還りの雨




 俺がそれに気が付いてしまったのは何時だったのか、正確には覚えていない。
 だが、俺がそれに目をそらせなくなったのが何時ごろなのかは、なんとなくだが覚えていた。
 二十五になるか、ならないかのころだった。

 明らかに成長の遅いリノア。
 僅かに兆候の見えはじめる記憶障害。
 闊達な時期を過ぎて、少しほっそりとしたリノアの輪郭が、あいつの面影に重なる。


 怒りの魔女アルティミシア。


 たれ目ぎみの目、ふっくらとした唇の形、意志の強そうな眉、柔らかな顔の輪郭。

 今もってリノアにしか名前を教えていないグリーヴァの名を彼の魔女が知っていたこと。
 アルティミシアの城が、石の家、孤児院に繋がれていたこと。

 グリーヴァについては、魔女が心も読めると仮定すれば不可能ではないが、それにしても、それならば何故あれだけの仲間がいた中で、俺の思う最強が現れたのか。
 ほかにも、色々と思うところはあった。

 時がたてばたつほどに、リノア=アルティミシアだと言う事を、確信しないわけにはいかなくなった。

 幸せだった。
 リノアに救ってもらい、リノアと共に笑い、泣き、喧嘩をして仲直りを繰り返して過ごした日々は確かに幸せだった。
 だが俺は、結局どれほどの手を尽くしても、リノアを救えなかった。
 リノアは魔女の力の他者への継承を拒否し、俺は今度こそリノアが封印されていくのを見送った。
 ともすれば、自分の名前さえ忘れてしまうリノアの事を。

 俺の命も、もう長くはない。
 人は誰もが死んでいって、忌むべき歴史は忘れられ、次にリノアが目覚めたときには、彼女に名前を知らせる事のできる人間もいなくなっているかもしれない。
 過去を求めたアルティミシアは、過去を失ったリノアそのもの。

 自分の名前すら失って、それでもリノアの心は約束の地へ繋がれていた。
 Seedという言葉に固執し、そのなかでもなお伝説のSeedの影を追っていた。
 魔女から魔女へ、意識を移していた時も、リノアはただ自分の知る魔女から魔女へと渡り歩いているだけだった。

 全ての記憶を失っても、なお忘れらない何かをリノアの中に植えつけたのが俺だったら、嬉しい。
 うぬぼれでなくそう思えるほどの確信を与えてくれたリノアが、愛しい。

 だからこそ、悔しい。
 俺はリノアを救えなかった。

 パッキングと言う封印処置を施されたリノアは、遠い未来に開放されるのだろう。

 名を忘れ、己を忘れ、過去を忘れ。
 アルティミシアと名乗り、孤独を抱き、恐怖を撒き散らし。

 そして時間圧縮の果てに、幼い俺のいる孤児院に辿り着き。
 そしてリノアはまた、迷う俺を導くのだろう。

 GFによる記憶障害で、帰る場所を見失った俺を導いたのは、アルティミシアとなったリノアの、黒い翼だった。

 俺自身に訪れる終末のときが、近い。
 俺の死と共に、リノアは宇宙に打ち上げられる事になっている。
 俺がいる事が、リノアをこの星の上にとどめておく条件だった。
 リノアは空に行くだろう。

 あれほど孤独を恐れたリノアを、俺はまた孤独にしなければならない。
 あらゆるものの干渉を防ぐパッキング装置は、冷たく、孤独にリノアを苛む。

 俺は、確かに幸せだった。
 リノアと出会い、リノアとふれあい、リノアを愛しリノアと共に生きて。
 リノアに多くを救われた。

 結局リノア自身は彼女の望みを叶えたのではないかと俺は思っている。

 魔女の力の他者への継承を拒否することで、悲しみの連鎖を断ち切ろうとしていた。
 あれほどに孤独を恐れていたのに、自ら封印されに行こうとしていたことを思えば、アルティミシアの正体をリノアが知らなかったとは思えない。
 そして、リノアはアルティミシアとなり、過去へ力を継承し、未来に強大な魔女はいなくなる。
 愛の継承とは言うものの、上手くいかずに多くの悲劇を生み出してきた悲しみの連鎖を、彼女は未来において完全に断ち切った。

 そして、リノアが言っていた望み。

 もし、自分が悪い魔女になった時は、俺の手で、殺してくれと。

 俺は何も知らずにアルティミシアを倒した。

 いや、殺した。

 ばらばらのピース、本来めぐり合う事のない時間の流れ。

 それをゆがめて、リノアはリノアの願いをかなえた。

 俺は、アルティミシアとなったリノアを、殺した。

 リノアは救われてはいないかもしれないが、恐らく満足しているだろう。
 ならば、むしろ救われないのは俺の心、か。

 リノアを、救えなかったと思う、俺の心。

 もしも叶うならば、そう思ってやまない。




 俺に、リノアを救う時間を、下さい―――――――。











 気が付けば俺はそこにいた。

 海から吹く風の匂い、蔦の絡まる堅牢な石の家を見上げていた。

 何が起こったのか、理解できなかった。
 ふら、と膝から力が抜けてしりもちをつく。
 ペタン、と軽い音を立てて。

 ぎょっとした。

 あらゆる感覚が自分の体の未熟を伝える。


 視界の高さ然り、体の軽さ然り、自分の知る体との感覚の相違。
 手のひらは小さく、足は何の筋肉も付いていなくてガリガリで、ふと触った額には、見た目には分らなくなったが触ると分る傷跡が無くなっていた。

 何が起きた?

 自問する思いも空回りする。

 ここはどこだ?

 知っているはずだ。
 ここは自分がかつて育った孤児院。
 石の家と呼んでいた、リノアとの約束の地。

 だからなおさら分らない。

 俺の知る石の家は、すでに廃墟だった!!

 なぜ、目の前の石の家を伝う蔓草はあんなにも瑞々しい?

 倒壊しているはずの柱が立っていて、開いた扉から覗く室内は何故あんなにも暖かそうなんだ!!

 ふらりと、立ち上がり、歩いてみた。
 まるっきり子供の体だ。

 頭が大きくて重心が安定しない。

 何が起こっているのか結局理解できないまま、俺はフラフラと歩き続けた。

 運命の分岐点となった、あの場所へと、体は自然と動いていた。







 ママ先生がいた。
 ガルバディアの魔女ではない、俺達のママ先生が。

 スコールがいた。
 魔女戦争のころを駆け抜けたころの姿をした、俺がいた。


 唐突に理解した。


 今俺は、かつての運命の分岐を、再び目撃しているのだと。

 幼いころの、俺自身の目線から。

 空間が歪み、現れるアルティミシア。

 それに剣を向けるスコール。

 駄目だ。
 それは、あってはならない!!
 リノアに剣を向けるなど、例えそれがリノアの望みでも!!

「やめろスコール」

 自分の甲高い声が耳に障った。

「もう敵対する理由はない」

 突然現れた俺に、目を見開くもう一人の俺。  俺にとっては過去であり、この体にとっては近い未来の俺自身。

 まだ無知で、何も知らない。

 どうする、俺はどうすればいい?

 イデアへの継承を邪魔するか?

 いや、それが出来るのか?

 それをする事に意味はあるのか?

 すでにアルティミシアの目にあるのは憎悪じゃない。

 アルティミシアはもう、ただ一つ、スコールを返すためだけに生きている。

 どこまでもスコールを愛する、リノアの姿。

 このまま痛みを長引かせるのは、忍びなかった。

「お前は――」
「スコール、あなたは――」

 スコールも、ママ先生も、俺を見る。

「ママ先生」

 俺の変質の理由を後回しにしたのか、俺を押しのけてママ先生はアルティミシアの前に出た。

 俺には、もうどうすればいいのか、わからなかった。
 リノアの苦しみを長引かせるのは嫌だ。
 けど、ここから、やがてアルティミシアの力を継承したイデアが意識を乗っ取られる事であの未来は近づいてくる。

 迷ううちに継承は終わり、俺はもう一度、アルティミシアの死を、見届けた。

 運命は、始まってしまった。

 未来の力は過去に継承され、やがて怒りがやってくる。

 それは大陸を飲み込み、戦火を撒き散らすだろう。

 だが、どうだろう。

 今の俺は、少なくともかつての俺ほど無知ではなく、かつての俺ほど無意識ではない。

 今度こそリノアを、救えるだろうか。

 俺の頭の上で交わされる会話。

 帰り行くスコール。

 そしてママ先生が俺を見つめた。

 俺も、ママ先生が言う正しくここにいるべき事を許されたスコールでは、すでにないのかもしれない。

 ママ先生が口を開きかけたのを見て、とっさに駆け出していた。

「スコール!!」

 後ろから呼ぶ声が聞こえる。

 でも俺は振り返らない。

 未来はきっと、変えてみせる。

 何よりリノアを、救ってみせる。今度こそ、きっと。

 誰かの手のひらでなんか踊ってやるものか。

 ママ先生が描いたシナリオは、確実だけど誰も救わない。
 エルおねぇちゃんも、クソ親父も、みんな、皆巻きこんでやる。

 魔女の力は、人類全ての負うべき遺産だ。
 ただ一人の人間の犠牲で全てを終わらせたりはしない。させない。

 俺はもう、大切なものがあるんだ。

 力を得るためにSeedにはなるだろう。

 けど。

 Seedは何故と問うなかれ。

 Seedにそれが強制されるなら、なら俺は答えよう。





俺は、魔女の騎士だと。





ただ一人、リノアを守護するリノアの騎士だと。







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