喚起の野



 三分の二は嫌がらせかもな〜、って思うくらいの書類仕事に忙殺されていた。

 っていうか、本気でヴァンは何とかして僕をダアトに閉じ込めたいみたいだ。
 実力行使が無理なら立場を盾にこうして拘束時間を増やしているし。
 労働基準法違反〜、って感じだけど、上司があれだし、監査機関ないし〜、大体時給で雇うっていう感覚が無いし?



 この前アッシュといった魔物退治はおおむね成功、だったとおもう。
 負傷者はいたけど死者は出さずに熊を蜘蛛にしたようなへんてこな魔物の退治は終了した。
 基本的に這って歩く魔物だったけど、立ち上がれば体格差は優に三倍以上の巨体の魔物。
 でも問題はそっちじゃなかった。

 魔物退治に行ったら、ついでに盗賊も退治してくれって。
 お願いされちゃった。
 まあ、僕が魔物退治にこだわっていたのは戦争に関わるのを嫌がっていただけだから、盗賊退治なら請け負うのに何の問題もなかった。
 マルクトのほうの軍隊にも否やがあるはずもない。
 だってマルクトの領地だしねぇ。

 それで、とりあえず出現域のわかっている魔物討伐から先にはじめた。
 蜘蛛のような、熊のような体をしているのに、挙動は鈍かった。
 ただひたすら高い防御力にまともに傷らしい傷も負わせられないだけで。
 体毛が邪魔して一般兵の剣や槍じゃ傷も付けられない。
 雪国出身の魔物の癖して炎にも強いとはどういうことさ!!

 とか、思ったりもした。

 剣や槍が通じないとわかってからは、マルクトの軍人達は譜術の行使に回って、僕が連れてきた師団の半分、二十五人の兵士達はその間の陽動に回った。
 僕自身が譜術に対して馴染みが薄いせいと、やっぱり指導方針が武闘派なもんで、僕の指弾の構成員はやっぱり肉弾戦の方が得意だ。
 一度戦いに出れば、一般兵の十人、二十人位なら一人で蹴散らせるように、を目標に鍛えているから。

 兵士を鍛えることも目的であるし、死にそうだったり重症を負いそうな時以外は僕傍観者。
 だったんだけどね〜。

 討伐の対象がダブったんだ。
 魔物退治の最中に入ってきた報は、盗賊の出現。
 さてどうする?
 僕が迷ったのなんて一瞬だった。

「今このときより一時的に師団の指揮権をアッシュ響手に預ける。期限は盗賊討伐後、ケテルブルクに帰還するまで。さあ、初任務で大仕事だ。がんばって、アッシュ」
「師団長、あんたはどうするんだ」
「僕? 僕は魔物退治」
「一人でか!」
「楽勝楽勝。――アッシュ響手、マルクト軍と協力し、上手く僕の兵達を使って見せろ。期待している」
「……はい」


 はじめの戸惑いをどこかに消し去って、アッシュは力強く答えをくれた。


 兵法や指揮などについては、王位に着く前はきっと父親と同じように軍に所属すると思っていたから、早いうちから教えているし、多分問題ないだろう。
 今回はアッシュを連れての正式任務で、僕も張り切っているから、連れてきた師団員たちも、アッシュのことを可愛がっているのを上位から数えて半分連れてきた。
 命令が理に適っている限り、言うとおりに動いてくれるだろう。

 マルクト軍から今回の討伐に派遣されたのは中隊が一つ。
 譜術を唱える者と、その術者を守るもの、あとは周囲の魔物の牽制をしている者に分かれる。
 分隊長とちょろっと言葉を交わして、譜術部隊を盗賊達のほうに回してもらった。
 まだたいした痛手を与えられたようには見えない魔物を前に随分と気をもんでいたけど、これからは僕も戦闘に参加するって伝えたらしぶしぶ兵を割いてくれた。


 名前が売れるっていうのは、こういうことなんだよね。


 まあ、僕は自分の名前で負える分だけの責任しか背負わないから。

 自分を追い立てる兵士が減っても、わずらわしい羽虫が減った、くらいの認識しかなさそうな魔物。
 でも、これからは容赦しない。

 僕は支給品の剣にオーラを纏わせて、雪原を蹴った。










 なんとも言えず、久しぶりにボスクラスの敵だった。
 オーラを纏わせた剣は、切り落とそうと狙った足の一本の半ばまで食い込んだところで二進も三進もいかなくなったので放棄した。
 譜銃を乱射しながらケルベロスを召還して、アルテマの三連発。
 それで止めとはなったけど、胴体を半分吹き散らしてまだびくびくと動いていた。

 凄まじい生命力だった。
 いや、違う。僕が劣ったのかもしれない。
 ここ最近、こっちの時間で言えば十年くらい。けど、僕たちの感覚で言えばそろそろ二十年も、全力でぶつかるような戦闘はしていない。
 キリエもフィールもいなかったから、訓練も出来ない。
 そりゃ鈍るのも当たり前か、って思って僕は肩をすくめた。
 いや、でもやっぱりこいつも桁外れだったと思う。
 念を纏わせた剣で足の一本も切り落とせないなんて思わなかった。




 久しぶりに苦戦したなぁ、って思って振り返ったときの注目のされ方も凄かったけどね。
 知っていたつもりだった。
 普通じゃなくなったことの意味を。
 その眼差しの声を。
 けど、ここ最近保父さんをやってばっかりだったから、ちょっと忘れていたのかもしれない。










 僕は報告書を書きながら、その日のことを思い出す。
 アッシュは無事に盗賊退治の任務を終了させて、先にケテルブルクに帰っていた。
 僕の帰還を待って酒盛りに突入。
 アッシュもちょっと飲まされていた。

 ケテルブルクのアイスワインは美味しいんだよね!
 僕はデザートワイン系は好きだから。
 キリエが来て、ポーチが使えるようになったらセフィのお土産にしたいな〜。

 魔物も盗賊も、死者なく倒せたことを純粋に喜ぶ僕の師団員たち。
 きちんと任務を遂行できたことを褒めた時のアッシュの素直じゃない喜び。

 きっとこれで、ダアトにあるアッシュの悪い噂も払拭されるだろう。
 ダアト人間だけでなく、マルクトの人間にもアッシュの実力を見せる事ができた。
 謂われない陰口の類は確実に減るだろう。

 それでいい。
 それだけ手に入れば十分だ。

 ハッピーエンドだろう?

 誰も犠牲にならなかった。
 眼差しも声も、全て僕の二つ名にかぶさればいい。
 僕は負けなかっただろ? アッシュ。


 約束どおりに。
















「おわ…ら、ないよ〜」

 僕は万年筆を投げ出した。
 ああパソコンよ、ワープロよ!! 書類作成の必須機器よ!!
 文明の違いが身に染みる……。

 助かったのは、詳しい仕組みは知らないけど、譜業による印刷技術だけはある程度発達しているおかげで、値は張るけど書籍が結構普通に世に出回っているということかな。

 これで本まで貴重品だったら僕は死ぬ。

 いや、物のたとえだけどさ。

 でも実際、一枚一枚が羊皮紙で〜、とか言う本だと管理のしかたも雑には出来ないし。
 日光、湿気エトセトラ。
 紙媒体ですら大変なのに、更に羊皮紙となったらもうね、その扱いにくさがね〜。

 投げ出した万年筆を拾って、指の間に挟んでくるくると回した。
 あっ! インクが飛んで書類に……、あ〜あ、こんなに汚れちゃ書き直しだよ〜〜。
 もう少しでこの書類はおしまいだったのにさ〜。
 も〜やめーー!! って、僕はペンにキャップをかぶせて椅子に背中を預けた。

 向こうの世界の僕の執務室より豪華だよね。
 ただ難点があるとすれば、地下だって事かな。



 アッシュが誘拐されてから、そろそろ四年がたっただろうか。

 このごろようやっとアッシュがかけられたマインドコントロールの支配下から抜け出せてきたように思う。



 傷みと恐怖と孤独の合間に囁かれる甘い言葉。
 真実を虚偽と告げる毒。
 増長されるレプリカと己の誤った同一性の認識と、それに基づく根拠のない憎悪。



 大まかに言えば、それがヴァンによって植えつけられたもの、あるいは己の中にあったもので必要以上に肥大化させられた感情と思考、かな。
 もともと感情に根拠なんてあまり求められたものでもないけど。

 初めのころは、撮影したレプリカ――ルークの映像を見せれば歯軋りして悔しがっていた。
 いや、本当に歯軋りはしないけど、そんなぐらいにって事。

 それは、レプリカを自分と混同していたからだろうと思う。
 自分と同じ。
 それなのに、何故俺と同じ事ができない!! って。

 親はともかく、兄弟って言うのは、同じ兄弟にモノを教えるのには向かないという話があった。
 それは、自分が出来ることが相手に出来ないことに苛立って、短気になりやすいからだと聞いたことがある。
 その話が何処まで正確かわからないけど、それは誰にだってあることだ。

 それを、殺意まで抱くほどに増長させられていたアッシュ。
 それが今じゃ、新しく撮影した映像を見せても、そんなに悔しがることはなくなった。

 ちっ、って舌打ちが聞こえたりとか、馬鹿が、って罵倒が聞こえたりもするけど、昔ほど酷い同一の認識はないみたいだ。



 昔はよく屑が、そんな事も出来ないのか!!



って言っていたけど、最近はその罵倒語はわりと成りを潜めている。
 相手が四歳児だって言う認識も付いたみたいで、家庭教師との勉強を盗撮した場面では、むしろ家庭教師のほうに憤るようにまでなっていた。

 曰く。

『ガキにいきなり高度な応用学を押し付けたって基礎を知らねぇんだ、わかるわけないだろう!!』

 との事。

 本当は、ヴァンの仕掛けたマインドコントロールから完全に抜け出すのにはもっと時間がかかると思っていた。
 十歳といえば、一般的にはまだ人格が完全に形成されていない年頃だ。
 そのころに植えつけられたものは、人の中に深く根を張る。

 この場合は、老成した子供というべきか、早熟というべきなのか?

 結果いい方向に出たのなら別に構わないこと、なのかな〜。
 年を経るごとに、口が悪くなっていくのだけは止められなかった……。
 僕以外では、多くの時間を接しているのはほとんどが僕の師団の人間だからなぁ。
 彼らも彼らなりにアッシュのことを可愛がってくれてはいるんだけど、口の悪さならそれこそ彼らこそが本家本元というか、この前、教えた覚えのない罵倒語を隠語で口にしていたときには驚いた。
 むしろ、何処まで理解しているんだって聞きたかったけど、怖くて聞けなかった。

 誰に言うかわからないから、放置しておいた方が怖いとは思っているんだけど……ね。









 僕は時々アッシュの心を想像する。


 多くのものを持っていて、これからまだ手に入れるはずだったアッシュ。

 愛情の確立はともかくとして、父親と母親がいた。
 怯えずにすむ家と食事と寝る場所があった。
 婚約者がいて、幼馴染がいて、いずれ王位に付く自分の姿を見据えていた。
 つまり、彼にはいずれ自分の治める民もいた。
 地位だとか権力だとかそういうのまで含めて他にも色々沢山持っていて、あるときアッシュはそれを一気に失ったわけだ。
 むしろ、奪われた。

 そして、どう思うのだろうかと、想像しては失敗する。

 僕は孤児だったから、石の家の仲間以外に何もなかった。
 いつの間にか伝説として言われるようになってしまった僕たち以外にも、昔は孤児たちはいて、その子供達は引き取り先が見つかれば順繰りにいなくなった。
 だから、いつかこの家も帰る場所じゃなくなるんだってわかっていたし、最後まで石の家に残って戯れていた僕ら五人も、そのうちばらばらに引き離されて、違うところにいくんだって、漠然と思っていた。

 だから、幼い時の僕は、何かを持っているという実感がなかった。
 引き取られた先の家族ともうまくいっていなかったし、ガーデンに入ってからもずっと、ひょうきんな奴と思われていたけど、孤独だった。

 スコールたちと再会してかから、色々なものを手に入れた。
 そしたら今度は、手放す、失うということが想像できないんだ。
 僕が、彼らを信頼しているから。




 力と、意思と、行動を。




 だから、もう失うということが想像できない。
 想像できないから、思うんだ。
 アッシュにも、もう喪失を想像できないぐらい沢山のものを手に入れて欲しいって。

 いつくしむ婚約者の隣の席。
 幼馴染。
 薬物混入を心配しなくていい食事に、警戒しなくても眠れる部屋。









 部屋の隅に視線を走らせた。

 ぐったりと頭を落として壁にもたれかかっている一人の男。
 食堂で食事を取るときにはいつも、アッシュの食事に混入される薬物は、思考力の低下を招くような程度のものだったけど、僕が取る食事にはご丁寧にも致死性の毒物が混ぜられている。

 ずっと昔から。

 部屋に備え付けられている飲料水のタンクに薬を混入されたこともあったけど、僕とアッシュ以外は蓋を開けられないように細工して、自分で組みかえるようにすると何度か偶然をよそおってタンクを壊されたけど、最終的には諦めたようだった。
 食事も、自分達で料理をするようになって、一時的に手を出しあぐねているようだったけど。

 僕を毒殺できないと確信してからは、こうして直接的に僕を排除する手段をとるようになってきた。
 生きたまま神託の盾から排除すれば僕はアッシュを連れて行く。
 なら、殺してしまおうというわけだ。
 ついでに僕を失ったアッシュの悲しみも利用されるだろう。


 事切れた哀れな死体に目をやって、吐息をつく。
 ヴァンデスデルカ。
 彼が暗殺者を送ることを諦めるのは、何時になるだろうかと。




 あと何人殺せば、彼は諦めるのだろうかと―――









戻る
TOP