ギリギリの楽園




「目、覚めないね」

 といってキリエはアッシュとルークの顔を見る。
 二人並んで一つのベッドに入れられているから、これはきっとアッシュの方が先に目が覚めたらひと悶着有るんじゃないかと彼女は思っている。
 だがそれで楽しそうなんじゃないだろうかとも思っていた。
 その悶着も、今となっては生きているからこそできること、と言う奴だろう。
 死を覚悟し、それに瀕した人間に対しては贅沢な話しだ。

「そうだね〜」

 と返すアーヴァインはその腕の中に大型のタンスを軽々と抱えて横切って行った。

「ルークも、アッシュも。どっちも目覚めないわ」

 と言ったキリエは二人が乗ったままのベッドの頭のほうを抱えていて、

「いい加減目覚めてほしいな〜、とか思わなくも無いですけど、いっその事全部終わってから目が覚めてくれたほうが面倒が無くていいんじゃないかとも思いますよ?」

 と言ったフィールがベッドの足のほうをもって移動している。
 あれから。
 ルークとアッシュをエルドラントで保護して、ジェイドたちに挑戦状を叩きつけてから三日がたった。
 そろそろ目が覚めてもおかしくないころあいだとはおもうのだが、目が覚めない。

 アーヴァイン、フィール、キリエのガーデン一行はあの日から早急に行動した。

 三日のうちにキリエは体を蝕む何かに対する対策を打ち出し、そこそこの日常生活はおくれるようになった。
 さすがにまだ戦闘は出来ないが、こうしてベッドを運ぶくらいのことは出来る。

 何処かで家を借りようといっていた彼らだが、そこから足が付く事を警戒して取りやめた。
 二年は、隠れているつもりなのだ。

 家は借りずに購入した。
 エンゲーブで住む人間のいなくなったに家を一軒購入し、それを夜に人目を忍んでカードに封入する。
 それをもって新しい住処とする土地へと移動した。
 エンゲーブでは一夜のうちに家が消える怪奇現象として長い間語り継がれる事になる。

 新しく住むと決めた土地はケセドニアの脇、タタル渓谷のある一体のやや下辺りに有る無人の孤島だ。
 タタル渓谷自体はともかくとして、周辺の魔物はそこそこ強い。
 そのうえここには生活水が無い。
 水が無ければ人は生きていくことが出来ない。
 この島に以前からも人がいたらしき形跡が無かったのは、環境的に自明の理といえた。
 都合がよい。

 そこで購入した家を開封して生活を始めた。

 水はキリエ作の念具である無限に水の湧き出る壷がある。
 湯船には常に花の香りのする水がたたえられ、居間ではパチパチとはじける炭酸水が湧き出ている。
 厨房では常に清水が溢れる壷が設置され、水に困ることは無い。

 大きな丸テーブルの設置された広々とした居間。
 改造してキリエたちの基準で使いやすくした厨房。
 購入した家の外観はそのままに大胆に改造した内部では、寝室が五人一度に眠れる広さになっている。
 ベッドのサイズは特注品だ。
 プライベートなんて無いに等しい。
 ベッドの上と言う空間にありながらおそらく状態は雑魚寝に等しくなるだろうと予測をつけている。

 初めは各々に個室を、と言う話にもなっていたのだが、気がつけばこうなっていた。
 寝室は一緒だがそれなりにプライベートスペースは作ってある。
 彼らの目が覚めなければ、使う人間もそういないが。

 内装を整えて、赤い髪をした少年と青年の狭間にいる二人を乗せたベッドを運び終えれば、だいたいの作業は終了だ。
 寝室と一般の空間を遮るカーテンが吹きぬける風に揺れた。
 寝室と一般の空間の間に壁は無い。

 余裕のある、と言うよりは隙間だらけのベッドにキリエは腰をかけた。
 その対面にフィールも腰を下ろす。

「もう三日、と言うべきか、まだ三日、と言うべきか。迷うところね」
「生命の維持に関しては問題有りませんけど、キリエの話を聞くに二人の意識の混濁が心配です」

 眉根を寄せて二人を見るフィールに、同じベッドの足元に腰をかけてアーヴァインも言う。

「でも結局なるようにしかならないよ。目が覚めてみるまで結果は分らないんだ」

 時が至るまで、答えは出ない。
 彼らの能力は物理的な方面に作用する物が多く、精神的なものは遠い。
 精神に作用する念具も有るが、直接的に精神に触れるような真似はできない。
 彼等が目覚めたとき、果たして彼等が彼らであれるのか。

「……声、遠いね」
「ベッドが大きすぎるんだよ」

 少し情けない気分になった。
 が、気を取り直して彼らはベッドに横たわる二人の“子供たち”を見る。
 そして告げた。

「正しく目覚めておいで」
「そうですよ。ちゃんと二人のまま、起きて下さい」
「はじめまして、の挨拶をしましょう」

 口々に告げる。

「ここでは剣を抱いて眠らなくていいのよ」
「無認可だけど、この島はガーデンが占拠したからね。武器は必要ないんだよ」
「魔物対策はもう2.3日かかりますけど」

 もう戦わなくてもいいのだと。
 ここには悲しみは無いのだと。
 閉ざされた箱庭。
 出るときは自分で選べばいい。

 箱庭は子等を慈しむ。
 けれど閉じ込めるための庭ではない。

「薬、高かったんだからね? 普通なら一生働いても稼げない金額だけど、サービスしてあげるわよ?」
「というか、キリエが勝手に使っただけですから気にしなくていいですよ」
「そうそう。負債を気にして目覚めたくなくなるような金額だしね〜〜」
「……でも、でもさ! ちょっとはバックマージンがあったっていいと思わない? 何事もただじゃない、のよ」
「諦めが寛容、って昔何処かの偉大な人が言っていたような気がします」
「多分気のせいよ」
「でも、王族ってことは、自分のお金は全て国民からのお金、って立場だよね。遠足の駄菓子を買うわけじゃないんだし、聞く限り性格も真面目で律儀そうだし」
「諦めの〜〜フラグは最初から立っていた、ってこと……なのかな」

 とぼ、とキリエは溜息をつく。
 そしてよじ登るようにベッドの乗り上げると、眠りに付くルークの左手と、アッシュの右手をそっと重ねた。

「寝ている人間の手足って暖かいわよね」
「子供のときの話じゃなかったっけ? 寝起きは確かもっとも体温が低いときのはずだよ」
「……そうだったかしら」

 ふと考えてみたキリエ。
 だがすぐに答えを放棄した。

「帰る場所、間違えないでね? ちゃんと貴方達は隣に居る。二人、居るわ」
「セフィのために鍛えた僕の料理も披露しちゃうよ〜〜?」
「あ、じゃあ私も。ここに来る前に新作の林檎ケーキ覚えたのよ? エンゲーブの林檎で林檎ケーキを作るわ。ルーク、貴方には林檎は思い出深い食べ物でしょう?」
「料理に製菓にときたら僕はお茶でも入れましょうか?」
「是非緑茶にしてちょうだい」
「僕はアールグレイがいいな〜〜。あ、でもミルクティーも結構好きかもしれない」
「面倒ですから、ワインでも飲みましょう」

 腰掛けていたベッドから立ち上がり寝室を出て行くフィール。
 眠る二人に柔らかくブランケットをかけるアーヴァイン。
 真昼の日差しが降り注ぐ窓に水玉模様の白いカーテンをかけるキリエ。

「家の中も落ち着きましたし、ちょっと外で魔物の対策してきます」

 後ろでに手を振って出て行くフィールの背後にアーヴァインがポツリと言葉を落とした。

「猫避け?」
「むしろ台所のGキラー」




 フィールが家の周辺に魔物避けの対策を施す間にキリエとアーヴァインが島中を巡り歩いて魔物の討伐をする。
 肉弾戦は出来ないキリエも、念具の銃を持ってうろつきまわるくらいなら問題は無い。
 反動を限りなく殺したタイプの銃もある。

 昼食は丸ごと一斤のパンにハムとチーズ。
 そして宣言どおりのワインと食後にフルーツゼリーで済ませ、そして午後からもその作業を続ける。
 ある程度の目処をつけて室内に戻り、ゆったりとした時間を過ごす。
 気合を入れて豪華に作った夕食の後は、赤毛の二人の眠る寝室でティータイムだ。

 広がる芳香が、彼らに対する外部からの刺激になれば、と思うところもあった。
 匂いとは忘れやすく、だが根源的な記憶の一種でもある。
 基本的に貴族である彼らの記憶の琴線に触れはしないかと、茶葉は高品質な物を用い、抽出はフィールが行なった。
 かぐわしい芳香が広がる。
 赤毛の子供たちは目覚めない。

 それでも彼らは、まるでその子供らに話しかけるように会話をする。

 本人たちが眠ってしまっているのでネタの提供は主にキリエとなる。
 かすれた記憶を掘り起こして、喋る。
 あの時はどうした、あの時はどうだった。
 あの時は悲しかった。あの時は――。

 それがそのとおりでも、違っていても、構わない。
 違うなら反論して見せろとでも言うように、喋って、語り合った。




 すべては、そんな会話の中から生まれたちょっとした出来心だったのだ。




 三日が一週間になり、相変わらず目の覚めない彼らに対して少しずつ話す事がなくなっていく。
 キリエはともかくとして、フィールとアーヴァインはキリエから又聞きするだけで彼らの人となりを生では知らないのだ。
 そんな相手に何時までも語れることなどそうはない。
 しかも、返事が無い。
 少しでも彼らに刺激になればと話しかけるが、いい加減底が付く。

 すでに体は健康体なのだ。
 問題は意識だけである。
 いい加減に目覚めろよ、と言った類の話しかけが多くなり、そして誰かが言ったのだ。


『目が覚めないと、悪戯しちゃうよ?』


 そこから話は壮大に広がった。

 寝ている間の悪戯と言えば顔面への面白落書きなどが定番だがそれでは面白くない。
 いっそのこと世界を巻き込んで、彼らにとても避けようもないような壮大な悪戯を仕掛けようではないかと話は膨らむ。
 避けようも無い、というよりも、彼等が出て行くことによって終焉を迎える壮大な悪戯である。

 昼間は世界各地に赴きリノアを解放するための助けにならないかと譜石やワイヨン鏡窟の鉱石を初めとした物質を採取し、魔物の生態系を観察し場合によっては体組織を採取して、夜になれば帰宅して三人で夕食を取り、寝室に移動して長い長いティータイムをして話し合い、語りかける。
 そして時計が丁度次の日付けを刻む頃、揃ってベッドに入り眠りに付く。

 世界は変革の時期を迎えているが、彼らはそれに関わる者ではない。
 二人の赤毛を迎えられる世界にせよと、赤毛の仲間達に言い置いてきたが、なら場こそそれは彼らの仕事であり、役目だ。
 二年程度では全ての騒動は治まらないと思っている。
 大胆な改革はそれこそ二年の更に後からが本番だろう。
 彼らは意思を見せろ、と言っているに過ぎない。

 その意思が伝わるかどうかは別として。

 赤毛の二人は目が覚めたならおそらくはどんな世界だろうとこの世界に帰ろうとするだろうと予測を立てている。
 それを引き裂いてまで連れて行きたいとは思っていない。
 だからこそ、残った彼らの仲間には、不断の努力をして見せろ、と言う。

 世界は広く、だが狭い。
 赤毛の二人に付き合って、もうしばらくこの世界に留まるつもりの彼らだったから、彼らの仕事とも言える物質の採取などを急ぐことも無い。
 時間が余ると人間ろくなことを考えない物である。




「これで、全部ですか?」

 フィールがテーブルの上で小山になっている物体を見て言った。

「そう。これで全部よ」

 それにキリエが答える。

「オダインでおじゃる……2号?」
「名前さえこんなのでなければ、機能はなかなか好きなんだけどね」

 山盛りの丸い物体。
 その名はオダインでおじゃる……確か2号。
 オダインの研究、と言うより好奇心の副産物である。

「説明書読んだ〜?」
「スピーカーは付いていてもマイクは付いていないそうよ。カメラはなかなか性能がいいの積んでいるみたい。最後は――」
「さ、最後は?」

 おどろおどろしく言うキリエに、身を乗り出してアーヴァインが尋ねる。

「――ドッカーン! 自爆機能付き、だって」
「オダインらしいって、言うべきなのかな」
「マッドサイエンティストの鏡じゃなくて?」
「機密漏洩、って言うより行く世界によってはオーパーツだもんね」
「むやみやたらに何でも自爆されてはかなわないですけど、時々はいい仕事すると思います」
「基本は、天才なのよね」
「故に凡俗からと〜〜く離れてしまったタイプですが」

 オダインでおじゃるで一通り談笑をして、流す音楽を選別する。

「これ、これなんてどうかな。結構抽象的な音楽だし、音源もいいよ?」
「やっぱり歌がいいですよ。違う世界のものなら、歌詞のわからないだろう奴も結構ありますし」
「いっそのことユリアの譜歌でも引っ張って来れれば演出的には良かったんだけど」
「それって、人以外のものが歌っても効果出ちゃったりしませんか?」
「スピーカーの歌に引き寄せられるローレライ?」
「一網打尽だね」

 オダインでおじゃるを使用して流す音楽を決め、

「最大の問題はこれですね」
「透明な赤みがかった結晶体でどうかしら」
「結晶体といっても色々ありますよ?」
「ガラスでいいんじゃないの? それっぽい形にカットしたらさ〜」
「理想を言うなら水晶だけど……」
「用意するのが面倒です。固定化してしまえば割れなくなりますし、いいんじゃないですか?」

 と決められた。

「投影装置は?」
「微調整はしておきました。キリエの方こそどうなんですか?」
「二人の立体スキャンは準備完了。衣装は変身リングで着替えさせて撮影したわ」
「科学ってさ、凄いよね」

 小指の爪ほどの小型の投影装置を弄びながらアーヴァインが言った。

「固定の方法はどうしますか?」
「地面に固定じゃ掘り返されて持ち帰られるかもしれないし、それは避けたいところね」
「なら素直に空間固定でいいんじゃないの?」
「そうだ、キリエ以前に装備したらスロウのステータス異常になる装備品とか作っていましたよね? それをストップに変更してガラスにかけてしまったりとか、出来ないですか?」
「都合の悪い状態異常だし、誰かが装備する物でもないからそこそこいけると思う。そうか、空間固定。いいわね」

 と次々と決まってゆく。
 とんとん拍子とはこのような流れのことを言うのだろう。
 迷う事もとどまる事も無くあっけなく決まってゆく。
 そしてそれは決行された。




 やがて噂が流れる。
 タタル渓谷から歌が聞こえてくると。
 静かに、だが絶える事無く流れる歌声。

 タタル渓谷という彼らにとっては忘れがたい場所から絶えず聞こえてくる歌い手の居ない歌声と言う噂。
 それに彼等が食いつかないわけが無かった。




 鈍足だが移動機能のあるオダインでおじゃるがさまざまに移動しながら静かに音楽を流す。
 複数のオダインでおじゃるを配置し、音源を辿って人が近寄ればすぐに違うオダインでおじゃるに音を回して惑わせる。
 カメラが付いているので人の感知は出来る。
 人が居なくても一定時間ごとに音源は他のオダインでおじゃるを回る。
 オダインでおじゃる2号!! の設定は家に持ち込んだエスタの科学の粋を集めて作ったプログラムを元に作成された念具の光学式パソコンに任せる。
 そしてエルドラントを見下ろす景色のど真ん中に用意した巨大な結晶体を立てた。

「レビテト」

 と一言となえれば、それは地面から僅かに浮き上がって留まった。
 その底面に素早く投影装置を取り付けて、巨大な結晶体の中に立体映像を投影する。
 背中を向け合って、両手を指を組むように繋いでいる二人の赤毛の映像だった。

 その色は結晶体を透かして向こう側のエルドラントを覗くほど薄いが、それも演出の一つである。
 二年後までの間に段階的に色合いを濃くしてゆく予定だ。
 二人の成長に合わせて時々映像を差し替えながら段階的に濃くしてゆく。
 幻が実体になって行く様子を演出するのだ。

「ストップ」

 と唱えて魔法をかける。
 状態を固定するための魔法だ。
 結晶体の下部に設置した投影装置を回収しても内部の映像は乱れない。

「さあ、これで準備完了、かしら」
「他にまだやる事ってありましたっけ?」
「仕上げをしたらおしまいでいいんじゃないかな」

 とその物体の出来栄えを見て言った。
 なかなか見栄えがすると得意げになる。

「でも、準備期間が一番楽しかったよね〜」
「後は仕上げの一手で終わると思うと、ちょっと寂しくなりますね」
「二年も賭ける悪戯だもの。果報は寝て待てって言うじゃない」

 祭りの後の寂しさと言うか、佳境も終わってそこそこ人が引けてきたイベントのそろそろ終わりだと雰囲気で語られるような寂しさ。
 そんなをなんとなくといった代物を彼らは感じていた。
 此方の世界に来てまだ日は浅いが、随分と活動的な時間だったと思う。
 この、悪戯も含めて。

「ねえ、もう仕上げしちゃおうよ」
「そうね、アーヴァイン。祭りは終わりがあるから盛り上がるのよね」
「では僕が最後にやっていいですか?」
「よ〜し、やっちゃえ〜〜!!」

 人数が居れば拍手喝采となっただろう。
 琥珀色の小さなボトルの栓を抜いたフィールはその中身を映像を映した結晶体の上からぶちまけた。
 映像を写したまま固定化させた結晶体は、宙に浮いているが故に地面を掘り返して持ち帰ることも出来ず、  これで、全ての仕掛けは終わった事になる。
 科学的な調査には、一切の事実が明かされることは無いはずだ。
 彼等がもともと住まう世界でなら解明されたかもしれない事も、ここでは解明される事もないだろう。
 音素学と魔法学の間には深くて広い溝がある。

 すぅ〜〜、とアーヴァインが大きく息を吸った。

「てっしゅ〜〜〜〜〜!!」

 地を蹴って、彼らはタタル渓谷から姿を消した。









 それから一月が経つころだった。
 前日の雨に空気が洗われた孤島――ガーデンの庭は清々しい空気が流れていた。
 新鮮な海風が開け放たれた寝室のカーテンを揺らす正午。

 巨大なベッドの上に手のひらを重ねて眠る赤毛の“子供たち”に変化が訪れた。

 真紅の髪色をした“子供”の瞼がピクリと動く。
 それからしばらくして、それは緩やかに持ち上げられた。

 瞼の下から緑玉の瞳が覗く。
 ぼんやりとしていたそれは、瞬きと共に意思を持った。

「――いきてる」

 呟きを聞くものは居ない。




 重ねられた手のぬくもりに気がつき、彼は己の隣を見た。
 朱金の髪を持つ半身が瞼を下ろして横たわっている。
 口元に顔を近づけて規則正しい呼吸を確認する。

 生きてる。

 彼は室内を見渡した。
 巨大なベッドに、開け放たれた窓。そこに揺らめくファンシーなカーテン。
 その対面には壁が無く、端の方に巨大なカーテンが寄せられて止められていた。
 吹き抜けて全てが見えた。

 広々とした居間。丸いテーブルと五脚の椅子。
 見慣れないが置かれている道具などからおそらくはキッチンだと思われる場所がある。
 潮風の匂いに混じって生活の匂いが感じられた。

 片付けられ、人の居ない空間はやけにガランとしていて広く感じる。
 だが、不思議と冷たい感じはしなかった。

 彼は観察とは違う目的でもう一度見える景色に目を走らせた。
 探し物は、見つからない。
 立ち上がりもう一度観察するが、無い。

 見知らぬ場所で腰に佩く剣が無い事は酷く落ち着かないことのように感じた。
 見る限りには穏やかそうな場所である。
 窓から見える空は晴天で、室内には燦然と光が降り注ぎ、その室内も荒れた様子は無く良く手入れが行き届いている。
 窓から聞こえる音は波と風と海鳥の声ばかりで魔物の気配もなければ人が居るようでもない。
 危険はないように思えたが、常に側にあったものが無いというのは、落ち着かない物だと彼は思った。

 隣の朱金の髪を一瞥して、彼は寝室らしき場所を出た。
 居間を通り抜け、外部と繋がっているだろう扉に手をかける。

 少しだけ身構えて、そして開いた。

 押し開かれてゆく扉の隙間に新しい景色が広がる。
 踏みしめた足の裏には海辺の砂地に生える雑草と砂。
 視線の先には一面の蒼。
 海。海。海。

 海鳥が鳴いている。
 その景色の遥か向こうに、滲むようにバチカルの街が見えた。









 それからさらに一月がたって、オダインでおじゃるから送られて来た画像を録画編集してまとめたものを彼らは鑑賞していた。
 ガーデン組みの三人に挟まれるようにして赤毛の二人が動いている。

 正しくそれぞれとして個を保ったまま目覚めた彼らに、ガーデンから来た彼らは暖かな言葉で祝福を贈った。
 目覚めてすぐに、二年は世界から隠れて生きる事をまずは約束させた。
 世界に対して第三者となることを。
 そもそもガーデンの力を借りなければこの孤島から出て行く手段が無いのだが。
 この島には船が無い。
 そして二年の間決して見つかることの内容に物理的に隠されていた。
 許可を受けていない者はこの島に乗り上げる事はできない。
 アルビオールで上空から探索してもまず目視も叶わない。
 ここは、小さいながらも独立領。治外法権。二つある国家に認めさせては居ないが、実力でそうなさしめた。
 小さな、小さなガーデン。Seedたちの庭なのだ。

 赤毛の“子供たち”は目覚めたときに一騒動して、こと有る事に小さく悶着を起こし、少しずつそれに折り合いをつけていく。
 互いを理解して行くという行為。

 共に食事をとり、一つのベッドでごちゃごちゃになって眠る。
 眠るときは並んでいたはずなのに、朝目覚めたらどうして不思議な有様になっている。

 武器の要らない日常。

 特にアッシュなどは時々何かが足りないように不自然な動作をする。
 ルークは気がつかなかったようだが、アーヴァインを初めとしたガーデンの人間には分った。
 抱え込む武器――剣がないことが違和感なのだろう。
 眠るときはなにかあればすぐに行動できるように身の回りの物は全て近くに置いておく。
 クローゼットなんて使わない生活の方が長かったのだろう。

 誘拐された先の生活でこの習慣が身についたのだ。
 それを思うと切なくなる。

 誰もが未来を選び取れるわけではない。

 アーヴァインも嘗て言った。
 無限の未来なんて、無い、と。
 常に数少ない道の中から選んできた。
 時には道は一本しかなかった。
 理不尽に背を押されて進みたくない道を進んだ事もある。
 けれどその一本を“進む”ことを選んできたと。

 その結果として、彼らは今を生きている。

 その道しか選べないように仕組まれていたのだとしても。
 選んだと思ったことさえ錯覚だったとしても。
 その選択を過ちだったと後に思うのだとしても。

 選んだのだ。
 だから、進まねばならない。
 一人で必死に頑張ってきた。けれど、そのときに誰かの手が差し伸べられたら嬉しかったと思う。
 それは誰に手を伸ばしていいのかも判らなかったころのアーヴァインの――彼の思いだ。




 タタル渓谷の様子は常に映像として残されていたし、時々外に出たときなどにタタル渓谷のうわさを耳に入れたりしてもいた。
 もっとも、初めにタタル渓谷から歌が聞こえると噂を流したのもガーデンの彼らだったが。
 いい具合に餌に食いついてくるのには7日ほどかかった。
 その間に噂を聞いてタタル渓谷に上ってくる者も幾人かあり、その幾人かがまたその様子を持ち帰り噂として広める。
 調査団が組まれるのも必然であり、その様子から調査団にルークの旅の仲間達が組み込まれることも必然といえた。

 キムラスカからはナタリアが。
 マルクトからはジェイドとガイが。
 ダアトからはアニスが。
 ユリアシティからはティアが。

 悪戯を仕掛ける本人たちは、各国の人々が一堂に会してタタル渓谷でそれを、その景色を見た時の事を直に見ることはなかったが、悪戯の成功には大いに満足していた。
 何処からともなく流れてくる歌声。
 音素反応もなく物理的な接触にも反応はなく、あらゆる調査でも実態のわからない結晶体。
 その内部に見えるルークとアッシュの姿。

 直ちにタタル渓谷は封鎖された。

 音声の無い映像では、その景色を見てやってきた彼等が何を言ったのかまでは分らない。
 だがそれぞれに深く思うところがある様子なのは、見てとれた。

 目を閉じた二人の表情を見る者。
 繋がれた手を何時までも見つめる者。
 二人の姿を閉じ込めたその結晶体に手を降れたまま微動だにしない者。
 さまざまだ。

 此方に声はとどかない。
 だから行動から心情を慮るしかない。

 目覚めた二人の赤毛の子供たちにこの結晶体のなかに映る二人の映像を見せたときに面白いほどに悶絶し、小さな喧嘩をした。
 そして今は新しい世界に生きる嘗ての仲間たちの様子に目を凝らすルーク。
 アッシュもまたその画面に食い入って、見つめる先に居るのはナタリアかガイか。
 懐かしそうに目を細める。

「見事、引っかかっているわね」

 画像を見てキリエが呟く。

「手間暇時間、かけましたもん。これで誰も引っかからなかったらそれもそれで笑えると思いますけどね」
「声が聞けないのが残念だけど、そこそこ思い通りの反応を引き出せた感じだね」
「そうね」

 くすくすと笑う彼らにアッシュの眉間に皺がよる。

「どうしたのアッシュ」

 尋ねても答えない。
 これに対する不満はすでに一通り出た後だからだ。




 ガーデンと聖なる焔の二人は、遠くにバチカルを臨む島の上で小さな共同生活を始めた。
 もう少し時間が経ったら彼らも外の世界を見に行くだろう。
 いつか、キリエは彼らに聞いたことがある。
 どうして目が覚めたのか、と。

 一月も眠っていたのに、自分たちが島を空けている間に目を覚ました真紅の焔。
 尋ねたキリエに焔は答えた。

「声が――聞こえた」

 と。
 誰の声が聞こえたの? と尋ねれば、

「男の声だった。『正しく目覚めておいで』と、言っていた様な気がする」




 それは確かにアーヴァインの、そしてガーデンの言葉だった。









 そして二年後の、焔たちの生誕の日に、その結晶は砕かれることで全ての仕掛けが終わりを告げる。














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