一般的なお正月
……だれか私の寝正月どこにいったか知りませんか。
クリスマスに寝正月を決め込んで、それを過ぎたあたりから寝正月計画の準備をはじめた。
残念ながら私は御節を作れない。
もしこちらで御節が食べられたらと思うと、洋食ばかり作っていた昔の私が少し憎い。
洋食に対して圧倒的に和食のレパートリーが少ない。
まあそれでもお雑煮くらいは作れるわけだ。
二、三日は三食雑煮でも構わない決意を固めて業務用の大鍋で雑煮を作る。
材料集めも苦労したが、餅は手に入った。
いや、もち米が手に入った。
カンで蒸かして臼の代わりにすり鉢で捏ねた。
まあ、餅っぽい物ができた。いや、これは餅だ!
柔らかすぎて磯部には出来そうに無いな。それは残念だ。
保存もよく分らないので早いうちに食べてしまうつもりだし。
コタツは無いがミカンもある。
年の変わりにもほとんど変化の無いグランコクマ。
注連飾りもないし、大晦日カウントダウンも除夜の鐘も初詣も無い。
異国ですらなく異界に来て、それでも私は酸素を吸って二酸化炭素を吐き出し生きている。
それは、いいんだ。
幸いにも生きる糧を得られた。
テストでも仕事でもいっこも役に立たない記憶が偶然にも役に立った。
どんなに本編の事を覚えていても、その知識の事が全く役に立たない異世界と言う物はあると思うし。
幸いにも生きる糧を得られて、私感覚で結構な時間が経って余裕が出てきて、ふるさとを懐かしみこちらの世界には無い故郷の行事を持ち込んでみたりした。
年の変わり目、大晦日元旦といえば割りと大きな行事だった。
お雑煮とお汁粉と磯辺焼きととにかくお餅が食べたかった。
大晦日にはそばも食べた。
そう。
それで寝正月が来ると思っていたんだ。
大型スーパーや都心の店などは多くは元旦から営業を始めているところも多かったけど、身近なところではやはり2日から、遅くて三日からの商いが普通だったし、都心と言った所で商店街丸ごと2日から営業、と言う場所の方が多かった。
だからここでもそんな感覚だった。
だが、その当日になってそれは違うのだと未を持って実感させられた。
当然ここの兵士の方々は私が正月などと言う日本の文化を勝手に持ち込んで一人納得している事など知らない。
カルチャーショックだ。
なぜ今まで気が付かなかったのだろうか。
単に意識していなかっただけなのだろうとは思うが、ショックだった。
寝坊するきまんまんだった私を起こしに来る女性仕官の方。
いつもよりおきるのが遅いから起こしに来ましたって……まだ十分しか寝坊してない。
『張り切って準備していましたね。見たことのない料理ですが、故郷の料理ですか? 楽しみですね。お客の方々も喜んでくれるといいですね。ああ、ジェイド殿にお知らせしましょうか?』
ちょっと、待って。
と、とっさにそういえなかった。
そう、周知していなかった私が悪い。
とても悪い。
彼らは今日も店を開く気ですでに活動している。
そして恐らくはグランコクマの人々、私の中ではおもにブウサギランドの常連客たちも、今日が何の日なのかなど深く考えもしないだろう。
そんな物だろう。
思い返せばいままでがそうだった。
ここでは新年は全く持って特別じゃない。
寝正月の予定だった正月も、ブウサギランドはオープンしていた。
私が三日食いつなぐつもりだったお雑煮やお汁粉を振舞いながら。
どうしてこんな事になったのだろうかと考えた。
私の体感時間で二年に一度しかない新年なのに。
そう、私が悪い。
私の常識は他人の非常識。
ついでにまだまだ私は経営者として未熟らしい。
更についでに人間としても。
こんな単純な事も思いつかないなんて……。
予想外の労働だったために、気分的に疲労が大きかった。
笑顔で雑煮を振舞いながら決意する。
来年こそは、寝正月にしてみせる、と。
ちなみに雑煮と汁粉、栗きんとんなどの正月三大餅料理はなかなか好評だった。
それだけでも多少救われた気分である。
ジェイドとピオニーが連れ立ってきたので、雑煮を出した。
箸で。
伐採した丸のままの竹を入手して、歪まないようにそのまま辛抱強く乾燥させて、すっかり色あせた元青竹を割って割ってわって細くして、最後はナイフで懸命に削った。
渾身の力作だ。
こちらの生活になれた頃には自分用に作って使い始めていたが、初めはガタガタでとても人様に出せるような代物ではなかった箸も、使い続け、作り続けていくうちに今ではそこそこ見栄えがする。
「なにか今日も特別メニューがあると聞いて聞いてきたのですが……これがそれですか?」
「ええ、そうよ」
ジェイドが雑煮のはいったんおわんを覗き込みながら言う。
箸には手をつけない。
知識にはもしかしたら有るかもしれないけど、恐らく実戦は無いと思う。
くんくん、と湯気の上がるおわんの中身の匂いをかいでいたピオニーが顔を上げた。
「いい匂いだな〜。なんか安心する気がするぞ」
「発酵食品はママの味、だったかな」
確か発酵時に母乳に含まれるとある成分と同じ物が生成されるという話を聞いた覚えが有る気がする。
味噌汁や醤油、日本酒とワインは覚えていない。
「はぁ?」
「いいの気にしないで」
「この白いのはなんだ?」
「お餅って言うの。普通のライスより粘り気の強いライスを蒸かして搗いて」
杵と臼が無いのに餅つきの感覚が分るだろうか。
そう考えて違う言葉を捜す。案の定と言うか、ピオニーの顔にもジェイドの顔にも理解の色は無い。
こっちもこっとで餅つきと言う言葉に馴れすぎて違う言葉に変換するとなるとしっくり来ないが、まあいうなれば。
「あー……叩いて? まとめて千切った物よ。私の故郷ではよく食べたわ」
「チキンと根菜。これは山菜、ですかね〜」
「そうよ。チキンはささみを使ったの。山菜は……私の故郷で食べたた時みたいに種類が手に入らなかったのが残念だけど、そこそこうまくいったと思うわ」
ほう、とジェイドが声を洩らす。
「それで、だ」
「あらなに? ピオニー」
「これは一体どうやって食うんだ?」
さっきから二本の棒しかない事は認識しているだろうに、律儀にきょろきょろと周囲を見回してから尋ねる。
そのピオニーに向かって、私はおもむろに自分の使っていた橋を突き出した。
「これよ」
「これ、ですか?」
ジェイドが自分の前にセットされていた私お手製の箸を手に取る。
掴み方はまるでなってないと言うしかないが。
「そう。箸って言うの。これも、まあ昔のホドだったら文化としてあったかもしれないけど、今はどうかしらね。用意するのも面倒だろうし、ホドで生き残った人たちだって今も受け継いでいるかは怪しいわね」
ナム孤島の人たちのようにある程度固まって集団を作って居れば文化の保持もある程度出来るかもしれないが、ホドの人々のようにほぼ完全に拡散してしまうと恐らく無理だろう。
周囲に馴染んでいくためにも箸を使うよりは恐らくフォークとスプーン、ナイフの文化に強く影響されるはずだ。
そもそも沈んだ時点のホドに箸の文化があったのか。
大まかにでもホド史を見る限り、過去には恐らくあっただろう文化だとおもうのだがその過去が何処まで過去なのかは不明だ。
「ホド……か」
「いっておくけど、私の故郷はホドじゃないわよ? 過去の――今より恐らくかなり昔のホドの文化と重なるところは少なからずあったとは思うけどね」
「そうか。結局これでまたルーアの出身地がわからなくなったな」
「教えるも何も、存在しないもの」
「そう――だったな。すまない」
「気にしないで」
存在しない。それはこちらの世界には、と言う意味である。
だがすでに滅んだところである、と言うニュアンスで故意に誤解を与えているのも確かだった。
故郷について訪ねられれば、無い物だ、と言っているが明言はしていない。
卑怯臭い後ろめたさは常に感じている。
その気後れが、向こうにはこの話題に対する私の切なさや悲しさに見えるらしい。
ジェイドに関してはごまかしきれているとは思えないし、ピオニーにしたところで誤魔化されてくれているだけだろう。
彼らの心が優しすぎて困ってしまう。
でも、利用させてくれるうちは利用させてもらおうと思う。
故郷を失った事、これだけは間違いの無い真実であり、この真実が私のふるさとに対する多くの嘘を彼らに対して真にする。
「他のお客さん方にはフォークで出したけど、貴方達は特別だから、特別に箸も用意してみたのよ」
真実は少しの嫌がらせこみで。
だがそこは綺麗にオブラートに包んで苦味を隠してしまう。
「使い方は教えてあげるわ。あなたたちのことだからすぐに使えると思うし。一度覚えればつまむ、切る、持ち上げる、刺す」
刺すのは本来箸のマナー違反だが、まあ硬い事は言いっこなし。
「何でも出来てかなり便利よ?」
溜息と共に不承不承箸を手に取るジェイドと、それに続いてジェイドよりは少し好奇心を持って箸を手にするピオニー。
私は二人に懇切丁寧に箸の使い方を教えた。
案の定、二人は正しい端の持ち方をマスターするのにずいぶんと時間の掛かった私と違って瞬く間に箸の使い方をマスターした。
これなら恐らく、小豆だろうが大豆だろうが生米だろうがつまめるだろう。
寝正月の行方は見失ってしまったが、こういう正月も悪くないかと思う。
うん。
そうだ、来年は福袋を作ろう。それがいい。
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