とても悲しい物語
いい加減にしやがれよ、と何にとも無く思う。
というか、この思いを一体何処にぶつければいいのかもわからねぇ。
理不尽だろ? え?
今度の体はマジで産まれたての嬰児だった。
ぐれるぞ。
屈辱の数年については積極的に忘れる事にする。
もう付き合ってられるか。
こんな理不尽。
そう思って俺は一人歩きできる年頃になったら屋敷を逃げ出した。
まあある程度満足に体が動く頃、になるからやっぱり5才を過ぎてからになったがな。
使用人として入ってきたガイを見た時になんだか決定的にどうでもよくなったような気がした。
ナタリアに第七音素の使い方を教えて俺と二人で超振動を起こしてまあぶっ飛ばされた。
二人でバチカル抜け成功だ。
バチカルの思惑にもヴァンの思惑にもユリアの思惑にも付き合ってられるか。
もういい加減にしやがれ。
俺は俺の道を行く。
泣くナタリアを宥めてすかして膨大な第七音素の反応に軍が来る前にその場所を逃げ出した。
パッセージリンクのある場所だ。
タタル渓谷じゃなかったな。
たぶん、シュレーの丘だろ。
一番近い町はエンゲーブかセントビナーか。
シュレーの丘のどのあたりに出たかが問題だな。
ナタリアまで連れ出したのはナタリアが一人で残ったら王位継承権問題が出てきたときに色々面倒だからだ。
キムラスカに対する意趣返し、でもあった。
それに、まだ五歳そこそこならこれから思い出を積み重ねていく中でこの程度忘れさせることも出来るだろうと踏んでいる。
屋敷から持ち出したホーリーボトルを使って魔物を避けながら俺たちは進んで、何とか道らしきものを見つけて辿っていったら何を間違ったのかチーグルの森にたどり着いた。
……まあ、いいんだが。ナタリアがチーグルを見て泣きやんだしな。
「まあかわいい! ねえほら! ルークもそう思うでしょう?」
「いや、俺は……」
「みてください! こんなにふかふかですのよ? ルークもさわってみてくださいな!」
「俺はいいから、ナタリアが抱いていろ」
「そう、ですの? ざんねんですわ……」
だがこのブタザルのどこがいいのか俺にはわからねぇ。
長老ってのが出てきてソーサラーリングで喋り始めたが、それを見たナタリアが感極まってその長老チーグルを抱きしめたから本題に入るまでにはもう少し掛かるだろう。
長老の用件って言うのは、もう日が暮れて危ないからここで休んで行け、と言うことだった。
言われるまでもない、もとよりそのつもりだ。
ソイルの木の洞は居心地がいい。
ナタリアもすっかり泣く事を忘れてピンクのチーグルを抱いて眠っている。
まあ、ただたんに泣き疲れて歩き疲れただけだろうがな。
ここがチーグルの森なら、明日辺りにはエンゲーブに行くのもいいかもしれない。
俺はチーグルたちが持ち込んできた森の果物を食べながらぼんやりと先のことを考えていた。
実は考えなしの逃避行だからな。
どうしようかなんて全く考えていなかった。
しかし、美味いな、これ。
やるじゃねぇかブタザル。
翌日、俺はナタリアを連れてソイルの木を発った。
ナタリアの腕には一匹のチーグルが居る。
あの短期間に仲良くなったんだそうな俺には良く分からん。
長老からも森を出る許可が出たといっていたがあのルークがつれていたブタザルと違ってこいつにはソーサラーリングは無い。
その方が静かでいい。
喋らなければ、まあそこそこ可愛いかもしれん。
とにかくナタリアが上機嫌だからなんでもいい。
エンゲーブに付いた。
子供の足だと数日掛りだったのがすこしばかり計算外だった。
もう少し綿密に計画を立てないとそのうちの垂れ死ぬ。
面倒くさいがそれもそれで嫌だった。
ナタリアは最初のころの元気も何処へやら、最後のほうには泣く元気もなくなっていた。
ホーリーボトルも最後の一本だったから助かった。
ナタリアにはメリルと名乗るように言い含めてある。
そして俺は、今日からアッシュだ。
エンゲーブでも子供二人と言うのはかなり不審な訳だが、そこはなんとでも言い訳が立つ。
旅の最中盗賊に襲われて両親を亡くした、と言うのが一番単純だ。
都合のいいことに俺たちはここ数日の旅で丁度良く汚れている。
そしてナタリアの長旅疲れはちょうどよく憔悴したように見える。
善意の村人達によってベッドに運び込まれているナタリアが安らかに眠っている間に俺はエンゲーブの村人達にあることないこと吹き込んでおいた。
これで変な勘繰りはなくなるだろう。
そこで手に入れた話によると、どうやらキムラスカはそれなりに騒いでいるがマルクトに戦争を仕掛ける余裕は無いらしい。
確かに、な。
王位継承権上位の二人がいきなりいなくなるなんて預言に読まれちゃ居ないだろう。
いい気味だ。
エンゲーブの住人たちは何処の誰とも知らない俺たちにも親切にしてくれ、身寄りが無いのなら村で引き取ろうかとも申し出てくれたがそれは丁寧に断った。
またいつか来るかもしれないのでその時はよろしくとは加えておいたが、今すぐにエンゲーブに留まる気はなかった。
ナタリア……メリルが、な。
今の状態じゃ正直何を喋るかわからねぇ。
あまり長い間ここには置いておきたくなかった。
だがこども二人連れで旅をするにもはっきり言って足手まといだ。
ホーリーボトルを使えば魔物に関しては問題ないが、盗賊に関しては問題がある。
俺の今の状態で自分以外を守りきれる自信もなかったし、ろくな計画もなく連れ出したことをさっそく後悔し始めていた。
いつからだろうな、こんな無計画になったのは。
この繰り返しだって最初の数回のうちならそこそこ計画的に動いていたように思うんだが、ここのところさっぱり計画性が無い。
立てても立ててまた元通りになるのかと思うと、ものすごく無駄なような気がしてやる気がおきねぇ。
だが無計画でも死ぬ気が無いのなら何とかしなきゃならない話だ。
死んでもまた何処かに巻き戻るなら死ぬだけ無駄だし、また赤ん坊に戻ったりしたんじゃやり切れねぇ。
今の俺の目標は一回の人生を長く使って、最終的には何とかしてこのループを断ち切ることだった
死ぬのは当分お預けだ。
そこで俺はナタ――メリルを連れてダアト・ローレライ教団に足を運ぶことに決めた。
あそこにはメリルの実の父親が居る。
なんとしてでも引き取ってもらおう。
幸い旅費はある。
超振動を起こす前に屋敷からガメて来ている。
船代、馬車代、払って余りある。
俺はエンゲーブの住人にはダアトに親戚が居るので彼らを頼ってみるといって辻馬車に乗るのを見送られた。
ナタリアは慣れない事続きで疲れているのか近頃は暇さえあれば眠っているので静かな物だった。
目新しい物、変わったもの、知らない物などがあると大はしゃぎで喜びあれはあんだこれはなんだと根掘り葉掘り尋ねてきて、はしゃいだ挙句眠ってしまう。
内心は不安なんだろう、とは思う。
だが俺の言った市井の暮らしがどうのこうのという詭弁が効力を発している間はなんとかなるだろう。
チーグルも喋らなければ目障りなことも無い。
俺たちはローテルロー橋を渡りタタル渓谷をぬけてケセドニアに渡り、そこから船に乗った。
ナタリアは大はしゃぎだった。
なんだかんだいって緊張しているだろう。
ナタリアは。
いつこの緊張の糸がぶっちぎれておお泣き始めて帰りたいと言い出すかと思うと俺は気が気じゃなかった。
あれ、だな。
その前にラルゴに預けちまえばいいんだよな、多分。
旅券はエンゲーブでもらえたからわりと順調に船に乗れた。
田舎の情って言うのはでかいなと思う。
ダアトに行く船の中でやっと思い至ったんだが、そういや今時期って言うのはやっとヴァンのやろうが神託の盾に入った頃合じゃなかっただろうか。
ラルゴもまだバダックとしてどっか打ちひしがれて漂ってるんじゃねぇのか?
……なんか根本的に間違った気がするぞ。
そのなにか根本的な間違いを抱えたまま船は戻れないので俺たちはパダミヤ大陸に到着した。
到着してしまった、と言うのが気分的には正しい。
だが仕方ないので巡礼者に混じって俺たちはダアトにたどり着いた。
見上げるほどのローレライ教団の建築物に昔は圧倒された物だったな、と思う。
今は見慣れただけではなくその中に渦巻く様々な思惑や悪意と妄信を知ってしまったためにそれらの思いも霞んでしまう。
のは俺だけで、何も知らないナタリアにはそれは十分に圧倒させられる物だったようだ。
見上げたまま止まってしまったナタリアのことを俺もぼうっと見ていたのだが。
「アッシュ、アッシュ! きてくださいませ!」
ああ、ナタリアが呼んでいる。
ダアトで子供二人なんて目だってしょうがねぇぞ。
「なんだナ……メリル」
「いやですわアッシュ。メリルとなのれといったのはアッシュですのに」
「すまない」
そう謝ればくすくすと笑い声が聞こえる。
「すごいですわね、アッシュ」
「ああ。ダアトは歴史ある建物だからな」
「わたくしこんなにビックリしましたのに、アッシュはあまりおどろかないんですのね」
「む……まあな」
驚けねぇよな?
「ねえアッシュ、せかいってとてもひろいんですのね! わたくしまったくしりませんでしたわ」
「確かに、地図を見て勉強しているだけじゃ実感できないだろうな」
「ええ、ほんとに! だってちずではこんなかぜはかんじられないから、うみはあおいってきいていたのも、いろんなあおさがあるんだってこと、わたくしはじめてしりましたの!」
惚れ直しそうな清々しい笑みで俺を見る。
ナタリアは、ナタリアなんだな。
どんな時も、幾つでも。
「他にもいろんな海がある。透き通った海、灰色の海、赤い海。宝石のエメラルドみたいに一面緑に輝く海もある」
「まあ、あなたのひとみとおなじいろですのね」
……まいった。
降参だ。
惚れ直しそうな、じゃない。
惚れ直した。
「メリル」
「なんですの?」
「不安じゃ、ないのか?」
野暮な事を聞いたな、とは思う。
不安じゃないはずが無いからだ。
それでも俺にその不安を感じさせないほどに、不安がっていることを疑わせるほどにナタリアは夏の太陽のように笑う。
「ふあん、ですわ」
「ならどうしてそんなに笑っていられるんだ」
「あなたがいるからですわ、アッシュ」
「俺が……」
居るから……?
「アッシュがいるから。おさないいときからわたくしはずっとあなたのことをみていましたけど、でもあなたがまちがったことをなさったことはいちどもありませんでしたもの。だからきっとだいじょうぶ、なのですわ!」
そりゃ外見は五歳だが中身はいい加減糞ジジイなわけで……、なんてことは。言えないよなぁ。
俺は頭を抱えて蹲った。
根拠の無い自信は嬉しいような、気恥ずかしいような。もっと人を疑えよナタリア。
深く溜息をついてから立ち上がり呼びかけた。
「メリル?」
返事が無い。
「メリル、何処だメリル!」
急いで周囲を見回したが、あのまぶしい金髪と笑顔の姿は見えなくなっていた。
「ナタリアーーーーーーーー!」
叫んだ。
だが返事が無い。
心臓の鼓動が跳ね上がる。
どこだ、どこに居る!!
走り出そうとした俺の目に留まったのは、粛々とした人々の流れの中呆然と立ち止っている巨漢の背中だった。
俺はその背中に向けて走った。
すでにダアトに居たなら好都合だ、ラルゴ。
いや、
「バダック!」
呼びかけに振り返ったのは、確かに俺が知るより幾分若い黒獅子ラルゴの顔だった。
「お前は」
「探せ」
ラルゴの言葉を遮って捲くし立てる。
「あいつを探せ! ナタリア、メリルを! あんたの娘だ!」
「何故お前が知っている! その赤い髪、お前は――」
「そんな事どうでもいい! 俺があいつを連れ出した。ここまで連れて来た! だがあいつはここで消えた!」
「な……ぜ」
「行け、探し出せ! メリルはお前の子だ、取り戻せバダック!!」
行け!
といえば戸惑いつつも駆けていくいくラルゴ。
いや、バダックか。
これで安全にナタリアの確保が出来る人員を一人確保できた。
あの巨漢じゃ見つかったとしてもナタリアのほうが怖がるかもしれないがとりあえずラルゴのほうでナタリアのことを悪く扱うことは無いだろう。
俺も俺でナタリアを確保するべくダアトに町に駆け出した。
気がつけばもう五年もたつんだな、という俺も十歳になっていた。
ナタリアは見つかっていない。
それどころかラルゴの姿も見つかっていなかった。
俺もまだキムラスカには捕まっていない。
今のキムラスカは静かな物だった。
まあ預言どおりの戦争は起きているが、それは両国の判断と言うよりはおそらく教団の介入だろうしな。
王位継承権者を二人失ってキムラスカがどうでるか。
まだ超振動や第七音素の実験に俺が提供される前に出てきたからレプリカ情報の採取もされていないはずだった。
それに関しては自信がある。
採取できているとすればそれはよっぽど幼いとき、それこそ嬰児だった時くらいしか思いつかないが、それくらい古いレプリカデータならものの役にも立たない。
めんどくさいのでバチカルには一度も帰っていないので王都の様子は良く分からないままだった。
六人そろっていないので六神将では無いが、ちらほらと聞く名前の師団長も出始めていた。
ヴァン、リグレット、ディストあたりか。
ヴァンはもう直ぐ師団長から主席総長になるだろう。
カンタビレは名はともかく実質ヴァン配下とはならないだろうし、六神将が揃うのかどうかは怪しいな。
だが適当に自分を妄信する人間を当てはめてヴァンなら自分の手駒となる軍団を作り上げるだろう。
問題は俺のレプリカ情報を採取するどころか俺の存在そのものを見失っている今、ヴァンがどういう行動に出るのか、とそういうことだった。
預言の変動と見るか、この程度では何も変わらないと思っているか。
奴の近くに居れば奴の同行もつかめるってもんだが……それもいやだしな。
これでヴァンとキムラスカと動向のわからない場所が二つもあることになる。
幸先は――よくないな。
そもそも五年もナタリアが見つかっていない。
俺のこの五年はほぼナタリアを探すためだけに費やされていた。
もしラルゴがナタリアを見つけていたら。
ラルゴの事だからキムラスカの首都に行くはずが無いし、ダアトにも預言に一度は妻子両方を奪われた男として住み着くとは思えない。
ヴァンに拾われていないならなおさらだ。
ナタリアが単独でバチカルまでたどり着いていたとしても、バチカルへの進入方法は限られているからしてその過程の何処かで見つかるだろうと予想している。
それが無くキムラスカは未だに沈黙したままだ。
ダアトに関しては俺が最初にくまなく調べているし、機会があって訪れればそのたびに探すようにしている。
それで見つからないのであればそれ以外の場所、と言うことになるのでここ三年ほどは積極的にマルクト方面への探索に時間を費やしていた。
ラルゴがナタリアを見つけていた場合、マルクト方面へ行くだろうと言う予想もある。
だがまあ、見つかっていないんだがな。
俺自身が子供と言うこともあって悪目立ちするので、目立つことを避けるためにあまり大々的に動けないという問題もある。
魔物を倒しててにいれた物を漆黒の翼を経由して売りさばく事で生活費に当てているが――漆黒の翼もまだ安定していないし、俺には調査を頼むだけの資金源も無いからな。
それでもそれらしい子を見つけたときには知らせてくれるとくらいは言ってくれているが……。
やりきれんな。
五年も経った今となっては無事であることを祈るしかない。
ラルゴの野郎も同時に行方が知れないことでそれとなく一緒に居るのだろう気はしているがどんなものやら。
あと探すところといえばパッセージリンクのある場所くらいしか思いつかねぇ。
まさかな。
とそう思いつつも俺はそこの可能性も潰しておくためにセフィロト周辺も確認しに行くことにした。
第七音素が良く集まる場所だ。
特にタタル渓谷は聖獣ユニセロスが出現するほど静謐だ。
場所によってはたいした魔物も出ないし、ラルゴの守りがあるならナタリアの一人や二人かくまって暮らすことは出来なくも無いだろう。
と思って足を向けたのだが。
「……いきなりビンゴかよ」
呟いた先に居るのはどこか穏かな目をしたあの巨漢、ラルゴならぬ今ならバダックの姿だった。
タタル渓谷の入り口付近で辻馬車の御者となにやら取引をしていたかと思うと終えたのか互いに背を向けて一人は渓谷の奥地へ、一人は辻馬車へと帰っていく。
辻馬車に乗り合わせたわけではないが偶然この光景に立ち会ってしまった俺はラルゴを追いかけるべきか辻馬車の御者を追いかけるべきか迷って辻馬車の御者をとっ捕まえる事にした。
この取引、どうやら一度や二度ではないようだったからな。
「おい」
「ひぇっ! ……あー、ビックリした。驚かさないでくださいよ。おんや? こどもが一人でこんなところで」
「さっきの男との取引はいつからしていた?」
「へ? なんのことで」
「惚けなくてもいい。五年前から、じゃないのか?」
そこまで言えばさすがにもう誤魔化しきれないと悟ったのか、御者は神妙に話を始めた。
袖の下の5000ガルドは痛かった。
とにかく御者の話に寄れば五年ほど前から一組の父子が住み着いているらしい。
何か人目を避けなければならない理由があって、客が乗っていないときのこのオヤジの辻馬車だけを相手にここで手に入れた何かとオヤジの持ってくる生活必需品を交換しながら生活しているのだそうだ。
普通の人間にはなかなか出来ることじゃねーが魔物を倒すってのは実は結構金になる。
俺みたいに旅から旅じゃ手元に残る物なんざ殆どねぇが、どっか定住しているなら余ることはなくても足りないことも無いだろう。
ラルゴは実力者だ。
賞金が掛かってる魔物も居るし、魔物のを倒して手に入るものの中には貴重なものも多いからな。
人の乗っていない時だけの辻馬車を相手に選んだのもなかなかだ。
辻馬車の御者ってのは儲かる仕事じゃねぇしな。
多くて毎日何十人、月で何千人もの客を乗せることもある。
まあ何千ってのはこの言いすぎだがある時はあるしな。
何かあって尋ねられても「さあ、そんなお客も乗った気がしますがね」とでも言っておきゃなんとなくかわすことができるだろうし、他に取引相手もいない何か訳ありで隠れ住んでいる人間となればちょっとは吹っかけても相手は呑むしかない。
いい金蔓、逃がすわきゃねぇ。
俺は御者がしっかりと立ち去るのを見届けてからタタル渓谷の奥に向けて踏み入った。
御者も名前は知らないらしく名前を聞くことは出来なかったがあの巨漢、ラルゴで間違いねぇ。
今は何て名乗っているのか。
ラルゴじゃねぇだろうな。
バダック、か?
だがそれもキムラスカから追放された男の名前だ。
ならば――まあ、とにかくバダックと呼びかければ知らないフリも出来ないだろう。
それくらいのスタンスで俺は渓谷を登って言った。
灯台下暗しとはこのことか。
意外と近くに居たもんだ。
ざくざく踏み分けて登っていくが恒常的に人が分け入っている道は見つからない。
今回ラルゴが踏みつけたらしい場所は有るが……使う道を分散させる事で道ができることを防いでいるんだろう。
ただの戦闘バカかと思っていたが意外と頭が回るな。
御者から話を聞きだしている間に日も暮れてきて、消えかけているその足跡を辿って登っていく。
視界が広く開ける頃には空にはもう月が昇っていた。
そして見えるのは、花開いたあの一面のセレニアの花畑と――
「っナタリア!」
俺は叫んでいた。
セレニアの光に照らされて花を摘んでいた金色の頭が一瞬置いて振り返る。
キムラスカにいた頃よりもずっと長い髪が翻って光に踊った。
綺麗だった。
見開かれたその目は凝然と俺のことを見ていた。
「ルー……ク?」
ぱさり、と手の中の花が落ちる。
立ち上がろうとして足をもつれさせて一度転ぶがそれでも目線は俺を見たままだった。
さくり、と俺のほうからも足を踏み出す。
ナタリア。
「ルーク!」
ナタリア。
俺たちはしっかりと抱きとめあった。
ぐずぐずとないているナタリアを宥めながら視線を持ち上げれば、そこには一人の鬼が居た。
あの、ナタリアと出会った場所にはナタリアについていったチーグルも居たらしいが、俺の目には全く映りこまなかった。
おそらくその瞬間はナタリア――いや、メリルも忘れていただろう。
ナタリアが俺の事を覚えていたのは正直計算外だった。
だがまあこれだけ刺激の少ない生活の中でなら覚えていても不思議ではない、かもしれないが嬉しかった。
ラルゴはナタリアに自分とナタリアがどういう関係でどうしてああなっていたのかを言って聞かせたのだという。
ナタリアは一時期泣いたが立ち直ったらしい。
聡明なナタリアだ。
どうして自分が赤い髪を、王家の印を持たないのかそれで理解したのだろう。
境遇とラルゴからの話につじつまがあったのだ。
今俺はナタリアを見つけたあの日鬼となった男とナタリアと三人で暮らしている。
ラルゴはバダックと、ナタリアはメリルと名乗っているらしいが、互いの間以外では使われることもなかった名前だといっていた。
五年、いや、十年も隠遁すれば世間はだいたいは自分たちの事を忘れる。
それまでの辛抱と言うことだったらしい。
たしかに。
俺の勝負も五年後だ。
綺麗な金髪を長く伸ばした奔放なナタリアは、王城に居た時には見られなかったものだ。
今回はこういう幸せをつなげるために奔走してもいいかもしれない。
そう思う。
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