一般的なヴァレンタインデー



 思い立ったが吉日と、何処かの三人姉妹も歌っていたのでチョコレート買ってきた。
 ヴァレンタインデーをしよう、とそう思った時にそういえばこっちの世界に来てからチョコを食べていないなと思い返したけど、ここではチョコを手に入れるのはなかなか骨をの折れることだった。

 やはりこちらにバレンタインデーはない。
 戦争中にナンチャラと言う人物が〜〜、とか、女性から積極的に告白するのは恥だと言う文化が根強く〜〜、などと言うこともなく、ゆえにチョコなる物を使って特別な日に女性から告白、などと言うこともない。
 特別な日なんかなくても人々は大いに恋愛を楽しんでいるようだった。
 父権的な文化もあり、やはり完全に男女平等とは言い切れないが、それにしたところで女性の立場は私が過去世界史で習った物などよりずっと上位にある。

 特別な日なんて必要ない。
 まあ、あったとしてもチョコより花のほうがメジャーではある。

 男性からなら花。女性からなら小物?
 チョコレートは一般ではない嗜好品の一つだ。
 そこそこ出回っているけどやはり値が張る。

 此方のバレンタインデーの文化がないと聞いて安心したり少し寂しかったりしたが、とりあえず、私は普段お世話になっている女性仕官の方や他の兵士の方々に普段の感謝をこめてチョコを送ることにした。
 友チョコ、自分チョコ、義理チョコを初め、もう好きな男性にチョコを贈るだけの文化じゃなくなっていたし、そもそもの宣伝が普段お世話になっている方へ、にすらなっていた。
 チョコレート業界も必死だ。

 美味しいけど量を食べられる物でもないし、いい物をと思えばやはりいい値段がする。
 一時的なものならともかく永続的な消費量の拡大は無理に近いほど難しいと思う。

 レシピがあればガトーショコラでもチョコクッキーでも何でも作るけど、レシピ無しに作れるのは擬似的なトリュフもどきだけだ。
 そもそもチョコは手に入ったけど少ない。  普通のチョコを作るにしても、私はテンパリングがダイッキライだ。
 チョコの製作過程にテンパリングさえなければ、と常々思うのだ。

 だから、チョコクッキーにした。

 前後の脈絡はない。
 チョコは少ないのだ。ココアの方がまだ入手しやすい。
 だから、ココアを使ったチョコ風味クッキーに路線変更だ。

 業務用のオーブンで大量に焼き上げる。
 明日はお客さんにも通常メニューに二枚くらい添えて出すつもりだ。
 やるね私太っ腹。

 いつもお世話になっている軍人さん達には少ないチョコを駆使して焼いたガトーショコラを。
 お客さんにはチョコクッキーは決定事項として、ならば問題はピオニーとジェイドとなる。
 アスランには機会があれば渡したいと思っている。
 彼は人格的に悩む必要性がない。
 早く彼のストレスを和らげてくれる素敵な伴侶が見つかることを祈るばかりであるが――セシル将軍と出会うのはまだ先だ。

 仕方がないので今は彼の髪の毛が後退しない内にセシル将軍と出会えることをひたすら願っておくとして、やはり問題はジェイドとピオニーだ。
 世話になっていることには間違いないのだが。
 本当に間違いなく間違いないのだがっ!!

 友チョコでも義理チョコでも渡していい物か迷う。
 いっそのこと中身に練からしかわさびでも詰めて送りたいような気さえしてくる。
 だったら素直にジンジャークッキーだと思うのでやめておくが。

 まあ、当日来たら渡す。
 そうじゃなければ自分で食べる。
 そう、結論付けた。
 まあ私が何か始めると彼らの耳にも入るらしいからおそらくは面白がってくるだろうとは思っている。




 案の定、というか、ね?

「おうルーア!! なんか珍しいことやってるって聞いて来て見たぞ!」
「ああ、いらっしゃい。なんだか余計なおまけも一緒に付いて来たみたいだけど?」
「そうですねぇ〜〜。やはりおまけにはお帰り願った方がいいですかね」
「……言うと思ったけど、あなたのほうがおまけよジェイド」
「おや? そうだったんですか!」
「そうだそうだジェイド! 毎度毎度俺のひそかなる楽しみを邪魔しやがってからには」

 私の言葉を請けてとくとくとジェイドに向けていかにお前のほうがおまけであるのかを語り始めたピオニーがピタリと止まった。
 なんとなく、分るよ。
 ピオニー自身が譜術を使うのかどうかは知らないけど、譜術国家の党首だもん。多少譜術を感じ取ることぐらいはできるだろう。
 私は全く音素には疎いけど、なんか気温が下がった気がする。

 実際問題体感温度が下がるくらいジェイドの周りで第四音素がざわついていると言うことなのだろう。
 ここまでなったならもう音素の才能なんてなくてもなにかあるのは分る。
 バックヤードから慌てて女性仕官の方と帯剣した兵士の方が飛び出してきたけどジェイドとピオニーの姿を見つけたら事態をそれなりに理解したらしい。
 頑張ってください、と言われた。

 ……初めのころはもっとシリアスしていたはずなんだけどなぁ、と最近思う。
 これも歳月の神業なのだろう。
 多くの秘密を抱えながらも互いに打ち解けることによって引き出される素の反応。
 まあ、彼らの秘密と私の秘密を比べたら、きっと今のところ私の方が多いと思うけど。
 彼らに対しては日常の小さな出来事はほとんど知らないけど、聞けば顔色を変えるような大きな秘密ばかりなら此方の方が一方的に知っていて、私のほうは隠してる。

 改めて考えるとシリアスの残る余地はあまり無いかもしれないと思った。

「いいから、奥へ行きなさいよ。今日もちょっと珍しい物あるから」

 引っ込んで行った女性仕官の方や軍人さんに挨拶をして表を任せると、彼らを伴い中に引っ込んだ。




「甘い物は大丈夫だったかしら」
「おう。俺は平気だぞ」
「今日のイベントはデザートに関することですか?」
「そうね。大丈夫そうだから、はい。どうぞ」

 と言って差し出したのは粉糖の白さも目に眩しいガトーショコラ。
 クッキーは全てのお客さんにおまけとしてつけているけど、ガトーショコラはさすがに注文しないと出てこない。
 今日のデザートメニューだ。
 こくのあるこのケーキにあうようなあっさり紅茶とあわせてセットメニューになっている。
 今日一日限定の。

「ガトーショコラ、ですか?」
「ケーキだな」
「今日のメインの意味はチョコレートよ」

 チョコレート業界の商戦だと分っていても!
 業務用のでかい割りチョコが割りと簡単に手に入るこの季節は好きだった。
 バレンタイン前の数週間。
 手に入りやすくはなるけど安くはなかったが、あの業務用チョコレートにそのままかじりつくのが好きだった。

「またなにか、あなたの故郷でのイベントですか?」
「ジェイドあたり。ご褒美にこれ、上げるわ」

 といって差し出すクッキー三枚。

「ルーア、俺にはないのか?」
「だって賞品だから」
「ジェイドだけずるいぞ!!」
「子供みたいに騒がない!!」

 それでもブーブー言っているピオニー。
 クッキーも最初は出す気があったのだけど、こうなるとなんだかただでは出したくない気分になる。

「じゃあ問題。このイベントの持つ意味はなんでしょう」

 む、と唸ったピオニーに、私は答えを待たずにクッキーを差し出した。

「ちょっとまてルーア。俺はまだ答えてないぞ」
「当たっても外れてもあなたの口からその答えを聞きたくないような気がしたのよ」

 まかり間違って当たったならそれはそれでうっとおしそうであるし、ハズレにしたところでピオニーの脳内でチョコレートが何か突拍子も無い化学反応をきたしそうな気がした。

「差別だ!」

 まだふざけた調子は残したまま、だん、とテーブルを叩くピオニーのショコラの皿に、私はそっと手を添えた。

「そう。チョコが嫌いだったのね。ごめんなさいね、ピオニー。じゃあ今日の特別メニューの変わりにスペシャルメニューを……」
「スペシャルメニュー?」
「ブウサギランドの原点回帰、ブウサギの肉まんを」

 ふる、とふるえるピオニー。
 この後きっと俺のかわいいブウサギたちを食べると言うのかーー! のような展開になるだろう、と思っていたところ、横槍が入った。

「あなたたち、いい加減にしてください」
「「はい」」

 私たちは仲良く返事をした。
 錯覚ではなく、室温が下がっていたと思うから。

 うぉっほん、といかにもわざとらしく咳払いをしたピオニーは、ガトーショコラを指差して尋ねた。

「それで、これは結局何のイベントだったんだ?」

 やっと私も本題に戻れると言う物だ。

「もともとの私の故郷では、一般大衆的な意味合いとしては女性から男性にチョコレートで思いを告げる特別な日、だったわね」

 黙った。
 二人とも黙った。
 そんなことは知らぬとばかりに、そ知らぬそぶりで私は話を続ける。

「でもねぇ。これも形骸化していて、最近は友チョコとか、自分チョコとか、お世話になった人に普段の感謝をこめて、とか、色々有るのよ。会社の上司や同僚の男性に配る義理チョコなる物も大量に有るわね」

 ギリ……、と小さな呟きが聞こえる。

「ほんと、こっちに来てからチョコなんて食べたこと無かったのよね。一念発起して探してみれば入手自体が大変だし。価値観の違いって偉大よね。カルチャーショックだわ。ああ、いらなかったら残していいわよ? 私が貰うから」

 嫌いな奴に食べさせるのは勿体無い、のである。

「今日のはヴァレンタインデー、って言って、一ヵ月後にはホワイトデーって言うのがあって、その時にはチョコを貰った男性が送った女性に御礼をする、と言うのもあったわね」
「ルーアッシュ」
「なに? ジェイド」

 真剣な声音にそちらを向けば、レンズ越しの赤い瞳に見入られた。
 なんかまずいことを言っただろうか。

「チョコレートの原材料であるカカオは決して手に入らない代物ではありませんが、やはり流通のルートは限られています。育成できる地域も限定されています」
「……そうね」
「カカオが一般で言うチョコレートになるまでにはカカオ以外の材料も必要であり、ましてあなたの話しにあるように量産するためには――」

 ……これは、まずいイベントを持ち出したかもしれない。
 二分された世界は、未開の地もそこそこあるけど、嗜好品であるカカオを量産できるほどの文化、施設をもった集落が全く発見されないと言うのもまたおかしな話だ。
 この世界、カカオ、ココアとしての出回りの分はともかく、チョコレート、ともなれば手に入らない代物でもないけど手に入れるのは大変だ。
 実際私はこのグランコクマにあってすら苦労した。

 チョコレートはそのほとんどがまーっすぐに貴族のところや資産家のところに流れていくらしい。
 存在を知っていたとしても庶民には遠い代物だ。
 それがまるで簡単に手に入ると私は言った。

 おそらくチョコ――カカオはマルクトよりキムラスカのほうが手に入りやすいだろうがそれにしたところで、である。

 さてどうして切り抜けた物か、と思う。
 今まで明確に答えたことはないが、私の故郷に関してはジェイドは殊更に興味があるらしく事あるごとに聞いてくる。
 まっすぐ見てくる赤い目は、今度こそは逃げの回答を許さないと言っているように見えた。

 でもジェイド。
 世の中にはすばらしい格言があってだね。
 逃げるが勝ち、三十六系逃げるにしかずと。
 秘密って言うのは喋りたくて喋りたくて仕方のないものだけど、私はこれを墓場まで持っていくつもりなんだ。

 無言のにらみ合いが続く。
 十秒、二十秒……四十秒、五十秒。
 そろそろ一分になろうかと言うとき、ピオニーの退屈が極まった。

「なんだっていいじゃないかジェイド。さっさと食おうぜ?」

 とフォークを行儀悪くぐるぐると回すピオニーを一瞥し――ジェイドは溜息をついた。
 一見すると無作為だけど、おそらくは作為あって私はピオニーに救われただろう。
 正直チョコを送るか躊躇ってすまなかった。

「で、ジェイド」
「なんですか陛下」
「お前が食わないなら俺が食うぞ」
「結構です。私が頂きますから」

 なんと言うか、一命を取り留めた気分だ。

 私も彼らと一緒に一切れのガトーショコラを談笑しながら食べた。
 やっぱり、チョコレートはいい。
 悔しいなぁ。
 きっと貴族たちはただのチョコとしてだけではなくて、香りも味も色々ある粒の小さい綺麗な綺麗なチョコレートを食べているんだろう。
 わたしも市販品のだったけどビターオレンジの風味のするチョコが好きだったし。

 もう、こっちじゃ食べられない代物だけど。




 一月経って、贈り物が届いた。
 ピオニーから、と言うのは少し安心したけど、突然の事だったから驚いたし、何のことか分らなくて少し恐々としていた。
 それが開けてびっくりチョコレート。
 どうやら彼はホワイトデーのことを覚えていたらしい。

 きっと誕生日とか覚えていてこまめにするタイプの人だろう。
 人気、ありそうだ。
 まさか話に少し出ただけのホワイトデーの事を覚えているとは思わなかったから、なおさら嬉しい。

 しかもチョコレートだ。
 ヴァレンタインデーのお返しってチョコレートだったっけ?
 なんて野暮なことは言わない。
 大歓迎だ。

 保冷庫に入れておけば早々腐る物でもないし、ただの板チョコからあこがれた綺麗な綺麗なチョコレートもある。
 かつてピオニーから貰った物でこれほどうれしい物があっただろうかと思う。
 確実に言えることは、この店の開店準備に山ほどのブウサギグッヅをもらったときより格段にうれしいと言う事だった。

 少しずつ大切に食べるか、それとも鼻血が出るまで一度に食べると言うこの世界に置いて今究極の贅沢とも言えることをやるか。

 今私は心底迷う。







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