栄光を掴む髭を毟り取れ! 3



 その日、アッシュは一人で行動していた。
 彼の側にはアーヴァインはもちろんの事キリエもフィールも居なかった。

 事情はあるのだが。

 キリエは今、音素に対する過剰反応と戦っている。

 ラスボス戦を間近に控えた今、それに関与するしないはともかくとして、それまでにはまともに動ける体が欲しい。
 そのためには、少しずつ体を慣らしている時間はなかった。
 体は音素に拒絶反応を起こすだけでなく、それに馴染み、やがて程度によっては譜術が使えるようになることはアーヴァインが証明している。

 キリエは今、毒を以って毒を制すの言葉の通り、音素と言う毒を制するために音素と言う毒を過剰なほどに取り入れては、無理やりに体を癒して強制的に体に音素を慣らしていた。
 繰り返される音その過剰摂取による細胞の破壊と念薬による強制的な治癒。
 キリエは疲れ果て満足に食事を取る事もできないで居たが、念薬を使用していればその程度の事で死ねるはずもなく、空腹も麻痺していた。

 そんな仲間を気遣うようすのアーヴァインに、あんたが居ない間に自分はここまでできるようになったんだという事を見せたいアッシュの意地も交じり合った結果として、アッシュは一人でアブソープゲートまで向かっていた。





 ただ見届けるために。

 ヴァンの行動をと言うよりはルークたち一行の行動を探る事により時期を知る。
 キリエたちが来てから指針が変わった。

 アッシュは知っていた。
 このアブソープゲートでなにが起こるのかを。
 大まかな流れだけでも知るのと知らないのとでは大きく違う。

 彼らはその先を知る事を、魔女の先見だとアッシュに言った。
 正直な話、それは預言とどう違うのかと彼は思ったが、そう伝えればキリエは血を吐きながら言った。


 それは誇らしげに。


「大切な者たちを未来と言う定めが食い荒らすなら、私達は忌むべき未来の予見を使ってでもそれを覆す」


 と。


 いま、オールドラントは酷く預言に依存している。
 けれどもしこの世界の住人がキリエやフィール、彼の尊敬するアーヴァインのような思考をもてる人間だったなら、預言はあってもなくてもどちらでも構わないのだろう。
 彼らの言を持て、尚の事アッシュにそう思わせた。

 一人ではあったが、心強くはあった。

 かつて着ていたローレライ教団詠師の服を脱ぎ去り、いまアッシュはアーヴァインに渡された特殊な防御の力が働く服を着て、武器もキリエが特殊効果を付与したと言うクラウ・ソラスという名付けられた剣を使っている。
 アッシュは出典を知らないが、どこかの神話から名を借りたとは聞いていた。
 刀身の鍛えられ方といい、実戦を邪魔しない装飾といい、初めて握る剣なのに手のひらにしっくりと馴染むのもいい。
 光の効果を持つと聞いたときには皮肉かと思ったが、そこまで考えていたわけでは無いのだろう。
 様子を見る限り、キリエにはそこまで考える余裕がそもそも無いようだった。

 それでも、かつてそれらの効果を一部なりとも知っている身としては、とても心強い援護だった。



 ゲートの内部でラルゴと対峙している時に現れるルークたち一行。
 素養のない第七音素に侵されて化け物となってしまったモース。
 そして名前のないイオンレプリカ。

 イオンのレプリカは七体作られたと、聞いた。
 生きたのは導師イオンの代役となったレプリカイオンと、自らは空虚であると言ったシンク。そして、目の前に居る者で三人目か。

 なるほどまったく似ていないとアッシュは思った。

 確かに目鼻立ちや身長などはそっくりだろう。
 だが、中身が違う。
 イオンとも、シンクともこの生き残った三人目のレプリカは違い、そしてまたシンクはイオンになれずイオンがシンクになることも無理だろう。
 誰かのレプリカであったとしても、生まれた瞬間には個を獲得している――。

 個の成長を止めてしまおうとしていた俺とは大違いだと――アッシュは自嘲した。



 そして聞いたとおりにヴァンの復活を見届けて――これで倒せるとほくそ笑んだ。
 こっちは生身、実態のある存在だ。
 地殻に居ても音譜体にいても満足に殴ることすら出来やしねぇ、と獰猛に笑う。

 地殻に落ちたときに拾って来たと言う第七譜石の欠片をモースに渡すのを見送り、名前の無いイオンレプリカに予言を詠ませようと連れ去るのを見送る。
 まだ時ではないはずだった。
 と、内心で呟くその言葉に不安を滲ませて。

 ヴァンがアッシュに協力するように告げるが、アッシュは鼻で笑って断った。

「どうせ使い捨ての人形なんだろう? おまえにとっては俺も、ルークも。断る。おまえに協力する義理も理由もねぇ。安心してとっととくたばりやがれ。預言は俺達が覆す」
「ふっ、やはり無理か」
「わかってたなら聞くんじゃねぇよ」

 そもそも二人の間に師弟の情などありはしない。
 剣士としての力量と、正気を疑う壮大な計画を実行に移せるだけの手腕には感心するところではあるが――それだけだった。
 アッシュもアルバートの剣技をならった。
 だが、彼が師と仰ぐ人間はただ一人、アーヴァインのみ。

 ヴァンはルークにも問いかけて、そしてルークも誘いを断った。

 ルークが、ヴァンの誘いを断った事を誇らしくすら思うアッシュ。
 それがアーヴァインの行ってきた事。

 同じ顔、同じ体の違う個を認める。
 普通双子などであれば共に育つ事で認めて行くそれを行なえなかった彼らに、遠まわしな手段を以ってして伝えていったアーヴァインの努力は、無駄になる事無く実っている。

 まあ、少々効果が見えるのが遅かったともいえるが、無駄ではない。
 今は互いに互いを受け入れられる――心と体がそろっている。
 時間が出来たら幾らでも話し合えばいいのだ。



 立ち去ったヴァン。
 それを追いかけようとするが、さすがにただで行かせてくれるわけも無く、立ちはだかる黒獅子ラルゴ。
 ごく自然な流れでヴァンを負う役目を任されて、それを不思議に思いながらもアッシュはラルゴの脇を抜けた。
 そしてふと、突如彼の前に現れた三人組の会話を思い出し、ヴァンを追う足を止めて振り返る。

「ラルゴ」

 名を叫べば、彼が意識を少しだけこちらに向ける。

「元六神将アーヴァイン・キニアスがかつて言った。我等運命の反逆児。忌むべき定めを覆すのは何時の世でも絆だとあいつ等は言った。それを捨てようとするおまえ等に世界など拾えるはずが無い!!」

 それだけ言って背を向ければ、ふとどこかで笑った声が、聞こえたような気がした。

 気まぐれだった。
 捨てて欲しくないだけだった。
 本人達がどれほど心を決めて覚悟を決めて、納得ずくで、いるのだとしてもナタリアに親子で命の奪い合いなどして欲しくはなかった。

 ただ、だからといって今の言葉でラルゴが決意を変えるとは思えず、ならばこれはただの嫌がらせなのだろうとも思っていた。

 山ほどの後悔を抱えろ。
 人生を狂わすほどに愛した者に討たせて安らかな眠りなど訪れてたまるか、と。
 死ぬに死に切れないほどの未練をこの世――愛した女の娘に。

 このあとラルゴとナタリアがどうなるのかアッシュは知らない。
 アーヴァインたちはそれ語らず、アッシュも聞こうとは思わなかった。

 生きる気もするし、死ぬような気もする。
 だが確実にいえるのは、預言にも等しい何かが彼らに教える未来には、今のところルークたちの死はないのだろう。
 そうでなければキリエは仕方が無いにしてもフィールか、最も確率が高いのはアーヴァインがアッシュについてきただろう。
 あるいはもしかしたら今も、アッシュが気が付かないだけで付いてきていて、何処からか見ているのではないかと思う。

 アーヴァインは狙撃手だ。
 隠れて遠方から様子を窺い、いざと言う時に介入するには一番いいポジションに居るだろう。
 居るのか、居ないのか。
 アッシュにも判らないし、恐らく他の誰にもわかるまい。
 だがもしそうなら、無様なところは見せられないと、アッシュは気合を入れなおした。



 ラルゴを抜けてきたと思えば今度はシンクが邪魔をする。
 忌々しいと思いながらも、結局ただそれだけの感情であることにも気が付いた。

 六神将として同じダアトで過ごした二年は――まあ相手にとっては自分の監視の意味合いの方が大きかったのだろうが、それでもその時間が嫌いではなかったと思う。
 生意気で忌々しい、まあ二歳児ではあったが。
 自分とよく似た滑稽で愚かしく憐れな生き物。

 浮かび上がった嘲笑は自分に向けてのものだったのだが、どうやら相手の不興も買ったようで攻撃は激しくなる。
 言葉を交わそうとして――やめた。

 だがその一方で彼らがシンクに会いたがって居た様だったようなとも思い出す。
 さて、さてどうしたものかと思ったそのとき――何かが、いや、ルークの意識がアッシュに接触してきた。

「考え事なんて、している暇があるの? 余裕だね、アッシュ」
「それほどでもないさ。おまえ相手に余裕をかませるほど侮っては居ない」
「ふん」

 実力的に負けはしないだろうと思うがそう簡単に抜かせてくれる相手でもない。
 ましてやアッシュの意識は少なからず戦い以外のところに向いていた。
 時間稼ぎのつもりなら、十分にその役目を果たせるだろう。

 こちらに来るといっていたルークの意識を、アッシュは受け入れた。
 もう少しで奴等が来るだろう。
 そうなれば、さすがに多勢に無勢だ。
 シンクも状況判断の能力は高い。
 無理に戦おうとはしないだろう。

 傷を負えばアーヴァインたちが心配する。
 それで済むならそのほうがいい。
 シンクの事にしたところでそうだ。
 たとえ気まぐれな興味や好奇心だとしても、そうじゃないとしても、ねだられれば少しは聞いてやろうかと言う気にもなる。

 どちらが傷を負うのもアッシュにとって得じゃない。

「シンク。今は引け」
「あんたに命令される謂れは無いよ」
「謂れは無くても――もう少しで奴等がここに来る。そうなればさすがに」

 言ったころ、アッシュの後ろに確かに足音と近づいてくる姿を認めてシンクは舌打ちした。

「確かにこれじゃ分が悪いね。……この勝負、預けるよ」
「次に戦うのは、俺じゃないだろうがな」

 あんたの言う事はわけがわからないよ、と表情で示しながらも身を翻すシンク。
 どいつもこいつも不器用だと、笑い出したくなる。

「馬鹿は死んでも治らない、らしいしな」
「アーッシュ! 大丈夫かアッシュ!!」

 駆けつけてくる夕暮れ色の髪。

「おそいぞ」
「ちぇ、なんだってんだよ。ったく。せっかく来てやったのにさ」

 ただ一人の同胞の、自分とは違う明るい赤にアッシュは思う。

 自分はきっと生涯謝る事は無いだろう。
 だがそれでも、この幼い命に対した理不尽な扱いを罪として、それこそ生涯罪として背負うだろう。
 同胞への裏切りは何よりも重く。

 それがアーヴァインにガーデン流の教育を受けてきたアッシュの思考には染み付いている。
 それでも裏切りを選んだのは――その全てを否定したかったからに他ならない。
 自嘲する事すら許されないような気がした。
 誰も――アーヴァインですらそれを責めないから尚の事、深く罪を自覚する。

 もち上げた手を夕暮れの焔の頭の上に載せ、ぐしゃぐしゃにかき回す。
 同じ身長なのは癪に障るが――弟と言うなら問題ないだろう。

 多分きっと。
 それ以外にどう扱っていいのか分らないと言う実質的問題はとりあえず置いておく。

 驚愕の表情で目を開いて固まるルークを見て、居心地の悪くなるアッシュ。
 だが嫌悪されては居ないだろう事がその表情から読み取れてほっと安堵した。
 ルークから僅かに遅れて駆けつけてきたルークの仲間たちにもそれを見られ、そっぽを向く。
 手はすでに頭から外れていた。

「行くぞ。ヴァンは向こうだ」

 まてだのなんだのとぎゃいのぎゃいのと騒がしい彼らを振り返らずに、アッシュは進んだ。
 付き合っていられるかとばかりに。
 けれど赤い髪をなびかせるその背に、拒絶は見受けられなくて、ルークは笑み崩れた。
 そして、走る。

「待てよアッシュ! 置いてくなっての!!」





 そこで、ヴァンは名前のないイオンレプリカの一人に預言を読ませようとしていた。
 他の二人に比べて無垢で、まだ発達の遅いイオンレプリカ。
 預言を詠むという、その意味もわかってはいないだろう。

 体力はあったがダアト式譜術を扱うための資質が欠如していたシンク。
 ダアト式譜術を使う資質は持っていたが、極端にそれを扱うための体力の低かったイオン。
 後にフローリアンと名付けられるらしいこのイオンレプリカは、その丁度仲間ぐらいの能力を備えて生まれてきたという。

 消えてしまったイオンほど弱くは無い。
 だが、膨大な記録である惑星預言の一つである第七譜石を読ませて必ず無事である保証は無い。

 アッシュはルークたちやヴァンのやり取りも意識から外して、その様子を見守った。

 もし、肉体が耐え切れずに乖離して消え去ろうとするようであれば、と渡された薬がある。
 大丈夫でも、事が終われば飲ませるようにといわれているが、今すぐに乖離してしまうようならのん気な事も言っていられない。
 ここで交わされる会話の内容なら、渡された録音機関に記録されているはずだ。
 後で確認すればいい。
 今重要なのは、ここで誰も、死なせないことだった。

 未来を知りながら、助けられる命を見捨てることもある。
 けど、拾える命は出来る限り拾いたいんだ。

 と。
 そういった彼らに嘘は無かったと思うし、その姿勢にはアッシュも賛成だった。

 十のために一を切り捨てるのは、好悪は別にして為政者の有り方でもあったし、かつては確かに一万のレプリカの命で数十万の命を拾い上げた。
 そして世界は――人の世界を回している首脳陣と呼ばれる者たちは、たしかに十や百を生かすために、彼の半身、ルークに切り捨てられる一として死を望んだのだから。

 どうあがいても、命は選ばれてしまう。
 だからこそ、拾えるときには拾える限り、拾いたいと。
 救うと言わないあたりに好感を覚えたアッシュだった。

 自分達の力の限界を判っている。
 力で命を拾う事はできても、力で命を救うことは出来ない。
 命と言う言葉は、さまざまな物を内包しすぎていた。




 詠まれた第七譜石。
 惑星預言と同じ内容の、それ。

 それを認めようとしないモース。
 その人としての自我が、預言以外に後どれほど残っているものか。

 戦争を起こし、人を落としいれ、甘言を囁き疑いの言葉を世に落とし、教団で高い位について。
 世界の繁栄のために、あらゆるを犠牲にして預言に従ってきたはずなのに、その果てに滅びを詠まれて彼は裏切られた気分にでもなっているのだろうか。

 預言を詠んだイオンレプリカに危害を加えようとしているのを見て駆け出そうとしたが、その前にすでにルークが飛び出していた。

 安堵するのに苛立ちが募る。

 無茶するんじゃねぇこの野郎!! と叫んで一発殴ってやりたいが、今はそんな時でもない。
 ぐっと堪えて握り締めた拳を下ろす。

 その視線の先で、ルークが近づいたために第七音素による汚染が急激に進んだモースが苦しんでいた。

 人が心底から誰かを憎み、死を願う事ができるのは珍しい。
 たとえばガイが復讐を誓いつつ、ルークに絆されてしまったように、長く一つの思いを抱え続けるには膨大なエネルギーが要る。

 モースほど純粋にざまぁ見やがれ! すっきりしたぜ!! と思える存在も珍しい。
 出会いたいものでもないが。

 ルークの所持する宝珠はモースだけではなく、ヴァンにも影響を与えたようだった。
 ここではろくに戦いにならず立ち去るとは聞いていたが、どういった経緯でそうなるのかは知らなかったアッシュ。
 どうやら、ヴァンの中で取り込んだローレライが暴れている、らしいということだった。

「全ての屍を踏み越え我が元へたどり着け。アッシュ、そしてルークよ。その時、今一度おまえたちに問いかけよう」
「答えなんざもう決まってる」

 突き出した親指を地面に向けて突き落とす。

「おとなしく死にさらせヴァンデスデルカ。テメェの出番はもう、無いんだよ!!」
「ふふ、はっ、はーははははっ!!」
「ちっ」

 高笑いと共に去るヴァンデスデルカ。
 アーヴァインたちの元へ帰れば、すでに栄光を掴み損ねた髭眉毛がデフォルトの呼び名である少々憐れな存在。
 少しも許容する気などないアッシュであったが。

 残されたレプリカイオンに歩み寄る。
 側に居たルークが、ばつが悪そうに呟いた。

「ローレライの鍵のありか、ばれちまったな」
「かまわん。問題は無い」
「でも」
「でももくそもあるか。それともおまえは負けるとでも言うのか」
「そんなつもりじゃない!!」
「渡さなければ、問題は無いだろう」
「そりゃ、そうだけど……さ」

 片膝をついて、モースに襲われたせいだろうおびえているイオンレプリカに手を伸ばした。
 ビクリと震えて体を引かれる。
 どうしたものかと思っていれば、傍らから笑い声が聞こえた。

「アッシュの眉間の皺に怯えてるんだぜ? きっと。そんな険しい顔して迫られれば逃げたくもなるってーの」

 ぐっと拳を握り締めるがここは我慢のしどころだった。
 ここでレプリカを――ルークを殴っては尚更このイオンレプリカを怯えさせることになるだろう。
 わらわらと集まってくるルークの仲間たちの気配を背後に感じつつ、深く呼吸を整えて怒気を散らす。

 眉間の皺?

 はっ!! 邪魔なら消してやろうじゃねぇか!!

 とは思うものの、思えば思うほど眉間の刻みは深くなるような気がするから本末転倒もいいところだ。
 いっそのこと気にしないことにしたアッシュ。
 とたんに刻みは浅くなるが、それでもなくならない眉間の皺をもったまま、再びイオンレプリカに手を伸ばした。

 その手には、先ほどまでは無かったはずの薬ビンが一本。
 蓋を外し、突き出す。

「飲め」

 けれどイオンレプリカは不思議そうに見上げるばかり。

「なんだ、それ」

 肝心の対象の代わりにルークがそれに食いついた。

「奴等から預かった。体調を安定させる薬だそうだ」
「へぇ……どんな味がするのかな」

 透明なボトルに入っている、薄いピンク色の液体。
 毒々しいほどでもなく、手にするアッシュに似合わない可愛らしい色合いだ。

 顔をビンに近づけたルークが、クン、と鼻を鳴らして匂いを嗅いだ。

「イチゴ?」
「お子様用に調味してあるんだとよ」
「他にも味があるのか?」
「……メロンとバナナがあるらしい」
「モモは無いのか? りんごはアッシュ」
「知るか!!」

 ああ、結局叫んでしまったと思うのも後の祭り。
 怯えて後ずさろうとするイオンレプリカに業を煮やし、薬をルークに押し付けた。
 怯えられているのを笑って見ているのが憎らしかったからと言うのもある。

「おまえが飲ませろ」
「え、俺!?」
「どうやら俺は怯えられているようだからな」

 と言って鼻で笑えば、しぶしぶと薬を受け取ったルークはイオンレプリカに向き直り、言葉を弄する。

 本来の流れであれば、自分はそろそろ立ち去っているらしいんだがな、と。
 実際、あいつ等がいなければどれほどルークたちの一行と友好関係にあったとしてもイオンレプリカに関わらずにさっさと立ち去っただろう。
 この命を背負えるほどの余裕は無いだろうと思えたし、自分より表立って世界を駆けずり回ったルークたちのほうが、顔が広いだろうとも思っていた。

 なんとかしてイオンレプリカに薬を飲ませる事に成功したルークに、なんの嘲りも無くかすかに笑えば、なぜかルークの肩が震えた。
 とたんに機嫌の降下するアッシュ。

 自分のせいだ。
 かつての態度が悪いのだと判ってはいるがムカつくものはムカつく。



 レムの塔からこちら、屑とも劣化レプリカとも一度も言わないように細心の注意を払っているのに!!



 何もかも、とはいいたくないが、九割方自分が悪いので責めることもできやしない。
 簡単に怯えるイオンレプリカに、今の顔を見せないためにもアッシュは彼らに背を向けた。
 方向を変えれば変えたでまた微妙に生暖かい笑みで迎える奴等がいるのだが。

 ムカつく代表格はやはりジェイド・カーティスだろうか。
 次点でアニスか。
 片方はあからさまにニヤニヤと笑っているし、暖かい、と言うよりは生暖かい感じの笑みが非常に気に障る。
 対してこちらは純全に暖かい笑みでみてくるナタリア。
 暖かい笑みでも居心地は悪いのだが、ナタリアには強く出る事ができない。

 後はもう観察する事を放棄した。
 ろくな事がありやしない。
 やることやって終わらせて、さっさと退散するに限る。

「おまえ達」

 声をかければ、なまぬるい笑みを乗せたまま、ジェイド・カーティスが歩み出た。

「このイオンレプリカについてだ。こちらで引き取って構わないと言っているが、おまえ達が連れて行くならそれでもいいそうだ。どうする」

 イレギュラーとは起こすためにある! と血を吐きながら語ったキリエの迫力はなかなかのものだった。
 それを宥めるアーヴァイン達の苦労は押して知るべし。
 なにが凄いって血が凄い。
 普通であれば肺に血を詰まらせて死んでいるんではないだろうかとアッシュはかなり本気で思ったが、そうでなくても貧血か虚血性ショックで死ぬだろう。
 生物としてもますます訳がわからないが、そう言う事についてはすべからく目をつぶる事にしたアッシュ。

「引き取るとは、あなたが、ですか?」
「おまえも知っているだろう。キリエ・ミドウと言う女と、もと六神将覇者アーヴァイン。そして、最後の一人は、フィール・エヴァーグリーンと言う名前だ」
「彼女等が」

 ちらりと眼差しを、イチゴ味シロップの薬に喜んでいるイオンレプリカに。

「彼を引き取ると?」
「当てが無いならやぶさかではないと言っていた」

 キリエはアニスとフローリアンのフラグが!! フロアニが!! と言っていたが、アッシュには理解できなかった。
 フラグ。
 フラッグ?
 旗がどうした。

「だめ!!」

 声を上げたのは、予想外、と思ったがすぐに一番納得した、アニスと言う少女だった。

「そんな訳のわからない人達にイオン様のレプリカを預けられないよ!!」
「正確に言えば、あのイオンのレプリカではないがな」
「でも」
「あのレプリカに、イオンと呼ばれたレプリカの影を重ねるおまえ達のところにいるよりはよっぽどいいんじゃないのか? 常に誰かの影を重ねられて生きるんじゃ、シンクのようにもなりかねないぞ」
「でも、でもぉ……」
「あまり意地の悪い事を言わないでくださいませ、アッシュ」
「ふん」

 ナタリアが出てくるととたんに勢いの静まるアッシュ。

「それで、どうする。捨て置くわけにもいかんだろう」
「あなたは随分とその、アーヴァインたちを信頼しているのですね」
「ジェイド・バルフォア。あんたも昔、キリエから聞いた事があるんじゃないのか?」

 わざわざバルフォアの名を持ち出すアッシュ。
 話がつかめなくて首をかしげる人々の中で、ジェイドの眼差しが眼鏡の奥で鋭く細まる。

「魔女とガーデンの名にかけて。奴等は決して誓いを違えない」
「……ええ。そうです」
「おまえは御堂霧枝の誓約者だろう?」
「かつての、ですがね。私の誓いは果たされてしまいました。すでに誓約は、キリエを縛るもの足りえません。あなたは――」

 彼にしては珍しく、僅かにすがるような響きを持ったそれを、アッシュは静かに待った。
 数秒が数分にも感じるほどの重苦しい空気の中、ジェイドはやっと口を開く。

「あなたは誰の、誓約者なのですか」
「俺はアーヴァインの誓約者だ。安心したか? 眼鏡」
「ええ、まあ。ちなみに、どのような誓約をしたのか窺っても?」
「それは野暮と言うものじゃないのか? ジェイド・カーティス」
「それもそうですね」
「それに、かつての六神将アーヴァイン・キニアスは、俺の師匠だ」
「ええ!! アッシュの師匠ってヴァン師匠じゃなかったのか! だって同じ流派の剣じゃないか!!」
「ヴァンの野郎には剣を習っただけだ。アーヴァインが剣は苦手だと言うからな」
「おや? たしか、記録にはローレライ教団神託の盾、特務師団長アーヴァインは、メインウェポンに剣を使用となっていたはずですが」
「調べたのか」
「ええ、まあ」

 ふん、と息をつき、アッシュは話すべきか否か考える。
 自分がヴァンから剣の手ほどきを受けた経緯は、アッシュとしてはかなり苦々しい思い出だ。
 ダアトに残る、強くなると言いはしたが、なぜ自分を誘拐した主犯格に手ほどきを受けねばならないのか、と。
 知識と経験を得れば得るほど、アーヴァインの剣が未熟であることは理解できたのだが、その未熟な剣に長い歴史が積み重ねてきた歳月の結晶である正統派の剣がまったく持って適わないと言うのも腹立たしい。

「……今はどうでもいい事だろう。それより、結局あいつはどうするんだ。決まらないと言うなら連れて行くぞ」
「そうですね。確かにどうでもいい事です。彼は――私達が連れて行くと、キリエにお伝え下さい」
「わかった」

 彼らの知るようになるのかはわからないが、順当に行けばトリトハイムを通してタトリン夫妻の預かりとなり、最終的にはアニスに育てられるとか否とか。
 かつてのアニスであるならばともかく、今のアニスであればさほど心配はしていないアッシュ。
 だからすでに躊躇いも無く、背を向けた。




























 帰り際になってアッシュは頼まれごとをしていた事を思い出した。
 くるりと振り返ればなぜかビクリと反応するルーク。
 それが面白くなくてアッシュの眉間に皺が増える。

 不機嫌2割り増し程度の迫力でざくざくと踏みしめて近づけば、僅かに身を引くルーク。
 これが、自分の成してきたことかと切なくなるが、表情には出さない。
 いや、出ていたのかもしれない。
 アッシュを見たルークはなぜかあわてて姿勢を正してアッシュに向き直る。
 正面から見てはいるが、そこはかとなく怯えたような雰囲気がある。

 去ろうとすれば共に行こうと言うくせに、近づいていけば怯えるのかとかつてのように吼えたくなるが、ここは我慢のしどころだ。
 別に怯えさせたいわけではないのだから。
 だからといって満面の笑みを浮かべるわけでもないが。
 今更そんな事をすればそれはそれで別の意味で混乱を引き起こすような気がするアッシュは、それなりに自分と言うものがわかっていた。

 ルークの前にアッシュが立てば、ルークはごくりと喉を鳴らして瞬き一つ。
 次の瞬間には何か決意をみなぎらせた表情をしていたのが面白い。
 くっ、と喉を鳴らしてわらえばルークがふてくされる。

「なんだよ、アッシュ」
「頼まれごとをしていた」
「頼まれごと! アッシュがパシリ!!」

 大げさすぎるほどの驚愕を見せるルークの頭をゴツンと一発殴りつけ、両手で頭を押さえて上目遣いで見てくる彼の前に、ついさっきまでは持っていなかったはずのバスケットを突き出した。

「なんだ、これ」

 おそるおそる、けれど一応受け取るルーク。

「これ、何処から出てきたんだ?」

 とアッシュの姿を上から下までぐるりと見るが、どう見ても今のアッシュに渡されたバスケットが隠れるような隙間は無い。
 アッシュの今の荷物と言えば、腰に下がって剣と逆の腰に結わえられている手のひらサイズの小さなポーチが一つだけ。
 そんな物にこのどっかりした大きめサイズ――はっきり言ってファミリーサイズのバスケットが入っているはずも無く、けれど手に持っていたわけでもない。
 クルリと振り返って目の前に来るまで確かに手ぶらだったから、どこかに置いていたわけでもないだろう。
 何処から出てきたバスケット。

 それだけではなかったのか、アッシュはそのまま自然にルークの隣に立っていたガイに向き直ると、またしても何処から現れたのかわからない第二のバスケットを彼に突き出した。
 反射的に受け取ろうと出されたての上にひょいとそれを乗っけるが、こちらはルークの物と比べれば随分と重い。
 ルークの受け取り方を見て油断していたガイの手は一度それを取り落としかけて持ち直した。
 こちらも立派なファミリーサイズ。
 ルークに持たせたものと微妙にデザインが違うがどちらも実用重視のバスケット。
 中身は何だと思うが、かすかに篭目から漂ってくるのは間違いなく食品の、しかもとてもおいしそうな香りだった。

 ますます訳がわからない。

 視線で答えを促してみるが、やはりと言うかアッシュは答えない。
 というか、この頑なさ、声を出して迫ったところでどちらにせよ答えはくれなさそうだった。
 だからルークはバスケットを片手に持ち替えて、蓋を開いた。
 ふわりと香る凄まじく嗅覚を刺激する旨そうな匂い。
 思わず胃袋が反応してキュルルと鳴った。

 そして目に入るのは、薄青い清潔な印象の封筒。

「手紙、かな」
「どれどれ」
「わっ、ジェイド」

 いつの間にか隣に忍び寄っていたジェイドが自然にそれを取り上げると中身を取り出す。
 三つ折にされていた薄い水玉模様の便箋を開けば、そこには流暢なフォニック文字。
 特にこれといった癖も無く、非常に読み易い。
 というか、教本でも見ているような文字だった。

 ふむ、と唸り、朗読するジェイド。

「『エンゲーブ産の地鶏が予想以上に美味しかったので多めに作りすぎてしまいました。よろしければ皆さんで食べてください。フィール・エヴァーグリーン』『未成年は、ワインを飲んじゃ駄目だよ〜、ちゃんとジュースも入れておいたからさ〜。アーヴァイン・キニアス』」
「へ?」
「だそうですが。アッシュ?」
「それならそのとおりなんだろう。俺はただ渡すよう頼まれただけだ」

 寄り集まってきたルークの仲間達がバスケットの中身を覗き込む。
 おいしそうね、と呟くティアは負けてられないとばかりに密かに拳を握りこみ、ナタリアは、すばらしい出来栄えですわ! と素直に賞賛した。
 わ〜いっぱいあるよ〜、とアニスはメニューを読み上げる。

 これはチキンサンドかな〜。あ、こっちはベーグルサンドだ〜、挟んであるのはチーズぅ〜? うわ、レタスもまだしゃきしゃきしてるよ? どうやって持ってきたのさこれ〜。すっご〜! デザートもあるよ〜!?

「おや、二枚目もありました。こちらは……メニュー表ですね。チーズとレタスのベーグルサンド。エンゲーブさんの地鶏と野菜とパンを使ったエンゲーブスペシャルサンド。お握り各種。チキンのから揚げに、ソース各種。スモークサーモンとたまねぎのマリネ。デザートはイチゴ尽くしで、ミルフィーユ、ムース、イチゴゼリー、イチゴタルト……すごいですね」

 自分に預けられたバスケットの蓋を開いたガイは、重さの正体だろうボトルを持ち上げ思わず喉を鳴らした。
 手紙にもワインの文字はあったが――ケテルブルク特産のアイスワインの赤。
 エンゲーブの辛口白。
 セントビナーのフレーバーワイン。

 忙しいし節約だし、そういえば最近はこういういいものを飲んでないなと思い出す。
 ワインの値段は、ガイの知識に照らし合わせても、どれも庶民のものではない価格だった。

 そのほかにもいわゆる未成年者への気遣いなのか、りんごやオレンジのジュースも入っていた。
 そのどれもが飲み頃温度に冷えているのを不思議に思う。
 どうやってここまでこの温度を維持して運んだんだろうか。

 冷蔵庫と言うわけでもないだろう。
 ボトルの表面に触れればジュースとワインで温度が違う。
 ボトルと一緒に詰め込まれていたおにぎりは、ちょっと触れてみれば冷えすぎて硬くなっているということも無い。  ますます摩訶不思議。
 これが音機関ならぜひとも仕組みを知りたいところだ。

「彼らは私達がここに来る事を知っていたのでしょうか」

 その問いに、アッシュは少しだけ答えを考えた。
 ジェイドの事だ。純粋にこの差し入れに対する事だけの質問ではないだろう。
 よくよく監察してみれば、アッシュの行動にはまるで先を知っているかのような不自然さがあった。
 何気なくそれを追求しているのだろうが――

「知っていても知らなくても問題は無い。会わなかったら、こっちの夜食になるだけだ」
「それもそうですが、これだけの量を……」

 差し入れに絡ませて遠まわしに聞いている限り、答えは得られないだろう。

 この差し入れにしたところで、会うか会わないかも判らない者たちに渡すために持ち歩いているのだとしたらそれこそ大変だ。
 邪魔になってしょうがない。
 そう思うし、実際そうなった場合幾ら既知といえどもアッシュが請け負うとも思えなかった。
 一人で行動している、と言うことは荷物もちも自分と言うことだ。
 戦いの邪魔になる余計なものは持ち歩けない。筈なのだが。

 実際アッシュは知っていた。
 彼らがここを訪れる事を。
 だがそれは、アッシュが彼らに伝えていい事だとは思えなかった。
 彼等が知る先見も、ヴァンを倒してローレライを解放するまでの事で、その先の事は一切しらない、それこそ預言も無ければ彼らの魔女の先見もないまさに未知の世界が広がるだろう。
 口に出してヘタな問題を持ち上げる意味も見出せなかった。

 書面は気遣いのいい訳めいても居るが、オールドラントの地鶏の美味しさにフィールが感動していたのも事実だし、多めに作りすぎたのも事実だった。
 アーヴァインとフィールが協力して四人分の食事を作ったのだが、作った後でキリエが食べられない事を思い出し、そうだどうせなら多めに作って彼らに渡そうということでこの騒ぎ。
 アッシュにしてみれば別にこいつ等に渡さなくても、アルビオール操縦者ギンジでも良かったし、漆黒の翼の彼らに渡しても良かったと思うのだが、彼らにしてみればむしろそっちの方が思いつかないことなのだろう。
 そっちはそっちで別口で既に料理を用意してあったと言う用意周到さ。
 割合的には男の密度が増えたのに、どうして料理の質が上がるのか。つくづく不思議だ。

 アッシュは詳しくは知らないが、キリエに関しては何故だかジェイドと親交があるようでもあった。

 ジェイドとピオニーとディスト。
 本名はサフィールと言うらしいが。
 類は友を呼ぶとは言うが、アッシュは彼等三人とも変人だと思っている。
 ネフリーと言うあんな兄が居るとは思えないほどごく普通で真っ当な感性の持ち主である妹が居ると知ったときは、驚愕を受けたほどだった。

「用件はそれだけだ。じゃあな」

 言って背を向けようとすれば、興味津々の女性陣たちにバスケットを奪われて手ぶらになったルークが大きく手を振った。
 それを視界に留めて僅かに歩を止める。

「アッシュー! ありがとうって伝えておいてくれよなー!!」

 叫ばなくても聞こえる、とそう思いながらも、判った、と返して背を向けて、頭の横でひらひらとやる気無く手を振り返せば、やたらと驚愕した気配が伝わってきて、密かに額に青筋を浮かべたアッシュだった。





 わいのきゃいのと二つのバスケットを囲んで騒がしい女性陣。
 何処で食べるか何時食べるか。
 きっと彼らはあの三人組の、ただ一人の女性であるキリエが造ったと思っているだろう。
 例えメモ書きが彼女のものではなかったとしても。
 とても男が二人掛りで作ったとは思えないとても魅力的なお弁当。

 それを脇に置きながら、去るアッシュの背中を見送っていたルーク。

 今日はなんだか珍しい事がありすぎて驚きっぱなしだ。
 どうしたアッシュ?
 きっとそう問いかければまた殴られるんだろうと思うから聞きはしないがほんとどうしたアッシュと聞きたい。

「つーか、さ。アルビオール、無いよな」
「……そうだな」

 ポツリと呟けばポツリと言葉が返された。
 こちらもやはりバスケットを奪い取られたガイラルディア・ガラン・ガルディオス。
 またの名を3Gと言う。

 自分達より先に来ていたアッシュ。
 後から来て、アブソーブゲートに辿り着くまで少し周囲を探索していた自分達。
 その時にもアルビオールを見なかったし、今も、あの飛行譜業がどこかで飛び立つ様子は見られない。

「あいつ、どうやって帰るんだろう……」
「さあ」

 なんともいえない沈黙の向こうで、ジェイドが一人眼鏡を押し上げていた。









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