その夜の話し

ルーク アッシュ ジェイド ナタリア ティア





その夜の話し



 ルークは一人部屋をあてがわれてひとりでベッドの上でのた打ち回っていた。




 キムラスカ、バチカルと鳩は飛ばして有るが、帰れば大騒ぎになるのは目に見えている。
 結果として何もしなかったが、精神的な疲労も大きい。
 疲れを癒すため、とアスターが気を利かせて屋敷にそれぞれ部屋が与えられてルーク達は休んでいた。
 広い屋敷の奥に入れば、外の喧騒も多少は小さくなる。

 いっそ数人で部屋を与えられていればこんな事にはならなかったのかもしれないが、一人になってみると妙に思い出されて恥しかった。

 ローレライを解放する前のエルドラントと、無事に帰還したときに、ティアと、ティアと……。

「うがーっ! 俺何してんだよ! あんなさらっと、さらっ――」

 特に後のほうなんかさらっと抱き返していた。
 柔らかいなぁ、とか、安心するなぁ、とか、いい匂いがするなぁ、とか、思い出すだけで赤面できる。

 ゴロゴロとのた打ち回って叫んでいたのが、ふと仰向けにとまり、二秒ほど天井を睨みつけてから、がばりと勢いよく腹筋だけで起き上がった。

「アッシュもアッシュだ! なんだあれ、なんだよあれ! でもナタリア喜んでいたよな? 俺もティアにそうすればよかったのか? わっかんねぇーー、つか恥しすぎるっつーの!!」

 死地からの帰還に波立つ心を静めるためだろう。
 多少のおどけを含めて、けれどそれ以上に柔らかくあまやかな仕草でナタリアを抱きしめていたアッシュ。
 ティアと抱きしめあった事も赤面できるが、アッシュとナタリアの様子も目の端に収めて赤面できた。

 なんだあの恥しさ!

 思い出すだけで身もだえできてしまう。
 そうして起き上がったルークは、またティアがアッシュがナタリアが、とゴロゴロとベッドの上を転げ回った。
 それでも、無自覚な疲れがルークの上に緩やかに睡魔と言う名のブランケットをかけて瞼に手を添える。
 そしていつの間にか、ルークは穏やかな寝息を立てていた。




 ルークがそれを情緒の面で理解できるようになるのは、もう数年先の話だ。
 彼の恋心は幸いにもゆっくりと育まれる。











その夜の話し



 ケセドニア、アスターの屋敷で貸し与えられた部屋で上等なベッドに腰掛けて、アッシュは開けた窓から夜を見ていた。
 瘴気は中和され、もう星を見るのに遮るものは無い。
 大地降下以前より遠くなった譜石帯、そしてその更に向こうの音譜帯のどこかに、ローレライも加わったのだろう。

 価値ある奇跡だった、とアッシュは思う。
 死ぬはずだった人間が、こうして二人とも生きている。
 有限の奇跡だと彼らは言うが、無限では価値が無い。

 疲れてもいないので特に眠気も感じもせず、アッシュは待っていた。
 ローレライを解放し、崩壊するエルドラントを抜けた直後に「ちょっと行ってくるね〜」といってさっさと自分たち二人を置いて行ってしまった人間からの連絡を。
 とりあえず、後で連絡するから、といわれて携帯電話は所持している。

 本人が来るのか、連絡が来るのか。
 とりあえずキムラスカ、マルクト両国に鳩を飛ばしてエルドラントでの闘いに勝利した事は伝えてある。
 だが、さすがに詳しい事はまだ伝えられてはいない。
 出来るなら、今夜のうちに少し詰めておきたかった。

 出会って抱きしめあって、言葉を交わせばナタリアへの愛おしさがこみ上げてきた。
 彼らは何も言わなかった。
 バチカルにもどれとも、神託の盾騎士団に戻り、混乱したダアトを支えろとも、まして自分たちについてこいとも。
 何も言われなかったからか、何も言われなかったこそなのか、アッシュにはあまりバチカルに戻るという意識は無かった。
 ナタリアなら上手くやるだろうと、そう思っているだけだった。
 そしていつか、彼らの言うガーデンに行ってSeedとやらにでもなろうかと、そう思っていた。
 ぼんやりとした未来像だった。
 得られなかったはずの時間だった。
 それを得られただけでも奇跡であり、幸いであると、そう思っていた。筈なのに。

 今は、バチカルに帰りたかった。

 正直にいって、今さら父親と上手く付き合えるとは思えなかったし、母親に素直になるなどと言うような年でもない。
 病弱だからと遠ざけられてばかりいたし、十を過ぎてからはずっと神託の盾騎士団にいた。
 会った所でどうやって声をかければいいのか。

 それでも、ナタリアの側にいたいと思った。
 幸いと言うべきか、いまだ慕われているようでもある。
 騒動の最中では、ルークに対して随分と暴言を吐いたところを聞かれてしまったが、彼女はガイなどと違って完全にどちらの側につくことも出来ずに辛い思いをさせただろう。
 誰もがルーク、ルークと言う中で、自分にも目を向け、身を案じてくれた彼女には、あの荒んでいた中随分と心を救われたような気がした。

 誰だって結婚すれば、相手の両親とは義理とは言え親子関係となり、よく知らない両親とも新しい関係を築いていく事になるのだ。
 長く離れていた親だってそんなものだと思って、大切にしていけば問題ないだろう。
 そう考えて違うだろうと溜息をついた。

 自分はまずどうやってバチカルに帰るか――いや、その立場を、土台を築くかが問題だ。
 幸いと言うか世界はまだ混乱している。
 この気に乗じて何かしらの発表を世間に公開すれば問題ないだろう。
 伊達に特務師団長じゃなかったし、アーヴァインに教育を受けたわけじゃない。
 最新鋭の情報教育も受けて来た。
 口うるさい貴族達だって何とかしてみせる。
 ルークの事だって、影でのことまで封じきるのは難しいだろうが、表ざたでは何も言わせないようにしてみせる。

 そういえばあいつはヴァンの妹の事が好きだったようだな、と思考をめぐらせる。
 婚姻に関してさまざまに言われるかもしれないが、これも何とかする方向で考えてみた。

 まずは身分の差か。
 それに関しては、まずはすでに役目を失ったユリアの末裔と言うのがまだ使えるだろう。
 場合によってはガルディオス家の従者としてではなく、フェンデ家に爵位を与えてもいい。
 キムラスカ側であるよりもマルクト側でそれが与えられた上で嫁いでくるなら、なおさらいい。
 両国の友好の証など、それこそ幾らあっても構わない。
 一つは潰れてしまったのだ。その死によって。

 セシル将軍。
 父親の愛人だった――とそこまで考えて、浮かんだ顔は何故か眉と髭を半分失ってマッシュルームカットになったヴァンの顔だった。

 むっと眉根を寄せて首を振る。
 一体何を考えているんだ? 俺は。

 と、その時だった。

 不意に月明かりに影がさす。
 思考に伏せていた顔を上げれば、朧の月光を逆行に浴びて、窓枠にアーヴァインが座り込んでいた。

「やっほ〜、来たよ〜〜」
「遅かったな」
「これでもまあ頑張ったんだけど〜。まあいいか」
「話したい事があった」
「それは、すぐに詰めた方がいい話、かな?」
「まあ、そうだろうな」
「言ってごらん? アッシュ」

 沈黙でアーヴァインは続きを促した。
 その沈黙は、アッシュが何を言わんとしているのかを悟っているかのように彼には聞こえていた。
 他の道ならともかく、一つの道は進むかやめるか、決断をするべき時期に入っているのだ。
 それは誰もが理解しているだろう。
 選ばなかった道は消える。
 アッシュは、選ばなければ為らなかった。

「俺は……バチカルに帰りたい」

 とうとう言ったという思いと、言ってしまったという思いがアッシュの中でぐるぐると渦巻いていた。
 後悔しているような気もしたし、清々したような気もしていた。
 その言葉をずっと封じていた。
 両親のことを愛しているのは確かだったが、戻る気が無いのも確かな事だったのだ。
 戻れないという以上に、確信だったはずだ。

「よく言ったね、アッシュ」

 その返事は短いものだった。
 だがアッシュの中で凝ってきた、その道から目を逸らすために積み重ねてきた理由や言い訳、数々の言葉達を溶かして流す力があった。
 優しい力だった。
 肯定と言う、力。

「僕たちはずっと君の側にはいられないと思う。でももしかしたら君の人生より長い時間この世界に居るかもしれないし、もしかしたら明日にもいなくなるかも知れない。分っているだろう?」
「ああ」

 身をもって。

「でも、僕たちがここにいる限り、全力で君をサポートしよう。主役はあくまで君たちだ。僕たちは、ただ君達の力の及ばないところを助けるだけだよ」
「感謝する、アーヴァイン」
「なんかさ〜、言葉ってくすぐったいね」
「ああ……そうだな」

 解放と喜びが溢れてくる。
 確かに言葉は胸を擽った。

「アッシュ。僕たちが何処にいても、君が――君たちが何をしていても、僕たちは君たちの味方だよ、ずっと。ガーデンの子供たち。君たちは運命を切り裂く牙を持った子供たちだ。君たちにできない事なんて、きっと何一つ無いはずだよ」

 激励の言葉に、アッシュは身を震わせた。











その夜の話し



 ジェイドは夜の中、一人部屋を抜け出してアスターの屋敷の庭をうろついてた。
 一人部屋だと抜け出すときに、あまり周囲に気を使わなくていいのがいい。
 決戦のまだ翌日でしか無い夜だったが、あの日に感じていた熱はすでに無く、何かを得損ねたような物足りなさと、安堵だけを感じていた。

 砂漠の夜は冷える。
 それに追い討ちをかけるように噴水から飛んでくる霧のような水がジェイドの体に降り注ぎ、彼の体から熱を奪っていった。

「ねえ、ジェイド。幾らなんでも風邪、引くわよ?」
「来ましたか、キリエ」
「あら? まるで来るのがわかっていたような物言いね」
「必ず来るとは思っていませんでしたが、あのまま終わるとは思っていませんでした」
「読まれてるなぁ、なんだか。まあ、あんたならいいか。悪い気はしない」

 言ってにやりと笑う。
 不敵な笑みは、キリエ彼ら――ガーデンと共に有るうちに磨いてきたものだった。
 責任ある立場にたつことも多くあり、特に戦場においては表情や声音は部下の不安を吹き払い、鼓舞す重要な意味を持つ。

「しかしまったく、突然現れたり消えたりと、神出鬼没ですねぇ」
「奇襲をするものは常に気配を遮断せよ。なんてね」
「奇襲、ですか?」
「そう。私最近じゃ仲間内に奇襲のキリエ、とか呼ばれているのよ。まあ、正攻法の得意なタイプじゃないけどさ〜」
「あの時、ヴァンを倒したときも、貴方は後方支援でしたね」
「後方広域支援担当だから」

 彼女は戦える。
 そして強い。
 ジェイドも見れば分る。
 だが、他にガーデンを名乗る人間と比べれば霞むのも事実だろうと思った。

「ねえ、ジェイド……」
「なんです」
「シンクの事、敵の手によって新たに作られていた導師のレプリカだって事で納めておいてくれないかな」
「……分りました。それで、これから貴方はどうするんです」
「一度消えるけど、またすぐに来るわよ。ここにいる限り、やりたい事があるからねピオニーの協力も必要だし」
「そうですか」
「そうね。……ふふふ」
「なんですか。不気味な声を上げて」
「いやいや、実はもうさ、ピオニーの所には行ってきたんだよね」
「足が速いですね」
「他にコメントは無いの?」
「特には」

 そんなものだと思っていますから、と異星人を見るような目で見る。
 異星人であるという点においてはあながち外れてもいなかったが。

「ま、いーけど。……あんたの無事を、伝えてきたよ。腰が抜けるほど安心していたわ」
「……」

 ふう、とキリエは溜息をついた。
 やれやれ、とでも言うかのような仕草で首を振る。

「まあ? いーけどー」

 そうしてくすりと笑った。

「ところで服、替えちゃったのね」

 キリエの見つめる先には軍服姿のジェイドがいる。

「ピオニーじゃないんですからあんな服、何時までも着ているわけ無いじゃないですか」
「いーじゃないの。何時までも着ていなさいって。というか、私の感覚ではあの服もジェイドの軍服もたいした違いは無いんだけど……」
「何か言いました?」
「いいえ。――ピオニーには剣をあげたし、ジェイドには服をあげようか? ガーデンのありがた〜い加護が付いているのよ?」
「要りませんよ。ありがたいならお返しします」
「あーあー、悪の譜術師、よかったのになー」

 と少し恨みがましく睨みつければそ知らぬそぶりであさってのほうを向く。
 やがてその構図は、どちらからとも無く小さく笑い出す事で終わりを告げた。

「あ〜あ、おかしい」
「全く何がおかしいんでしょうかね〜」
「あんたも笑ってるんじゃない」
「まあそうですが。何がおかしいんでしょうね」
「いいけど。そんなもんだしそれにしてもさー」
「なんです、さっきから」
「いつの間にかでかくなりやがって」

 目を細めてキリエはジェイドを見た。
 いや、見上げた。

「そんなこと言われましても」
「歳月の神業ね。あんたを見上げる日が来るなんて」
「ええ。私も貴方のつむじを見る日が来るとは思っていませんでしたよ」
「へそ曲がりなつむじでしょう?」
「へそまでは見た事が無いですが」

 忘却の負い目だろうか、いつものように舌が冴えないとジェイドは思った。

「もう! そういうことじゃないでしょう!」
「ええ……すみません、さっきから」
「まあ、それがあんたらしいのかもね」

 言ってそっと歩を進めるキリエ。
 だが決して自分から近づきすぎない。
 相手にも歩をつめる余裕を持って立ち止まる。

 忙しさの中、ジェイドの中で先延ばしにされていた決意を促す。
 夢幻との決別を。

「……触れてみても、構いませんか」
「いいわよ」

 見上げて許容の笑みを投げかける。
 グローブをぬいた固い皮膚を持った軍人の手のひらが現れる。
 恐れるように伸びてきたジェイドの手が肩に触れ、首にまわり、動脈に指を当てて命の鼓動を確かめる。
 黒い髪の毛を掴んで引っ張って、キリエの痛みを訴える声に慌てて力を緩めると、その手をキリエの髪の中に差し入れた。

 抱きしめてはいない。
 だが体温を感じられるほど距離は近くなった。
 体温も、鼓動も、呼吸も、そして通り抜ける事の無い手触りも、全てがキリエが現のものであるとジェイドに知らせた。
 ここに間違いなく生きているのだと。

「もっと大きいと思っていました」
「あんた達が大きすぎるのよ。あんたといい、ピオニーといいね」

 眼差しに慈愛が宿る。
 子供のときから見ていた。
 彼の歴史を多少は知っている。

 体は大きくなり、幼い時より力を持ち、社会的な地位を得て、さまざまなものが変貌していく。
 その中で。
 彼らの芯は変わらない。
 稀有と言うべきか、おろかと言うべきか。
 はたして、とキリエは思う。
 変わりたいと願う者が変われないのは辛い事だ。

「無自覚の自覚」
「なんですか突然。雰囲気がぶち壊しですよ」
「ジェイド。貴方はもう大切なものを持っている。後はそれを自覚するだけ。頑張らなくてもいいけど、心には留めておいて」

 自覚の場を奪った。

 怒りによる死の理解は出来ただろう。
 だが悲しみによる死の理解は、その場を奪った。
 そして人生上手く過ぎれば、それを知るのはずっと後か順番によっては知ることも無い。

 大丈夫だと、お前はもう知っているといわれても、あくまで更なる知を求める彼をキリエは憐れにも思う。
 無自覚の自覚とその名のとおり、後は自覚が無いだけなのだ。
 答えは自分の中にある。

 だからこそ、取り出す事ができない。

「お休みジェイド」
「……ええ。お休みなさい、キリエ」

 月明かりにたたずむ二人の影は、決して重なる事は無く、そのまま互いに背を向けて今日の別れを告げあった。











その夜の話し



 その夜、ナタリア・ルツ・キムラスカ・ランバルディアはアスターより借り受けた部屋の扉に向かい合い深く思案していた。

 行くべきか、行かざるべきか。

 広い廊下に繋がる扉一つ挟んで更に隣に、彼の部屋はある。
 すぐに隣はルークの部屋だ。
 あの様子なら夜中のうちに消えていなくなるようなことは無いだろうと思うが、それでも不安であった。
 側に行きたかった。

「ですが、夜中に殿方の部屋に行くなどはしたないのでは……」

 はしたないとアッシュに嫌われては目も当てられない。
 だが不安だ。

 行くべきか、行かざるべきか。
 ナタリアは悩んだ。
 扉を睨み、部屋を巡り歩き、また扉を睨み、扉に背を預け、振り返っては扉を睨み。
 果たして行くべきか、行かざるべきか。

「いいえ、女は度胸ですわ! 行きますわよ! わたくしはナタリア・ルツ・キムラスカ・ランバルディア! 何者も恐れませんわ!」

 いざ!
 と気合を入れて扉を開いた。
 夜でも灯火の消えない薄明るい廊下を進む。
 部屋が広いので次の扉までも多少の距離があった。

 何者も恐れない、と言った所でやはり見つかれば羞恥心がある。
 自然と足音を殺して進んでいく。
 そのとき、自分以外に人のいないはずの廊下にふと人の気配を感じて目を凝らした。

「あら」
「あら?」

 ルークの部屋とアッシュの部屋を繋ぐ通路の真ん中で、二人の人物は瞬間見つめあった。

「ティア、ですの?」
「ナタリア!」

 そして驚愕の声を上げる。

「ま、まあティア。こんな時間にどういたしましたの?」
「ナタリアこそ! 一体どうしたのよ、こんな場所で」
「わ、わたくしは別に」
「私だって! べ、別に……」

 歯切れの悪い口調でティアは僅かにうつむいた。

「あ、もしかしてナタリア、よば――」
「よば?」

 とっさに口を突いて出た言葉を、ティアは慌てて手で押さえ込んだ。
 その可聴部分を聞き取ったナタリアがふとそれを繰り返し、薄明かりの中でも分るほど素直に頬を高潮させる。
 その様子にティアの頬も釣られるように主に染まった。

 お互いに決まり悪げに眼差しを逸らす。

「わ、私は夜這いなど!」
「ナタリア、静かに、静かに!」

 羞恥のあまり声高になるナタリアをティアが宥める。
 ナタリアは、ここに来て自覚してしまった。
 彼女の行為が、まるで夜這い、というよりも夜這いそのものであることに。

 ティアに宥められたナタリアは、少しして静かに息を吐いた。

「……わたくしはもう、休みますわ」
「え? ええ……そうね」
「お休みなさいませ、ティア」
「お休みなさい、ナタリア」

 思いがけず出会ったことで、決意の気勢がそがれてしまった。
 溜息に似た何かを小さく吐き出すと、ナタリアは決意する。

 明日はなんとしても、朝一番にアッシュに挨拶してみせる、と。











その夜の話し



 ティアは一人月光を浴びながら考えていた。
 今は亡き兄の事を。

 憐れな人だった。
 彼の行った事は到底許せるような事では無かったが、憐れな人だった。
 その最後も含めて。

 命を賭けた最後の戦いで、真剣に髭と眉毛を狙われた人。
 そしてその過程としてマッシュルームカットにされて、倒れた人。

 その最後の姿があまりに奇異――妙と言うか、印象的過ぎて、あまり真剣に考え続ける事のできなくなってしまった人だった。
 あの場では辛うじて笑わずに済ませられたが、本音では腹筋の微振動を抑えるのに苦労していた。
 過去に出会ったどんなシーンを思い浮かべても、ふと油断するとあの時の姿が重なってくる。

 そして、倒れ際にも、微かに笑んでいた兄。

 本人は己の顔の惨状を見ていないからこそ出来た表情かも知れなかったが、とにかくティアには、微笑んでいるように見えた。
 過激な戦いの末に、負けることに少なからず安堵しているように、ティアには見えた。
 だからだろう。
 長く考え続ける事ができない。

「ルーク……」

 何かを意図しての事ではなかったが、名を呟くと感情がこみ上げた。
 思い出されるのはただ見る事しか出来なかった彼とアッシュの戦いだった。
 自分たちには出来なかった彼の本音を、生きたいという意志を引き出したアッシュ。

 彼の命が長くない事を知っていた。
 治療法が無いことも知っていた。
 死を間近に見せ付けられた人間に生きろというのは、生きたいと言ってみろというのは酷い事だろうかと、尋ねられなかった。
 それに、尋ねたところで彼は答えなかっただろうとも、思っている。

 それを引き出したアッシュに、僅かに嫉妬した。

 もう一つ思い出されたのは、ルークの涙だった。
 ルークは泣かなかった。
 少なくとも自分たちの前では泣かなかった。
 辛い事があっても、苦しい事があっても、それこそ死を突きつけられても、その恐怖と真っ向勝負して、泣く事も当たり散らしてくる事も無かった。

 泣いて欲しかった。
 当り散らして欲しかった。
 けど、それもただ免罪符を求めているだけだったのだろうかとティアは悩んだ。

 生きられる事を知ったときのルークの涙を、何よりも純粋だと思った。
 彼を生かしたのが、その涙を流させたのが自分たちではなかった事が悔しかった。

「ルーク――」

 呟けば思いが募った。

「ルークに、会いたい」

 好きと彼に囁いた。
 彼はテレながらも抱きしめ返してくれた。
 この思いは、きっと独りよがりではないはずだ。
 それを信じたい。

 するり、とティアは立ち上がった。
 そうと決めたら早かった。
 頭の中に屋敷の見取り図を思い浮かべる。
 目的の部屋――ルークの部屋はアッシュの部屋を挟んで左隣だ。

 音も無く扉を開き、廊下に足を踏み出す。
 気配に敏感だろう隣の部屋の住人の動向に気をつけて、その向こうの部屋を目指して歩みを進めた。
 アッシュとルークの部屋の間の廊下まで歩いたときに、不意に人の気配に気が付いた。
 アッシュを目覚めさせない事にばかり気が行って、廊下の向こうに気を配るの事を忘れていた。
 やってくる人影に目を凝らせば、それは薄明かりの下に知人の姿を浮かび上がらせた。

「あら」
「あら?」

 思わぬ人物の姿に思わず見詰め合う事数瞬、先に言葉を取り戻したのはナタリアだった。

「ティア、ですの?」
「ナタリア!」

 驚きに声が高くなる。

「ま、まあティア。こんな時間にどういたしましたの?」
「ナタリアこそ! 一体どうしたのよ、こんな場所で」
「わ、わたくしは別に」
「私だって! べ、別に……」

 歯切れが悪くなるのは、勢いに任せた自分の行動に気が付いてしまったからだった。
 思い立ったが吉日と部屋を抜け出してきたが、行って一体どうするつもりだったのかと。

「あ、もしかしてナタリア、よば――」
「よば?」

 焦りを隠すために巡った頭はとんでもない言葉を口に出させた。
 とっさに最後の一言は手で封じる事ができたがそれだけだった。
 それを聞き取ったナタリアに繰り返されて、突如としてナタリアは顔に朱を昇らせた。

 どうやら分ってしまったらしい。
 そのナタリアの様子に、今まで平静を保っていたティアの鼓動も乱れた。
 自分の行動が傍目にどう映るのかと考えると、カッと頭に血が上る。

 お互いに決まり悪げに眼差しを逸らす。

「わ、私は夜這いなど!」
「ナタリア、静かに、静かに!」

 声高になるナタリア。
 羞恥のあまり状況判断能力が下がっているようだ。
 ティアは彼女を宥めるが、彼女自身はナタリアが興奮する事で逆に冷静になる事ができていた。

「……わたくしはもう、休みますわ」

 ナタリアが言う。
 その申し出はむしりありがたかったのでティアもすぐに同意した。

「え? ええ……そうね」
「お休みなさいませ、ティア」
「お休みなさい、ナタリア」

 クルリと背を向けて、部屋に向けてゆっくりと歩く。
 どうにもこのままルークの部屋に赴く気持ちにはなれなかった。
 それに何よりルークは疲れているはずだ。
 もう寝ているかもしれないじゃないか。
 生きている。
 生きて行く事ができる。
 彼には明日がある。

「お休みなさい……ルーク」

 開いた自室の扉に半身を滑り込ませて、一度だけ振り返ったティアは呟いた。
 だって私たちには明日がある。







戻る
TOP