうと考えていた。
 そもそもこの時点でアッシュはヴァンに対して不審を抱いている。
 ヴァンの動向を監視し、場合によっては阻止しようとしてルークに同調フォンスロットを繋いだのだと知っていた。









「ティア。譜歌を」
「はい」

 艦橋の入口に辿り着くと、譜歌を用いて見張りの兵士を眠らせた。
 ジェイドとティア互いに一度目をあわせると扉の中へ入っていく。

「俺は何をするんだ」

 とルークは尋ねた。

「……以前の貴方達はどうしたんですか?」
「ルークはここで見張りに」
「確か見張り番って事になってたと思うけど、実際は邪魔だから置いて行ったんだろうなぁ……」

 過去を思い出してしみじみと呟くルーク。

「とういうジェイドはどうなんだよ」
「ルーク。大佐はそもそもこういったことをして居ないわ」
「やれやれ。歴史の違いと言うのも、なかなか厄介なものですね」

 肩をすくめてジェイドが言った。

「ではとりあえず、ルークはここで見張りと言うことにしてください」
「りょーかい。……気をつけて行ってこいよ、ティア」
「ええ、貴方こそ」

 初々しいやり取りを繰り広げる二人に、ジェイドは疲れたように溜息を零した。




 ルークはとたんに手持ち無沙汰になった。
 人間の見張り番を置いていたためかこのあたりにはアリエッタの魔物も居ない。
 さんざんうぜぇと思っていたが、ミュウも居ないと本当に何もする事が無かった。

 なんとなく、寝こけている兵士の顔をのぞきこむ。

「前はこいつが……俺が一番最初に殺した奴、だったんだよな」

 まだ、生きている。
 あるいはこれから殺すのかもしれない。
 兜に邪魔されて表情は見えなかったが、複雑な気持ちだった。

 そういえば、以前は顔も見えないのにアホ面して寝てやがる、と言う様なことを言った気がして、ルークはこの兵士の顔が気になった。
 触れれば目覚めるかもしれない。
 だが、気になった。

 どうしようかとしばらく迷ったが、えい、と思い立って兜に手を伸ばす。
 少し苦戦してそれを外して、安らかな表情で眠っているその男の顔を見た。

 顎に髭剃りに失敗したような傷があった。
 もみ上げの辺りに剃り残しがあった。
 あまり日焼けをしていなかった。
 神託の盾の訓練施設は地下にあり、実戦ならばこうして兜をかぶっているゆえだろう。
 眠っていて目の色は分らなかったが、概ねそこいらの街角で目にも留めずすれ違うような何の特徴も無い男だった。
 まだ年若い方だといえるだろう。
 ルークの目には、随分とふけて見えるヴァンのその実年齢とどちらが上かといったくらいのように見えた。

「……こんな顔してる奴、だったのか」

 顔も知らずに命を奪った相手は多く居る。
 それを改めて思い知るのは不思議な感覚だった。
 今までも、そしてこれからも、命を奪う事への嫌悪は消えないだろう。
 戦い続けるなら、奪い続けるなら、知りたい。忘れたくない。

 戦う理由を、奪った命を。




 と、初めのころこそ殊勝に考えていたルークだったが、そのうちにむずむずとした悪戯心がわきあがってきた。
 前に居たところではこの命を奪った。
 そしてそれが覆されるわけでもない。
 だが今目の前に居る相手は生きているのだ。
 そしてこれからも殺さなくても済むかも知れないのだ。

 同じ相手を二度殺す罪悪感から解放されて、どこか浮き立った気分でもあった。

 もぞもぞとした心に背を押されて、ルークは日記帳に書くためのペンを取り出した。
 ドキドキしながらそっと触れるように、そのペン先を寝入る兵士の顔に近づける。
 ピタリ、と触れたとたんにルークの腕はまるで解放されたかのように奔放に、その兵士の顔に落書きを始めた




 書き始めると興に乗って来たルーク。
 その手は生き生きとルーク策の芸術を作りだす。
 絵才は――無いようだった。

「アッシュ来ないなー。そろそろ降りて来るはずなんだけど……。あ!! そうか。俺、前はここで騒動起こしてこの人殺しちゃったから……か。騒いでたからアッシュも気付いたのかな。でもなぁ、アッシュには会いたいけどやっぱ、殺したくないしなー」

 呟いた独り言を、上から呆れた風に聞かれていることをルークは知らなかった。
 アッシュが降りてきても来なくても、今の二人が艦橋の奪還に失敗するとは思えない。
 騒がしくすれば兵士が駆けつけてくるかもしれないが、おとなしくしているぶんには巡回の兵士を警戒している程度でいい。
 もしかしたらリグレットが来るかもしれないが、何とかなるだろうとは思っていた。

 飛び道具の相手をするのは苦手だったし、前に居た世界があまりに平和だったからちょっと鈍っているような気はするが、まだまだ。きっと何とかなる。

 落書きし続けていた顔を見て、そろそろ書き込む余白がなくなってきたなぁ〜〜、とルークは暢気に思っていた。
 その時、タルタロスの機関部が停止する。
 艦橋の奪還に成功したのだろう。
 これは敵方にとっては明らかに異常だろう。
 すぐに誰かが駆けつけてくるはずだ。

「……しゃーね」

 立ち上がってルークは剣を取る。
 多くの足音がここをめがけて走ってくる。
 下の扉の方にも人はいっただろうが、それはあちらで何とかしてもらおう。
 この艦に何人の六神将が乗っているのか知らないが、何人までなら相手に出来るだろうかとルークは考えた。

 あせらずにじっくりと回避と防御を前面に押し出して隙を見て一人ひとり倒していけば、まあ何とかなるだろう。
 むしろ問題があるとすれば、屋敷から出たばかりらしい自分の体の持久力か、と思って呼吸を整えた。
 厳しいようなら無理をしてでも短期決戦に持ち込むか。

 どちらにしたところでここに来るのが誰か、そしてどれほどの人数が来るのかを確かめてからでなければ判断できない。

「よっしゃ、来いよ! 片っ端から相手してやるぜ!!」
「へえ、随分と自信があるんだね」
「って、何でお前が来るかなぁ……」

 一番最初のときの相手の生き方、行動と、そして何よりイオンと同じであるという事にいきなり興をそぎ落とされるルーク。
 己は空っぽであると常に口にし、淡々と闘いをこなす相手にどう熱くなれというのか。
 しかも典型的なスピードファイターであるシンクが、ルークは得意ではなかった。

 懐に入り込む事にさえ成功すれば割と楽になるリグレットより苦手だ。
 どうして二歳児なのにこんなに強いんだと理不尽な思いすら抱く。

「ルーク、大丈夫!」

 その時、艦橋へ通じる扉の向こうからティアが駆けつけてきた。

「ってティア! お前こそ大丈夫なのかよ! 下はどうしたんだ!!」
「心配には及びません」
「ってジェイドも!」
「艦橋は奪還したわ。下の扉は内側から鍵をかけてきたし、タルタロスは大佐しか知らない秘匿コードで停止してきたからもうしばらくは動かせないはずよ」
「そ、そうなのか? まあ、大丈夫ならいいんだけどよ……」

 ぽりぽり、と頭をかくルーク。

「騒々しい。何があった」
「教官……」

 騒々しさに気を引かれて現れたリグレットとティアが、見詰め合う。
 まだルークがヴァンに敵対する事を心のどこかでつらく思うように、ティアもまたかつて死んだ人間とであったなら、複雑な思いを抱くのだろう。

「ティア、か。……アッシュは何をしていた」

 人数を深めて混沌を深めていく現場で現れたリグレットがふと呟いたアッシュの名前に深い意味は無かった。
 これだけの騒動を起こしたのに出てこないということは側に居ないだろう、とただそう思って口にした名だった。
 ジェイド・カーティスに、そして何よりこの目の前のルークと言うレプリカにアッシュの顔を見せるのはまだ早いと思って居たので、ここで出てこないことについては何も言うつもりは無い。
 だが、ここで見張りに立っていたはずなのだ。
 ならばここまで騒ぎが大きくなる前に沈めるくらいは出来なかったのか、と舌打ちした。

 その直後だった。

「呼んだか」

 呟きに応えが返り、頭上で衣擦れの音がする。
 風を切る音が響き、長い紅い髪をなびかせた男――アッシュが艦橋へと続く扉のある回廊に降り立った。

 同じ顔が、二つ揃う。

 それに特に何の感慨もなさそうに表情のないアッシュと、忌々しげに見るリグレットとシンク。
 はらはらと状況を見守るティアに、いつものようなつかみどころの無い笑みにも似た表情で諦視するジェイド。
 そして、もしかしたらアッシュも、何処かからきていて、自分の敵ではないのではないか、と言うことを期待するルーク。

 初めの世界では、お互いの存在をかけて戦った。
 互いを認め合った後、理解しあうための時間を取る事はできなかったのが心残りだった。
 次の世界では、アッシュを兄として慕った。
 厳しくも優しい十年上の兄は、ルークにとってとても尊敬し、敬愛する対象だった。

 帰ってきているのは、旅の仲間だけかもしれない。
 現時点で四人、そろっているだけでも奇跡だ。
 ナタリアや、ガイが来ているか居ないかは分らない。
 もしきていたとしても、必ずしも自分たちに友好的とは限らない。

 それでも、期待してしまう。
 それが裏切られたときのために、そんなことは無いのだと言い聞かせ、心に防御線を張りながら、それでも期待してしまう。

 展開が違うことに、アッシュの反応が違うことに、このアッシュはあの時互いを認め合ったアッシュではないのか。
 もしくは自分の兄だったアッシュでは無いのか?
 そうでなかったとしても、敵ではないアッシュではないのだろうか。

 今ルークにとって、ひとときとは言えアッシュと敵対するかもしれない事は、ヴァンを敵にするよりも辛い事だった。
 ヴァンは、敵にするしかない。
 過去を通じてそれを理解している。
 感情にも納得させている。
 だがアッシュは違う。
 二つの過去を通して触れ合った、身内だった。

 アッシュとルーク、互いが互いを認識した事にリグレットは舌打ちした。
 まだ早いというのに。

 ルークの期待に満ちた眼差しにもアッシュは特に反応を示さない。

 アッシュとしてはルークがバチカルの屋敷から飛ばされてきたばかりの無知なルークではない事は分ったが、どういったことなのかは今一の見込めていない故に状況を見ているだけだった。
 多少、面倒になっていたというのもある。

「ラルゴはどうした」

 また何処かで伸びているんだろう。
 そう思いつつも、アッシュは知らないはずだから、尋ねた。
 どちらに尋ねたわけでもなく、どちらにも尋ねていた。
 どちらがそれに答えるのか。

「六神将黒獅子ラルゴでしたら、甲板に続く通路で伸びている頃と思いますよ?」
「だらしないね」
「おや、辛らつですねぇ」

 辛口をきくシンクにジェイドが皮肉を言う。

「アッシュ。どういうつもりだ」

 分っているだろうにこの場に出てくるとは、と言外に告げる。

「教官、これはどういうことですか!」
「ティア……」
「神託の盾の六神将が導師イオンの乗るタルタロスを襲撃するのは!」

 反応の鈍いアッシュより、ここの世界のリグレットはどうなのか、と確かめるためにティアは声を上げた。
 アッシュの動向も気にはなるが、そればかりに気を向けてもいられない。

「人間の意志と自由を勝ち取るためだ」
「預言、ですか」

 ティアがそう答えたとき、リグレットは僅かに目を見開いた。

「そうだ。この世界は預言に支配されている。何をするのにも預言を詠み、それに従って生きるなど、おかしいとは思わないか?」
「教官、預言は人を支配するためにあるのではなく、人が正しい道を進むための道具に過ぎません」
「ティア……あなたはそうでも、この世界の多くの人々は預言に頼り支配されている。酷い者になれば、夕食の献立すら預言に頼る始末だ。お前たちもそうだろう?」

 そう言ってリグレットはティアの仲間たちを見た。
 ジェイドと、ルークを。

「この世界は狂っている。誰かが変えなくてはならないのだ」
「確かに、狂っているかも知れませんねぇ。……ですが、狂いを知っているのなら正す事もできるはずです。劇薬は必要ありません」
「預言は道具です。先を知る事ができ、それが望まない未来なら、従うのみではなく変える方向に使ってもいいはずです」
「そうだ。結局預言なんて人間の使うもんだろ!」
「詠む人間が居なければ、そこにあっても無いのと同じです。誰が読まなくても預言は連綿と続いていく。ですが、預言を知らなかった頃の人類はそれを後に歴史と言ったんでしょう。人は過去から学びます。史書を先読みしているのなら、そこから学ばない事は愚かだとは思いますが」
「お前たち――」

 驚きに目を見開くリグレット。
 まさか、ここまで預言に反論するとは思わなかったのだろう。
 ルークたちにとってリグレットの言葉は過去にも投げかけられたものだった。
 その時の答えも覚えている。
 そして今はもう、それに答えを持っている。

「ティア……! 私たちと共に来なさい」
「私は兄を疑っています。あなたは兄の忠実な片腕。兄への疑いが晴れるまではあなたの元には戻れません」

 答えたティアは、今の決別を示すために武器を構えた。
 それに応じるようにジェイドも槍を取り出す。
 二人の気合に触発されて、ルークも気合を入れなおした。

「戦う、か。……勝てると思っているのか、この人数を相手に?」

 そう言うリグレットの周りには、問答を繰り返している間にも着実に人が集まってきていた。
 多くの兵士と、そして魔物に囲まれている。
 そのうえにリグレットとシンク、アッシュの三人の六神将が居る。
 幾ら実力があったとしても、数の暴力の前には屈服せざるを得ないだろうと思わせた。

「リグレット」
「来たか、アリエッタ」

 ライガの背に乗ってやってきたアリエッタが、とん、と軽い音を立ててその背から降りた。

「これで、六神将は四人、だ。まだ抗うつもりか。おとなしく従えば命くらいは助けてやろう」
「……勝てるのか? 愚問ですね。勝つのですよ」

 ジェイドがそう言ったとき、すらり、とアッシュが剣を抜いた。
 ルークの表情が暗く染められる。
 ああ、また怨まれているのだ、と。
 憎まれているのだ、と。
 居場所なら、すぐにでも返すから、どうか憎まないでくれ――と。

「めんどくせぇ。そんな顔をするな、ルーク」
「ア……シュ?」

 剣を抜きはなったアッシュの周囲を光がまとう。
 くるくると遊ぶ光にアッシュは話しかけた。

「世話をかける」
『なに、かまうまいよ』

 声ではない言葉がそれぞれの脳裏に響き、誰もがその声の出所を求めて視線を彷徨わせた。
 アッシュの声に応える、何か。
 光を纏うアッシュを見たライガが姿勢を低くして唸った。
 そしてアリエッタの顔には畏怖が浮かぶ。

「獣……王」
「よく分ったな、アリエッタ」

 正体を看破したアリエッタにアッシュは驚きのまなざしを向ける。

「早速頼むぞ。手加減はしてやってくれ」

 人死にはとかく面倒であるし、そしてそれ以上に好ましくない。
 闘いにおける人為の死を、彼らは好まなかった。
 そしてその精神は、アッシュにも連綿と伝えられている。

 生きるために、守るために、必要なときに躊躇うつもりは無い。
 一つのためらいが多くの大切なものを失わせる。
 だが、必要の無いときまでそれを求めるつもりは無かった。

『心浮き立つようだな、主よ。汝には初めての召喚だろう?』
「そう……だな。ああ、楽しみなのかもしれない」
『呼べ、我が名を。されば応え我は喚ばれん』

 一度は人を疎んだものの、人とあるのも存外楽しいものだと喉の奥で笑うようになった偉大なる意思。
 それと共に有る心強さに、アッシュは薄っすらと微笑を浮かべた。

「来い、バハムート!!」

 渦巻く光が天に昇る。
 アリエッタが膝をつきライガがその威光にひれ伏して、それを理解できない人間達は立ち尽くした。

 立ち上る光が停止したタルタロスの上空に巨大な影を作り出す。
 獣王たる名を冠する偉大なる獣、バハムートの姿が作り出されてゆく。
 鱗をまとう頑健な表皮、それを下から押し上げる強靭な筋肉、何物をも切り裂く鋭い牙と、そして爪。
 巨大な皮膜の翼が一つ羽ばたいて、風を巻き起こした。
 強風に目を眇める人間達を、それは眼光鋭く睥睨していた。

 それが完全に現れて、やっと人は畏怖を感じる。

「なんだ……これは。私は知らないぞ、アーッシュ!!」
「はっ。馬鹿が。手の内を何もかも明かすと思うのか!」

 獣王を見上げ、叫んだリグレットにアッシュは嘲笑を向けた。
 そして上にある獣を眩しそうに見上げる。
 引き抜いていた剣を横に振り切って叫んだ。

「やれ!!」

 羽ばたきで牽制するバハムート。
 僅かに開いた口の、牙の隙間から光が漏れる。
 たちまちの内に眩く強大になった光は、カッ! と開いた獣王の口から解放されて、甲板に集まった六神将を、神託の盾の兵士達を蹂躙した。

 瞬き数回の時間も無く、全ては終わっていた。

『また必要とあれば呼ぶがいい』
「ああ、たのむ」

 消えて――存在を薄くしてアッシュの中へと去ってゆくバハムート。
 甲板にあった神託の盾の兵士の全ては床に伏せ、意識の無いものが大半であり、不幸にも意識の残ってしまったものはうめき声を上げて痛みに体を丸めている。
 だが甲板にはあの暴威の痕跡の一つもなく、全てが無事に形を保っていた。
 そしてバハムートが、それを使役するアッシュが敵と定めた者以外――ルークやジェイド、そしてティアは痛み一つ負う事無くその場に立っていた。

 剣を構えていた腕すらだらんと下にぶら下げて、ぽかんと口を開けた間抜け面で立ち尽くすルークにアッシュは苦笑を洩らした。
 見ればその隣にいるティアも似たような表情で先ほどまで獣の王の居た空を見上げている。
 あのいけ好かない眼鏡野郎も、二人のような醜態はさらさずとも驚かせる事ができたようだ、とアッシュは心持満足した。

「すげぇ……かっこいい!」
「あれは何なの――」
「いや私もはじめて見ました。あんな生き物がこの世に居るとは。いえ、人に使役できるとは」
「すげぇ、すげぇすげぇ!! なんだよあれ! うわーうわー!!」

 自分の力ではないとは言え、こうまで言われると気分がいい。
 アッシュは高まる気持ちを静めるためにも、皮肉をよそおって吐息を零した。

「……っく!」

 詰まる息を吐き出して、身じろぎしたリグレットが立ち上がる。
 さすがは六神将、と言ったところか。
 痛みと衝撃にガタガタと体を震わせているが、なかなかの根性だ。

 呼吸をするのも苦しそうに息を切らせ、荒い呼吸の隙間にリグレットは言った。

「――裏切るのか、アッシュ」
「さて、な。裏切る表なんてあったか?」
「なにを」
「確か誘拐されたな。監禁されて人体実験もされたな。薬漬けにされてなにか色々吹き込まれたような気もするし、ああ、レプリカ情報を抜かれてレプリカも作られたな。どれ一つ同意した覚えは無いが。それで、誰に、誰が忠誠を誓うんだ?」
「……っく!」
「あんた、どうしたのさ」
「いや、ただな……。不慮の事態で強制的な別離があって少し投げやりになっているだけだ」

 リグレットの僅か後ろで、彼女より少しはまともに立ち上がったシンクに対して、アッシュは言葉通り投げやりな態度で返した。
 妻たるナタリア、子供たち、そしてアーヴァインを初めとするガーデンの人間達。
 全て、恐らくもう二度と出会うことは無い。
 体ごとこちらの世界に来てしまったのなら迎えがつく当てもあるが、過去の自分の意思を殺すような形でそれに意思だけが上書きされている状態だ。
 向こうの世界にも自分がいるだろう、とはアッシュはなんとなく思っていた。

 ここで出会うのは同じ姿をした限りなく本人に近い別人だ。
 そう認識しているし、とりあえずルークを見てなおその印章を深めた。
 だが、限りなく近い人間同士であるからには、いずれは似たような関係を築いていく事になるのかもしれない、とは思っている。

 別人だ、とそう思ってはいても、ルークはルークであったし、どうやら陰険腹黒眼鏡もそうで有るようだ。
 ナタリアにも、ナタリアでいてくれたら嬉しいと、そう思う。

「あ、っしゅ?」
「どうしたルーク」
「アッシュ、アッシュなのか!」
「何処のアッシュだかしらねぇがな。そういうお前は何処のルークだ?」
「アッシュ!!」

 感極まったルークは、剣を持ったままアッシュに飛び掛った。









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