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栄光を掴む髭を毟り取れ!! 10
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ぼんやりと、声が聞こえてルークは意識を浮上させた。 「アルバート流の剣士はパワーファイターだ。暗殺や裏工作には向いてねぇ」 「その向き不向きすら無視しての特務師団師団長、か」 「心理的な工作の匂いがプンプンするわね」 聞き覚えのある声。 目覚めなくては、と思うのに、目蓋が重くて開けられない。 誰のものかもわからない体温に、安心してしまう。 そのまま、ふわふわとした意識の中で、ルークはその話を聞いていた。 「アーヴァインがいた間は、特務師団とは名ばかりだったんだが――」 アーヴァインがいたときから、アッシュも知っていた。 教団の裏側、スコアの名を貶めるものや醜聞となる事を揉み消すために、神託の盾には裏側があった。 本来それが特務師団であり、暗殺や裏工作などを得意とする部隊だ。 アーヴァインが急遽与えられた寄せ集めの特務師団。 少数精鋭を旨とする教育を受けてきたアーヴァインが教育を施しただけはあり、部下である五十人の師団員も、分隊単位で行動するより個人からせいぜいでスリーマンセルでの行動が得意だ。 それこそ特務師団員向けの教育であるし行動であるのだが、実際に彼らが行なっていたのは魔物退治に盗賊退治、本来であれば他の師団を動かして、包囲をし、数で責めるような場面ばかりであった。 それは、アーヴァインの脅しによって得た我侭ではあったのだが。 子どもの教育に良くないからと、暗殺はお断り。 人なんて切らなくていいならそれに越したことは無いし、後ろ暗いことは容易に人の精神を暗がりに落とす。 アーヴァインはどうやって、ヴァンがアッシュを彼の元から抜け出せなくするのか、それも読んでいた。 誇り高いアッシュ。 その心を闇に染めてしまえば、染めてしまうことが出来れば、レプリカに対するマイナス感情を抜きにしても、やすやすバチカルへ戻れなくなる。 暗殺と言うのは、恰好の任務だろう。 神託の盾に所属している限り上官の命令には逆らえず、赴く先で躊躇えば殺されるのは自分だ。 死にたくないから剣を振る。 もはや誰にも責めることのできない追い詰められた状況で相手を殺し、そして処理しきれない心の葛藤を抱えたアッシュに、ヴァンは言うだろう。 『よくやった』 と。 もともとが後ろ暗い任務であると言うことも手伝って、潔癖なほどの心は闇の淵を彷徨い始める。 だからこそアーヴァインは戦争に介入することもなく、ひたすら各地の魔物を相手取るか、そうでなければ神託の盾本部に缶詰、という行動を繰り返していた。 それなのに何故アッシュと特務師団員に特殊任務の行動を骨身にまで染み込ませたのか。 有事に際してそのほうが単純に生存率が上がるからだ。 特務師団はそもそも人数が少ない。 本来は公の組織ではないからだが少人数で最大限、を求めた結果である。 マルクト軍との合同任務に赴くほど、特務の名を疑う公の仕事ばかりをしていたアーヴァインであったが、彼が断った分のしわ寄せが、行くところには行っていた。 そして真実、公には無い特務師団も、神託の盾には存在した。 アーヴァインがいなくなり、目の上の瘤がなくなったヴァンデスデルカは、早速アッシュの取り込みを開始した。 その一つが、その暗殺であった。 アーヴァインが突然消えてしまった落ち込みから回復していないところに、急遽師団を編成しなおし、アッシュを名実共に特務師団の一員とする。 その上での暗殺任務には、嫌悪をもたらす物も多く、アッシュは幾度、自分をここまで育ててくれたアーヴァインに、常に隣にいて支えてくれたアーヴァインに顔向けできないと思い悩んだことだったか。 編成した特務師団はヴァンの息のかかったものでつくられ、事有る事に言葉と行動を以ってしてアッシュを追い詰めた。 追い詰められて、だけどアーヴァインと言う男に名よりも大切な物にかけて制約を受けた身としての矜持が、全てを投げ出すことを許さない。 どんなに汚れた身になっても、せめて、アーヴァインが気にかけていたヴァンの計画の一端でも掴んでやろうと躍起になった。 「後悔先に立たずって、きっとこういうのを言うのかな。……もう少し、余裕があると思っていたんだ」 「僕もですね。まさか呼び出しがあるなんて思っても見ませんでしたし」 「こんなことになるなら、もっと大々的に動いておけばよかったなって、過ぎてしまったことだけど、思うよ」 「マルクト軍で一平卒なんてやっている余裕、本当は無かったんですよね」 「肝心のときに側にいられないなら、ヴァンの奴にばれる危険をおしてでも、ルークの所に行って居れば良かった。アッシュをつれて、二人を対面させて置けばよかった。いっそのこと二人とも連れ去って置けばよかった――そんなことばかりだよ」 「気にするな。過ぎたことだ。俺とこいつには、今と――これからが有るんだろう?」 「もちろんさ!」 その答えを聞いたとき、ふっと何かが軽く体から抜けて行ったような気持ちがした。 それがなんだったのか、ルークにはわからない。 ただとても安心したような気持ちになって――ルークは再び意識を沈めた。 水底へと落ちていく石のように、ルークの意識は静かに眠りにつく。 母親になる方法がわからなかった母親。 父親になることを諦めた父親。 鮮烈な赤い髪をした彼ら二人の子供達にとって、父親も母親もその二人でしかありえなかったのに、距離的にはすぐ近くに居ながら心が離れていた親子。 あるいはルークが生まれたことでレプリカと言う存在で生まれた者を息子と呼ぶことで、ルークと触れ合う事で、その二人とも親へのなり方を知ったのかもしれない。 強く、厳しく、愛情深い親へのなり方を。 自分を蔑ろにして、死にばかり意味を求める。 それは、愛情が足りないまま育ってしまった子供の典型ではないのだろうか? そして世界もそんな子供達に、死ぬ事の意味を与えてしまうのだ。 死ぬことで世界を救えると、死ぬことで英雄になると、死ぬことでようやっと、世界に、誰かに、その存在を忘れがたく刻み込めると。 そう囁く。 それはあまりに寂しくて、悲しい。 ギャリン、ギャリン、と金属のぶつかり合う不快な音でルークは目が覚めた。 初めに目に入ったのは柔らかい清潔な色をした高い天井であり、最初に感じたのは包まる布団の柔らかさだった。 どこか厚ぼったい感じがする目蓋を幾度か瞬かせて、不意に、ぎょっとした。 現状に繋がる記憶が無い。 確かアッシュと戦って、負けて泣き叫んだのは憶えている。 突き飛ばそうとした手を掴まれて、それからどうした? 憶えていた。 だが認識が遅れた。 それは、彼の中ではありえないこと、に分類される出来事だった。 抱き寄せられて、宥められた――!! ワンワンと泣き叫んだ気がする。 だけど、そこからどうしてこうなるのだろう。 泣き疲れて眠り込んだ? アッシュの腕の中で? わっと叫んで背中を丸めて穴を掘りたい気分になるものの、ギャリンギャリン、と響く音も気にはなる。 そして顔のすぐわき、なぜすぐに気が付かなかったのだろうと思うほどに存在感を発揮する黒い刀身の剣が刺さっていた。 そしてさらに何故今まで気がつかなかったのか。 もしかしたらあまりに色々と重なる現実に、逃避が入っていたのかもしれない。 ルークは腹筋を全力駆動させてがばりとそこから起き上がった。 「あら、ルーク。目が覚めたのね、良かった」 「ティ、ティア?」 枕にしていたわぁらかいもの。 今までも何度かされていたことがあるはずなのだが、何度やられても気恥ずかしくなる。 膝枕。 前後の状況で色々と繋がりがなく混乱するところなのだろうが、それらの全てを吹き飛ばす威力があった。 しかも本人まったく気にしていないようだから、淡い恋心を抱く方としても居た堪れなさを感じる。 どうすればいいんだろう? 恋愛に正解などあるはずもなく、ましてどちらも鈍いもの同士。 答えなんてあるはずもなく、内心でわたわたとしている間に話題が横から流れていく。 恋心の幼い彼にとって、もっと目を引く光景が目の前で繰り広げられていた。 「仲間割れ、か?」 「違うらしいわ」 呟けば、ぼんやりした答えが帰って来る。 アッシュと、アッシュと共に行動していた男が真剣で打ち合っている。 その上、傍目から見れば十分に命をかけた、と言えるほどの凄まじさだ。 手合わせと言うにも過剰なほどであり、ルークが仲間割れと見るのも致し方ない。 だが、その側ではアッシュと共にいた残りの者たちはやんやの喝采でも送りそうなほど伸びやかに観察している。 シンクにいたっては退屈のあまりあくびまで出る始末だった。 「なあ、何してるんだ?」 「……兄さんの髭を毟り取るための訓練、らしいわ」 見やる先には、真剣を叩きつけ合う二つの影。 人間、なのだが、よほど真剣に目で追わないともはや影にも等しい早さだ。 そのうち一人は長い髪こそ鮮烈な紅をしているが、着ている物は黒い色。 まさに影としか言いようが無くなる。 その影二つはそれぞれ名前を持っていて、一方はアーヴァイン、そしてもう一方はアッシュと呼ばれる。 二人の叩きつけ合う真剣はどちらもキリエ作の念具の剣で、妥協と言うものを知らない強度を備えている。 折れもせず、曲がりもせず、ただひたすらにぶつかり合い、不協和音を奏でる二本の剣。 「師匠の、ヒゲ……?」 意味がわからずに眉根を寄せるルーク。 ティアを見やれば、ちらりと視線はよこしたが、答えようも無い様で再び視線をそらされる。 その先には、あの二人。 真剣で手合わせをするアーヴァインとアッシュ。 GFは貸す事ができないが、キリエがいるのであれば、道具の使用による能力アップはやりたい放題だ。 それを使ってアッシュの能力向上を図っているが、人間いきなり超人的な動きを出来るようになったからと言って同じような力を持つものに対してイコールで対等になれるわけではない。 想像している動きの範囲と実際に動ける範囲が違うことに漬け込まれる、などというバカ話はご遠慮願いたいところだった。 実際、彼ら、キリエとフィールとアーヴァイン、そしてここにはいないスコールの4人は、初めて行くことになった異世界であるH×Hの世界で、その能力と現実のギャップにより、幻影旅団に追い詰められたことが有る。 一時的な身体能力の向上がキリエの命を救ったことも確かであったが、能力に振り回されるばかりでまともに戦いは出来ず、キリエの命を救うために、幻影旅団員の攻撃を避けられるようにとGFを貸したスコールは、著しい能力の低下に振り回され、やはり此方もまともに戦えなかったと言う苦い記憶がある。 同じ過ちを繰り返さないよう、ここで最後の仕上げに体感を調整しているのだ。 心行くまで栄光を掴む髭を毟り取るために。 大放出の大サービス。 アーヴァインがジャンクションを調整し、速さを少し落とせば、アッシュの速さはアーヴァインに追いつくほどだ。 アーヴァインたちがこちらに来た当初、この道具の類をアッシュに貸し出し始めた当初こそ早さや力に振り回されていたアッシュだが、慣れてくることによって動きに切れが出てくると、実際に持っているスピード以上に速く見えるほどであった。 二人とも剣と言う同じ獲物を使っているのなら、そこに差を生むのは時間と才能だ。 アーヴァインも手習い程度に剣もたしなむが、真剣みも、剣に触れ続けた歳月も、アッシュに負ける。 彼は自分の火器の使い手としての自負はあっても剣士としての自負は無いに等しい。 ましてアーヴァイン自身、剣に才のない事は知っていた。 才能もなければ、Seedになることを決意するまでのあいだ、本当は剣なんて触りたくもなかった武器のひとつだ。 引き金を引く反動だけではない。 手に、体に、直に切りつけ、抉ったときの感触を残す武器が彼は怖くて仕方がなかった。 触れるようになったのは、あの最後の魔女戦争を終えて、バラムに移籍し、正式にSeedとなる決意を固めてからだ。 ただそれだけのアーヴァインが、既にこの異様な速さにも慣れを示したアッシュに対して、優位を保てたのも、ひとえに実戦の場に身を置いた歳月か。 経験と勘が合わさり、拙いアルバート流もどきの様な剣術で、ことごとくアッシュの剣を弾きかわし、隙を突いて叩き込む。 アッシュも負けじと剣を返すが――未だにアーヴァインから一本も取れていない。 だが、それもあと少しと言うところか。 傍から見ているキリエとフィール、アーヴァインとの付き合いが永いものとしての視点で見れば、いつの間にか彼が拙いとは言えアルバート流を身につけて剣を用いて戦っている、と言うことのほうが驚きだ。 キリエは火器のプロフェッショナルとしてのアーヴァインのイメージが強く、フィールにしても、剣を使い始めたアーヴァインと同じ時代をこの世界で生きていたが、過ごす場所が遠く離れていたために実際にアーヴァインが剣を使う場面に遭遇したことはなかった。 ガーデンで、ソードの単位を取った事は知っていた。 だからといって、ガーデン生は暇があれが複数の武器の単位を取ることも当たり前なので、珍しいこととも思わず、まして単位を取ったからといって、それが使うことと同じ意味になるわけではない。 此方の世界に来て、ときどきアッシュと手合わせしているときに剣を使っているのを見て、驚いたぐらいだ。 武器を選ぶとき、それは本人の嗜好によるものよりも本人の資質により選ばれることが多い。 軍にしても、施設の庸兵部隊であるガーデンにしても、使えない人間を育てている余裕は無いからだ。 本人が己の資質に合わせて選ぶことも有るが、概ね武器に触れたこともないような人間は周囲からの斡旋で武器を選ぶ。 体の大きなものには重量のある両手剣を、俊敏さのある者には早さを生かせるナイフを、目のいい者には銃火器を。 アーヴァインは過去一度、ソードを周囲からあてがわれたことがあったが、すぐに才能なしと判じられていた。 切りつけることに恐怖を抱いていた当時としては彼自身にとっても好都合であったが、それ以来、長く銃を愛用してきたアーヴァイン。 周囲のイメージもほぼ一つに固まっていた。 最強の矛と盾。 どちらが強いのか、という話もあったが、どちらも剣なら矛盾を気にすることもない。 折れることを知らず、曲がることを知らず、融通も利かず、ただ一心に己が剣であることを主張し続ける鋼を握り、二人は戯れるように命を懸けて打ち合う。 アーヴァインはアッシュの成長を喜びながら、アッシュはあと一歩でやはりアーヴァインに追いつかないことを悔やみながら、その心の奥にあるものは、互いに歓喜だ。 もう一歩、あと一歩と攻め立てるアッシュ。 まだまだ、まだ届かせないと弾き返すアーヴァイン。 息も上がるほどの激しい攻防の中にあって、どちらからともなく緩く唇に笑みをはく。 一合、二合、と剣を合わせるたびに深くなる笑み。 そして。 キン、と涼やかに鋼を鳴り響かせて、弾け飛ぶ一つの鋼。 剣としての命を終えた、ただの鋼がキラキラと宙を舞う。 「やっとこれで一本か? アーヴァイン」 「まあ、もともと僕には剣の才能が無いからね〜」 アーヴァインの腕はアッシュの腕を絡めとり、アッシュの腕は切っ先をアーヴァインの首に突きつける。 あと一センチ、切っ先を動かせば、首の脈を断ち切ることも容易い位置だ。 身長差のせいで、見上げるようになってしまうアッシュが不適に笑えば、見下ろすアーヴァインも笑み返す。 二人の健闘ぶりに思わず口笛を吹くキリエ。 二本の剣はキリエが選んでキリエが念をかけたものだ。 双子剣、と呼びえるほどに、相似した特性を持つ二本の剣。 どちらの強度も変わらない。 キリエはそう造った。 折れず、曲がらず、弛まず欠けず。 常に所持者の力となるように。 それを折ったというのなら、純然なまでの技巧のなせる業だろう。 敬意を表するに値する。 ポーチから既に相棒とすら呼べる双剣を取り出して、キリエは立ち上がった。 「ねえアッシュ。アーヴァインに勝ったなら、次は私を相手にしてみない?」 誘う。 怪訝そうな表情をするアッシュは、アーヴァインを見上げた。 「大丈夫、剣ならキリエは僕より強いから」 「シンクを負かした様な特殊な道具なしなら白星なしといってなかったか?」 「お互いにもっとも得意とする武器を手にしたときの話、だよ。僕は剣が苦手、そして銃が得意。キリエは……」 「私には特に生まれつきの才能なんて無いわよ。でも、努力の剣は持っている。この二刀を使って戦うなら、剣を持ったアーヴァインなら勝てる」 まったく得意じゃないと言う剣を持ったアーヴァインにさえ、四割は黒星だとは伝えない。 六割勝ちを拾えれば、キリエとしては万々歳だ。 体術に通じるところがあるのか、ただ剣を持たせたなら、アーヴァインよりゼルのほうが上手く扱う。 アーヴァインは典型的な、究極の一を手に入れる人間だ。 銃さえ持っていれば、遠距離から近距離まで何でもござれ。 そういう人間だった。 「そりゃ、アーヴァインにエグゼターなんて握られた日には、私の命なんて風前の灯だけど。ちょっとは違うタイプのファイターと戦ってみるのもいいんじゃない? 経験よ」 何一つ、どんな戦いであろうとも、どんな相手であろうとも、それが無駄になることは無い。 意識しなくとも、体に、無意識に刻み込まれる経験は、いざと言うときに勘となって発現する。 場合によってはそれが命すら救い、戦況を覆す。 ましてやキリエのように、二刀剣士なんて代物は少ない。 二度と戦う可能性も無いかもしれないが、もし有ったなら、その場合にこの戦いが大きな教訓と成り、アッシュを導くだろう。 キリエが二刀剣士を選んだのも、その数の少なさと言うのもあった。 盾を持たずに盾を持ち、その存在の数の少なさから、歴戦の戦士でも相手にしたことの無い人間は多い。 戦いになったなら、二刀を翻し、相手が二刀流の戦いに慣れない内に隙を突く。 そしてひるんだ隙に、逃走するなり念具を使用する。 もとより最近では奇襲のキリエ、などと言う呼び名まで付き始めた彼女のこと。 命あってのものだねだとはよく理解している。 戦い方にはこだわらない。 「行っておいでよアッシュ。何事も経験ってね。キリエの戦い方は才能は無いけど、そのぶん恐ろしいよ?」 「わかった。――相手をしてもらえるか」 「オーケー。それじゃ、いっちょやりますか」 その試合、剣術使いの歳月と面子にかけてキリエは勝利をもぎ取ることに成功した。 ポーチから取り出された巨大な対面テーブルと十一脚の椅子。 キリエの側には大きな鍋が置かれ、その中にはホカホカのチキンクリームシチュー。 それぞれの手には木製のお椀が握られており、鍋の中身が注がれている。 周囲にはいくつかのパンが置かれていて、各自自由に好みのものをとって食べていた。 これが、ラスボス一歩手前の真実である。 キリエは本当に正座して待つヴァンの足など痺れてしまえ、と思っていたし、それをフィールに洩らしたところ大いに賛同されて調子に乗っている。 側に居たシンクも嘲笑した。 目を腫らしたルークがキリエとアッシュの試合の終わったあとに駆け込んできて、何事かと問いただし、ルークを戦わせたあれが芝居だったと聞いてぶすくれながらもチキンのたっぷり入ったシチューをほおばる。 その隣でティアがルークの世話を焼いていて、初々しいその二人を逆の隣でアニスがからかう。 子供らしい二人の姿に、キリエもフィールもアーヴァインも、苦笑にも似た暖かな笑みを洩らす。 真実の近くに居るものほど精神的に未熟であるこの世界。 力を持つものほど成長を拒むこの世界。 この世界においても、後世語られる事になるだろう彼ら、このエルドランドの物語の中心人物となるだろう人々は、みなこの戦いの中で幼さを捨ててきた。 傲慢な幼さ、不理解を装う幼さ、選べない幼さ、無知の幼さ、偽る幼さ。 場はとても穏やかで、希望に満ちていた。 可能性は百ではない。 それはどんなことにもいえることだ。 必ず成功するという盲腸の手術に百戦錬磨の外科の名医が当たったとしても、何一つ不備がなくても、人は死ぬときには死んでしまう。 そんなものだ。 それでも、今まで知る者にとってこそ、助かる見込みのない親しい人間が、助かるかもしれないという希望がここにはあった。 ルークとの接触を禁じられて苛立っていた彼らも、いま卓に座る段になっては、ルークが一緒に居ることと無いと思われていたルーク生存への希望とが相まって、とても明るく朗らか――を通り越してナチュラル・ハイ。 今回アルコールは入っていないはずなのだが、とてもテンションが高いのが数人。 もちろんその中の一人とはガイであり、もう一人とはアニスであったりするのだが。 ナタリアはアッシュの隣で幸せそうだし、アッシュも、昔のような恋こうる感情ではないとしても、まんざらでもなさそうだ。 本来であれば、シチューを作ったからとしても食べずにヴァンを倒しに行くところなのだが、時間的な緩和策も必要だろうというフィールの提案で何故かこういうことになっている。 とてつもなく居心地悪そうにしているのも約一名、いるが。 だが傍目にはとても上手に無関心を装っている。 ルークの目が覚めるまでの間に、彼の仲間たちにシチュー作りを押し付けたのも、手持ち無沙汰じゃ雰囲気が悪い、と言うのが主たる理由だ。 つまり、何かやることを与えて気をそらさせろ、と。 まあ結局食べてしまっているのだが。 一騒動やった後だ。 エネルギーの補給も悪くはないだろう。 特にルークとアッシュはまだ微妙に育ち盛り。 あれだけの運動をした後であれば空腹も感じるだろう。 実際互いになかなかの量を食べている。 この後の最終決戦で吐き出さねばいいがとそんなことを心配してしまうほどに。 人数が人数の上に諸事情あって、ルークとアッシュの席は離れているのだが、ルークはアッシュが一緒に居る事がよほど嬉しいのだろう。 チラチラとアッシュの方を窺ってはそこに居ることにそこはかとなく嬉しそうだし、アッシュは時々微笑みを見せてはジェイドなどにからかわれている。 ルークやジェイド、ガイやアニス、そしてナタリア。 彼らの中でのアッシュのイメージは、常に小難しい顔をして眉間に皺をよせ、厳しい口調で何かを言い去る。 そんな程度のものだった。 だが、彼も声を大にして大笑いすることこそ少ないが、笑えばとてもいい顔になる。 「みんなー、程々にしておきなさいよ? 食べ過ぎるとあとで吐くよ?」 最初はぎこちなかったはずの卓上も、そのうちにここを墓所とも弁えない騒々しさになった。 喋りながら食べるので、ついつい加減を忘れがちになる彼らにキリエが警告を発する。 ジェイドは知的疑問を満たそうと口を動かし、アニスとシンクはここぞとばかりに舌鋒の冴え渡る言葉を互いに繰り出す。 ガイとティアに囲まれたルークがアッシュばかりを気にするのが気に入らないようで、二人はしきりにルークに話しかけるし、それにルークは半分以上上の空で相槌を打つ。 ナタリアがアッシュに話しかけ、アッシュも今までの態度が態度ゆえか、気恥ずかしさは残るようだが、ルークに言葉を投げかけるのにもはや躊躇いは無いようだった。 一通り皆で同じ釜の飯を食い、多少の気心も知れた頃。 日本人らしく手を合わせてご馳走様、と食事に感謝を述べて、キリエは勇ましく立ちあがった。 食休み? 何それ、と言ったものである。 「さあ、撤収ー!」 叫んだ。 「手伝わないものは簀巻きにして放り出すよー!」 実力さえあれば、恐らく本気で実行するだろう。 ただそれを実行しようとしたとき、大抵の相手はキリエより実力者であるだけである その点今回はいいだろう。 簀巻きにする対象より自分のほうが力がある。 やろうと思えば簀巻きに出来る。 故にか、その言葉はいつもより実感があった。 「自分で使ったものは自分で始末する。ここには使用人やメイドなんていないんだからねー」 言いながらキリエもてきぱきと片づけをする。 と言っても、さすがに水を使って流すわけには行かない環境だ。 やろうと思って出来なくは無い面倒くさい。 ので適当に布巾を渡して器の表面を軽く撫でるようにして、後は空になった鍋の中に突っ込め、と言うスタンスだ。 「さて、まとまったわね」 と言ったところでカードを取り出す。 H×H世界に行ったときのグリードアイランドのカードシステムを真似て作ったものだったが、これがなかなか使い勝手がいい。 物をそのままポーチに入れたくない時にも使えるし、ポーチを携帯できないときでも、カードの一枚や二枚ならどこかに所持しておける。 そしてまとめてカード封入。 これで嵩張りません、臭いません、と言うことだ。 使用済み食器一式がカードに封入されるのを見て、驚いたり感心したりする人を見ると、製作者のキリエとしては鼻が高い。 その能力の性質上アイディアこそ丸ごとよそ様からの頂き物だが、それを現実に持ち込む力は間違いなくキリエのものだ。 それだけは、誇れる。 「それがどういう理屈なのか、聞くだけ無駄でしょうね」 「よく分ってるじゃないの。これもまあ、一つのガーデンの付加価値だしね」 と言って、話して聞かせたところで理解できてもマネでいるようなものでもない。 それでも詳細を述べないのは面倒くさいことと、そして意味が無いからだ。 体感することの多い技術だ。 知らないものに完全に理解させよう、と言うのがそもそも不可能にも近く、それだけの手間暇をかけたところで完全に同一のものは生まれない。 「キリエ」 「なに? フィール」 「ヴァンに動きがありました」 ざわり、と空気が泡立つ。 「動向は?」 「いえ、足が痺れただけじゃないんでしょうか。そろそろ四時間になりますし」 言われてはたと気がついた。 とたん肩から力みが抜ける。 ルークたち一行の方にも、あからさまに吐息をつくものもちらほらといた。 途端に空気が緩む。 生粋の日本人でも四時間の正座はつらい。 その上、ヴァンの育った環境が日本に近いものだったと仮定しても、そこに暮らしていたのは11歳になる年まで。 その後は土足と椅子の文化だ。 鍛錬に日々正座をしていたとしても、生活の基本から正座をする時間が短くなるのは致し方ないことだろう。 よくもった所だ。 突入したときに丁度足が痺れて、とは行かなかったが、こうして足が痺れたらしいところを観察できただけでもよしとしよう。 「くっくっくっく」 「不気味だぞアーヴァイン」 「いや〜、だってさ〜」 ヴァンの映像を見て、声を殺して笑うアーヴァインにアッシュが言った。 まだクツクツと笑いながら、アーヴァインは映像の中の剣を床につけ、一見杖のような支えにして立っているヴァンを指差した。 「これさ、襲撃できないかな」 「襲撃、ですか?」 「足痺れていたらさ、触ったら面白事になりそうじゃないか」 うきうきと告げるアーヴァインにアッシュが額を押さえる。 それをちらりと一目見て、面白そうにフィールも続けた。 「監視用のオダインでおじゃる2号!! をぶつけてみますか?」 「あれって推進エンジンついていたっけ?」 「いえ、ころころ転がっていくだけですけど、スピーカー付いているじゃないですか。だから、上手く近づけることができたら、ヴァンの前で機会音声で『自爆まであと十秒』とか、言わせて見るんですよ。足が痺れていたら、触れなくても動くだけでも結構来るじゃないですか」 「でもさ、それだと近づく前に壊されそうじゃない? せっかく近づいても壊されちゃ映像とれないしさ〜」 「そうですよね。ヴァンの撮影に成功しているカメラ、これ一つだけですし」 とても、とても楽しそうに足の痺れた人間を以下にして遠隔からからかうかを話し合う二人。 「ねえ、キリエ。彼らはいつもああなのかしら」 男二人の趣味の世界に入りつつあるフィールをアーヴァインを指して、ティアが言う。 食事の間に話していて分ったことは、偏った教育と歪んだ理想を排除できれば根はかなりいい娘であると言うことだった。 本当に、大人が不甲斐ない世界は悲しいとキリエは思う。 見上げる大人が歪んでいれば、それを見た子どもも歪むのは当たり前のことだ。 歪んだものしか見なければ、歪みを歪みとも気がつかない。 それでもいつか、その歪みに気がつけたなら――何かが変わるのかもしれない。 「うーんと、まあね。二人そろえばあんなものよ。今日は、と言うより今回は手綱を引き締める人間が居ないから」 迷った末にキリエは笑った。 笑う以外に何をすれと、とそういうやけくその気持ちも僅かにある。 男の気持ちは女には分らないよ、というが女の気持ちだって男には分るまい。 「手綱って、あなたたちは三人だけじゃないの?」 「一杯いるよ? 行くところに行けば。サウザンド・Seedってやつはさすがに少ないけど、ただのSeedなら結構どっさり」 「ど、どっさり?」 「そう、どっさり。私たちのような少数の特殊なSeedを除けば、Seedは結構たくさんいるわよ? 軍人以上の軍人、庸兵以上の庸兵、名を誇るボディーガード、そして魔女の騎士」 もともとはSeedではなかったキリエにとっても、今では魔女の騎士の一人であることは誇りとなっている。 ガーデンの守護者であること。 魔女の騎士であること。 伝道者であること。 その全て。 「私もわりと悪乗りしやすい性質だからさ、どっちかと言えば、彼らの手綱を取るよりも、一緒に悪戯する方が好きなのよね」 そう語るときのキリエの表情はとても清々しく柔らかく、声を掛けることが戸惑われる。 「アッシュじゃアーヴァインに対する抑止としては弱いし」 話しかけることが戸惑われるほど、晴れやかな微笑を浮かべていたキリエ。 慈愛さえ見せて騒がしくいかにヴァンデスデルカを使って遊ぶかを話し合う男どもを見ている。 そこには音機関に目の無いガイが加わりオダインでおじゃる2号!! の構造について尋ね、ジェイドも譜業の専門ではないにしても高度な技術に興味を示し、話に割って入っている。 送り込んだオダインでおじゃる2号!! が破壊されたと叫んでは、フィールがもうぜんとコンソールを叩きコマンドを送る。 このエルドラント中にあるオダインでおじゃる2号!! に指令を送ったらしい。 今まで眠らせていたものまで目覚めさせたので、ガイたちに捕獲されたことを理由に眠っていたオダインでおじゃる2号!! も目を覚まし、突然荷物袋の中で暴れ始めて騒動となる。 アニスは黙々と食事によって中断されたトクナガに張り付いたトリモチを除去する作業にかかっている。 時間がたったために固まり始めて、なかなか困難を極めているらしい。 アッシュとルークとナタリアは、三人そろって午後ティーの時間だ。 アッシュがポーチから取り出した冷茶を飲みながら、今までの溝を埋めるようによく喋っている。 主にルークとナタリアが。 シンクが一人、離れているが、あの顔はやってられないと呆れている。 「この混沌、どうしましょうね」 ティアが声をかけることを戸惑った柔らかな微笑みは――食卓を共にすることで互いに対して気が緩み、収拾のつかない現在に対する生暖かな笑みだった。 「フィール!!」 声を張り上げるキリエ。 その迫力に、ざわめいていた墓所が静まる。 「何ですか、キリエ」 「何ですか、じゃなくてさ」 「そうですね。そろそろ行きますか? 先輩」 判断を仰がれたアーヴァイン。 皆の視線を集めながらも気にしたそぶりもなくう〜ん? と唸ってフィールが展開したモニターを覗き込む。 「オダインでおじゃる2号!! の配置は完了した?」 「オーケーです。いつでもいけますよ」 「じゃあ、総攻撃開始。自爆も含めて時間稼ぎを頼むよ」 「了解しました」 オダイン博士も只者じゃない。 彼こそはマッドサイエンティストの一人。 日々機会があればこんなこともあろうかと! と言う台詞を言うために、益の有るか無いかも分らない研究を繰り返す。 オダインでおじゃる2号!! も、威力はともかく自爆はできる。 捕獲されたときに機密の漏洩が無いように、との事らしいが、データの回収が不可能なほど粉々にするのでなかなか侮れない威力を持つ。 「あ、自爆前にはちゃんとコメント入れてね」 思いついたとキリエが言った。 「何て入れます?」 「『今行くから首を洗って待っていろ』『足を洗って待っていろ』『顔を洗って待っていろ』この辺かな」 「キリエ……」 情け無い声を出してフィールが肩を落とす。 アーヴァインがクツリと笑ってキリエの案に便乗した。 「もう一つさ、『腕を磨いて待っていろ』って言うのも足してよ」 「アーヴァイン先輩もですか?」 「だってさ、あいつ絶対シリアス想像しているよ? 締めぐらいは厳かに行きたいのかもしれないけどさ、その気持ちもよく分るけど、あいつがそういうシチュエーションにしたがっていると思うとむしろぶっ壊したいっていうか〜」 「あーもう、分りましたよ」 それにしてもなんて言う皮肉ですか? それ。と悪態をつきながらもたたた、と軽やかにコンソールを叩くフィール。 フィールの叩く光で出来たコンソールにガイがそっと腕を伸ばし、触れようと試みたが、触れるための条件である手袋を装着していない彼の手はただ光の壁をすり抜けるに留まる。 僅かに聞こえる無念の吐息。 「それじゃあキリエ、あれ、頼むよ」 悔恨に終わりを。 もったいぶった仕草でポーチから一つの薬を取り出す。 技と、オーラと、金銭と、そして時間をかけて作り上げた逸品の念薬。 限界現存数は3。 神秘数と掛け合わせた言葉遊びによって制限され、カードに封入することで五つまでなら誤魔化して作り上げることが出来る、あらゆる事を無視して、肉体を本人から見ても他者から見ても、正常に、最良に仕上げる念薬。 中身と、そして入れ物――容器にも技巧を凝らしてある。 そこまで気を使って、キリエの技【複製の錬金術師】におけるコピーの制約の一つである金銭を湯水のように注ぎこんで、ようやく、作り上げることの出来た代物。 薄く、すぐにも割れそうなガラスの容器。 これ事態にも内容物である薬とは別口で念をかけることで強化と共に金銭的価値を上げている。 柔らかな形をしたガラスの器。 だがそう見えるというだけで、ガラスではない。 純度の高い天然の水晶を刳り貫き、彫をいれ、幾つもの高価な貴石で飾り付ける。 デザインにもデザイナーを雇い、その全てに至るまで、惜しみなく金銭を注ぐ。 そして中身を注ぎこみ、丹念に封をして、キリエが念を注ぐ。 【複製の錬金術師】の限界を目指すように。 いつかどこかで誰かが書いた、誰かが想像した無限の奇跡を、丹念に織り込んでゆく。 その、結晶。 美しいまでの力。 「これかしら、アーヴァイン」 「それがキリエの最高なら」 「間違いないわ」 言葉遊びをして笑う。 「ルーク」 「な、なんだ」 呼びかけられたルークが背筋を正す。 それが何であるのかを、口にしなくても分ったのだろう。 ルークを救う可能性のあるものだと。 ルークの仲間たちが、キリエが取り出した薬を見て、そしてルークを見た。 「ガーデン所属サウザンドSeedが一人、御堂霧枝があなたを祝福するわ。誇りを持って生きなさい。あなたは自らの行動をもって己を価値ある者へと至らしめた」 「同じくガーデン所属サウザンドSeedの一人、僕フィール・エヴァーグリーンも僕の名前とガーデンの名を以ってあなたを認めます。独り身なのについ最近子どもができましたから、当分他に制約するつもりは無いのであしからず」 とそこでその子どものシンクを見れば、わざと不機嫌をよそおうも、まんざらでは無い雰囲気が感じられる。 そして最後に名乗り出たのはアーヴァイン。 アッシュと短く目配せをして、ルークに向き直る。 「よくここまで来たね。ありがとう」 「な、なななにを」 「生まれてきてくれてありがとう」 ぽかん、とルークは口が開いた。 「な、なんでそんな、だって、俺が生まれたからアッシュは――」 ああそうか、とアーヴァインは思い出す。 アッシュとルークが鋼を合わせていた間、自分たちはルークの仲間に熱く語っていたけれど、肝心のルークには聞こえていたはずが無い。 言葉は何のためにあるのかと、自分だったかフィールだったか、あるいはキリエだったかもしれないが言っていたような気もしていた。 だったらここは実践するしか無いだろう。 言葉では全てが解決しないこともまた多い。 けれども。 まずは伝えることからはじめなければ。 「君が生まれてきてくれて、アッシュは救われたから。アッシュは賢いけど馬鹿だからね」 ぱちん、と気障なウインク一つ送れば、ルークの向こうでアッシュが機嫌を損ねていた。 馬鹿と言われてうれしくは無いだろうが、己の過去の行動を鑑みれば声を高く否定できるだけの要素も無い。 ルークのことは、確かにずっと認めていた。 だがレムの塔で瘴気を消すその時までは、その全てをなかったことと事あるごとに罵った。 己の中でルークを一人の人間と認めたことを理解したうえで、あのような態度をとっていたのだ。 傍から見ても、それよりなお己の目で過去を振り返れば、赤面物の馬鹿な行いだ。 「俺、生まれてきても、良かったのかな」 生きたいと、本当にそう願えるようになった途端に、命の可能性を摘み取られた子どもは臆病に問うた。 その背後に静かに近づくアッシュ。 「このばかやろう」 「いってっ! 何するんだよアッシュ」 握った拳を半身の頭に。 加減はして振り下ろしたが、それでも痛いものは痛い。 恨みがましく見上げる目を、まっすぐに見返してアッシュは言った。 「たまには素直に受け入れろ。奴は意味の無い嘘はつかねぇ。テメェにあんな嘘ついて、なにか利益があるのかよ」 「……ない」 「ならいいじゃねぇか」 「……うん」 遅く芽生えた兄弟愛。 何て微笑ましい光景だろうかと、アーヴァインが、フィールが、キリエが、そしてルークの仲間たちが表情を緩める。 互いの確執を知り、互いの執着を知り、ルークがアッシュの影を追うようになってなお、二人が共に有れたらいいとルークの仲間たちも思っていた。 最後の旅となるはずだったこの旅で、ルークが痛いほどアッシュを追うのを見ていたから。 「さあ、ルーク。今回チョイスしたのは飲み薬だから。飲んでみて」 「うん」 おそるおそる、触れれば壊れそうな繊細な外観のビンを手にする。 そんなに恐れて触れずとも、壊れることなどありはしない。 その中身が使われるときまではその容器は最強を誇るほどの強度を持つ。 落とした程度で割れるような代物ではない。 壊れ物の外観をしていながら、いざとなればそれを武器に戦えそうなほどの強さを持つそれを、まさにこわれものとしてそぅ、と扱う様子は見ていて可愛らしくなる。 静かに、静かに、誰もが口を閉ざしてその様子を窺う。 先ほどまでの喧騒も何処へやら、暴れて、騒いで、不謹慎にも壊れ散らかった墓所に荘厳な雰囲気が満ちる。 金属製のキャップに手をかけ、軽くねじるようにして取り外す。 緊張に、ごくりとルークの喉がなった。 そっと器を唇に近づけて、喉をのけぞらせて流し込む。 上向けられた喉が動いてそれがルークの中にきちんと注ぎ込まれていることが分る。 そして最後の一滴が、器からルークの口へ、口から喉を伝い体内へ流れ落ちた瞬間に―― 「へ? あ、うわぁ!! ど、どうしよう!!」 ルークの手の中で、器は粉雪のように砕け散った。 一般人の金銭感覚を身につけたルークがうろたえる。 ファブレ邸に有った一等級品の品物にも負けず劣らず、いや、技術技巧の点でこちらの世界には存在しないものや、同じくあっても更に研鑽されたものも使われていた。 もともとの素材そのものも惜しみない一等級品の代物を使用してある。 見るものが見れば、より高額な値がつくだろう。 どちらにしても念具としての効果として現れるのは製作時点での価値のみだ。 その後で上がろうが下がろうが薬としての内容に変化は無い。 下がるならともかく、上がったのであれば随分と悔しい気持ちはするものだが。 「大丈夫よ、ルーク。それはきちんとあなたに薬が作用した証明だから」 器の価値諸共に消滅することで足りない能力を補っている。 使いまわしは出来ないが、薬がその効果を発揮できなかったときには器は残るようにも設定されている。 この辺りがかなりの貧乏性だ。 「器がきちんと消滅したと言うことは、その念薬に設定された効果がきちんと発揮されたと言うこと。その念薬は体を正常に、最良に仕上げる効果があるわ」 音素乖離も、大爆発も関係ない。 それが薬の使用者の体を害する現象なら止めてしまうし、進行したぶんも戻してしまう。 深爪から内臓疾患高血圧、良性ポリープも過去に受けた傷跡も、全て。 心以外の全て。 全てを癒す。 「……おれ、本当に……生きられるのか?」 「本当の本当に。その真実を魔女とガーデンの名にかけて誓いましょう。あなたは死なない」 ぼろり、とまたルークは泣いた。 まだ以前泣いた目の赤みも取れないのに、涙の貯蔵は十分に出来ていたようだ。 ぼろぼろと、ぼろぼろと泣く姿に、ルークの仲間たちは安堵を覚えた。 まだ泣ける。 まだ泣けるのだ。 生きることの喜びを謳ってまだ泣けるのだ。 |