言の葉の行方



 タルタロスに乗せられようとしていたティアに簡易に事情を説明し、彼女が乗り込まないと分ったとたんに襲い掛かってきた神託の盾兵士を蹴散らしてアクゼリュスの坑道へ向かうアッシュとアーヴァイン。
 利用されたタルタロスに乗り込んでいた兵士たちは振り切ったが、向かう先にはまたしても神託の盾の兵士が道を塞いでいた。
 そしてその間に紛れ込む少数の魔物たち。

 可笑しい話だ。
 アリエッタはすでにヴァンの側にはいないのに、ヴァンの側の意思を汲み取って行動する魔物が居る。

 息を呑み、強く杖を握りこむティアに僕は言った。

「ここは引き受けるから、先にいって」
「でも!」
「この程度僕の敵じゃないよ。アッシュ、頼んだよ〜?」
「ああ」
「道を明けるから、振り返っちゃダメだよ?」

 頷くアッシュを見届けて、僕は魔法を唱えた。

「トルネド!」

 GF達に底上げされた高い魔力によって暴風が吹き荒れる。
 人間なんて簡単に吹き飛ばせるほどの風だ。
 それは坑道の壁に幾人もの兵士や魔物を叩きつける暴風だ。

「――行くぞ」

 躊躇うティアの手首を掴んで走って行くアッシュ。
 トルネドの暴風をやり過ごした兵士が立ち上がってくるが、邪魔はさせない。

「だーめだめ。僕が相手だよ〜?」

 そういって、彼らの前に立ちふさがる。
 邪魔はさせない。

「六神将がヴァン様に逆らうと言うのか」
「ま、そういうことかな?」
「……邪魔だ。どけ!」

 いつものように肩をすくめて見せれば、馬鹿にしたことは伝わったんだろう。
 切りつけてきた一人を、僕は剣の腹を使って弾き飛ばした。
 壁に叩きつけられる神託の盾の兵士。
 まだ、人を斬るのにはなれない。

「この場合、決死の覚悟はかっこよくないよ? それに、僕が相手って言ったはずだよ。僕を倒さなければ、ここから先には進ませない」

 そう言って、今度は僕のほうから彼らに向かって剣を向けた。
 今度は躊躇いを捨てて、切っ先を向けて。

 僕はさっき、あのトルネドを使ったとき、一つのとても嫌な確信を手に入れていた。

 いやに音素乖離の早い魔物。
 まるでレプリカのように。

 魔物は人よりも音素バランスが不安定だ。
 人よりも音素に還りやすい性質を持っているけど、変異種とかじゃない限り、死ねば必ず乖離するわけでも無い。
 死んだら全て乖離してしまうなら、この大地の上に命のサイクルは生まれない。
 狩を必要とする魔物自体が存続できないし、生命は直接大気から音素を摂取できなければ生きられないことになる。

 魔物の全部がそうと言うわけじゃないけど、魔物は音素情報が人より不安定な種も多いからね。
 音素に敏感な魔物のレプリカは安定しないことが多い。
 アリエッタを引き込んだら、魔物については安心してもいいかと思っていたけど、そうも行かないらしい。
 いつ、これだけ安定したレプリカを作れるようになったのか知らないけどこれは厄介だね。

 今まで一度はアリエッタを介さなければ使えなかった魔物たちが、ヴァンの自由になる。
 刷り込みによって今まで以上にヴァンに従順な魔物が生まれる。
 量産は出来なくても、手段としての使い道はそれこそ幾らでもあるからね。
 アリエッタ自身がそうしていたように、人に翼はなくても魔物の翼を借りて空を飛ぶことも出来る。
 魔物たちは強靭だ。
 人一人運ぶくらい、生まれたばかりのレプリカでも出来るだろう。

「厄介だね〜」

 朱に染まったその場所の、ところどころから乖離する魔物の光が立ち上る。
 第七音素の光が。

「急がなくちゃね」

 剣を鞘に収めると、僕も坑道の奥に向かって駆け出した。
 一分一秒が惜しかった。











 アーヴァインと分かれた先で再び襲撃に遭っていたアッシュ。
 アーヴァインがそうしたように、アッシュもティアを先に送り出し、残って応戦していた。
 敵のメインは魔物。
 恐らくは魔物のレプリカ。
 地上がどうなっているかなど、もう考えたくも無いことだった。
 恐らく、アクゼリュスが崩落などしなくても、もはや無事では無いだろうことは簡単に予想がついた。

「くそっ、間に合わないのか」

 ある程度数を減らしたところで見切りをつけて、アッシュは坑道の奥へと駆け出した。
 全てを相手にしていられない。
 苛立ちも露にアッシュが自分のレプリカ――ルークに向かって回線を開いた。











 アッシュの周りに立ち上る淡い光が回線を繋いでいるのだと僕に知らせる。
 見つけたアッシュは傍から見てると走りながら頭を抱えて黙っているようにしか見えないけど、もしかしたらアッシュの脳内では鍛えられた見事な罵詈雑言が翻っているのかもしれない。
 まあ、逆効果だろうし、あまり使っているとは思えないけど、一体どういう会話を試みているのかは不明。
 アッシュには悪いけど、今のルークにはアッシュの言葉を受け止める心の余裕があるとはとても思えなかった。

「そこから先に行くのはよせっ!」
「……思ったことが口から出てるよ〜、アッシュ〜」

 意識、精神のみの会話に慣れていないことと、多少興奮していることも有るだろうね。
 早く早くって、気ばかりが急いちゃうときってあるし。

 反射的に口から出た言葉に、アッシュがこっちに気がついたみたいだった。
 入り口の方から次から次に進入してくる魔物たちを数匹譜銃で叩き落して駆け寄る。

「ちっ……、あの髭野郎、ルークの奴になにか変な入れ知恵しやがったみたいだ」
「不味いねぇ。なんていうか、ここまで行動が結果に出ないのも久しぶりって言うか……」

 目を放した隙に公式の先遣隊は殺されていたと報告が入った。
 六神将の半分とプラスアルファがこっち側にいるから、もう少し何とかなるかな〜って思っていたけど、思ったより状況は厳しいみたいだ。
 ヴァンが来る前に始めていたアクゼリュスの人間の避難はヴァンが来てから止まっている。

 介護している人間や頑なに残ることを主張する人間を外して、まずは体の動ける人間と軽症で、アクゼリュスを離れたいって言っている人から順に避難させていたけど、積極的にアクゼリュスを離れようとしている人たちのうちでもまだ三分の二しか避難できていない。
 アクゼリュス全体の住人からみれば決して多いとはいえない数だ。

 特務師団を使ってフーブラス河にかけた即席橋も落とされたしね。
 逃げることに成功した人たちについては心配していないけど。
 途中途中に兵士を配置して、護衛と炊き出しはしている。
 最終的な目標地点はケセドニアだけど。

 アスターに受け入れ要請をして、受理されている。
 まあ商人らしいやり方でだったけど。
 僕にはそもそも損が無いから。

 ぼくらはアクゼリュスにとっては救助する立場の人間で、ヴァンと同じ組織に所属していることは一目で分るだろう。
 そして階級的にはヴァンの方が上位者だ。
 僕の言うことと、ヴァンの言うことは恐らく違うはずだ。
 アクゼリュスの住民を丸め込むぐらい、恐らくヴァンには容易い。

 特務師団にはヴァンとは決して出会うな、というのも命令として出している。
 証拠隠滅のために殺されかねないしね。
 ヴァンが着いたら引き上げの準備をし、後に構わず避難している住民を保護をしながら準備が終わり次第引き上げろ、と伝えた。

 崩落は避けられない事態だろう。
 この場に居るからには無事で居てくれることを祈るしかない。

「とにかくまずは行ってみようか。後手に回るのは悔しいけどね」
「ああ。ここにいてもしょうがないからな」

 黙っていても何も変わらない。
 進んだからっていいことがあるとは限らないけどね。
 暗闇で目を凝らすことすらやめるようなまねだけは、絶対にしたくない。
 だから手探り足探りで光が見えなくても、僕たちは進む。

 頷きあって、僕らはアクゼリュスの奥、地の底深くに向けて方向を定めた。











「奥に行くんじゃねぇ! 取り返しがつかねーぞっ! 言うことを聞きやがれっ!」

 走りながらの通信のために精神の集中が出来ないのだろう。
 思考が外に漏れ出ている。
 言葉は乱暴で、僕も納得の反駁精神を呼び起こされる内容だったけど、確かに今はこまごまと話して聞かせる余地が無いのも確かだった。
 相手が聞くかどうかはまったく別の問題だけどね。
 ヴァンに何を吹き込まれたのかしらないけど、なんだか妙に頑なになっちゃっているみたいだから。

 聞かなくても、一秒二秒でも相手が反論する分だけの時間稼ぎにはなるだろう。

「やめろ! 行くんじゃねぇっ! アクゼリュスを滅ぼすつもりか! ――っち、回線が切れた」
「こうなると本当に現場に言ってみるしか無いね」

 舌打ちを残して駆け出したアッシュ。
 僕はその場に残って押し寄せてきた魔物たちを銃撃する。
 中距離から遠距離は、エグゼターがなくても銃さえあれば、僕のテリトリーだ。
 やっぱり剣より銃のほうがいい。

 とりあえ第一波の始末をつけると僕もすぐにアッシュの後を追いかけた。




「ティア! どうしたんです、この騒ぎは……」
「大佐! 先遣隊が殺されていました!」

 眼鏡のマルクト軍大佐の声に、ティアの叫びが聞こえる。
 木霊して聞こえる声はぼんやりしていて距離が掴めない。
 それなりに距離がありそうだった。
 天井から落下してきたモグラの変種みたいな魔物を飛んで避けると弾丸を撃ち込む。
 これで何秒タイムロスだろう。
 僕は音素のコントロールがうまく無いから、譜銃はあまり速射できない。
 ほんと、こんなときくらいけちけちしないで実弾銃持って来ればよかったよ。

「タルタロスを拿捕した神託の盾が待ち伏せして、先遣隊を始末したようです!」
「それで先遣隊の姿がなかったのか。やはりアクゼリュスの救援を妨害するために……」
「いえ、彼らは私を連れ去るために、兄に命じられて停泊しているんです」
「どういうことです?」
「先程、第七譜石を確認しに行った時――結局あれは第七譜石ではありませんでしたが、とにかくあの時、私は神託の盾にさらわれそうになりました」
「どうしてあなたが……」
「兄です! 兄が私を巻き込まないために……! 兄はどこですか! 兄は恐ろしいことを実行しようとしています!」

 早口で捲くし立てる声がだんだん近くなる。
 その二人のところに駆け込んでいくアッシュの背中に追いついた。

「おい! そんなとこで喋ってる暇があるなら、あの屑をどうにかしろ! 死ぬぞ!」

 叫びながら駆け抜けていくアッシュは、二頭の飛行型の魔物に追われていた。
 ほんとうにこの狭い坑道の中で器用に飛ぶもんだよね。
 狙いをつけて、打ち落とした。

「彼が! アッシュが教えてくれました! 間違いありません。……兄さんは……」

 彼らの横を、通り過ぎる。

「……兄さんは……アクゼリュスを消滅させるつもりなんです!!」




 パッセージリンク。
 その根元に駆け込んだときには、もう終わっていた。




「くそっ! 間に合わなかった!」

 駆け込んだアッシュが憎らしげに吐き捨てた。
 辺りの様子を窺えば、もうすでに崩落は始まっている。
 ここはもう長くは持たないだろう。

「アッシュ! 何故ここにいる! 来るなと言ったはずだ!」
「……残念だったな。俺だけじゃない。あんたが助けようとしてた妹も連れてきてやったぜ!」

 ヴァンが黙って指笛を吹く。
 二頭の飛行型の魔物が飛んできて、ヴァンを、そしてアッシュを崩れかけた大地から宙へ拾い上げる。

「……放せ! 誰がてめぇなんかに!」

 アッシュが自分を掴む魔物の嘴を殴る。
 けど魔物はヴァンの命令を忠実に守って放さない。
 刷り込みを施されたこれも魔物のレプリカなのだろう。
 僕が知っているアリエッタのお友達とは違う、ガラスのような目玉をしていた。

「イオンを救うつもりで用意したグリフィンだったが、仕方がない。お前を失うわけにはいかぬ」

 魔物がアッシュを連れ去ろうとする。
 もうすでにかなりの高度があった。
 譜銃で狙いを定めるけど、当たるかどうか、分らない。
 そして放った弾丸は、魔物の腹から血を流させたけどひるむ様子も見せなかった。

「うっわ〜、冗談でしょ」

 痛みの回路を切断されているんじゃないかと疑ってしまう。
 あれじゃ魔物ですらない。
 生きた機械だ。

 召還獣でも呼ぼうとした時に、ティアをはじめにルークの旅の同行者達がこの場所になだれ込んでくる。
 そしてちょっと目を放した隙に、アッシュが遠くまで連れ去られてしまう。
 効果範囲を、過ぎてしまった。
 ヴァンも、微妙に射程の外だった。

「兄さん! やっぱり裏切ったのね! この外殻大地を存続させるって言っていたじゃない! これじゃあ、アクゼリュスの人もタルタロスにいる神託の盾も、みんな死んでしまうわ!」
「……メシュティアリカ。お前にもいずれ分かる筈だ。この世の仕組みの愚かさと醜さが」

 馬鹿みたいだ。
 見えた愚かさと醜さを否定するだけなら子どもと変わらない。
 壊すことで否定するしか能が無いなら黙ってみていろ。
 どんな世界でも、どんなに醜くて愚かでも懸命に生きている人間はいて、少しでもいい場所にしようと努力する人間が居る。

「それを見届けるためにも……お前にだけは生きていて欲しい。お前には譜歌がある。それで……」

 視野狭窄の馬鹿。
 スコールよりずっと馬鹿だ。

 言いたいだけ言い残してヴァンは飛び去ってゆく。
 崩落に巻き込まれて潰れちゃえ頭にくるな〜。

「まずい! 坑道が潰れます!」

 叫び声が聞こえる。
 臨界が近い。

「私の傍に! ……早く!」

 ティアが叫びが聞こえる。
 たしか、ユリアの譜歌って奴が使えるんだったっけ。
 気を失ったルークを抱えて僕もその中に便乗させてもらった。

 不安だったから上からプロテスを重ねがけする。
 まあ、何とかなるだろう。

 時間も空間も、崩れていくものを見るのは、いつでも悲しい気分になる。
 時間圧縮の中の、壊れていく時間と世界を見ているような気分にさせられるから。
 時間だけを見るならもう遠い過去に等しい。
 けど、僕の中ではまだまだ、過去にはできない出来事だった。



















 ただそれは呆然としている、と言っても間違いじゃなかっただろうね。
 死霊使いだけはまあ、内心で何を思っているにしても平静に見えたけど、傍観している気持ちも分る。
 今は何を言ってもしょうがないときだもん。
 すぐ近くにタルタロスもあるし、逃げようと思えばいつでも逃げられる。

 早くアッシュのところに行きたかったんだけど、ここからならユリアシティ、かな。
 そこまでGFで飛んでいくのは厳しかったから。
 アッシュのことは、心配しているけどしていない。
 ヴァンがわざわざ生かそうとしたんだから。
 生きてはいるだろうと思っている。

 ふと、一つの気配が変わったのを感じた。
 見れば眠っていたルークが、ぼんやりと目を覚ましていた。

「おはようかな? ルーク」
「ご主人様! よかったですの!」

 小動物が飛び跳ねる。
 微妙にムンバを思い出させるんだけど……僕はムンバの方が好きかな。

「ここは……」

 ルークは辺りを見回し呟いた。
 言いたいことはだいたい分るよ。
 僕に毒物は効かないけど、それでも呼吸を躊躇うくらいにはひどい瘴気だった。
 周りじゅうが紫色に染まって見える。
 空気が紫色なんだから、空も紫色で、視線を落とせば泥の海。
 僕たちはその泥の海に浮かぶ砕け残った僅かな大地の上にかろうじて立っているにすぎない。
 大きいからまだ浮いているけど、何時沈むか分ったものじゃない。

 辺りには事切れた鉱夫の姿も見える。
 誰が見ても一目で分る遺体の損傷具合だ。
 世界は紫にけぶり、辺りには無数の屍が転がる。
 こんな地獄の光景、って形容するのにふさわしい光景を見るのは久しぶりのことだった。

「……くそっ、一体、何が起きたってんだよ…………」
「何が起きたのか、ボクには分からないですの……」
「俺たちアクゼリュスの崩壊に巻き込まれて……地下に落ちたのか? 他に生き残りはいないのかよ……」

 項垂れるミュウに続いて、ガイラルディアの声がする。
 彼の声も、動揺していることがすぐに読み取れた。
 覚悟を持ってなきゃ、するなって言う方が無理だと思うけどね。

「ティアがあの譜歌を詠ってくれなければ、私たちも死んでいました。あれが、ユリアの残した譜歌の威力か……」
「……ここは魔界? こんな形で訪れるとは……」

 呆然と辺りを見回す導師イオンの呟き。
 その側ではアニスが安堵の息を吐いていた。

「くりふぉと……?」
「……いずれご説明します。今は少しでも生き残っている人を捜したい……」

 青ざめ、憔悴した表情をしているナタリア王女。
 鉱夫の人の脈と息を確かめて、首を振る。

「……もう亡くなっています。助かったのはわたくしたちだけなのでしょうか……」
「……取り返しのつかないことになってしまったわ。守りきれなかった……」

 世界の命運すら賭けたせめぎあいの中で、ただの一個人に一体どれだけの事ができて、一体誰を救えるって言うんだろう。

「誰かいるわ!」

 ティアが、叫んだ。
 そっちの方に目を向ければ、責任者だからって逃げることを拒んでいたパイロープとかいう鉱夫と、その下にかくまわれるように、とうちゃんが逃げないならおいらも逃げない、って言っていた子ども、少年がいた。

「父ちゃ……ん……。痛いよぅ……父ちゃ……」

 泥の上に浮かんだ戸板の上に居る親子。
 パイロープの方はすでに事切れているだろう。

「お待ちなさい! 今助けます!」

 叫び駆け寄ろうとするナタリアの腕を、ティアが掴んで止める。

「駄目よ! この泥の海は瘴気を含んだ底なしの海。迂闊に入れば助からないわ」
「ではあの子をどうしますの!?」
「ここから治癒術をかけましょう。届くかもしれない」
「おい! まずいぞ!」

 戸板が、ゆっくりと泥の海の中へ沈んでいく。

「いかん!」

 叫びばかりが繰り返される。
 どうしようもない。
 どうしようもないこと。
 二次災害を引き起こすだけ。

「母……ちゃん……助け……て……。父ちゃん……たす……け……」

 救いを求めるようにジョンは片手を差し伸ばす。
 母に向かって、父に向かって。
 この少年に、助けを求めることが出来る父と母がいることが、少し羨ましかった。

「譜歌でも歌って、結界でも張っておいたほうがいいよ。きっと盛大に跳ね散らかすからさ」

 そう言って、僕は泥の海に向かって砕けた大地の欠片を蹴った。
 フィールみたいに、鞭が使えればよかったんだけどね。




 背後から何か叫びが聞こえたけど気にしない。
 飛び込む直前にレビテトをかけたけどやっぱり沈んだ。
 泥は蹴れないからね〜……。
 それでも二、三秒は浮かんでいたから凄いと思うよ。

 その二、三秒の間にジョンを回収して――一緒に沈んじゃったわけだけど。
 足場にしようと思っていた戸板が地殻の振動で沈んじゃったんだよね。
 しょうがないから使うつもりの無かった手段を発動させる。
 そのために結界を張っておけって言ったんだけど。

 まあ、言っちゃ悪いけどジョンが意識を失っているのは好都合。

「うけとってね〜」

 プロテスをかけて物理的にジョンに対する泥の進入を阻止すると、陸に向かって放り投げた。
 苦労性の使用人があわてて両手で抱きとめる。
 ナイスキャッチだ。

 そして、後はどうやって僕が抜けるか、と言うことになるんだけど。

 向こうの方でもどうやって僕を引き上げようかってことで話題になっているみたいだった。
 でもまあ、自分ひとりなら当てはあるんだよね。
 死ぬつもりなんてさらさら無い。

「せ〜の……トルネド!」

 自分の足元にトルネドの魔法を使って泥ごと体を跳ね上げる。
 時々こういう使い方するけど、何度やっても心臓に悪い感じだ。
 自分で跳ぶのと跳ばされるんじゃ飛距離は同じでも心構えが違うって言うかなんというか、ね〜。

 微妙に縦回転がかかってくるくる回る視界に、飛び跳ねる泥の間からぽかんとしているルークたちの表情が目に入った。
 人を驚かせるのは結構好きだよ。
 まあ、今回はやる気でやったわけじゃないけどね〜。

 それでもちゃんと警告を聞いて譜歌による結界を張っていたみたいで、泥は弾いている。
 僕も一度その結界に弾かれて、結界の外の地面に着地した。
 泥の飛散が止んだと同時に解かれる結界。

「その子、ちゃんと生きてる?」
「あ、ああ……」

 ジョンを抱えたガイラルディアが放心気味に呟いた。

「それは良かった」

 気体である瘴気だけなら、まだ防げていた。
 けど、この泥の海に浸かって全く無事で居られるかは、正直自信が無かった。
 僕もフィールも、この世界に来たときに、軽度のものではあるけど音素による障害が出ていた。
 体に害が出ていたのに、それを念具やGFたちは毒と認定しなかった。

 確かに毒じゃないんだろうけど。
 瘴気ともなれば確実に毒といえるけど、その毒の元もそもそもが害がありながら毒に認定されなかった音素が元だ。
 魔力の世界と音素の世界の差異とも言えるね。

 それで言うなら、この泥の海は高濃度の音素の海でもあるわけだ。
 瘴気を弾くなら、この泥の海の中でも大丈夫だろうとは思ったけど――絶対とはいえ無い部分があった。
 まあ、今回のことで大丈夫だろうと言う確信は得られたけど。
 最大の被害は付着した泥の汚れと、口の中に入った不味い味だ。

「ねえ、ここも落ちそうだしさ、タルタロスに乗らない? 緊急用の浮標が作動しているようだしさ」

 それに何より、あの中なら口を濯げる飲料水があったはずだった。









 案の定、というか、中は神託の兵士の死体がゴロゴロ転がっていた。
 崩落の衝撃で跳ね飛ばされたんだろう。
 天井にも、壁にも凹みや傷や血痕がある。
 なかなか悲惨な有様だった。
 船体が丈夫なのはいいけど、中の人間を守れない丈夫さではあまり意味が無いと思う。

「この世界――魔界にはユリアシティという街があるんです。多分ここから西になります。とにかく、そこを目指しましょう」
「詳しいようですね。この場を離れたらご説明をお願いしますよ」

 ジェイドがティアに向けているまなざしは、何故知っているのか、って暗黙のうちに尋ねる目線だ。
 艦は泥の海を進み始めた。
 聞かなきゃ答えてくれないよ?
 聞かれなきゃ答えたくないことなんて一杯有るんだからさ〜。

「先程のあの子……助けらて良かったですわ……。感謝します」
「べつに、ね〜」

 ナタリアが言った。
 感謝されるほどのことでも無い。
 今は別室に寝かせられているあの子が生きていると言う事実が手元に残った。
 それでいいんだ、僕は。

 甲板から見る世界は見渡す限り死の世界だった。
 瘴気でけぶる紫色の空には、時折雷らしきものが閃いている。
 雷も、大地も人も、同じように全て平等に飲み干す泥の海。

「……本当に良かったです。もう、駄目かと思いましたから。僕からも感謝します。六神将・覇者アーヴァイン……」
「まあ、神託の盾騎士団の将の一人としてはどういたしましてってところなのかな〜」

 ぼんやりと思う。

「……兄さんを止めることさえ出来ていれば、アクゼリュスの人たちも犠牲にならずに済んだのに……」
「止めることができても、悲劇は起きたよ」
「え?」

 ぼんやりとした空を、ぼんやりと眺める。
 ユリアシティにつくまでは、まだ随分と時間が有るようだった。

「キムラスカ王家にもたらされた第六譜石。あの欠けた先の預言を僕は知っていた。そこには、アクゼリュスの崩落が読まれていたよ」
「そんな、まさか!」
「本当さ。……住人の七分の一くらいはアクゼリュスを出てケセドニアに向けて避難しているよ。ケセドニアの受け入れについては話がついている」
「随分と、手回しがよろしいのですね」
「僕は預言を信じて無いんだ。絶対に当たる、なんていわれたって、僕にとってはちょっと信頼性が高い情報っていうだけの価値しか無いよ。ここの人たちはさ、明日西で死ぬでしょう、って言われたら素直に西に歩くわけ? 僕なら意地でも東に行くね」

 極論だろうとは思うよ?
 特に今まで預言に従っていた人たちにすれば。
 だってこれはありえないはずの、詠まれても知らされないはずの死預言を前提にした話だ。
 でもさ、そういうことだと思うんだよね。

「もしだよ。もし、この預言がアクゼリュスにもたらされていたら。どうなると思う?」

 僕は尋ねた。

「混乱する……か?」

 真っ先に答えたのはガイラルディア。

「妥当ではあるけどひねりが足りないね」
「否定する人間と、肯定する人間が現れるでしょう」

 次は死霊使い。

「あるいは預言にアクゼリュスを離れることが詠まれていないから、という理由で、アクゼリュスを離れようとしない人間も現れるでしょうね」
「教団は死預言を詠まない。だから嘘だ、って言う人間も出てくると思うよ?」
「事の真偽をめぐって、少なく無い諍いも起きたでしょうね」
「荒くれ者の町だからね。預言の知らせ自体が死者を生むことも無いことじゃないと思うよ?」
「結局、崩落に巻き込まれて死ぬ人間は避けられないと言うことですか」
「そういうことかなぁ」

 預言、預言、預言。

 預言って詠んでもらうのにもお金がかかるから。
 貧乏な人たちより有る程度裕福な人たちのほうが依存度は高い。
 けど、貧乏でも敬虔な教団信者は誕生日にだけでも預言を詠んで貰おうとする。
 そして、その安い金で買った曖昧な預言を後生大事に抱えて意味を読み取ろうと抱えて、日常の中であった出来事に曖昧な言葉を当てはめて納得する。
 第六譜石の続きが出回っても、アクゼリュスに残る住民も大勢でただろう。

 死も争いも、自分の預言に詠まれていないって。
 死んでからじゃ、気付くこともできない。

「そうしてアクゼリュスは滅びました、ってね〜」

 せめてふざけた僕に帰ってきたのは、ルークの叫びだった。

「なんだよ! 訳わかんねーよっ! 俺と師匠は瘴気を消そうとしただけなんだ! ……消そうとしただけなんだ……」

 声が泣いている。
 訳がわからないって、自分を正当化するようなことを言って、でも、この子は薄々は分かっているんだろう。
 判っていなかったら、あの子は必死になって己を正当化する理由が無い。

「そうだね。君は確かに瘴気を消そうとしたんだろう。けど、瘴気を消したかったのは君だけで、君の師匠はアクゼリュスを落としたかった」

 どんな言い方をしても、この子の心に今回の出来事は残るだろう。
 辛い思い出として。
 アクゼリュスの人間が少しは避難していたといっても、それでも多くの人間が間接的にルークの力によって殺されたともいえる。
 そしてこの子は、それを理解しているだろう。
 でなければ何一つ、こうして戸惑うことも無い。

 僕は真っ直ぐににルークの所に近づくと、素早く譜銃をぬいてルークの額に押し付けた。
 使用人や死霊使い、王女様たちが殺気立って武器を取る。

「BANG」

 口で音を呟いて、ひょい、と銃口を跳ね上げる。
 引き金がかちりと音を鳴らしただけで、音素を篭めなければおもちゃと変わらない。
 ずるり、と腰が抜けたのか座る込むルーク。
 なんか罪悪感が押し寄せてくる。

「今僕が、この銃で君を殺していたら、責められるべきは何だろうね」

 銃を責める人間が居たら嗤っちゃうよ。
 銃を作るのも、銃を使うのも、人間しかいない。

「僕を責める人間はいても、銃を責める人間は居ないと思うよ? ……あの場で君は銃だった。ヴァンと言う人間の手に握られた銃だった。君のせいじゃない」
「……でも、おれ……俺は……」

 彼はあの場で銃だった。
 けれど心と記憶を持つ銃だった。
 自分の妄信が何を招いたのか、気がつきたくない半面で気がついている。
 憐れだと、僕は思う。

「仕方ないとは言わないよ。君は意思を持つ銃だ。そして並じゃない膨大な破壊力を持つ銃だ。意志なき力は悪になる。君にも責任がないと言うつもりは無いよ。けど、それは自分の意思を簡単に他人に預けてしまったことだ。アクゼリュスを落としたのは、あくまでも、ヴァンの罪科だよ」

 幼くて、幼稚で無知な七歳児。
 でも、何時までも君はそうしている訳には行かないんだ。
 君の中身が七年しか生きていないなんて、外側を見ただけじゃ人には伝わらない。
 付け焼刃でも、外見なりの言動と行動を身につけられなければ、これからもっと傷つくのは君以外の何者でもない。

「過ぎたことを言っても仕方がないわ」
「ティア……」

 これが、ティアにとって本当に自分の肉親が敵になった瞬間だったんだろう。
 感情を押し殺した声。それに何を感じたのか、ガイラルディアが気遣わしげに彼女の名を呟く。
 肉親を思いつつも、切り離した瞬間なのかもしれない。

「そうですね。それよりもヴァンの意図が気になります。預言に崩落が詠まれていたなら、なおのこと、なぜ彼はこのようなことを……」
「分かりません。……でもあのような形でアクゼリュスを崩落させることだけが、ヴァンの考えの全てだとは思えないのです。まだ、何かこの先が……」
「これ以上の被害は絶対に食い止めなければなりませんわ」
「ええ……。今度こそ兄を、兄さんを止めなければ」

 息巻くナタリアに、決意を交えてティアが言う。
 まあ、地の底から叫んでいる限りヴァンにとって脅威でもなんでもないだろうけど。
 負け犬の遠吠えみたいだ。

 何年もかけてヴァンの動向を探っていたのに結局この有様だと思えば、負け犬って言っても間違いじゃないかと苦笑が漏れた。









 魔界と外郭大地の解説がされているのを黙って聞く。
 心配していないとか思ったけどやっぱりアッシュのことが心配だった。
 魔界の瘴気や泥が害をなすことはなくても、やっぱり途中で落ちちゃったりしたらただの水と違って泳げないし。
 ぼーっと説明を聞きながら、アッシュ大丈夫かな〜って考えていた。

 魔界には、じつは一度下りたことが有る。
 ユリアロード経由じゃなくて、ホドの落ちた穴からだけど。
 目新しいことも話も、とりあえず僕には無かった。

 アクゼリュスがどうして崩落したかって言う話になって、セフィロトの話が出たときに、とうとうルークが責任逃れと、責任転嫁を――口にしてしまった。




 君がアクゼリュスを落としたのは、事実だ。
 たしかにその時、全ての視線が君に集まった。
 けど、それは君を責めるだけのことだったのかな。

 ただ事実確認の為に、君を見ただけに過ぎないよ。
 ティアがちゃんと言っている。

『あなたは兄に騙されたのよ』

 騙された、と言うだけで、騙す方より騙される方が悪いなんていっていない。
 言われたのはただ騙されたと言う事実のみだ。
 誰も君に、アクゼリュス崩落の責任を取れなんていっていない。

 みんな、君を責めているように、君には見えているんだろうか。
 確かに、今君は責められているんだろう。
 責任転嫁の反駁をしたことを。
 キムラスカにもヴァンにも捨てられて、追い詰められて、逃げたい気持ちだって理解できないわけじゃないけど、やってはいけない時があるんだ。

『誰も教えてくんなかっただろっ! 俺は悪くねぇっ! 俺は悪くねぇっ!!』

 とうとう言ってしまった、って言う気分になった。
 確かに誰も教えなかっただろう。
 誰も知らなかったんだから。
 君が知らないことすら知らなかった。
 誰もそれについて君を責めていたりしない。
 ただ、信じていたヴァンに裏切られ、捨てられたと言う一つの事実を受け入れろと言っていただけだ。

 そしてついさっきまで、君は君だけの罪を持っていなかった。
 止められなかったのは全ての人間の罪だった。

 ヴァンに意思を預けた君の罪、簡単に封咒を解いてしまったイオンの罪。
 守護役と護衛なのに側を離れていた二人。
 ガイはヴァンの主であり、ティアはヴァンの妹だった。

 止めようと思えば、もっとも止められる可能性が高かった彼らの無知も罪。
 咎められる罪を持ちながら、彼らは一言だって反駁しない。

『俺が悪いのか?』

 ルークがそう言った時の沈黙の意味を悟れと言うのは、七年間屋敷の中しか知らない子供には酷なことだろうか?

 アクゼリュスを落としたのは君だけの罪じゃない。
 僕も、アッシュも、ここに居る全ての人間も、そしてアクゼリュスに住んでいた人たち自身と、もっと大規模で言えば預言に傾倒する世界全ての罪だ。

 けど、責任転嫁をしたことは、それだけは間違いなく、君だけの罪だった。

 君は確かに、傷付いているだろう。
 けど、君がそうやって責任を擦り付けることを言うたびに、今まで君を信じていた人たちの心を、君が傷つけている。




 ルークとミュウだけが残る甲板。
 僕はルークが泣いているのを黙ってみていた。
 多分、僕がいることに気がついていないと思うけど。

 自分の言葉や行動に責任をもてるようになるために、子どもは喧嘩をしたりして、傷つき、傷つけられることを知る。
 ルークは環境的に一人っ子だったし、今までただ甘い餌を与えられるだけの籠の鳥だった。
 親すらまともに叱らない。
 ラムダスだってたしなめることは出来ても、強く出られれば折れるしかなかっただろう。
 ルークは誰かを傷つけることがあってもその自覚すら、なかっただろう。
 傷つけても、相手がルークを責められないから。
 自分が誰かを傷つけたんだって知る事ができない。

 これも通過儀礼といえば、そうなんだろうね。
 ただし、人類史上稀に見る巨大で犠牲の多い儀式ではあったけど。









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