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深淵に見る箱庭の定義――4
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心地よい風に乗る話し声に、キリエは目を覚ました。 いつの間にか部屋から血の匂いは一掃され、窓も閉められた部屋には昼間の風の残り香が。 むくりと起きて、正樹に目に入った人物に彼女は挨拶をした。 「おはよう、アーヴァイン、フィール」 「おはようキリエ」 「キリエ、おはようございます」 ランプで室内を照らす夜に、当たり前のようにそう挨拶されてやっと帰ってきた日常を、感じた。 結局アーヴァインがキリエのために用意していた食事は、キリエが再び眠ってしまったためにフィールとアーヴァインたちの胃袋に納まった。 そしてキリエはぶどうをつまむ。 胡桃の入った黒パンを丸ごと歯を立ててかじって、透明なコンソメスープにバカみたいにクルトンを入れてごろごろかき混ぜる。 つまるところ、空腹だった。 そうしていながらフィールが外で仕入れてきた情報を聞く。 年号はND2002 今いるのは、キムラスカという国の首都、バチカルという都市で、2000年にファブレ公爵という、キムラスカの有力貴族のところに赤毛の第三位王位継承権保持者が生まれたらしい。 月の数え方が彼女等からしてみれば特殊で、数字ではなく末にデーカンとつく何かの名前で――聞いている分にはいいが、書き起こされると何度もガーデンと読み間違えた――とにかくひたすら馴染みがなく、覚えにくい。 とにかく、一月に当たるだろう月から数えてみれば、五月あたりに当たるらしい。 そして、一年は十三ヶ月あり、一月は五十八日。 あー、なんか、聞き覚えがあるな、と。 聞いているのかいないのか、一見分らない態度で細切れのブウサギの肉を口に詰め込む。 真っ赤にボイルされ、胴体の皮の剥かれているエビをナイフとフォークで細切れにして、最後に頭をすすって味わう。キリエはここが一番好きだ。 血が足りない。 それが今、キリエが自分の体に対して思っていること。 喀血をした。 体は損傷した。 癒すには、物資が必要だ。 念具とは、絶対にして曖昧なものだ。 どこをどう判断しているのか、製作者にもわからない。 例えるならば、失った四肢まで生成して見せる念具。 ならば再生された四肢を構成する物質はどこから来たのか。 キリエはそれが分らない。 だから、飲み込んだ念薬が貧血まで治してくれているのか否かもわからない。 それでも、眠たかった。 献血で血を抜きすぎた後のように眠たかった。 たんぱく質が足りないと感じたのだ。 ひたすら食べながら思考する。 まあ、食べているのは彼女だけではなかったが。 アーヴァインも遅い夜食に付き合っているし、酒場に行って、おごり酒で口の軽くなった人々から散々情報を搾取してきたらしいフィールは、そのときに付き合いでいいだけ飲み食いしてきたらしいが、会話の合間にゆっくりとナッツをつまんでいる。 好物のカシューナッツがこの世界にもあってフィールの顔はホクホクだ。 宿の施設や、狭い範囲からだが文化レベルを見る限り、ナッツは結構な高級嗜好品のような気がするキリエだが、達磨も青くなるような赤ら顔の酔っ払いを見て理性を期待するのは諦めた。 最近は星を二分するマルクト帝国とのあいだで随分キナ臭いことになっているが、首都バチカルまでその火は届いていないということ。 物価の値上がりなど、庶民の懐事情には優しくないことになっているが、直接の被害を心配する必要はないらしい。 ああ、道理でのんきな会話だったはずだと、キリエは妙な納得をした。 昼間、血を吐きながら聞いていた窓の外の会話。 人など所詮、遠くの死は数でしかないのだ。 ましてキムラスカの人間は自らの優位を疑っていない。その上本格的な諍いもまだだ。 ダアトと言う宗教による自治区があり、世界は予言に満ちているという。 人々は予言を詠んでもらい、それに従い行動する。 予言は明日の天気から極端な話になればその日の夕食までを詠むという。 マルクトのほうは知らないが、キムラスカでは政治にも予言を取り込んでいるらしい。 塩なんかなくても味が濃厚なゆで卵をほおばり、ワインで流し込む。 甘口の白ワインが口の中を流す。 予言は二千年前にユリアという人物が詠み、予言は音素により詠まれる。 世界は音素と元素により出来ていて、フォニム、と発音するそれでこの世界はさまざまなことを行っているらしい。 譜術、譜業、この二つが一応メインらしい。 譜術は、まあ他の世界に例えるならまんま魔術魔法の類だろう。 譜業は、音素を使った機械の類のことをさすようだった。 そしてそれらの元である音素は、大気中にもたっぷりと含まれているらしい。 酒場で散々飲んできた上に、ここでもまたアルコールを重ねているフィールの説明は纏められておらず、随分と飛び飛びだったが、これからそ知らぬふりでこの世界の日常に溶け込んでゆくためには十分量があった。 「フィール、醸造酒は口当たりがいいからって飲みすぎると明日に響くわよ?」 「明日は僕がキリエの代わりにベッドで寝てますよ、あはは」 すっかりご機嫌だ。 二日酔いになっても念具を使わせないと心に決めて、キリエは話しをふる。 「呼吸ができるって事は、基本的に大気の組成は変わらないってことでしょ」 「そうなるかな」 「窒素に酸素にアルゴン、二酸化炭素。で、さっきの話によると、ここにもう一つへんてこなものが含まれる」 「音素、かな」 「もしかして、それじゃないのかな」 というか、それしかないだろうという確信もある。 元の世界と何が違うか。 何があって何がないか。 それを比べることによって、たいていのことは理解される。 「マナ、魔力と呼ばれるものが満ちる世界は平気だった。そもそもそんな世界に行っても私達はそのマナを取り込むことが出来なかったわけだし。この世界は、マナの代わりに音素が満ちてて、それを使用して魔の業を行使する。譜術は魔術、譜業は魔科学。似たようなものじゃないかな」 「僕たちはマナは取り込めなかったはずだけど」 「でも、ここでは音素を取り込んでる、んじゃないかしら。違いといったら今のところそれ以上思いつかないし。取り込んだ音素に、体がビックリしてるんだと思う。順応していっているし、まあこれだけ体を痛めつけられているんだから、いっそ毒物認定してくれた方が楽なんだけど、毒ではないようだしね」 「GF達の心遣いなのかな〜? 確かに、その音素とやらで譜術って言うのが使えたら便利だけどね。だったとしたら、と〜ってもありがたくないね。死にそうになってまでほしくないさ」 アルコールでテンションの高くなっているフィールがけたたましく笑った。 「こっちに来てからGF達もずっと沈黙してますからね。外で魔物とやらを確かめるために戦ったときに召還しましたけど、なんか付き合いが悪い感じですよ」 「なんだっけ、その、音素意識集合体?」 「そうです。 第一音素(闇)シャドウ 第二音素(地)ノーム 第三音素(風)シルフ 第四音素(水)ウンディーネ 第五音素(火)イフリート 第六音素(光)レム 第七音素(音)ローレライ らしいですよ?」 「イフリートがかぶってるねぇ」 「そういえば、ローレライって私の出身世界の神話じゃセイレーンの亜種だったっけ」 「でもGFとしては、ちゃんと二種類認識されてますよ? ローレライはレベルが低いからつれてきませんでしたけど、つれて来たらつれてきたでそれなりに面白いことになっていたかもしれないですね」 「まあ基本的にGF達と僕達じゃ精神の構造が違うからね。何を考えているかなんて、付き合いが長いけどわかんないさ」 長い付き合いになるGF達は、それなりに親愛の情を持ってくれている様な気もするが、だからといって総合的に人間に慈悲や慈愛と言った情を持っているわけではない ガーデン、そしてSeedはGFを力として使うから識別しているが、一般的な人間にとってはその差は意味がない。 モンスターだろうがGFだろうが、出会えば戦うか逃げるかしか選択はなく、戦って勝てなくても、逃げて逃げ切れなくても、その先に見えるものは同じ。 もっとも、最近の世界は、ガーデンやSeed、そしてかつて世界を二分するほどの勢力を誇った二大国家のおかげで随分と平和になったが。 「まあとにかく、私はこの異変の原因が音素とやらにあるんじゃないかと思っているの。食べるにいいだけ食べてから言うのもなんだけど、美味しいんだけどすっごく胃が痛い。多分、食べ物にも音素が含まれているからじゃないかしら」 ふむ、と唸るアーヴァイン。 自分の胃袋のある場所に手を当てて考える。 「そういえば〜、痛いってほどじゃないけど、なんだか違和感はあるね〜」 「フィールはへべれけで吹っ飛んじゃってるみたいだけど」 「とにかく、原因は音素ということで仮定しておこうか〜。となると、音素を取り込めるということは、譜術が使えるって事かな」 「まあ、譜術だろうが魔術だろうが一朝一夕で使えるとは思わないけどね。どれくらいこの世界にいるか分らないけど、これだけ苦しんだんだもの。一度は使ってみなきゃ存した気分だわ」 「結局もとの世界に戻ったら使えないって所は痛いかな」 「そうね。あっちには音素がないから」 マナ、魔力を満たす世界は結構数あるが、音素という特殊なものを世界に満たす場所はそう多くない。それどころか、幾多もの世界を渡ってきた彼らをして、音素というものに出会うのは初めてのことだった。 この世界で生きていくうえで、この世界の技術を身につけられることはいいことだろう。 いちいちにいち、人前でケアルやサンダーを使ってあれは何だと言われるのは避けたいところだ。 譜術とやらではないのは、見る人物が見れば恐らく一目でわかるだろうから。 だがここで喀血してまで身につけた技術が、元の世界に帰れば塵ほどの役にも立たないというのはむなしすぎる。 まあ、しかたがないか。と、キリエは大切に残しておいた最後のブウサギのソテーを飲み込んだ。 この世界が、あの消滅予言から逃れられたのなら――いつか再びこの星の大地の上にやってくるのも悪くない。 いやまて。 もしやそのころには音素は使えなくなっている可能性も…… 「ああっ!!」 重大発表を忘れていたことに気がついて、キリエは叫んだ。 周囲の部屋から苦情がきそうな大声に、いい気持ちで頭をふらつかせていたフィールは座っていたイスから滑り落ち、背もたれにいっそ気持ちいいぐらいに盛大な音を立てて頭をぶつけた さすがのアーヴァインは少し表情を変えただけで平然と尋ねる。 「どうしたんだい?」 「いやさ、すっかり言うのを忘れていたんだけど」 もしあのまま忘れていたら、忘れていたではすまないほどに重大なことだ。 痛みに多少酔いが冷めたのか、フィールも目に光が戻る。 ただ涙目になったところにランプの光が反射しているだけかもしれない。 「私、この世界のこと、知ってる」 初めのころは確信が持てずに言い出せずに居た。 そうしている内に言っていないということを忘れた。 ここには、約束した子供達がいる。 というか、本編が始まったのがND2018年? とにかくアグゼリュス崩落がその年だった筈だ。 で、今がND2002。 その間に何があったのかは、良く覚えていない。 アビス本編開始時に、大佐が三十五歳で、ならばまだピオニーは皇帝になってはいないはずだ。 と言うか、35−16=19歳? 最後に逢ったときの彼らは何歳ぐらいだっただろうか。 少なくとも、そのときの彼らは私に出会っていなかっただろう。 言動でそう読める。 幾つになったのか聞いておけばよかった。 「どういう形で知っているんだい?」 「ゲーム。テイルズオブ、ジアビス」 「深淵と言うべきか、地獄と言うべきか」 「直訳すると地獄の物語? まあ、救いはない感じだったなぁ」 「とりあえず、じゃあこの世界は暫定的にアビスとしようか」 「OK。じゃあこのアビス世界ね。ゲーム本編が始まるまで、あと十六年ってところかな」 「結構時間が有るね」 それこそ、改変を望めばどこまででも手を入れられるほど。 何一つとして正しい姿を隠してしまえるほど。 物語の中で出会った彼らは、出会う事無くそれぞれの地で生涯を終えることが出来るだろう。 それほどに。 「そういえば、ホド島崩落の話って聞いた?」 「今度の戦争はホドのあたりが危ないって話なら聞きました」 行動はともかく、声からはだいぶ酔いの気配が抜けている。 ひっく、としゃっくりをして、フラフラとずり落ちたイスに戻る。 座ろうとして高さを見誤ったらしく、ドスンとまるで尻餅をつくようにフィールは座った。 「じゃあ、今度の戦争で、ホド島、崩落する、かも知れない」 「「ええっ?」」 しゃべりすぎと興奮で、またしてもキリエが喀血したため、一度話し合いはお開きとなった。 フィールの酔いも回りすぎであったし、アーヴァインの体も慣れない音素に蝕まれて疲れていた。 一晩を経て、朝食を終わらせるまでの間におのおのが昨日得た情報に対しての考えを纏める。 昨日のうちにフィールが購入してきた三人分の服を身にまとって、三人はそれぞれに似たようなため息を吐いた。 あんまりにもコスプレじみていて。 キリエが泣きたくなるほどの典型的な洋食の朝食を終えて、彼らは再び部屋に戻る。 記憶と現実をかみ合わせることがこれから始まる。 キリエは夢を見たところから話して聞かせた。 グランコクマの後の皇帝となる男と、その懐刀と呼ばれる男とその妹、ダアトの六神将と呼ばれることになる男達とであったことを。 物語が、佳境に入るまでの出来事としては、ホド島崩落と、アグゼリュス崩落しか覚えていないが。 アグゼリュス崩落、物語ではまだ序章の序章だよね? 戦争、崩落、と言えば、それこそ数多の犠牲者がでる。 しょうがないとは言わないが、それが戦争だ。 ファブレ公爵のホド島襲撃がいつかはしらないが、その日と時を同じくして島は沈んだはず。 曖昧な記憶を掘り返していると、アーヴァインが不思議そうに尋ねた。 「夢を見て、その子供たちに会ったときにはもうアビスだって確信していたんだよね?」 「ええ。彼らの名前を聞いたときにね」 「その後からアビスを調べたりとか、しなかったのかい?」 もっともな疑問だろう。 知っていた世界、そして知ることが出来た世界。 いつか生身で会うことを約束した世界のことを、キリエが調べようと思わないはずがない。 だが。 「フィールがいけないのよ」 「ええ、僕がですか!!」 「あれは偶然異世界旅行のときに、私の居た世界に似た世界に辿り着いて、その時に買いだめしたゲームのうちの一本だったの」 あ、とフィールが声を上げた。 「購入したハードごと持ち帰って、私たちの世界で機械に詳しい人間にあっちでも使えるようにコンセントとか電圧とか調整してもらって」 ああ、とフィールの顔が青くなる。 「だから変わりなんてないの。たった一本きりのゲームだった」 そう、一本きりの。 価値を見出す者には限りなく貴重なそれ。 「攻略本もしっかり購入していて、うきうきでゲームをやったのはもう十年か二十年も前の話だと思う。で、ここに来る前、最近に、連続してアビスにかかわりのある人々の夢を見て、絶対にいつか行ってやるって決意して、再びゲームを始めようとしたのだよ? 私は」 そこでフィールを見るキリエの目は半眼で、じとっと攻めの色を前面に押し出していた。 瞳は黒いが眼差しは白い。 「皆がリノアが眠っている魔女記念館に集まる前に、私のところにフィールとゼルが来たわ。私は再会がうれしくて、お酒を振舞った。私も一緒に飲んだけど。そのうち何がどうなったのか知らないけど、私の知らないうちに二人が口論になってね。それでもファイアは不味いという認識はあったんだろうけど。サンダーとブリザドはやってくれたわね」 「ああつまり」 納得顔のアーヴァインとは対照的に、フィールは青くなって縮こまっている。 「二人の喧嘩に巻き込まれてトンだ、と」 「そういうこと。まあ、ある意味いつものことなんだけど、その日は運が無かったのね」 喧嘩にして戯れといったところか。 ゼルのことも先輩と呼び、他と変わらずフィールは慕っているが、同性ということと、年を経てもかわらないその性格の単純さとも相まって、スコールやアーヴァインより近づきやすいようだった。 スコールやアーヴァイン、キスティなどに対する態度は、尊敬と言うよりも崇拝の色が濃い。 セルフィに至っては謎の人認定を受けている。 「でろでろになった攻略本は、翌日片付けを二人に任せたら捨てられたし、ゲームの方は、ソフトは辛うじて無事っぽかったけど、ハードが逝かれていたからね。ソフトだけ有っても使えないのよ」 ものすごく意味のない光る円盤が量産された。 ケチらずにハードも何個かかって置けばよかったものを。 「と、とにかく、そのホド? とか言う島に行ってみましょう? ガーデンは和平の使者! そのような暴挙が行われるのを黙ってみているわけにはいきません!!」 わざとらしすぎる話題変換、一オクターブ高い声。 何とか話題を自分のことからはジスたがっているのがばえばれだ。 直後自分の声にやられたのか頭を抑えてうずくまる。 今日のフィールは二日酔い。ついでに多分、音素酔い。 まあ、そのわざとらしすぎる話題転換に乗ってくれる優しい随行者でよかったね、と。 真実は単純に、ゼルとフィールの二人に対して、すでに報復行為は終えているためだった。 「いいけど。ま、世界が変わったって、私たちの存在が変わるわけじゃないわ」 「じゃあ、ここでもガーデンとSeedを名乗ろうか?」 「張り切って賛成します。アーヴァイン先輩、キリエ、やりましょう!!」 そう叫んで再び撃沈するフィール。 二日酔いに苦しむ姿を見ていると、ちょっと胸が空く気分になるキリエ。 報復行為を終えたから、それ以上わだかまりのある態度で接することはしないと決めていたが、それとこれとは話が別だ。 勝手に苦しんでいる分にはざまあ見ろ。 「じゃあ、ホドの話に戻るけど、ホドはマルクトの領土なんだろう? マルクトのほうで何とかならないかな」 一般的にはもっともな意見だが、ここではそうでもない。 ついでに言えば、元の世界ほどここでガーデンのSeedに発言力はない。 「たしか、ホド崩落は秘予言で詠まれていたはずだから。必ず落とそうとする馬鹿が出てくるはずよ。それに、ホドを落とすのはマルクトだったはず」 「ええ!? 自国の領土だろう?」 「なんだか七番目の音素に関する危ない実験やっていて、それを隠すのと、攻め込んできたファブレ公爵ともども沈めることが出来たら一挙両得? みたいな感じで、今のマルクト皇帝が栄光を掴む者に落とさせた、はず」 良く覚えていたと自分を褒めてやりたいキリエ。 なんだかんだと騒動はあったが、時間が経てば、あるいはその場面に出会うかそれに繋がることに気が付けば、記憶を掘り返すことも可能だろう。 その点については楽観視している。 隙こそ物の上手なれ、とはよく言ったもので、アビスはキリエも嵌りまくったゲームだった。 何週したかなど覚えていないほど繰り返した。 今思い出せなくても、全ては自分の中にある。 「……予言、か。じゃあさ、その君が会ったという今は殿下? と軍人は? 連絡が取れれば少しは役に立つんじゃないかな」 「どこに居るのか分らないのよ。ピオニーは即位するまで軟禁とか監禁とか結構どうしようもない生活送ってきていたみたいだし、ジェイドに関してはそもそも軍属か研究者かも知らないし。つくづく年号まで分らないのが痛いわね」 こうして話している間にも、ホドが崩落したと街中に知らせが入る可能性もある。 だからと言ってすぐに動こうにも、まだ彼女らはホド島の場所すら知らない。 「この体、弱いにもほどがあるし」 「じゃ〜とりあえず、ホド、目指してみようか」 「そうね」 「賛成です」 とりあえず何をどうするべきか、こまごまとしたところを話し合い、役割を分け意見の一致を見て、アーヴァインは立ち上がった。 キリエはベッドに横になった。 フィールは二日酔いの頭を抱えて這いずるように出て行った。 「じゃあ、僕達は準備をしてくるよ。キリエは休んでいて」 「ありがとう。頼んだわ」 「まかせてよ〜」 ウィンク一つ。 様になる人間はいいなぁと、思いながらキリエはどうしてもコスプレチックなアーヴァインの後姿を見送ったのだった。 旅と言うのは準備が必要なものだ。 交通手段の発達したキリエの生まれた世界や、終の棲家と定めたFF8の世界。 そういう世界でなら、着の身着のままに鞄を一つ、と言う軽装姿で旅行するのも珍しくはない。 が、ここでは違う。 移動の基本が馬車か徒歩。 あまりに軽装過ぎる旅人はむしろ怪しまれる。 日常生活品、旅行品、とにかく何でも腰にぶら下げられる小さなポーチに入っているが、外見だけでも旅人を装った方がいい。 ならば鞄にそれなりの旅装も入っているのではないのか? と言われれば、入っている。 だが、世界が違えば風習も違い、異世界での旅装など好奇の目で見られることなど受けあいだ。 キムラスカ・ランバルティアの首都、バチカルを出るに当たってフィールは再び情報収集をする。 アーヴァインは買い物担当だ。 そしてキリエは思考担当。 年号などの細かいところは不明だが、知識としては恐らく一番持っている、はずだ。 異世界旅行先、アビスのソフトを手に入れた世界では、クリア前からネタばれ覚悟で考察サイトやデータサイト、二次創作サイトに入り浸っていた。 その記憶と周回の回数も忘れるほど周回した記憶をなんとか引き出そうと思考を深める。 ――いやでも、忘れているかも。 キリエはベッドの中で、悶々と苦悩した。 誰が何を考えていようが時間は平等に過ぎてゆく。 重力バランスとか公転周期とか惑星の体積とか日照時間とか、なんだか色々不思議なことが有りすぎるオールドラントだが、大地に足を付き生きていけるなら別にどうでもいいことだ。 オールドラント。Old Land? それともRand? 古い世界。 LとRを区別しない種族の出身としてはどちらでも変わらない。ましてカタカナで書かれた情報を摂取していた身としては尚の事。 英語の成績も良かったわけじゃない。 設定としては旅から旅への旅烏。 生まれたときから旅をしているから、どこが出生国なのか知らないんだ、と。 両親に聞かなかったのかい? となれば、ここなら魔物に襲われて死にました、ですませられる。 国が一つに宗教自治区が一つ、あわせても生まれは三つしか選べない。 ヘタに出身地に嘘をついても、キリエの生まれた世界のように二百もの国がひしめいていた世界や、キリエが終の棲家と定めた世界FF8の世界のように地理や文化に詳しいわけじゃなく、ぼろが出る。 なら、最初から無ければいいのだ。そんなものなど。 譜術はまだ使えないが、武器だけでも強さには定評がある。元の世界での評価だが。 フィールがすでにこの世界の魔物と戦って、彼らの力がこの世界でも通用することを証明してきている。 庸兵家業で各地を回り、今はキリエが体調を崩したので休業し、蓄えでのんびり旅をしている、と。 庸兵って言うのはそれほど儲けが出ない職業なのだが。 気にしちゃいけない。 実質Seedだって、雇うにはドールの国庫を傾かせるほどの資金が必要ではあったが、そこからSeedに渡る量なんて微々たるものだ。 組織の維持や、Seedに至るまでの養育にかかる資金など、金の使い道など幾らでもあるし、金の亡者ノーグの懐にそのまま納められてしまった分も多々あるだろう。 キリエはガーデンの経営にあまり口を出していないが、魔女戦争以降、ガーデンの深部にまで関わることになってしまった伝説のSeedたちは経営についてまでもうんうん唸っていた。 とにかく、給与、報酬としてSeedの懐に入る金額は、決して大げさなほど多かったわけじゃないが、任務の種類にも寄るとして、ガーデンと言う庭で作り上げられたその力で持って魔物狩りも平行していけば、これでなかなか驚くほど懐は暖かになる。 こちらの世界の魔物も、そういう意味での金ずるにはなりえたようだ。 牙、皮、肉。 きちんと止めを刺せばそのどれもが金になるのは、昨日の内にやはりフィールが戦闘で証明してきている。 止めの刺し方にもよるし、あんまりずたぼろにすると売る所が無くなってしまうのだろうが。 倒した魔物がガルドを持っている、と言うのはやはり幻想だった。 大まかな設定を作ったキリエは、ゆっくりと己の体を確かめるようにベッドから立ち上げる。 細かいところは後々肉付けすればいい。 どちらにせよ、画面越しではない細かい情報が無ければ、旅人の名前はかたれない。 体の血管の切れるような怖い音を聞きながら軽く伸びをして、屈伸。 体細胞が脆くなっている影響なのか、やたらと足に血がたまるのだ。 音こそしなかったが、ジワリと足に内出血が広がるのをみて、キリエは念薬ではない、ただの痛み止めを二倍量一息に飲み込んだ。 フィールが購入してきた服は、ちょっと中流階級ぐらいの女性がはきそうな、膝丈のスカートだったのだが、脚の内出血が見えるのでズボンに履き替える。 そしてポケットから取り出すのは携帯電話。 に見せかけた念具。 充電さえしてあれば、中継基地を必要としない、でもやっぱり機能は携帯電話。 中継基地が必要ないから異世界でも使える優れもの。 アビスじゃ、一番早い連絡手段は伝書鳩だったような気がするし、これ使っているのを見られれば、きっと奇異の眼差しで見られるのだろうけど。 真紅の二つ折りの携帯を開いて、キリエはアーヴァインにリダイヤルで電話をかけた。 三コールで彼が出る。 短い言葉を交わした後、購入物に有るものを付け足した。 「譜術や譜業、音素に関する本を買ってきて。バルフォア博士の名義のものがあれば、優先的に」 と。 その日の晩に、彼らは設定に口裏を合わせ、翌日に旅立った。 |